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【第2部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第二章 学園社交界編 〜婚約破棄は神前で〜

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第16話 白薔薇の決闘


正午の闘技場は、溢れんばかりの観客で埋め尽くされていた。


学園の生徒だけではない。

噂を聞きつけた王都の貴族たち、天秤亭の常連客、そして賭け札を握りしめた野次馬たち。


闘技場の入口の掲示板には、賭けの倍率が大きく書き出されていた。


『カイン・ヴェルナー勝利 一・〇二倍』

『ヴィクトル・ラングレー勝利 五十倍』


誰もが、結果は分かりきっていると思っている数字だ。


観客席を見上げると、見知った顔がいくつもあった。


最前列の端には、ゴードンに付き添われたリリアがいた。

小さな手を胸の前で握りしめ、今にも泣き出しそうな顔をしている。

その隣で、ラットが「伯爵様ー! 死ぬなよー!」

と、縁起でもないことを叫んでいた。


少し離れた席には、トビアスが確率学の教科書を抱えて座っていた。

目が合うと、ぎこちなく拳を突き上げてみせた。


そして、観客席の一番上の、日陰になった隅の席。

地味な外套のフードを目深にかぶった人影が、一人。


フードの隙間から、銀色の髪がこぼれていた。


(……来てくれたのか)


俺は、胸元の白薔薇にそっと触れた。


円形の砂地の中央に、俺とカインが向かい合って立っていた。


互いの胸には、一輪の白薔薇。


「……セレスティーヌは、どこだ」


カインが、苛立ったように観客席を見回した。

最前列の、ローゼンハイム家の席だけが空いている。


「さあな。寝坊でもしたんじゃないか」


鐘は、鳴らない。寝坊なのは本当だ。


カインは舌打ちをして、剣を抜いた。陽の光を受けて、細身の刃が冷たく光る。


俺も、借り物の剣を抜いた。

アレンが、神殿の武具庫から貸してくれたものだ。

軽くて、突きに向いている。


立会人のアレンが、二人の間に進み出た。


「女神フォルトゥナの御名において。

カイン・ヴェルナーとヴィクトル・ラングレーによる神前決闘を、ここに開く」


アレンが銀の徽章を掲げると、砂地に金色の光の円が浮かび上がった。


神前決闘の神環だ。この円の中で行われる決闘は、女神が見届ける。


「賭けるものは、ヴィクトル・ラングレーの北の丘陵。

そして、カイン・ヴェルナーの家督相続権」


観客席が、どよめいた。

家督相続権を賭けると聞いて、改めてその重さを思い知ったのだろう。


「勝敗は、先に相手の胸の白薔薇を散らした者の勝ちとする。――始め」


  ◆


カインは、すぐには動かなかった。


剣を下段に構えたまま、ゆっくりと円の縁を歩く。獲物を品定めする、狼の目だった。


「一つ、教えてやろう、ラングレー」


カインが、口の端を吊り上げた。


「俺は、必中を使わない。

貴様ごとき、加護なしで十分だ。

――じっくりと、なぶってやる」


次の瞬間、カインの姿が消えた。


いや、消えたように見えるほど速く、踏み込んできた。


(右肩、左脇腹、胸――カインの剣が、右肩に来る確率は?)


【68%】


一週間、アレンと練習した。

全部の攻撃を読もうとすれば間に合わない。

狙われそうな場所を三つに絞り、その三つだけを問い続ける。


左へ、体を投げ出すように転がった。


刃が、右肩のすぐ上の空気を裂いた。


観客席から、驚きの声が上がる。


「避けた!?」

「まぐれだろ!」


カインの目が、わずかに見開かれた。だが、すぐに次の斬撃が来る。


(左脇腹に来る確率は?)


【59%】


右へ跳ぶ。刃が、上着の裾を切り裂いた。


(胸に来る確率は?)


【74%】


後ろへ倒れ込む。剣先が、薔薇の花びらの寸前で止まった。


砂の上に転がりながら、俺は荒い息を吐いた。


格好悪い。剣士の動きとは、とても言えない。

地面を転がり、這いつくばり、ぶざまに逃げ回っているだけだ。


それでも、薔薇は散っていなかった。


「……なんだ、それは」


カインの声に、苛立ちが混じり始めていた。


「剣も構えず、ただ逃げ回るだけか! それでも貴族か!」


(カインの次の一撃が、胸に来る確率は?)


【81%】


横に跳ぶ。袖が裂ける。腕に、細い赤い線が走った。


全部は避けきれない。七割の読みは、三割外れる。浅い傷が、少しずつ増えていく。


それでも、薔薇だけは守り続けた。


十合。二十合。


カインの額に、汗が浮かび始めていた。


「なぜだ……なぜ当たらん……!」


当然だ。

カインほどの剣士が、二十合も打ち込んで、素人一人を仕留められない。

観客席の空気が、少しずつ変わり始めていた。


「おい、カインの奴、遊んでるんじゃないのか?」

「いや、本気だろ、あれ……」

「ラングレーが、全部避けてる……?」


カインの顔が、屈辱に歪んだ。


  ◆


カインが、大きく跳び退いて距離を取った。


(カインが、俺の薔薇に必中を使う確率は?)


