86・☆赤竜、イメトレする
シリウスがアルファと夜の散歩を楽しんだ翌日は、学園が休みだった。
若干アクシデントはあったものの、楽しく有意義な時間を過ごしたシリウスは、ぐっすり眠り、早朝に目が覚めた。
みんなと一緒に朝食を終え、今日の予定を尋ねられたシリウスは、魔物に襲われたワグナーの元屋敷に連れて行ってほしいとカイルに頼んでみた。
魔物と魔人が密接に関わっている以上、アレスタの魔物が頻繁に市民を襲っている状況はシリウスにとっても大問題だったし、なによりワグナーの事が気になる。
けれどカイルの返事はシリウスの予想通り、
「危険ですので、私がまた見てまいります」
だった。
傍で聞いていた残りの二人の竜人も頷いている。
「襲われた屋敷にはもう魔物がいないんだから危なくない。それにぼくが行くなら三人ともついて来るでしょ? みんなが一緒にいて、危ないことがあったら教えてほしいぐらいだよ……」
シリウスとしては、わが身の危険よりも、竜人たちがシリウスを守ろうとするあまり、常識はずれの行動をすることのほうが心配だ。
「ですが我が君、お怪我がおありなのですから、あまり無茶なことは……」
「もう治ってる」
ほら、と怪我をした手首を動かしてみせる。
実際、手首の捻挫といっても軽いものだったし、他の痣も強く触れたりしなければまったく痛くない。
ほほのかすり傷などは、傷の存在をあらかじめ知っていて、目を凝らさなければわからないほどに回復していた。
けれど竜人たちの反応はいまいちだ。
そこでシリウスは、彼らが喜びそうな提案を付け足してみた。
「じゃあさ、事件現場を確認したら、そのあとはみんなで公園まで歩いて散歩しよう。天気がいいから気持ちいいよ」
「私も一緒に散歩していいんですか?!」
これに食いついたのはカイルだった。
カイルがものすごい勢いで聞いてきたので、シリウスもすっかり忘れていた事実を思い出す。
「あ、そうか、カイルは学校のみんなにも顔を知られちゃったんだ……」
赤竜公と仲良く散歩しているところを同級生たちに見られたら、さすがになかなか言い訳がきかなそうだ。
「せっかく天気がいいんだから、あんまり厚着して顔を隠すのはもったいないよね……」
「我が君、素性をしられず留学をお続けになりたいのであれば、カイルの顔は隠さねばなりません」
これまで黙って二人の話を聞いていたアルファが会話に入ってきた。
「ですが……。カイル、お前まだアレは使えないのか?」
「アレ?」
シリウスだけではなく、当人であるカイルも一緒になって聞いたので、アルファの眉間に縦皺が生じた。
フォウルだけが無反応。
だがアルファの眉間の皺を見て、カイルは思い出した。
「アレ、アレか! そうだった!」
思い出したとたん、カイルは子供のように無邪気な笑みになった。
すぐにシリウスの両手を握る。
「シリウス様、実はアルファの提案でこの前から練習しているんです」
「何を?」
「変身術です」
答えて一歩下がる。
カイルはゆっくりと深呼吸しながら目を閉じた。
炎の色の髪が揺らめいて、カイルの周囲の空気が蜃気楼のように霞んだ。
口の中で長々と呪文を詠唱する。
ゆっくり慎重な呼吸が続き、けれど変化するのは周囲の空気の揺らぎだけ。
なんの気負いもなく、するすると一瞬で変化するフォウルとは大変な違いだったが、傍にいるフォウルは興味があるのかないのか、視線を外さずカイルを見ていた。
「……」
カイルが変身術を試みはじめて数分たったが、彼の髪と周囲の空気がゆらめいた以外に変化がない。
シリウスはチラリとアルファをみやった。
まだカイルは集中しているようだったので、邪魔しては悪いと思って声は出さなかったが、もしかして、無理なんじゃない? という意味の視線だ。
アルファも同じく邪魔をしないようにしていたのだが、声をかけようと口を開きかけた。
「カイル」
だが実際に声を出したのは、シリウスでもアルファでもなく、フォウルだ。
カイルは自分への不甲斐なさを込めた、ため息と共に目を開ける。
「カイル、君には十分な魔力がある。炎の属性を持つ人にも、変身術は使いやすい系統の魔法のはずだ。しっかり術式を意識した上で詠唱してもできないのなら、君自身に何か原因がある」
フォウルにしては珍しく、説明的でわかりやすい発言だった。
