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【第3部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第三章 女神祭編 〜七つの賽と百の壁〜

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第24話 双子の天秤


三回戦の会場に現れたのは、鏡に映したようにそっくりな二人の青年だった。


金色の短い髪。左右対称に分けた前髪。白と黒の対になった礼装。


白い礼装の方が、兄のリヒト・ツヴァイ。打ち手として、台の前に座った。


黒い礼装の方が、弟のシャッテン・ツヴァイ。

相棒として、兄の背後に立った。

そして、その右手を、兄の肩にそっと置いた。


「やあ、伯爵。君の噂は聞いているよ」


リヒトが、にこやかに笑った。


「ジャックを騙し、クロノスを老いさせた。

ひどい男だね。でも、僕たちには通用しない。

僕たちは、二人で一つだから」


シャッテンは、何も言わなかった。兄の肩に手を置いたまま、無表情に俺を見ていた。


今日の勝負は、サイコロだった。


各自が三つのサイコロを振り、出た目の合計が大きい方が、その回の勝ち。

先に五回勝った方が、勝負の勝者となる。


「双方、自分の賽は台の上に用意されたものを使うこと」


アレンが告げ、神卓が光った。


  ◆


一回目。


リヒトが、三つのサイコロを椀に振った。


(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)


【81%】


――高すぎる。


三つのサイコロで合計十五以上を出す確率は、本来なら一割にも満たない。


サイコロは、五、六、五。合計十六。


俺が振る。四、二、三。九。


「リヒト・ツヴァイ、一勝」


二回目、三回目も、同じだった。


リヒトが振る時だけ、高い目が出る確率が異常に跳ね上がる。

そして実際に、十五、十七、十六と、高い目ばかりが出た。


「リヒト・ツヴァイ、三勝」


観客席が、ざわめく。


だが、俺が注目していたのは、リヒトではなかった。


その背後に立つ、弟のシャッテンだ。


(シャッテンが、この後、何かにつまずく確率は?)


【76%】


(シャッテンが、手に持ったものを落とす確率は?)


【68%】


普通なら、どちらも数パーセントの出来事だ。


そして、三回目の勝負が終わった直後。

シャッテンの鼻から、つうっと一筋の血が流れた。

シャッテンは、無表情のままハンカチでそれを拭った。


(……なるほどな)


兄が幸運を得るたびに、弟に不運がのしかかる。


二人で一つの運を、分け合っている。

いや――兄が良い方を取り、弟が悪い方を引き受けている。


「気づいたかい、伯爵」


リヒトが、楽しそうに言った。


「僕たちの加護は『双子の天秤』。

二人の運は、いつも一つの天秤の両端に載っている。

片方が沈めば、片方が浮く。

僕が勝つためなら、シャッテンがいくらでも不運を引き受けてくれるのさ。

……ね、シャッテン?」


「……ああ、兄さん」


シャッテンが、短く答えた。


鐘は、鳴らない。


だが、俺は弟の数字を見ていた。


(シャッテンが、心の底から兄のために不運を引き受けている確率は――)


違う。それは、今の気持ちの話だ。この眼では読めない。


問いを変えた。


(シャッテンが、いつか兄の肩から手を離す確率は?)


【34%】


――ゼロじゃ、ない。


  ◆


四回目。


俺は、勝負の合間に、二人をじっと観察した。


リヒトが勝つ確率が跳ね上がるのは、シャッテンの手が兄の肩に触れている時だけだ。


試しに、シャッテンがハンカチで鼻血を拭おうとして、一瞬だけ手を離した時。


(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)


【9%】


普通の数字に戻った。


そして、手が肩に戻った瞬間、【79%】に跳ね上がる。


天秤の加護は、二人が触れ合っている時にしか働かない。


――そして、もう一つ。


四回目の勝負で、リヒトが椀を振る直前のことだった。


シャッテンの手が、兄の肩から一瞬だけ離れ、台の上のサイコロをかすめた。

目にも留まらぬ速さだった。

観客は、誰も気づいていないだろう。


だが、その瞬間、数字が変わった。


【リヒトが、合計十八を出す確率:100%】


――百。


天秤の加護だけでは、運は百にはならない。運は、どれだけ傾いても揺らぐものだ。


百になるのは、誰かが結果を「決めた」時だけだ。


サイコロが、すり替えられた。六しか出ない、細工物の賽に。


リヒトが振る。六、六、六。合計十八。


「リヒト・ツヴァイ、四勝」


観客席が、沸いた。あと一勝で、双子の勝ちだ。


俺は、アレンを見た。

アレンは、首を小さく横に振った。

速すぎて、見えなかったのだろう。

証拠もなしに、不正は認定できない。


だが、俺には見えた。


こいつらは、加護だけじゃない。イカサマ師だ。


なら――遠慮は、いらない。


  ◆


五回目。後がない。


リヒトが、椀を手に取った。シャッテンの手は、兄の肩の上。


(リヒトが、この一投で勝つ確率は?)


【83%】


このまま振らせれば、まず負ける。


普通なら、ここで考えることは一つだ。

リヒトの勝つ確率と、俺の勝つ確率を入れ替える。


だが、それでは足りない。

たとえこの一投を取っても、天秤の加護は残る。

次も、その次も、リヒトは八割の確率で勝ち続ける。

そして、いつかまたサイコロがすり替えられる。


断ち切らなければならないのは、この一投じゃない。


――天秤そのものだ。


俺は、リヒトの頭の上に、もう一つの問いを立てた。


(リヒトが、今この瞬間、弟を疑う確率は?)


