第26話 操り糸
準決勝の対戦相手は、奇妙な少女だった。
歳は、リリアより少し上くらいだろうか。
淡い桃色の巻き毛に、ふわふわとしたレースのドレス。
陶器のように白い肌。
大きな青い瞳は、瞬き一つしなかった。
まるで、等身大の人形のようだった。
「……マリオネッタです。よろしく、おねがい、します」
少女は、ぎこちなくお辞儀をした。
その動きは、関節に糸でもついているかのように、かくかくとしていた。
その後ろには、相棒らしき男が一人、無表情で立っていた。
(この少女が、次に右手を上げる確率は?)
【100%】
(相棒の男が、次に一歩前に出る確率は?)
【100%】
――二人とも、百。
「アレン」
俺は、立会人席のアレンに、小声で言った。
「あの少女も、後ろの男も、マリオネッタ本人じゃない」
「……どういうことだ」
「操られてる。本物は、どこか別の場所にいる。たぶん、この会場のどこかに」
アレンの目が、鋭くなった。彼は、黙って腰の剣の柄に手をかけた。
◆
勝負は、カードの数比べだった。
伏せた山から一枚ずつ引き、数の大きい方が勝つ。単純な運の勝負だ。
だが、勝負そのものは、もはやどうでもよかった。
三回目の勝負で、少女がカードを引いた瞬間。
観客席の男が一人、突然立ち上がった。
「――王女を、帝国に引き渡せぇっ!」
その叫びに呼応するように、観客席のあちこちで人々が立ち上がった。
さっき、百パーセントの数字が浮かんでいた連中だ。
「帝国と戦になるぞ!」
「あの女のせいで、王国が滅びる!」
「引きずり出せ!」
叫び声が、伝染していく。
操られている者たちだけではない。
その叫びに煽られて、普通の観客までもが興奮し始めた。
そして、操られた男たちが、観客席の手すりを乗り越えて、台の方へ雪崩れ込んできた。
その目は、虚ろだった。全員が、まっすぐにノエルを目指している。
「衛兵! 衛兵、止めろ!」
アレンが叫ぶ。だが、衛兵たちは、押し寄せる群衆の波に呑まれて、身動きが取れない。
――これが狙いか。
神前法は、女神の客人の身を、誰かが「拘束」することを禁じている。
だが、群衆が暴動を起こし、その混乱の中で王女が「行方不明」になったとしたら。
誰の責任も問えない。
俺は、ノエルの手首を掴んで、自分の背中に引き寄せた。
「離れるな!」
「ヴィクトル……!」
一人目の男が、目の前に迫る。
(あの男の手が、ノエルに届く確率は?)
【100%】
――百。止められない。
いや、違う。止めるのは、俺じゃなくていい。
男の手が、ノエルに伸びた瞬間。男の背後に、音もなく黒い影が立った。
首筋に、二本の指が、とん、と当てられる。男は、白目を剥いて崩れ落ちた。
「坊ちゃま。お嬢様には、指一本触れさせません」
ゴードンだった。いつの間に、ここまで来ていたのか。足音一つ、聞こえなかった。
「伯爵様! こっちだ!」
台の下から、ラットが顔を出した。
「台の下を通って、裏の通路に逃げられる!」
◆
だが、次から次へと、操られた人々が押し寄せてくる。
ゴードン一人では、とても捌ききれない。
元を断たなければ、きりがない。
マリオネッタ本人を、見つけなければ。
俺は、台の上に飛び乗り、会場を見渡した。
数百人の観客。逃げ惑う者、叫ぶ者、押し寄せる者。
その全てに、一瞬で問いを立てていく。
(あいつが、次に前へ進む確率は?)
【100%】――操られている。
(あいつは?)
【43%】――普通の観客だ。迷っている。
(あいつは?)
【100%】――操られている。
百と、それ以外。会場を見渡しながら、俺は頭の中で、百の数字の地図を描いていった。
前世のポーカーで、何百枚というカードの位置を記憶したのと同じように。
そして、気づいた。
操られた者たちは、ノエルに向かって押し寄せている。
だが、その全員が、ある一点だけを避けて動いていた。
観客席の西側、三段目。
そこだけ、ぽっかりと空間が空いている。
まるで、何かを守るように、百の数字の人々がその周りを囲んでいる。
その中心に、一人の老婆が座っていた。
花売りの籠を膝に乗せた、腰の曲がった小さな老婆。
騒ぎの中で、ただ一人、身じろぎもせずに座っている。
(あの老婆が、次に立ち上がる確率は?)
