第24話 双子の天秤
三回戦の会場に現れたのは、鏡に映したようにそっくりな二人の青年だった。
金色の短い髪。左右対称に分けた前髪。白と黒の対になった礼装。
白い礼装の方が、兄のリヒト・ツヴァイ。打ち手として、台の前に座った。
黒い礼装の方が、弟のシャッテン・ツヴァイ。
相棒として、兄の背後に立った。
そして、その右手を、兄の肩にそっと置いた。
「やあ、伯爵。君の噂は聞いているよ」
リヒトが、にこやかに笑った。
「ジャックを騙し、クロノスを老いさせた。
ひどい男だね。でも、僕たちには通用しない。
僕たちは、二人で一つだから」
シャッテンは、何も言わなかった。兄の肩に手を置いたまま、無表情に俺を見ていた。
今日の勝負は、サイコロだった。
各自が三つのサイコロを振り、出た目の合計が大きい方が、その回の勝ち。
先に五回勝った方が、勝負の勝者となる。
「双方、自分の賽は台の上に用意されたものを使うこと」
アレンが告げ、神卓が光った。
◆
一回目。
リヒトが、三つのサイコロを椀に振った。
(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)
【81%】
――高すぎる。
三つのサイコロで合計十五以上を出す確率は、本来なら一割にも満たない。
サイコロは、五、六、五。合計十六。
俺が振る。四、二、三。九。
「リヒト・ツヴァイ、一勝」
二回目、三回目も、同じだった。
リヒトが振る時だけ、高い目が出る確率が異常に跳ね上がる。
そして実際に、十五、十七、十六と、高い目ばかりが出た。
「リヒト・ツヴァイ、三勝」
観客席が、ざわめく。
だが、俺が注目していたのは、リヒトではなかった。
その背後に立つ、弟のシャッテンだ。
(シャッテンが、この後、何かにつまずく確率は?)
【76%】
(シャッテンが、手に持ったものを落とす確率は?)
【68%】
普通なら、どちらも数パーセントの出来事だ。
そして、三回目の勝負が終わった直後。
シャッテンの鼻から、つうっと一筋の血が流れた。
シャッテンは、無表情のままハンカチでそれを拭った。
(……なるほどな)
兄が幸運を得るたびに、弟に不運がのしかかる。
二人で一つの運を、分け合っている。
いや――兄が良い方を取り、弟が悪い方を引き受けている。
「気づいたかい、伯爵」
リヒトが、楽しそうに言った。
「僕たちの加護は『双子の天秤』。
二人の運は、いつも一つの天秤の両端に載っている。
片方が沈めば、片方が浮く。
僕が勝つためなら、シャッテンがいくらでも不運を引き受けてくれるのさ。
……ね、シャッテン?」
「……ああ、兄さん」
シャッテンが、短く答えた。
鐘は、鳴らない。
だが、俺は弟の数字を見ていた。
(シャッテンが、心の底から兄のために不運を引き受けている確率は――)
違う。それは、今の気持ちの話だ。この眼では読めない。
問いを変えた。
(シャッテンが、いつか兄の肩から手を離す確率は?)
【34%】
――ゼロじゃ、ない。
◆
四回目。
俺は、勝負の合間に、二人をじっと観察した。
リヒトが勝つ確率が跳ね上がるのは、シャッテンの手が兄の肩に触れている時だけだ。
試しに、シャッテンがハンカチで鼻血を拭おうとして、一瞬だけ手を離した時。
(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)
【9%】
普通の数字に戻った。
そして、手が肩に戻った瞬間、【79%】に跳ね上がる。
天秤の加護は、二人が触れ合っている時にしか働かない。
――そして、もう一つ。
四回目の勝負で、リヒトが椀を振る直前のことだった。
シャッテンの手が、兄の肩から一瞬だけ離れ、台の上のサイコロをかすめた。
目にも留まらぬ速さだった。
観客は、誰も気づいていないだろう。
だが、その瞬間、数字が変わった。
【リヒトが、合計十八を出す確率:100%】
――百。
天秤の加護だけでは、運は百にはならない。運は、どれだけ傾いても揺らぐものだ。
百になるのは、誰かが結果を「決めた」時だけだ。
サイコロが、すり替えられた。六しか出ない、細工物の賽に。
リヒトが振る。六、六、六。合計十八。
「リヒト・ツヴァイ、四勝」
観客席が、沸いた。あと一勝で、双子の勝ちだ。
俺は、アレンを見た。
アレンは、首を小さく横に振った。
速すぎて、見えなかったのだろう。
証拠もなしに、不正は認定できない。
だが、俺には見えた。
こいつらは、加護だけじゃない。イカサマ師だ。
なら――遠慮は、いらない。
◆
五回目。後がない。
リヒトが、椀を手に取った。シャッテンの手は、兄の肩の上。
(リヒトが、この一投で勝つ確率は?)
【83%】
このまま振らせれば、まず負ける。
普通なら、ここで考えることは一つだ。
リヒトの勝つ確率と、俺の勝つ確率を入れ替える。
だが、それでは足りない。
たとえこの一投を取っても、天秤の加護は残る。
次も、その次も、リヒトは八割の確率で勝ち続ける。
そして、いつかまたサイコロがすり替えられる。
断ち切らなければならないのは、この一投じゃない。
――天秤そのものだ。
俺は、リヒトの頭の上に、もう一つの問いを立てた。
(リヒトが、今この瞬間、弟を疑う確率は?)
