68・☆大学生M君の場合
(大学生M君side)
僕が春から大学へ通うための下宿先に選んだのは、三人の下級騎士たちが営む素朴だが心地よい宿だった。
金のない異国人である僕でも一人暮らしのできる食事つきの宿となると選択肢は非常に狭いのだけれど、価格を考えると大当たりだ。
僕の生まれた国は、アレスタからはるか西にある貧しい国だ。
両親の死後、彼らの残してくれたわずかばかりの遺産を使って、魔法の勉強をするため国を出た。
アレスタに行くか、ウェスタリアに行くか、迷ったのだけれど、距離的にアレスタの方が近かったので、資金を温存する意味でも近いほうのアレスタを選んだ。
なんとか大学にも合格し、奨学金ももらえることになったので、宿代さえ稼げば生きていける。
大家さん三人組は毎日騎士としての任務があるため留守にすることも多かったが、キッチンは好きに使っていいと言われていたし、大家さんたちの意向により食料は常に大量に用意されていた。
どんなに食べても怒られないし、むしろ食べないでいると、もっと食えと叱られる。
共用の風呂場もそれなりに広い。
自分で言うのもなんだけど、僕は魔法オタクであまり人との交流が得意じゃない。
人間なんかより、魔方陣の機能美に心を奪われっぱなしだ。
ああ、円と線の描き出す、美しき魔力の計算式よ。
わずかな狂いも許されず、完璧に描いてこそ価値のある穢れなき絵画。
大学でもオタク仲間と日々研究に勤しんでいる。
だから留守がちな大家の下宿はありがたかった。
なにせこの家には僕以外に下宿人がいなかったから、静まり返った家はとても集中できる。
ずっとこのまま快適な場所であってほしかったけれど、さすがにそれは勝手な願いだったようで、ある日あいてた部屋に新たな住人がやってきた。
運命の瞬間、僕は新しい術式を探ってひたすらノートに魔方陣の解法を描いていた。
この魔方陣ひとつに僕を中心とした研究室の仲間と全員で取り組んでいるが、もうすでに3ヶ月以上を費やしている。
それだけ精密で複雑な術式なんだ。
成功すれば、本来相反する属性の魔法を同時に発動させて、美しくも強力な効果を生むはずだ。
だが、あとひとつ、おそらくもう一箇所、どうしても、陣の解法が見つからない。
このまま解決できなければ、僕たちの三ヶ月は無駄になる。
虫眼鏡を使い、陣の縮小図の詳細な図形をチェックしていたとき、扉をノックする音に邪魔されしぶしぶ顔を上げた。
まさか扉を開けた先に、僕の人生を大きく変える存在が待ち受けているなんて、このときは夢にも思っていなかった。
「はじめまして、今日からここに下宿することになった、シリウスです。よろしくおねがいします」
にこやかに挨拶したのは、教会の絵を思わせる容姿の、金の髪の少年だった。
彼を見た瞬間、黄金色に輝く完璧な魔方陣の幻が見えた。
この世の中に、完璧なものは魔方陣しかないと思っていたが、目の前に立っている少年の美しさは、魔方陣のように精緻で無駄がない。
顔だけ見れば美少女にも見えるが、濁りのない声も、スラリと伸びた細い手足も、間違いなく男の子だ。
こんなに美しい少年を、こんなに間近で見たことがなかった僕は、呆然とするあまり口が聞けなくなってしまった。
黄金の長いまつげに縁取られた紫の瞳は最高級のアメジストのように澄んでいて、金の髪は絹糸より細くなめらかに輝いている。
呆然とした拍子にメガネが落下しそうになり、あわてて押さえた。
「あ、ああ、ええと、その、ぼ、僕は、この201号室に住んでいる、マ、マ、マイルズといいます」
しどろもどろになりながらも挨拶を返したのだが、シリウスと名乗った少年はそんな僕を見下したりしなかった。
むしろ嬉しそうに瞳を輝かせ、僕に笑いかける。
「大学生さんなんですね。ぼくも、二ヶ月だけですけれど、ここから学校に通わせてもらうことになった留学生なんです。――わからないことがあったら教えていただけますか?」
「あ、は、はい……僕でよければ……」
こんな美しい子供と面と向かって勉強したら、僕は何も考えられなくなるだろう。
それにしても、話し方といい、立ち姿といい、出会ったばかりでほんのわずか目にしただけだけれど、育ちのよさをビシビシと感じる。
なんでこんな子が、こんな安下宿に……。
そんな事を思いながらふと顔をあげて、僕はそのときになってはじめて、シリウス少年の背後にいる『彼ら』の存在に気づいた。
それまで気づかなかったなんて、ばかばかしいし信じられないけれど、少年の見た目が衝撃的だったので他に目が行かなかった。
シリウスくんの後ろに立っている二人のうち、黒い髪の青年は、僕をじっと睨んでいるように見えるし、もう一人、赤い髪の青年は、逆にぜんぜん僕を見ていない。彼がひたすら見てるのはシリウスくんだ。
さらに、少年の足元で低く身構えているのは……、これって僕の認識がおかしいんじゃなければ、オオカミなんじゃないか。
さらにさらに言うと、このオオカミ、小さな声でうなっているし、僕に向かって身構えているんだよね。
お、お、お、襲われるんじゃないの?!
