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【第3部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第三章 女神祭編 〜七つの賽と百の壁〜

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第28話 百パーセントの男


女神祭の最終日。


王冠杯の決勝は、王宮の大広間で行われた。


玉座の間を改装した会場には、王国中の貴族と、各国の大使と、選ばれた市民たちが詰めかけていた。

高い天井から下がる無数のシャンデリアが、大理石の床を眩しく照らしている。


玉座には、誰も座っていなかった。病床の国王は、今年も姿を見せないらしい。


中央に置かれた黒檀の台の向こうに、宰相ギルベルトが座っていた。


黒い法衣。後ろに撫でつけた銀髪。穏やかな微笑み。

その後ろには、相棒として、全身を銀の鎧で固めた大柄な騎士が控えている。

近衛騎士団長、ヴォルフ。


そして、ギルベルトの左手は、膝の上で軽く握られたままだった。


「よく来たね、ラングレー伯爵」


ギルベルトは、まるで旧知の友人を迎えるように言った。


「ジャック、クロノス、ツヴァイの双子、マリオネッタ。

七つの賽の四人を退けて、ここまで来た。

見事な腕前だ。

……もっとも、私には最初から分かっていたがね。

君が、ここまで来ることは」


(宰相が、この決勝の結果を知っている確率は?)


【100%】


「立会人」


ギルベルトが、アレンの方を見た。


「勝負の前に、賭けるものを決めたい。

王冠杯の優勝者には、国王陛下への願いの権利が与えられる。

それとは別に、我々二人の間で、一つ賭けをしようじゃないか」


「……何を賭ける」


俺が尋ねると、ギルベルトは穏やかに微笑んだ。


「負けた方は、勝った方の問いに一つ、真実で答える。

立会人の鐘の前でね。それだけだ」


拍子抜けするほど、軽い賭けだった。


「伯爵位でも、領地でも、命でもない。

たった一つの問いと、たった一つの答え。

……どうかね?」


(この賭けを受けて、俺が不利になる確率は――)


問いを立てかけて、やめた。俺自身の選択が絡むことは、この眼には見えない。


「なぜ、そんなものを賭ける」


「私はね、伯爵。もう、欲しいものは全て手に入れる予定なのだよ」


ギルベルトは、ノエルの方に、ちらりと視線を向けた。


「だから、君からは、一つだけ教えてもらえればいい。……君が、何者なのかをね」


鐘は、鳴らなかった。


  ◆


「ヴィクトル」


台につく直前、ノエルが俺の袖を引いた。


「勝てなくても、いいから」


「……何を言ってる」


「あの人は、普通じゃない。

準決勝の時から、ずっと嫌な予感がしてるの。

だから、勝てなくても、無事に戻ってきて」


ノエルの灰色の瞳が、まっすぐに俺を見ていた。


俺は、ノエルの頭に、ぽんと手を置いた。


「心配するな。賭けるのは、たった一つの問いだけだ。命までは取られない」


「……約束よ」


観客席では、大掛かりな賭けが行われていた。

掲示板には、決勝の倍率が大きく書き出されている。


『宰相ギルベルト組勝利 一・〇一倍』

『ヴィクトル・ラングレー組勝利 三十倍』


王冠杯を勝ち上がってきた俺でさえ、三十倍。

王都の誰もが、宰相の勝利を疑っていなかった。


まるで、最初から結果が決まっている勝負のように。


「勝負は、コインで」


ギルベルトが、法衣の懐から一枚の金貨を取り出した。

表には女神の横顔、裏には天秤が刻まれている。


「五回勝負。

交互にコインを弾き、もう一方が表か裏かを言い当てる。

三回当てた方の勝ちだ。

……単純な方が、分かりやすいだろう?」


アレンが徽章を掲げ、神卓が降臨した。


大広間が、金色の光に包まれる。


「一回目。弾くのは、ラングレー伯爵。言い当てるのは、宰相閣下」


俺は、金貨を親指に乗せた。


この勝負、俺が弾く時は、ギルベルトが言い当てる。

ギルベルトが弾く時は、俺が言い当てる。


前世で、コイン投げを何千回とやってきた。

ゴードンほどではないが、狙った面を出す技術もある。

だが、それはイカサマだ。俺は使わない。


普通に、弾く。


金貨が、くるくると回転しながら宙に舞い上がった。


(表が出る確率は?)