【17%】
勝負の確率と、心の確率。
まったく違う種類の、二つの数字。
だが、この眼は言っている。
視界の中にある、二つの確率を入れ替えられると。
どんな種類の確率かは、問わない。
(――入れ替われ)
頭の奥が軋む。
二つの数字が、猛烈な速さで回転を始めた。
八十三と十七が、光の帯になって入り乱れる。
ガラスの砕け散る音が、俺の頭の中に響いた。
【リヒトが、この一投で勝つ確率:17%】
【リヒトが、今この瞬間、弟を疑う確率:83%】
鼻の下を、生ぬるいものが伝った。
リヒトが、椀を振ろうとして――ぴたりと、手を止めた。
自分の肩に置かれた、弟の手。リヒトは、それをじっと見下ろした。
その目に、今まで一度も浮かんだことのない色が浮かんでいた。
「……シャッテン」
「なんだ、兄さん」
「お前、なんで、さっき鼻血を出した」
シャッテンが、わずかに目を見開いた。
「それは、天秤の代償だろう。兄さんの不運を、俺が……」
「本当にそうか?」
リヒトの声が、低くなった。
「お前、本当は――僕の運を、少しずつ吸い取ってるんじゃないのか?
僕が勝っている間に、裏で、自分の分だけ取り分を増やしてるんじゃないのか?」
「兄さん、何を言って……」
「二十年だ!」
リヒトが、椀を台に叩きつけた。
「二十年間、僕はお前を信じてきた!
でも、考えてみれば、お前はいつも無口で、何を考えているのか分からない!
七つの賽の連中だって、お前のことばかり評価してる!
本当は、お前が僕を利用して――」
リヒトは、弟の手を肩から乱暴に振り払った。
その瞬間、天秤が、傾くのをやめた。
(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)
【9%】
ただの、人間の数字に戻った。
◆
シャッテンは、振り払われた自分の手を、呆然と見つめていた。
その顔から、ゆっくりと無表情の仮面が剥がれていった。
「……利用してたのは、兄さんの方だろう」
シャッテンの声は、震えていた。
「二十年間、俺は兄さんの不運を、全部引き受けてきた。
熱を出すのも、骨を折るのも、いつも俺だった。
それでも、兄さんが笑ってくれるならいいと思ってた。
なのに、兄さんは――一度も、俺に『ありがとう』と言ったことがない」
「シャッテン……」
「疑うなら、勝手にしろ」
シャッテンは、兄から一歩離れた。
それから、アレンの方を向いて、まっすぐに言った。
「立会人。
俺は、四回目の勝負で、台の上のサイコロを六の目しか出ない細工物にすり替えた。
兄さんに勝たせるために」
――りぃん、とは、鳴らなかった。
本当のことだからだ。
観客席が、凍りついた。
アレンが、ゆっくりと立ち上がった。
「……自白を受理する。リヒト・ツヴァイ組の不正を、ここに認定する」
神卓の光が、強くなった。
リヒトの胸元に、天秤の紋章が浮かび上がった。
双子の加護の証。
その紋章が、まるで本物の天秤のように、ぐらぐらと揺れ――真ん中から、ぽきりと折れた。
不正による、即座の敗北。そして、双子が賭けていた全てが、取り立てられていく。
「勝者、ヴィクトル・ラングレー組」
◆
リヒトは、台に突っ伏したまま、動かなかった。
シャッテンは、その背中を、しばらく黙って見下ろしていた。
それから、俺の方に歩み寄ってきた。
「……あんた、何をした」
「何も。お前の兄貴が、勝手に疑い始めただけだ」
鐘は、鳴らない。疑ったのは、確かにリヒト自身だ。
俺は、その確率を入れ替えただけだ。
シャッテンは、じっと俺の目を見つめていた。
「……いや。何でもいい」
シャッテンは、ふっと息を吐いた。
それは、この男が今日初めて見せた、人間らしい表情だった。
「二十年分の荷物を、やっと下ろせた気がする」
シャッテンは、懐から一枚の黒いカードを取り出し、俺の手に押しつけた。
七つのサイコロの紋章。その三つ目に、赤い×印。
「次の相手は、マリオネッタだ。……気をつけろ。
あの女は、勝負の相手を操るんじゃない。
勝負の『周り』を操る」
そう言い残して、シャッテンは会場を去っていった。
兄のことは、一度も振り返らなかった。
◆
控え室で、ノエルが俺の鼻血を拭いてくれた。
「……あの双子のこと、考えてるでしょう」
「少しな」
「運を分け合うって、どういう気持ちなのかしら」
ノエルは、血のついたハンカチを畳みながら言った。
「片方が幸せになるたびに、片方が不幸になる。……私は、そんなの嫌だわ」
「ああ、俺もだ」
俺は、天井を見上げた。
「俺とお前の運は、分け合えないな。俺の眼は、お前の運を映さないから」
ノエルは、少しだけ黙った。
それから、小さな声で言った。
「……分け合わなくて、いいのよ」
「え?」
「別々の運のまま、隣にいればいいの」
ノエルは、立ち上がって、控え室の扉の方を向いた。
その耳の先が、また少しだけ赤くなっていた。