けれどカイルは再びため息。
「だがその原因がわからない。昨晩練習したときは、うまくいきそうな感じだった。こんなに集中しているのに……」
「集中するのはいいけど、それだけじゃだめだ。君ができないのはたぶん、イメージが具体的じゃないから。何に変身しようと思っている?」
「わからない」
「わからない?!」
カイルの言葉を繰り返したのはアルファだった。
イメージが重要な変身術において、何に変わるのかすらあいまいなままでは100%うまくいかない。
一体いままでどうやって勉強していたのか想像できず、アルファはあきれたが、カイルを責めずにほかの事をした。
「我が君、カイルは何に変化するのがふさわしいと思いますか。フォウルのように動物に変身する以外に、顔だけ別人に変える方法もありますが」
シリウスが具体的に案を出せば、カイルのなりたいものへのイメージもたちまち固まると思ったのだ。
「うーん、顔だけ違う人だと怖いよ。カイルなのに、カイルの顔じゃないなんて嫌だ。でも動物かあ……」
チラリとフォウルを見る。
「重さは変えられないんだっけ?」
「個々が持っているエネルギーの量は変えられない。だからなるべく同じぐらいの体重の動物がいい。動きやすいから。スカスカでいいなら大きく見せることもできる。体重は人間のままの象だって不可能じゃない。あんまり大きくすると向こうが透けたり浮いたりするかも。逆に、ものすごく重いネズミにもなれる。ほとんど動けないけれど」
具体的に例を出してくれたので、シリウスにも良くわかった。
「もしかして、竜になったみんなが飛べるのはそのせい? 大きくなっても体重は同じなの?」
不意打ちで意外な事を聞かれたので、竜人たち三人は顔を見合わせた。
アルファがやさしく首を振る。
「いいえ、我らの竜体は、別の場所にあるもうひとつの自分の肉体を呼び出すようなもので、変身術とは違います」
「難しそうだね……。ぼくもカイルみたいに練習してみようかな」
「いつか本能で自然と身につきます。我らもそうでした。我が君は間違いなく竜人なのですから」
アルファだけではなく、フォウルもカイルもうなずいたので、シリウスは気を取り直すように笑った。
「そうだね。それに今はぼくよりカイルだった」
シリウスは顎に手を当ててしばし悩んだ。
カイルの体重と同じぐらいの動物はなかなか思い浮かばない。
それを考えると、フォウルの狼は実に自然で、確かに体重も同じなのだろう。
鳥では大きくなりすぎるだろうし、ネズミや猫では小さすぎる。
「フォウルの狼はイヌ科の動物だから、猫科の動物の方がいいのかなあ。でも猫じゃ小さいし、虎とかライオンじゃ大きすぎるし目立つよね」
それに口には出さなかったが、カイルはどうみても猫より犬っぽい性格だ。
「カイルはなんの動物が好きなの?」
「私はこれといって別に。あえて言うなら馬でしょうか」
「馬じゃ大きすぎるよ。カイルが嫌じゃないなら、今はとりあえずフォウルと同じで狼に挑戦してみたら? いつも見てるんだからイメージしやすそうだし。動きやすいかどうか、ちょっとためしにやってみたらいいんじゃない? うまく魔法を使えるようになったら他の動物になってみればいいんだし」
カイルはしばし考えて、狼の姿をイメージしているようだった。
「わかりました。やってみます」
意気込んで頷き、再び集中するために目を閉じた。
はじめ、変化はほとんどなかった。
最初に試みたときと同じ、髪と空気がゆらぐだけ。
これはまた失敗かも、と、シリウスが心配になったとき、カイルの体が炎に変じた。
すぐそばにいたシリウスも熱くなかったし、炎は一瞬で消えたけれど、炎が消えた後、そこにカイルの姿はなかった。
代わりに、フォウルの狼よりもややウエーブした毛並みの、赤毛の狼がきちんと座っていた。
カイルは自身の姿を確認するように、立ち上がって振り返り、背や尾をみやった。
瞳も人の時と同じ真紅で、フォウルの狼とみごとに対になっているような姿だった。
「すごいやカイル! 本当に狼になってる!」
シリウスがすかさず飛びついて、ふかふかの毛皮を抱きしめた。
いつも狼のフォウルにだきつくシリウスに苦言を申し立てていたカイルだったが、逆の立場になればもちろん抗議などするはずがない。
優美な尾が嬉しそうにゆれた。




