87・☆留学生マグナス、休日の朝
(マグナスside)
僕は休日の遅い朝食を食べようと、あくびをしながら階段をおりた。
ここのところ毎日が有意義すぎて、一日がものすごく短く感じる。
それというのも、同じ下宿に住んでいる黒衣の青年が、大学で臨時講師として授業を教えてくれているせいだ。
彼の授業は絶対かかさず受講している僕だけれど、評判が評判を呼び、このままではいつか授業は抽選になってしまいそうだ。
それぐらい、彼の授業は独創性に満ちていて、同時にすばらしくレベルが高かった。
毎日が新発見の連続で、興奮して眠れないこともある。
教わっても誰も実行できないような難易度の高い魔法から、とんでもなく複雑なのに子供でも詠唱できるような魔法まで、とにかく幅広く多岐にわたっていて面白い。
個性的なのに、基本に忠実なのもスゴイ。
僕は毎日遊園地に駆け込む子供のように、うきうきわくわくしながら大学に通うようになった。
とはいえ、黒衣の講師は授業中も一切笑わなかったし、他の教授のように冗談を言って生徒たちをもりあげようともしない。
バリトンの美声でただ淡々と事実を語り、質問にも簡潔にわかりやすく答え、実演を交えながら滞りなく授業を進めるだけだった。
それだけの授業なのに、生徒たちはみんな食い入るように没頭し、一枠一時間の授業は10分ぐらいに感じてしまう。
もしも授業が抽選になるようだったら、ジーン先生の授業を最初から受けている生徒は抽選を除外してもらえるよう、校長に談判するつもりだ。
だって僕はジーン先生の授業を全部逃さず受けている。
評判を聞きつけてやってきたニワカ生徒とは違う。
黒衣の青年は、この家に引っ越してきたとき、シリウス君の護衛、アルファと名乗ったけれど、学校では、小等部に留学している主人の護衛兼、保護者代理、ジーンと名乗っている。
僕も学校ではジーン先生と呼んでいるせいで、下宿でも「アルファさん」ではなく「ジーン先生」と呼ぶようになっていた。
友人たちにはまだ、僕がジーン先生と同じ下宿に住んでいることを教えていない。
教えたとたんに、魔法オタク仲間の友人たちは下宿に押しかけてくるだろう。
教室ではニコリともしないジーン先生が、下宿ではシリウス君に対し、とんでもなく素敵な笑顔で語りかける姿を僕は毎日のように目撃している。
別人のようにやわらかく、愛情に満ちた視線と声。
王者に対するようにうやうやしく敬意に満ちたしぐさ。
大切で仕方がないというジーン先生の内心が丸見えなのだった。
もし友人たちにジーン先生の下宿での様子を話したとしても、きっと誰も信じないだろうなあ。
シリウス君に対する態度は、ジーン先生だけでなく、赤い髪に赤い瞳という、一風変わった、けれど、とんでもない美形の、カイル青年も同じだった。
カイル青年は学園にはいかず、下宿でひとり留守番をしている。
置いていかれるのが辛いのだと、愚痴を言っているのを目撃したことがある。
非常に気の毒な雰囲気だったけれど、僕にはどうしてあげることもできない。
女の子が束になって告白してきそうなハンサムなんだから、デートにでも出かけたらいいのにと思うんだけど、そういうことには一切興味がないようで、僕からみたらものすごくもったいない。
それから、蒼い毛並みの大型の狼。
人の言葉を理解しているかのように賢く、いつもシリウス君の足元をぴったりと守っている。
スラリとした体に優美な尾が美しい。
もしもこの狼が動物園にいたならば、僕は何時間でも狼の檻の前を動かないだろう。
けれど問題は、この狼が檻の中ではなく、下宿の中を自由に歩き回っているという点だ。
初めて出会った日、この狼はとんでもなく大きな牙をむき出して僕にうなった。
地鳴りのような脅しの唸りを、僕は一生忘れないだろう。
シリウス君が注意してくれてからは、うなられることもなくなったけれど、この狼は僕に対してまったく打ち解ける気配がない。
一度あのふかふかした尻尾に触ってみたいのだけれど、一定の距離以上は絶対に近づかせてくれない。
いや、逃げるわけじゃないんだ。
手を伸ばして触れようとすると、狼は上唇をちょっとめくってみせて、ギラリと輝く牙を見せつけながら僕をにらむ。
そうすると、僕はあっさり手を引っ込めるというわけ。
そんな一風変わった彼らがひたすらに敬愛しているらしい主、シリウス君は、奇跡のように美しい少年だ。
初めて会ったときは教会の絵のようだと思ったけれど、あれから一度、教会にいった僕は考えを改めた。
教会の絵なんか、シリウス君にくらべたら子供の落書きだ。
くせのない金の髪は絹糸のように滑らかで細く、風に揺れると黄金の炎のように輝いた。
整った顔は言うまでもなく完璧だったけれど、完璧なものにありがちな冷たい雰囲気はない。
少年らしいやわらかさの残る頬の線も、やさしい雰囲気に満ちていた。
なによりその紫の瞳がすごいんだ。
あの瞳はまさしく宝石。
宇宙の深遠を覗き込んでいるような気分にさせられる。
美しすぎる容姿と全身から漂う高貴なオーラのせいで近寄りがたい雰囲気があったけれど、シリウス君本人は、他の二名と一頭に比べてずっと気軽に僕の相手をしてくれる。
とんでもなく美しい以外は、賢くてやさしい、表情豊かな普通の少年だ。
従えているメンバーから言って、ウェスタリアではかなり身分の高い家の出身なのかと思うのだけれど、もしそうならもっと大勢の家政を連れているはずだし、なによりこんな安下宿なんかに泊まらないだろう。
彼らはそんな風にとにかく謎だらけだったけれど、僕はおかげで毎日たのしい。
昨晩ジーン先生の授業の予習と復習にのめりこんだあまり、少々寝不足だ。
今までは休日が楽しみだったのに、今はとにかくジーン先生の授業が恋しくて休みが憎いぐらいだった。
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あくびをしながら階段を下りていくと、件のシリウス君一行が出かける準備をしていた。
シリウス君とジーン先生、蒼い狼。それと、赤い狼。
ん?
赤い狼?!
みたことのないメンバーが追加されていたので、僕は思わず寝不足の目をこすった。