【12%】
――百じゃない。
周りの全てが百なのに、あの老婆だけが、揺らいでいる。
操られていない。操っている側だ。
老婆の膝の上の籠から、無数の細い糸のようなものが、きらきらと光って見えた気がした。
「アレン!」
俺は、あらん限りの声で叫んだ。
「西の三段目! 花売りの婆さんだ!」
◆
アレンは、一瞬の迷いもなく動いた。
押し寄せる群衆の頭上を、手すりから手すりへと跳び移っていく。
白い制服の裾が、風になびいた。
操られた者たちが、一斉にアレンの方を向いた。
老婆を守るように、アレンの前に立ち塞がる。
(あの男が、アレンに掴みかかる確率は?)
【100%】
「アレン、右から来る!」
アレンは、振り向きもせずに左へ跳んだ。男の手が、空を切る。
「次は、正面の二人! その後、左の女!」
アレンは、俺の声に従って、操られた者たちの間を縫うように駆け抜けた。
剣は抜かない。
操られているだけの、罪のない観客を傷つけないために、鞘のままで足を払い、体を躱していく。
百パーセントで決まっている動きなら、俺にはそれが全て見える。
そして、その動きを先回りして伝えれば――。
アレンには、敵の動きが全て見えているのと同じになる。
「……まさか、気づかれるなんてね」
老婆が、ゆっくりと顔を上げた。
その皺だらけの顔が、まるで仮面を外すように、するりと剥がれ落ちた。
下から現れたのは、三十代くらいの、妖艶な女の顔だった。
「でも、残念。私の人形は、まだ百体いるのよ」
女――マリオネッタの指先が、ひらりと踊った。
会場中の操られた人々が、一斉にアレンに向かって押し寄せた。四方八方から。
(アレンが、マリオネッタに剣を届かせる確率は?)
【21%】
――低い。
数で押し潰される。いくら動きが読めても、逃げ場がなければ意味がない。
そして、目の前のマリオネッタは、紛れもなくイカサマ師だ。
勝負の場で暴動を起こし、王女をさらおうとした。
遠慮は、いらない。
(マリオネッタが、次の糸を引き終える確率は?)
【79%】
二つの数字が、俺の眼の中に並んで浮かんでいる。
(――入れ替われ)
頭の奥が軋み、数字がスロットのように回転する。
ガラスの砕ける音。
【アレンが、マリオネッタに剣を届かせる確率:79%】
【マリオネッタが、次の糸を引き終える確率:21%】
マリオネッタの指が、宙で一瞬、もつれた。
ほんの一瞬。糸が、絡まったのだ。
アレンに押し寄せていた人々の動きが、一斉に止まった。
まるで、時が止まったかのように。
その一瞬で、アレンは跳んだ。
止まった人々の肩を足場にして、まっすぐにマリオネッタの元へ。
鞘から抜き放たれた剣の切っ先が、マリオネッタの喉元に、ぴたりと突きつけられた。
「――そこまでだ」
◆
マリオネッタの指から、光る糸がはらはらと解けていった。
会場中の操られていた人々が、糸の切れた人形のように、その場にへたり込んだ。
皆、きょとんとした顔で、自分が何をしていたのか分からないという様子だった。
台の前に座っていた桃色の髪の少女も、ことりと首を傾け、それから、わっと泣き出した。
「こ、ここ、どこ……? おかあさん……?」
普通の、怯えた子供の声だった。どこかから、さらわれてきたのだろう。
「マリオネッタ。
神前勝負の場における暴動の扇動、ならびに出場者の誘拐未遂。
――女神の名において、お前を拘束する」
アレンが、マリオネッタの両手を縛り上げた。
マリオネッタは、抵抗しなかった。ただ、台の上に立つ俺を、じっと見つめていた。
「あなた、私の人形たちの何を見ていたの?」
「お前が決めた、未来をな」
マリオネッタは、しばらく黙っていた。
それから、くすりと笑った。
「……そう。なら、気をつけなさい。
決勝の相手は、私なんかとは比べものにならないわ」
マリオネッタは、貴賓席の方を見上げた。
そこには、誰もいなかった。だが、俺には分かった。
「あの方は、未来を決めるんじゃない。未来そのものを、『確定』させるのよ」
◆
「勝者、ヴィクトル・ラングレー組」
マリオネッタの棄権により、準決勝の勝敗が告げられた。
会場が落ち着きを取り戻すのに、長い時間がかかった。
控え室で、ノエルは長椅子に座って、ぼんやりと自分の手首を見つめていた。
俺が掴んだところが、少し赤くなっていた。
「……悪い。強く掴みすぎた」
「ううん」
ノエルは、首を振った。
「離さないでくれて、よかった」
扉が開いて、アレンが入ってきた。剣を鞘に収め、少し息が上がっている。
「ヴィクトル。お前の声のおかげで、助かった」
「お前の足がなかったら、届かなかったさ」
アレンは、一瞬だけ照れくさそうに目を逸らした。
それから、表情を引き締めた。
「決勝の相手が、正式に決まった。――宰相ギルベルト組だ」
控え室の空気が、重くなった。
「勝負は、三日後。女神祭の最終日だ」




