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【第2部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第一章借金地獄編 〜勝率三パーセントからの取り立て〜

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第7話 月の屋上で


「――見つけたぜ、隠し部屋」


翌朝。

屋敷の書斎に飛び込んできたラットは、目の下に隈を作りながらも、得意げに胸を張った。


「あんたの言った通りだった。

勝負が終わってから、従業員口から五、六人出てきた。

一番最後に出てきたのは、眼鏡をかけたひょろい男だ」


「そいつを尾けたんだな」


「ああ。

そいつ、家に帰るんじゃなくて、黄金の胃袋の隣の酒屋に入っていったんだ。

裏口からな」


ラットは、身振り手振りを交えて話し続けた。


「で、そいつが出ていった後に、俺も忍び込んだ。

酒屋の地下蔵の奥に、隠し扉があってさ。

抜けると、細い通路が黄金の胃袋の地下まで続いてた。

そこから狭い階段を上って、上って……」


「最上階の、鏡の裏に出た」


ラットが、目を丸くした。


「……なんで知ってんだよ」


「それで、そこには何があった?」


「人ひとりがやっと座れるくらいの小部屋だ。

椅子が一個と、小さい机。

で、壁がガラスになってて、あの特別室が丸見えだった。

向こうからは鏡にしか見えねえのに」


ラットは、懐から何かを取り出した。


「机の引き出しに、こんなもんが入ってた」


手のひらに載っていたのは、小さな巻き貝の殻だった。


ドルマンが左耳につけていたものと、そっくり同じ形をしている。


「……持ってきたのか」


「まさか。これは、同じ引き出しに入ってた予備だよ。

三つあったから、一個くらいなくなっても気づかれねえって」


俺は、巻き貝を指でつまみ上げた。


ゴードンが、横から覗き込んで目を見開いた。


「坊ちゃま、それは……囁き貝ではございませんか」


「知ってるのか」


「遺跡から稀に出土する魔道具でございます。

対になった貝の片方に囁けば、もう片方を身につけた者の耳にだけ声が届く。

王家の密偵が使っていたとも聞きますが……」


「予備ってことは、対になる貝がドルマンの手元にもう一つあるはずだな。

使い回しが利くように、同じ組の貝をいくつも揃えている」


俺は、巻き貝をそっと机の上に置いた。


鏡の裏の隠し部屋。囁き貝。ドルマンが左耳に触れる癖。


全部、繋がった。


「ラット、よくやった。もう一つ、頼んだものは?」


「ああ、こっちだ」


ラットは、丸めた羊皮紙の束を取り出した。


「隠し通路の途中に、ドルマンの執務室の裏に出る扉があってさ。

夜明け前で誰もいなかったから、ちょいと拝借してきた」


「お前、本当に腕がいいな」


「へへっ」


  ◆


羊皮紙は、競売の目録だった。


開催は、十九日後の新月の夜。俺の返済期限の、わずか三日前だ。


出品されるのは、宝石、美術品、禁制の薬。そして――人間。


目録の一番上に、その名前はあった。


『出品番号一。ディーラー、ノエル。十八歳。北方出身。十年前、奴隷商より購入。容姿端麗、技能優秀』


そして、その横には、赤い封蝋が押されていた。


七つのサイコロを円形に並べた、見たことのない紋章。


『落札予定者 別紙にて』


「……落札予定者が、もう決まってるのか」


「出来レースってやつだな」


ラットが、吐き捨てるように言った。


ゴードンは、目録の紋章をじっと見つめていた。

その顔から、すっと血の気が引いていくのが分かった。


「ゴードン?」


「……いえ。少々、古い記憶がよみがえっただけでございます」


老執事は、それ以上は何も言わなかった。


俺は目録を閉じ、二人の顔を見回した。


「これで、必要なものはほとんど揃った」


「揃ったって……」


ラットが、信じられないという顔をした。


「あんた、昨日の夜、ボロ負けしたんだろ? 借金も増えたって聞いたぞ」


「ああ、負けた」


俺は、窓の外に目をやった。


「高い授業料だったが、元は取れる」


  ◆


「ゴードン。ドルマンの加護について、何か知っているか」


ラットが帰った後、俺は書斎で老執事に尋ねた。


「……『胴元の領分』と呼ばれております」


ゴードンは、静かに答えた。


「あの男が、自らの店と定めた場所の内側では、全ての勝負の天秤が胴元の側へわずかに傾く。

そういう加護でございます。

あの男が若い頃から、王都の裏ではよく知られた話でした」


「若い頃から知ってるのか、あいつを」


「昔、少々」


やはり、それ以上は語らない。


だが、それで十分だった。


「ゴードン。もう二つ、確認させてくれ」


「何なりと」


「お前、声色は使えるか?」


ゴードンの白い眉が、わずかに上がった。


「……四十年ほど前は、少々」


「それと、暗いところで人を一人、物音を立てずに眠らせることは?」


長い沈黙があった。


やがてゴードンは、困ったように、だがどこか懐かしそうに微笑んだ。


「旦那様には、ご内密に願えますかな」


  ◆


その日の夕方、俺はリリアを連れて、屋敷の裏手にある一族の墓所を訪れた。


決戦の前に、どうしても一度、来ておきたかった。


古い石造りの霊廟の中に、ラングレー家の歴代当主と、その妻たちが眠っている。

一番新しい二つの墓石が、父と母のものだった。


「お母さま、お父さま。お兄さまが、また来てくれたよ」


リリアが、摘んできた野花を墓前に供える。


俺は、母の墓石の前に膝をついた。

刻まれた名前を、指でなぞる。

顔も知らないはずの人なのに、

ヴィクトルの記憶の底から、温かい手の感触と、子守歌の旋律がかすかに浮かび上がってきた。


指輪は、取り戻した。肖像画も、必ず取り戻す。


(母さん。もう少しだけ、待っていてくれ)


