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【第3部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第三章 女神祭編 〜七つの賽と百の壁〜

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第25話 暴かれた王女


準決勝の朝、王都の空気は一変していた。


大通りの掲示板という掲示板に、同じ貼り紙が貼られていた。


『王冠杯出場者、天秤亭のディーラー・ノエルの正体は、

十年前に滅びた北の王国リュミエールの王女、ノエル・リュミエールである』


その下には、精巧な肖像画まで添えられていた。

銀色の髪、灰色の瞳。間違いなく、ノエルの顔だった。


「……昨夜のうちに、王都中に貼られたらしい」


天秤亭の事務室で、ラットが悔しそうに言った。

手には、剥がしてきた貼り紙が何枚も握られている。


「剥がしても剥がしても、きりがねえ。下町の連中まで、もうみんな知ってる」


「七つの賽の仕業だな」


俺は、貼り紙を握りつぶした。


招待状には、辞退すれば正体を明かすと書いてあった。

俺は辞退していない。なのに、連中は約束を破った。


――いや、最初から、約束を守るつもりなどなかったのだろう。


ノエルは、窓辺に立って、外の通りを見下ろしていた。

通りを行く人々が、天秤亭の看板を見上げては、ひそひそと何かを囁き合っている。


「ノエル」


「……大丈夫よ」


ノエルは、振り返らずに言った。


「いつか、こうなると思ってた。十年間、ずっと」


その声は静かだった。だが、窓枠を握る指先が、白くなっていた。


  ◆


準決勝の会場は、これまでにない数の観客で埋め尽くされていた。


賭けの勝負を見に来た客だけではない。

滅びた王国の王女を一目見ようという、物見高い野次馬たちだ。


俺とノエルが入場すると、会場中の視線が、一斉にノエルに突き刺さった。


「あれが、リュミエールの王女……」

「本当に、銀色の髪だ」

「賭場のディーラーなんかやってたのか、王女様が」


ノエルは、背筋を伸ばして前を向いていた。表情一つ変えずに。


だが、勝負が始まる前に、それは起きた。


「――待たれよ!」


観客席の最前列から、一人の男が立ち上がった。


鷲鼻の、四十がらみの男だった。

深紅の軍服に、黒い鷲の紋章。

北の大国、ガルディア帝国の紋章だ。


「ガルディア帝国、王都駐在大使、ザイフェルト伯爵である!」


男の声が、会場に響き渡った。


「そこにいる女、ノエル・リュミエールは、十年前、我が帝国に刃を向けたリュミエール王家の生き残りである!

 帝国は、この女の身柄の引き渡しを、フォルトゥナ王国に正式に要求する!」


会場が、騒然となった。


衛兵たちが、ざわめきながら顔を見合わせる。

王国の兵が、帝国の大使の要求に従うべきかどうか、判断がつかないのだ。


ザイフェルトの後ろから、帝国の護衛兵が数人、こちらへ向かって歩き出した。


ノエルの体が、こわばった。


俺は、ノエルの前に一歩出た。


「待て」


護衛兵たちの足が、止まった。


「この女性は、王冠杯の出場者だ。勝負の場に、許可なく兵を入れるのか?」


「黙れ、小僧!」


ザイフェルトが、怒鳴った。


「これは国と国の問題だ! 一介の伯爵風情が、口を挟むことではない!」


「――いいや」


静かな、だがよく通る声が、会場に響いた。


立会人席から、アレンが立ち上がっていた。銀の徽章を、高く掲げて。


「女神フォルトゥナの神前法、第七条」


アレンの声は、揺るぎなかった。


「『神前勝負の出場者は、その勝負が終わるまで、女神の客人である。

何人も、王であれ皇帝であれ、女神の客人の身を拘束することはできない』」


会場が、静まり返った。


「ノエル・リュミエールは、王冠杯の出場者だ。

大会が終わるまで、彼女の身柄は、女神フォルトゥナの庇護のもとにある。

――これに逆らう者は、女神に逆らう者とみなす」


ザイフェルトの顔が、引きつった。


帝国もまた、女神フォルトゥナを信仰する国の一つだ。

女神に逆らうと宣言されて、公然と兵を動かせる者はいない。


護衛兵たちが、困惑したようにザイフェルトを振り返った。


  ◆


ザイフェルトは、ぎりりと歯を噛みしめた。


だが、すぐに表情を取り繕い、会場中に向かって声を張り上げた。


「よかろう! 大会が終わるまでは待とう! だが、王国の民よ、よく聞け!」


ザイフェルトは、ノエルを指差した。


「リュミエール王家は、十年前、我が帝国に宣戦を布告し、自ら滅びの道を選んだのだ!

 帝国は、その侵略から自国を守ったに過ぎない!

 この女は、戦を起こした罪深き王家の血を引く者なのだ!」


観客席が、ざわめいた。


「宣戦布告……?」

「リュミエールの方から攻めたのか?」

「なら、帝国が怒るのも無理はないか……」


空気が、変わり始めていた。


ノエルの肩が、かすかに震えた。


「……嘘よ」


ノエルが、絞り出すような声で言った。


「リュミエールは、戦なんて望んでいなかった。

帝国が、何の前触れもなく、冬の夜に攻めてきたの。

お父様は、最後まで和平の使者を送ろうとしていた……!」


「女の言うことなど、誰が信じる!」


ザイフェルトが、鼻で笑った。


「十年前、お前はまだ八つの子供だったではないか。何を知っているというのだ!」


観客席の空気は、まだ揺れていた。

帝国の大使と、滅びた国の王女。

どちらの言葉を信じるべきか、人々は迷っている。


(ザイフェルトの言葉を、このまま観客が信じる確率は?)


