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【第3部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第三章 女神祭編 〜七つの賽と百の壁〜

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第22話 読心のジャック


王冠杯の本戦は、王宮の大回廊を改装した特設の会場で行われた。


高い天井に、無数の魔石の燭台。

中央に置かれた一つの賭博台を、階段状の観客席がぐるりと取り囲んでいる。

王都中から集まった観客で、席は一つ残らず埋まっていた。


「一回戦! ヴィクトル・ラングレー組、対、ジャック・ルーセル組!」


司会の声に、観客席がどっと沸いた。


台の向こう側に、一人の男が座っていた。


片眼鏡をかけた、三十代半ばの伊達男だった。

派手な紫のベストに、金の懐中時計の鎖。

整えた口髭の下で、薄い唇がにやにやと笑っている。


ジャック・ルーセル。七つの賽の一人、『読心のジャック』。


その後ろには、黒いドレスの女が無言で控えていた。ジャックの相棒らしい。


俺の後ろには、ノエルが立っている。


「やあ、伯爵殿。噂はかねがね」


ジャックが、片眼鏡を指で押し上げた。


「ドルマンの店を潰し、必中のカインを破った男。

どんな頭の中をしているのか、楽しみにしていたよ」


「期待外れでも、文句は言わないでくれ」


「はは。それは、覗いてみてのお楽しみだ」


立会人席から、アレンが進み出た。


「勝負はホールデム。

双方、百枚のチップから始め、どちらかが尽きるまで続ける。

なお、打ち手の相棒は、打ち手の後ろに立つことのみ許される。

助言は禁ずる」


アレンが徽章を掲げると、台の上に金色の光が満ちた。神卓の降臨だ。


勝負が、始まった。


  ◆


最初の十ハンドで、俺は三十枚を失った。


理由は、すぐに分かった。


俺が手札を見る。その瞬間、ジャックの口元がわずかに緩む。


(ジャックが、このハンドで勝負に出る確率は?)


手札を見る前は、【45%】。


手札を見た直後は、【88%】――俺の手が弱い時。


あるいは【7%】――俺の手が強い時。


ドルマンとの勝負の時と、同じだ。俺が手札を見た瞬間、ジャックの判断が跳ねる。


だが、ドルマンの時とは違って、ここには鏡もなければ、囁き貝もない。

後ろに立っているのは、ノエルだけだ。


ゴードンの言葉が、頭の中でよみがえる。


――相手の頭の中に浮かんだカードの絵柄が、そのまま見える。


「どうしたのかね、伯爵殿」


ジャックが、楽しそうに言った。


「スペードの四とハートの九。それでは、なかなか勝負に出られないねえ」


観客席が、ざわめいた。


俺は、伏せていた二枚のカードを、ゆっくりと表に返した。


スペードの四。ハートの九。


「……おいおい、当てたぞ」

「あれが、読心の加護……」


ジャックは、肩をすくめた。


「おっと、失礼。つい口が滑った。

だが、隠しても無駄だということは、分かってもらえたかな?

 君が手札を見た瞬間、その絵柄は、君の頭の中に鮮やかに浮かび上がる。

私には、それが手に取るように見えるのさ」


アレンが、眉をひそめてジャックを見た。だが、何も言わなかった。


加護は、正当な力だ。ジャックは何も不正をしていない。


「……なるほどな」


俺は、カードをディーラーに返した。


(頭の中に浮かんだ、カードの絵柄、か)


ジャックが見ているのは、俺の頭の中の「絵」だ。


なら、確かめておきたいことがある。


(このハンドで、俺が勝つ確率は?)


心の中で、そう問いを立てた。まだ、手札は見ていない。


【52%】


数字が浮かぶ。


俺は、ジャックの顔を見た。片眼鏡の奥の目は、つまらなそうに俺を眺めていた。


(ジャックが、このハンドで勝負に出る確率は?)


【45%】


――動かない。


俺の頭の中には、今、「五十二」という数字が浮かんでいる。

だが、ジャックの判断は、まったく変わらなかった。


ジャックに見えるのは、カードの絵柄だけだ。数字は、見えていない。


  ◆


次のハンドから、俺は手札を見るのをやめた。


二枚のカードが配られても、伏せたまま、指一本触れない。


「……伯爵殿?」


ジャックが、怪訝そうに眉を上げた。


「手札を、見ないのかね?」


「ああ。今日はもう、見ないことにした」


観客席が、ざわめいた。


「手札を見ないで、どうやって勝負するんだ?」

「ついに諦めたか?」


俺は、伏せたままの二枚に、問いを立てた。


(この手札で、このハンドに勝つ確率は?)


【61%】


これからめくられる未来の確率なら、手札を見なくても読める。


「レイズ。十枚」


ジャックの片眼鏡の奥で、目が細くなった。


俺の頭の中を覗いているのだろう。

だが、そこにカードの絵柄はない。

俺自身が、自分の手札を知らないのだから。


(ジャックが、コールする確率は?)