立ち上がろうとして、ふと、足元の違和感に気づいた。


母の墓石の根元の土だけが、周囲より少しだけ黒く、柔らかい。

まるで、最近誰かが掘り返したかのように。


「……ゴードンが手入れしてくれたのかな」


「ううん。ゴードンはお腰が痛いから、お墓のお掃除はわたしの係だよ」


リリアが、胸を張って言った。


「でも、わたし、土は触ってないよ? お花を替えるだけ」


「そうか」


墓守が、雨の後に土を均したのかもしれない。


その時の俺は、それ以上深く考えなかった。


  ◆


その夜。


黄金の胃袋の営業が終わる、夜明け前の刻限。


ラットの情報によれば、ノエルは毎晩、仕事を終えると店の屋上に上がるらしい。


隠し通路を使って屋上に出ると、東の空はまだ暗く、西の空に白い月が残っていた。


ノエルは、屋上の縁に腰掛けて、王都の街並みを見下ろしていた。

銀色の髪が、夜風にさらさらと揺れている。


「……どうやって入ったの」


振り返りもせずに、ノエルが言った。


「裏口だ。少しばかり、変わった裏口だけどな」


俺は、彼女から少し離れた場所に腰を下ろした。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


「あんたが競売に出されることを、知ってるか」


先に口を開いたのは、俺だった。


「知ってる」


ノエルは、表情一つ変えずに答えた。


「八つの時に、支配人に買われたの。

それからずっと、ここでカードを配ってきた。

借金は、利子で毎年増えていく。

一生かかっても返せない。

……いずれ、こうなることは分かってた」


「逃げようとは思わなかったのか」


「どこへ?」


ノエルは、月を見上げた。


「帰る場所なんて、もうどこにもないもの」


その横顔は、驚くほど静かだった。諦めることに、慣れきった顔だった。


「なあ。一つ聞いていいか」


「なに」


「この前、なんで俺に忠告した。鏡のこと」


ノエルは、少しだけ黙った。


「……あなたが、前と違ったから」


「前と?」


「前のあなたは、負けても負けても、目が死んだまま賭け続けてた。

勝ちたいんじゃなくて、どこかで全部終わらせたがってるみたいに」


ヴィクトルの記憶が、胸の奥で疼いた。


ノエルは、俺の方を見た。灰色の瞳が、月明かりを映している。


「でも、この前のあなたは違った。ちゃんと、勝ちに来てた。……あなた、誰?」


俺は、少し考えてから答えた。


「一度死んで、生き返った男だ」


ノエルは、目を瞬かせた。


それから、ほんのわずかに――本当にわずかに、唇の端を上げた。


初めて見る、彼女の笑みだった。


「変な人」


ノエルは、また街並みに視線を戻した。


「昨日の夜のこと、聞いたわ。上の部屋で、イカサマの罰金を取られたって」


「店中の噂か」


「ええ。『クズ伯爵がとうとう袖にカードを仕込んだ』って」


ノエルは、膝の上で指を組んだ。


「でも、あなたはやってない」


俺は、少し驚いて彼女を見た。


「……なぜ、そう思う」


「カードの扱い方を見れば分かる。

一昨日、あなたは私の台で何十ハンドも打った。

一度も、カードを必要以上に触らなかった。

手札を見たら、すぐに伏せて、指を離す」