【58%】


――まずい。


ここで流れを変えなければ、ノエルは「戦を起こした罪人の娘」として、王都中の敵意を浴びることになる。

大会が終わった後、帝国が彼女を引き渡せと迫った時、王国の民はそれを止めようとしないだろう。


だが、こちらには、この世界で一番強い証人がいる。


「大使殿」


俺は、静かに言った。


「今の言葉を、もう一度、立会人の前で言ってもらえないか」


ザイフェルトが、眉をひそめた。


「何だと?」


「ここは、神前勝負の場だ。

そして、そこにいる審問官の前では、誰も嘘をつけない。

嘘をつけば、女神の鐘が鳴る」


俺は、アレンを振り返った。アレンは、黙って頷いた。


「大使殿が本当のことを言っているなら、鐘は鳴らない。

王女の方が嘘をついていることになる。

――さあ、もう一度言ってくれ。

『リュミエール王家が、先に帝国に宣戦を布告した』と」


会場中の視線が、ザイフェルトに集まった。


ザイフェルトの額に、汗が浮かんだ。


(ザイフェルトが、もう一度同じことを言う確率は?)


【23%】


――言えないだろう。


だが、言わなければ、それはそれで「嘘だった」と認めるのと同じだ。


ザイフェルトは、しばらく口をぱくぱくと動かしていた。


やがて、追い詰められた獣のように、叫んだ。


「リュ、リュミエール王家は、帝国に宣戦を――」


――りぃぃん。


澄んだ鐘の音が、会場の隅々まで響き渡った。


  ◆


静寂の後、会場は怒号に包まれた。


「嘘だったのか!」

「帝国の方から攻めたんじゃないか!」

「王女様を、罪人扱いしやがって!」


ザイフェルトは、顔を真っ赤にして、護衛兵たちと共に逃げるように会場を出ていった。


観客席の空気は、完全にひっくり返っていた。


さっきまで好奇の目でノエルを見ていた人々が、今は同情と、そして敬意の混じった目で彼女を見ている。


ノエルは、まだ呆然と立ち尽くしていた。


「……ノエル」


俺が声をかけると、ノエルははっとしたように俺を見た。


その灰色の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。


「十年間」


ノエルの声が、震えた。


「十年間、誰も、信じてくれなかった。

奴隷商も、ドルマンも、店の客も。

リュミエールは、愚かな戦を起こして自滅した国だって。

私は、その罪深い王家の生き残りだって。

……誰も、本当のことを聞こうとしなかった」


ノエルは、手の甲で涙を拭った。


「……ありがとう」


それだけ言って、ノエルは顔を伏せた。


俺は何も言わずに、ノエルの頭に、そっと手を置いた。


  ◆


その時、会場の貴賓席から、ゆったりとした拍手が聞こえてきた。


見上げると、黒い法衣の男が、一人で手を叩いていた。


宰相ギルベルト。


「見事だ、ラングレー伯爵」


ギルベルトは、穏やかに微笑んでいた。


「神前の鐘を使って、帝国の大使に嘘を吐かせるとは。なかなか、面白い手を使う」


「……お褒めにあずかり、光栄です」


「だが、一つだけ忠告しておこう」


ギルベルトは、ノエルに視線を移した。

その目は、まるで、手に入れることが決まっている品物を眺めるような目だった。


「大会は、いずれ終わる。

そして、大会が終わった後――姫の処遇を決めるのは、この私だ」


(宰相が、大会の後、ノエルを手に入れる確率は?)


【100%】


――また、百だ。


この男の未来は、どこまでも揺らがない。


「楽しみにしているよ、伯爵。決勝で会えることを」


ギルベルトは、法衣の裾を翻して、貴賓席を去っていった。


  ◆


アレンが、準決勝の組み合わせを読み上げた。


「準決勝。

ヴィクトル・ラングレー組、対、マリオネッタ組。

――勝負は、本日の午後とする」


マリオネッタ。七つの賽の一人。


シャッテンの言葉が、頭の中でよみがえる。


――あの女は、勝負の相手を操るんじゃない。勝負の「周り」を操る。


俺は、観客席を見回した。


満員の観客。熱狂する群衆。その中の何人かに、何気なく問いを立ててみた。


(あの男が、次に立ち上がる確率は?)


【100%】


(その隣の女が、次に叫び声を上げる確率は?)


【100%】


(あそこの老人が、手に持った杖を振り上げる確率は?)


【100%】


背筋が、凍った。


観客席のあちこちに、百パーセントの数字が浮かんでいた。


まだ何も起きていない。誰も立ち上がっていないし、叫んでもいない。


だが、この連中が次に何をするかは、もう決まっている。


誰かが、決めている。


「……ノエル」


俺は、ノエルの手を握った。


「今日の勝負、何があっても、俺から離れるな」

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