思わず一歩下がったが、シリウスくんは、
「あの、後ろの二人は僕の友人です。こっちがアルファ、こっちがカイル、それで、このオオカミはフォウル。みんな今日からここに住むので、よろしくおねがいします」
と、ペコリと頭を下げたのだった。
夢の中の出来事のようにも思えたのだが現実だ。
三名と一匹が去った後、僕は部屋に戻って呆然と椅子に座ったが、そのとたん再び扉がノックされ飛び上がる。
「ひっ!?」
返事を返す前に勝手に扉が開いた。
「マイルズ殿」
「は、はい!」
扉を開けて顔を見せたのは、さっき恐ろしい威圧感を放っていた方、たしかアルファという名前の黒髪の青年だ。
彼は自分の部屋の入るように堂々と室内に侵入すると、後ろ手に扉を閉める。
正直言って超怖い。僕はこのとき命の危険を感じた。
いや、アルファという青年が別に何かしたわけじゃなかったのだけど、とにかくこの青年は強烈な力を秘めているように見えるし、なぜだかすごい威圧感。
僕の、ごくわずかに残っている本能の部分が激しく警告する。
『この青年にさからうな!』と。
「あの、僕になにか……?」
黒衣の青年は、少々話がある、と言い置いてから、ドスの聞いた美声で話し始めた。
「我が君……、シリウス様は、われらを友人と紹介してくださったが、俺もカイルも、さらにはあのオオカミも、我が君の部下にすぎない。ただの護衛だ」
僕の顔をじっと見つめる漆黒の瞳が虹色に輝いて見えて、僕はハッとした。
とんでもなく恐ろしいのに、同時に美しすぎて視線を逸らせない。
「したがって、マイルズ殿、そなたが我が君に何か少しでも危害を加えるようなそぶりがあった場合、われらはそれなりの行動に出る」
「……」
も、もしかして、脅されているのだろうか!?
脅迫されるなんてもちろん人生で初めてだ!
「もっとも、そなたはただの善良な大学生であろうから、無用な警告とは思うが、念のためだ。今までどおりにすごされよ。むしろ、われらがこの建物を守護するのだから、これまで以上に安全は保障する」
「は、はい」
今までどおり、引きこもっているから安心して放っといてもらえるといいのだけれど。
僕が硬直していると、アルファさんが机の上に散らかる魔方陣の術式に視線をやった。
「ほう……、陣を研究しているのか」
「あ、あ、それは、あの、まだ研究中で……」
アルファさんは魔方陣を構成する何枚もの紙を順番に眺めていく。
まだ未完成の陣だし、実物よりかなり縮小してある上に、解説文などは書かれていないから、見たって何もわからないと思う。
僕だって、自分たちが構成を考えたのでなければ、この複雑な陣が何を目的に作られたものなのかなんて、さっぱりわからないだろう。
けれど、アルファさんは一通り陣を見た後つぶやいた。
「ふむ、水魔法と雷魔法を同時に発動させるつもりなのか。発生したエネルギーは標的に向け渦状に展開……」
「ええええっ!? なんでわかったんですか?!」
アルファさんは、僕をチラリと見たが、答えなかった。
代わりに、
「だがここが間違っている。相性の悪い術同士は、たとえ同時に発動する式を組んでも実際には打ち消しあってほとんど作動しないのはわかっているだろう。一見無関係に見える緩衝用の術を間に組んでやらぬと対消滅するだけだ。風魔法を緩衝させているようだが、依存しすぎなのだ。ついでに、ここを修正すれば、標的が複数でも対処できるだろう。少々複雑になるが、こうだ」
「!!!」
そう指摘して、紙を僕に指し示しながら、丁寧に説明してくれる。
少々どころか、ものすごく複雑な図形が付け足されたが、こ、これは……! 完璧じゃないか?!
三ヶ月間、僕と僕の仲間たちが苦悩して苦悩して、それでも結局答えが出せずあきらめかけていた魔方陣に光明が!
「ほ、ほ、ほ、本当だ! すごい! 何ヶ月もここがわからなくて、完成できなかったのに!」
感激のあまり紙をぐしゃぐしゃにしてしまいそうになったが、アルファさんは特に感激も感銘も何も表情を浮かべていなかった。
ただ、僕の気のせいでなければ、少しだけ申し訳なさそうな顔をしたように見えた。
「そうか、そなたが自分でそこまで研究したのであれば、余計な口出しだったかもしれぬな。許せ」
「い、いえ! 助かりました! 本当に!!」
「ならばいい」
小躍りしている僕を放って、アルファさんは入ってきたときと同じく、堂々と部屋を出て行った。
なんだか王様みたいな態度に見えるけれど、何者なんだ?!
あんな人が、ほんの子供の部下で、たんなる護衛って、一体全体どういう事なのだろう!?
っていうか、それよりも!
魔法陣について、あそこまで正確に、詳細に、理解できる人に、はじめて会った。
プロである大学の教授だって、僕の図面を見てあんなふうに答えを出すことなんて絶対できないはずだ。
ものすごく怖そうに見えたアルファさんだけれど、実はものすごくいい人なのではないか?!
今度じっくりたっぷり話を伺ってみたい。
一日中語り合ったっていい!
大学のオタク仲間にも紹介したいし、もっといろいろ教えてほしい。
とんでもなく優秀な隣人の登場に、僕はその日朝まで眠ることができなかった。
いつもご訪問ありがとうございます。
閲覧して下さる皆さんや、コメントして下さる方々のおかげで、留学編もいままで通り進めていけると思います。とっても励みを頂いています。
留学編に入り、TOP絵をフォウルからシリウスに変えました。
次はシャオさんの番だな!
今回登場した隣人、マイルズさんは、一番最初に入居したので、一番良い角部屋に住んでいます。
廊下を挟んで三部屋ずつあったため、シリウスは左右と正面を竜人たちに囲まれた部屋にされてしまいました。
マイルズのお隣はフォウルです。フォウルの向かい側がシリウス。左右に赤と黒。
見取り図とかあったほうがわかりやすいですね。
次回は、アルファとカイルが全力で無理宣言。
挑戦するまえから敗北を認めております。




