89・☆行動開始
魔人たちの拠点の一角に作られたガラスドームの中は、うっそうと茂る緑のジャングルだった。
さまざまな地域の、さまざまな植物があふれ、けれど雑然とはしておらず、個々の植物たちはお互いを尊重するように場所を確保し合っている。
「ジオ、いるか!」
ガラスドームのジャングルに入室したグレンは声をあげた。
グレンの部下であり、友人でもあるジオは、緑のドームの主だ。
木々や草花に埋もれて姿が見えなくなることもしばしばで、今回も、この数日、グレンはジオの姿を見ていない。
「こっちですよ」
植物の庭園の中ほど、ガラス天井から日差しが心地よくふりそそぐ場所に、籐製の椅子を運んだジオが、光合成さながら、優雅にくつろぎながら本を読んでいた。
グレンが近づくと本を置き、立ち上がって優雅に礼をする。
「どうしました?」
「そろそろ使えるか確認したい」
何を、とか、何に、などという前置きはしない。
グレンはジオに全幅の信頼を寄せていたし、ジオもそれで十分通じた。
「アイシャががんばってくれたおかげで、誘拐した者のうち数名は、洗脳をほぼ完璧に終了しています」
そう言って、近づいてきた蔦植物の魔物が差し出した茶碗を受け取った。
ジオにとって、植物系の魔物はペットのようなものだ。
青い釉薬が美しい、円筒形の碗に茶を注ぎ、グレンに差し出す。
グレンも椅子に腰掛け濃い緑の茶を飲んだ。
新芽の一葉のみを乾燥させ、粉末にした、東方の高級緑茶だった。
グレンが茶を口に含むと、ジオは満足そうに言葉を続ける。
「精神力の強いものは、洗脳をあきらめ暗示に切り替えました。こちらもほぼ完了しています」
「何人集めた」
「現在合計で6人。適度に政治に口出しできる立場のものばかり。あなたの要望どおりですよ。有力者すぎると問題が大きくなりすぎますからね。あと数名めぼしはつけてありますが」
「今これ以上増やすと地下への探索を強化される。影響は少ないが動きにくくなるのは面倒だ。とりあえず数人開放してから様子をみよう。どれぐらいもつ?」
「洗脳のほうは、たとえ洗脳されたと自覚しても、簡単には解けないでしょう。憎しみや恨みは本人のものとして植え付けられますからね。気づいたところで許せなくなります。暗示の方は薬を飲まずにいれば数日で解けますが、定期的に飲みたくなる薬茶を用意しました。飲まずにはいられないのも暗示の一部なんです。中毒症状というほど激烈なものではありませんが、飲みたくなります」
そう言って、テーブルに乗った緑茶の器を掲げた。
グレンはすでに何口か飲んでしまった茶に眉をしかめたが、ジオは笑う。
「ふふ、大丈夫ですよ、これは普通の緑茶です。それに頭を素直にしてくれる私の薬茶も、暗示を持続させるためだけのものですから、暗示を受けていない人間にはただの茶です。――それよりも少々心配な事があります」
「心配? なんだ?」
ジオはグレンをじっと見つめ、それから彼の腰に下げられた銀の剣を見つめた。
「洗脳が上手く行った者たちは、光の君に対してかなりの敵意を持っています。赤竜公を奪われたアレスタの臣民なので、敵対心を膨らませるのは簡単でした。ですが、うまく行き過ぎた感がぬぐえません」
「それが心配事か? 人の世界にあの方の居場所をなくしていくのは当初の計画通りだ。まずは隣国アレスタ。信頼する部下の生国なのだから、その国の人々に敵意を抱かれればあの方も人の愚かさを知っていくだろう」
「それはいいのですが、洗脳が効きすぎて、敵意どころか殺意にまで達する恐れがあります。グレンはまだ光の君を死なせるわけにはいかないでしょう。竜人たちの警護をすりぬけて、どうこうできる人物はいないでしょうけれど、万一ということがありますからね」
ジオの言葉をグレンは鼻で笑った。
人間ごときが、光の君を傷つけられるなどとは夢にも考えられなかった。
竜人たちの誰かがつねに護衛しているし、光の君、本人の力も尋常ではない。
ジオもそれほど心配しているわけではないようだった。
伝えなければならない事柄だったから告げただけ。
「わかった。一応心に留めておこう。――少しずつ、しかし確実に、あの方が人という生物を見限るように仕向けることが大事だ。特にウェスタリアの周辺はすべて敵国となるようにな」
「遠国は予定通り、可能な限り支配下に?」
「そうだ。だがこちらも急がない。急いでしくじっては過去の失敗を繰り返すだけだ。それでは元も子もない」
きっぱりと告げると、グレンは残りの緑茶を一気に飲み干し、立ち上がってガラスの温室から立ち去った。
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ワグナーが以前住んでいた屋敷は、先日ジャンが言っていたとおり、瓦礫の片づけが始まっていたが、まだまだ手が回りきらないらしく、外壁も、そこから見える庭も荒れていた。
シリウスは、黒衣の青年アルファと、二頭の狼を連れて現場に到着したが、途中、カイルの未熟な変身術が解除されそうになったり、めずらしい狼を二頭も連れている一行に注目が集まったりと、なかなかスリルにあふれた道程だった。
なんとか切り抜け、到着した現場は、一般人立ち入り禁止になっており、兵士たちが瓦礫を一箇所にまとめる作業を進めている最中だ。
もちろん、シリウスたちも入れない。
「我が君、現場はここから見るだけで十分です。予定通りこのあとは散歩にまいりましょう」
中に入れなかったのをこれ幸いと、アルファは主人の安全を喜び、行楽の提案をした。
左右でシリウスを見上げている狼たちも、こくこくと頷いている。
しかし肝心のシリウスは首を振った。
「ここから見ただけじゃ何にもわからないよ。――あ、ねえ、あそこにいるの、ジャンじゃない?」
屋敷の建物の裏側で作業している青年を見つけて、シリウスは喜色を浮かべる。
「ジャーン! おーい」
手を振って遠慮なく大きな声を出したシリウスの口を、アルファが思わずそっと押さえた。
「我が君、はしたないですよ」
「だって、大きな声じゃないと聞こえないよ。ジャーン!」
どうやら竜人らの主人は、ここまできて手ぶらで帰るなどありえないと思っているようだった。