【38%】


迷っている。


「……降りよう」


ジャックは、カードを放り投げた。


俺は、伏せたままの手札を、見もせずにディーラーに返した。


「伯爵殿。君、本当に何も見ていないのかね?」


「見てない」


鐘は、鳴らない。


ジャックの顔から、余裕の笑みが少しずつ消えていった。


  ◆


それから二十ハンドほど、勝負は一進一退になった。


俺は、手札を見ずに、眼の数字だけを頼りに賭けた。

勝率が高い時は攻め、低い時は降りる。

ジャックの読心は、もう何の役にも立たない。


だが、それだけでは、ジャックを倒すには足りなかった。


ジャックは、伊達に七つの賽の一席に座っているわけではない。

読心がなくても、カードの技術は一流だった。

俺が攻めれば受け流し、俺が引けば踏み込んでくる。


チップは、俺が七十枚。ジャックが百三十枚。


「なかなか面白い手を使うね、伯爵殿」


ジャックが、片眼鏡を拭きながら言った。


「だが、手札を見ないということは、君自身も自分の手を知らないということだ。

いずれ、どこかで破綻する」


その通りだ。


この眼は、勝率は教えてくれる。

だが、手札そのものは教えてくれない。

どんな役ができているのか分からないまま、俺は戦っている。

どこかで、勝負所を見誤るかもしれない。


だから――次の一手で、決める。


新しいハンドが配られた。俺は、伏せたままの二枚に問いを立てた。


(この手札で、このハンドに勝つ確率は?)


【89%】


――来た。


俺は、目を閉じた。


そして、頭の中に、鮮やかに一枚の絵を思い浮かべた。


クラブの七。


もう一枚。


ダイヤの二。


この世界で目覚めた最初の夜、俺の手の中にあった、最弱の二枚。

ドルマンとの決戦でも、なぜか二度も巡ってきた、因縁の手札。


何度も見たカードだ。

その絵柄は、目を閉じても細部まで思い描ける。

クラブの模様の数。ダイヤの角の丸み。

端に刷られた小さな数字。


「――オールイン」


俺は、目を開けて、七十枚のチップを全て前に押し出した。


観客席が、どよめいた。


ジャックが、片眼鏡の奥で、俺の頭の中を覗き込む。


そして、その顔に、ゆっくりと笑みが広がっていった。


「……ほう。クラブの七と、ダイヤの二か」


ジャックは、喉の奥で笑った。


「見ないふりをして、こっそり覗いたのかね?

 それとも、やけになったか。

どちらにせよ――最弱の手でオールインとは、君もずいぶんと追い詰められたものだ」


(ジャックが、コールする確率は?)


【97%】


「コールだ」


ジャックは、残りのチップを押し出した。


「私の手は、クイーンのペア。最弱の手に負けるはずがない」


共通カードが、五枚、順番に開かれていく。


ディーラーが、最後の一枚をめくり終えた。


ジャックは、勝ち誇ったように自分のクイーンのペアを表に返した。


「さあ、伯爵殿。君の七と二を、見せてもらおうか」


俺は、伏せたままの二枚のカードに、初めて手を伸ばした。


そして、表に返した。


スペードのエース。ハートのエース。


エースのペア。共通カードのエースと合わせて、エースのスリーカード。


ジャックの笑みが、凍りついた。


「…………は?」


片眼鏡が、ジャックの目からぽろりと落ちた。


「ば、馬鹿な……君の頭の中には、確かにクラブの七と、ダイヤの二が……!」


「ああ。浮かべてたよ。思いっきりな」


俺は、肩をすくめた。


「だが、俺は一度も、それが俺の手札だなんて言ってない。

俺は、自分の手札を見てすらいないんだ。

――今、初めて見た」


鐘は、鳴らなかった。


  ◆


観客席が、爆発した。


「エースだぁ!」

「七と二じゃなかったのか!?」

「読心のジャックが、読み違えた……!」


ジャックは、呆然と自分の手札を見つめていた。


「……私の読心を、逆に利用したというのか」


「お前の加護は、頭の中の絵柄を読む。

だが、その絵柄が本物かどうかまでは、教えてくれない」


俺は、エースの二枚をディーラーに返した。


「頭の中を覗かれるなら、見せたい絵を見せればいい。それだけのことだ」


ジャックは、しばらく黙っていた。


それから、乾いた声で笑い出した。


「はは……はははは! 面白い! 実に面白い男だ、君は!」


ジャックは、床に落ちた片眼鏡を拾い上げ、ハンカチで拭いた。

その手が、わずかに震えていた。


「十二年だ。

私はこの加護で、十二年間、カードの勝負で一度も負けたことがなかった。

……伯爵殿、君は一体、何が見えているんだね?」


「さあな」


俺は、席を立った。


「少なくとも、お前の頭の中よりは、面白いものが見えてるよ」


アレンが、静かに右手を挙げた。


「勝者、ヴィクトル・ラングレー組」


台の上の金色の光が、ゆっくりと消えていく。


ジャックの後ろに控えていた黒いドレスの女が、無言で一枚のカードを台の上に置いた。

七つのサイコロの紋章が描かれた、黒いカード。


その中の一つのサイコロに、赤いインクで、大きな×印がつけられていた。


「……一つ目だ」


ジャックが、自嘲するように呟いた。


「伯爵殿。次の相手は、私ほど甘くはないよ。

クロノスは、時間そのものを相手にする男だ」


  ◆


控え室に戻ると、ノエルが、何か言いたそうな顔で俺を見ていた。


「どうした」


「……クラブの七と、ダイヤの二」


ノエルは、小さな声で言った。


「あなたが、最初に私の店で負けかけた夜の手札でしょう?」


「よく覚えてるな」


「ディーラーは、テーブルの上のことは全部覚えてるもの」


ノエルは、少しだけ視線を逸らした。


「……あの夜のあなたを、私、ずっと見てたから」


(ノエルが、今、照れている確率は?)


【??】


俺は、聞くのをやめて、天井を見上げた。


――この眼が見えなくて、よかったのかもしれない。

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