【17%】


勝負の確率と、心の確率。


まったく違う種類の、二つの数字。


だが、この眼は言っている。

視界の中にある、二つの確率を入れ替えられると。

どんな種類の確率かは、問わない。


(――入れ替われ)


頭の奥が軋む。


二つの数字が、猛烈な速さで回転を始めた。

八十三と十七が、光の帯になって入り乱れる。


ガラスの砕け散る音が、俺の頭の中に響いた。


【リヒトが、この一投で勝つ確率:17%】

【リヒトが、今この瞬間、弟を疑う確率:83%】


鼻の下を、生ぬるいものが伝った。


リヒトが、椀を振ろうとして――ぴたりと、手を止めた。


自分の肩に置かれた、弟の手。リヒトは、それをじっと見下ろした。


その目に、今まで一度も浮かんだことのない色が浮かんでいた。


「……シャッテン」


「なんだ、兄さん」


「お前、なんで、さっき鼻血を出した」


シャッテンが、わずかに目を見開いた。


「それは、天秤の代償だろう。兄さんの不運を、俺が……」


「本当にそうか?」


リヒトの声が、低くなった。


「お前、本当は――僕の運を、少しずつ吸い取ってるんじゃないのか?

 僕が勝っている間に、裏で、自分の分だけ取り分を増やしてるんじゃないのか?」


「兄さん、何を言って……」


「二十年だ!」


リヒトが、椀を台に叩きつけた。


「二十年間、僕はお前を信じてきた!

 でも、考えてみれば、お前はいつも無口で、何を考えているのか分からない!

 七つの賽の連中だって、お前のことばかり評価してる!

 本当は、お前が僕を利用して――」


リヒトは、弟の手を肩から乱暴に振り払った。


その瞬間、天秤が、傾くのをやめた。


(リヒトが、合計十五以上を出す確率は?)


【9%】


ただの、人間の数字に戻った。


  ◆


シャッテンは、振り払われた自分の手を、呆然と見つめていた。


その顔から、ゆっくりと無表情の仮面が剥がれていった。


「……利用してたのは、兄さんの方だろう」


シャッテンの声は、震えていた。


「二十年間、俺は兄さんの不運を、全部引き受けてきた。

熱を出すのも、骨を折るのも、いつも俺だった。

それでも、兄さんが笑ってくれるならいいと思ってた。

なのに、兄さんは――一度も、俺に『ありがとう』と言ったことがない」


「シャッテン……」


「疑うなら、勝手にしろ」


シャッテンは、兄から一歩離れた。


それから、アレンの方を向いて、まっすぐに言った。


「立会人。

俺は、四回目の勝負で、台の上のサイコロを六の目しか出ない細工物にすり替えた。

兄さんに勝たせるために」


――りぃん、とは、鳴らなかった。


本当のことだからだ。


観客席が、凍りついた。


アレンが、ゆっくりと立ち上がった。


「……自白を受理する。リヒト・ツヴァイ組の不正を、ここに認定する」


神卓の光が、強くなった。


リヒトの胸元に、天秤の紋章が浮かび上がった。

双子の加護の証。

その紋章が、まるで本物の天秤のように、ぐらぐらと揺れ――真ん中から、ぽきりと折れた。


不正による、即座の敗北。そして、双子が賭けていた全てが、取り立てられていく。


「勝者、ヴィクトル・ラングレー組」


  ◆


リヒトは、台に突っ伏したまま、動かなかった。


シャッテンは、その背中を、しばらく黙って見下ろしていた。


それから、俺の方に歩み寄ってきた。


「……あんた、何をした」


「何も。お前の兄貴が、勝手に疑い始めただけだ」


鐘は、鳴らない。疑ったのは、確かにリヒト自身だ。

俺は、その確率を入れ替えただけだ。


シャッテンは、じっと俺の目を見つめていた。


「……いや。何でもいい」


シャッテンは、ふっと息を吐いた。

それは、この男が今日初めて見せた、人間らしい表情だった。


「二十年分の荷物を、やっと下ろせた気がする」


シャッテンは、懐から一枚の黒いカードを取り出し、俺の手に押しつけた。

七つのサイコロの紋章。その三つ目に、赤い×印。


「次の相手は、マリオネッタだ。……気をつけろ。

あの女は、勝負の相手を操るんじゃない。

勝負の『周り』を操る」


そう言い残して、シャッテンは会場を去っていった。

兄のことは、一度も振り返らなかった。


  ◆


控え室で、ノエルが俺の鼻血を拭いてくれた。


「……あの双子のこと、考えてるでしょう」


「少しな」


「運を分け合うって、どういう気持ちなのかしら」


ノエルは、血のついたハンカチを畳みながら言った。


「片方が幸せになるたびに、片方が不幸になる。……私は、そんなの嫌だわ」


「ああ、俺もだ」


俺は、天井を見上げた。


「俺とお前の運は、分け合えないな。俺の眼は、お前の運を映さないから」


ノエルは、少しだけ黙った。


それから、小さな声で言った。


「……分け合わなくて、いいのよ」


「え?」


「別々の運のまま、隣にいればいいの」


ノエルは、立ち上がって、控え室の扉の方を向いた。


その耳の先が、また少しだけ赤くなっていた。

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