【50%】


当然だ。


「表」


ギルベルトが、静かに言った。


その瞬間。


【表が出る確率:100%】


――跳ねた。


金貨が、台の上に落ちる。からん、と音を立てて、表を上にして止まった。


女神の横顔が、シャンデリアの光を受けて輝いていた。


「宰相閣下、一点」


大広間が、拍手に包まれた。


俺は、ギルベルトの左手を見ていた。膝の上で、軽く握られたまま。一度も開かれない。


(あの左手の中に、何かがある確率は――)


違う。それは、今の事実だ。読めない。


  ◆


「二回目。弾くのは、宰相閣下。言い当てるのは、ラングレー伯爵」


ギルベルトが、右手の親指で金貨を弾いた。


(表が出る確率は?)


【50%】


まだ、揺らいでいる。


俺は、口を開きかけて――止めた。


一回目、ギルベルトが「表」と言った瞬間に、数字は百に跳ねた。

セブンの言葉が正しいなら、ギルベルトは宣言したことを確定させられる。


なら、俺が言い当てる側の時は、どうなる?


俺が「表」と言った後に、ギルベルトが心の中で「裏」と宣言すれば――。


試してみるしかない。


「表」


俺が言った瞬間、数字が動いた。


【表が出る確率:0%】

【裏が出る確率:100%】


――やはりか。


金貨が落ちる。裏。天秤の紋様が、上を向いていた。


「宰相閣下、二点」


ギルベルトは、声にも出していない。唇すら動かしていない。


ただ、膝の上の左手が、ほんのわずかに、力を込めて握られただけだった。


声に出さなくても、宣言できる。あの左手の中の何かを握るだけで。


「……一つ、提案がある」


俺は、ギルベルトを見た。


「次の回から、言い当てる側は、コインが台に落ちて、手で覆われてから答えることにしたい。

宙に浮いている間は、答えない」


コインが台に落ちて止まった後なら、結果はもう決まっている。

今の事実だ。確定させる余地は、もうない。


ギルベルトが、目を細めた。


「ほう。面白い。……構わんよ」


  ◆


「三回目。弾くのは、ラングレー伯爵。言い当てるのは、宰相閣下」


俺は、金貨を弾いた。


宙に舞う金貨を、台の上で受け止め、手のひらで覆う。結果は、まだ誰も見ていない。


(表が出ている確率は――)


問いを立てる前に、数字が見えた。


【表:100%】


コインが宙を舞っている間に、すでに確定されていたのだ。


「表」


ギルベルトが、俺の手が覆いかぶさった瞬間に、悠々と答えた。


手をどける。表だった。


「宰相閣下、三点。――勝者、宰相ギルベルト組」


大広間が、割れんばかりの拍手に包まれた。


あっけなかった。


ジャックとの読み合いも、クロノスとの持久戦も、双子との心理戦も、何もない。

ただ三回、コインが弾かれ、三回とも、ギルベルトの言う通りの面が出た。


それだけで、王冠杯は終わった。


俺は、自分の手のひらを見下ろした。さっきまで金貨を覆っていた手。


ギルベルトは、俺が金貨を弾いた瞬間に、宣言していたのだ。

宙に浮いている間に、「表で落ちる」と。

そして、手で覆った時には、もう結果は決まっていた。


コインが落ちてから答える、という俺の提案など、何の意味もなかった。


言い当てる側が答えるより前に、弾いた瞬間に確定させればいい。

ギルベルトは、そうしただけだ。


「――悪くない提案だったよ、伯爵」


ギルベルトが、穏やかに言った。


「普通の相手なら、それで勝負になっただろう。

だが、私の前では、未来は宣言した時点で決まる。

君がいつ答えようと、関係ない」


ギルベルトの左手が、台の陰で、ゆっくりと開かれた。

観客席からは見えない角度。

俺とノエルにだけ見せるように。


その手のひらの上に、一つのサイコロが載っていた。


象牙のように白い、だが、どこか透き通った、不思議な輝きを放つサイコロ。

六つの面には、目の代わりに、見たことのない古い文字が刻まれていた。


ノエルが、息を呑んだ。


「……女神の、賽」


かすれた声だった。


「リュミエール王家が守ってきた……女神フォルトゥナが、この世界に最初に振ったという、サイコロ……」


ギルベルトは、愛おしそうに、その賽を指で撫でた。


「よく覚えていたね、姫」


俺たち二人にしか聞こえないほどの、低い声だった。


「十年前、君の父上の宝物庫から、私が頂いたものだ」


ノエルの顔から、血の気が引いていった。


大広間の観客たちは、何も気づかずに、新しい王冠杯の覇者に拍手を送り続けていた。


ギルベルトは、賽を再び左手に握り込み、俺を見た。


「さて、伯爵。賭けの清算をしようか」

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