ノエルは、自分の指先を見つめた。


「イカサマをする人の指は、もっと嘘をつくの。

カードに触れていたがる。袖や膝に、何度も手が行く。

……あなたの指は、ずっと正直だった」


俺は、しばらく何も言えなかった。


前世で、イカサマの濡れ衣を着せられた時。

誰一人、俺の言葉を信じてはくれなかった。

仲間も、友人も、業界の誰も。


なのに、この世界で出会ったばかりの女が、俺の指を見て「正直だ」と言う。


「……昔、同じことがあったんだ」


気づけば、口が勝手に動いていた。


「やってもいないイカサマで、全部を失った。

誰も信じてくれなかった。

だから、もう二度と、誰にも何も言わないと決めた」


「それで、昨日も黙って罰金を払ったの?」


「いや。昨日のは――」


言いかけて、俺は口をつぐんだ。


ノエルは、じっと俺の顔を見ていた。そして、小さく首を傾げた。


「……あなた、やっぱり変な人ね」


  ◆


「ノエル」


俺は、まっすぐに彼女を見た。


「あんたを、ここから出す」


ノエルの笑みが、すっと消えた。


「……やめて」


「なぜだ」


「誰かに賭けるのは、もうやめたの」


ノエルは、膝を抱えた。


「昔、たくさんの人が、私に賭けてくれた。

私なら大丈夫だって。

私なら、きっと生き延びられるって。

……でも、みんな、いなくなった。私のせいで」


その声は、かすかに震えていた。


何があったのかは分からない。ゲームの中でも、彼女の過去はほとんど語られなかった。


だが、一つだけ分かることがある。


(ノエルが、俺の手を取る確率は?)


【??】


数字は、見えない。


彼女の心だけは、この眼でも読めない。


なら――読めないまま、賭けるしかない。


「あんたが誰にも賭けないなら、それでいい」


俺は、立ち上がった。


「なら、俺が勝手に、あんたに賭ける」


ノエルが、顔を上げた。


「……何を、賭けるの」


「全部だ」


月明かりの中で、ノエルの頭上の疑問符が、ほんの一瞬だけ、ちかりと揺れた気がした。


長い沈黙の後、ノエルは小さく息を吐いた。


「……馬鹿な人」


彼女は立ち上がり、屋上の扉へと歩いていった。


そして、扉の前で一度だけ足を止めた。


「ディーラーはね、どのお客様にも公正に配るの。たとえ相手が、支配人でも」


振り返らないまま、ノエルは言った。


「それが、私に残った、たった一つの誇りだから」


扉が閉まった。


俺は、しばらくその扉を見つめていた。


  ◆


屋敷に戻ると、ゴードンが玄関で待っていた。


夜明けの光が、がらんとしたホールに差し込んでいる。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま」


「ゴードン。明日、神殿へ行く」


老執事は、静かに頷いた。まるで、最初から分かっていたかのように。


「ドルマンに、神前勝負を申し込む」


「賭けるものは」


「伯爵位と――俺自身だ」


ゴードンは、何も言わずに深く一礼した。


その背中が、ほんの少しだけ、誇らしげに見えた。

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