【63%】


――来るか。


だが、まだ迷っている。「必中を使わない」と、観客の前で宣言してしまったからだ。


俺は、砂の上から立ち上がり、肩で息をしながら言った。


「どうした、学園一の剣士。加護なしで十分なんじゃなかったのか?」


【63% → 44%】


カインの数字が、下がった。


「……黙れ」


「それとも、必中に頼るのか?

 賭場育ちの放蕩伯爵一人、自分の腕では斬れませんでしたって、観客の前で白状するのか?」


【44% → 31%】


――だめだ。下がりすぎた。


俺は、ここで必中を使わせなければならない。

普通の剣で戦い続ければ、いつか必ず俺の読みは外れる。

体力も、もう限界に近い。


だから、最後の一押しを変えた。


「まあ、いいさ。お前が加護に頼ろうと、剣だけで来ようと、どっちでも同じだ」


俺は、剣先をまっすぐにカインの胸の薔薇に向けた。


「どうせ、セレスティーヌは見ていないんだからな」


カインの顔から、表情が消えた。


【31% → 96%】


空っぽのローゼンハイム家の席。

来るはずだった婚約者。

その不在が、カインの中の何かを決定的に切った。


「――必中」


カインの唇が、その言葉を紡いだ。


その瞬間、俺の胸の白薔薇の上に、数字が浮かんだ。


【カインの剣が、俺の薔薇に届く確率:100%】


揺らぎすらない、完全な百。


必中の加護が、未来を固定した。

カインの剣は、どんなことがあっても俺の薔薇に届く。

避けようとしても無駄だ。


だから、避けない。


カインが、踏み込んでくる。


俺も、踏み込んだ。


この一週間、千回、二千回と繰り返した、ただ一つの動き。

腕で突くな、足で突け。

体ごと、剣先を相手の胸に届けろ。


二人の剣が、互いの胸の薔薇に向かって伸びていく。


時間が、引き延ばされたように遅くなった。


(俺の剣が、カインの剣より先に薔薇に届く確率は?)


【7%】


(カインの剣が、先に届く確率は?)


【93%】


――カインの剣が俺の薔薇に届くことは、百パーセント決まっている。


だが、どちらが「先に」届くかは、まだ決まっていない。


必中が決めるのは、当たることだけだ。速さまでは、決めてくれない。


だから、この二つの数字は、揺らいでいる。


そして、目の前にいるのは、眠り薬で俺を陥れようとした女の婚約者だ。

手を下したのはこいつじゃないかもしれない。

だが、あの決闘の申し込みそのものが、最初から仕組まれた罠だった。


イカサマ師相手なら、遠慮はいらない。


(――入れ替われ)


頭の奥が軋む。


二つの数字が、スロットのリールのように猛烈に回転した。

七と九十三が、光の帯になって入り乱れる。


ガラスの砕け散る音が、俺の頭の中にだけ響き渡った。


【俺の剣が先に届く確率:93%】

【カインの剣が先に届く確率:7%】


カインの踏み込みが、ほんのわずかに砂に取られた。


ほんの、髪の毛一本分の遅れ。


俺の剣先が、カインの胸の白薔薇を貫いた。


白い花びらが、ぱっと宙に舞い散る。


そして、その一瞬後。


カインの剣先が、俺の胸の白薔薇を、正確に貫いた。


必中は、確かに当たった。


ただ――遅かった。


二つの白薔薇の花びらが、陽の光の中で、雪のように混じり合って降り注いだ。


  ◆


闘技場が、静まり返っていた。


誰も、何が起きたのか分からないという顔をしていた。

両方の薔薇が散った。相打ちに見えた者も多いだろう。


アレンが、静かに右手を挙げた。


「――勝者、ヴィクトル・ラングレー」


観客席が、どよめいた。


「先に散ったのは、カイン・ヴェルナーの薔薇だ。立会人として、この目で確かに見た」


「ば……馬鹿な……!」


カインが、剣を取り落とした。


「必中は、当たった! 俺の剣は、確かに奴の薔薇を……!」


「ああ、当たった」


アレンは、冷ややかにカインを見た。


「だが、先ではなかった。この決闘の作法は、『先に』散らした方の勝ちだ」


カインの顔が、絶望に染まった。


その時、神環の光が強くなった。


金色の光の粒が、カインの剣の柄に集まっていく。

柄頭にはめ込まれた、ヴェルナー侯爵家の紋章。

嫡男の証。


紋章が、金色の炎に包まれた。


「やめろ……やめてくれ……!」


カインが手を伸ばしたが、遅かった。

紋章は炎の中で崩れ、灰となって風に散っていった。


家督相続権の、取り立てだ。


カインは、砂地に膝をついた。


その背中は、さっきまでの学園一の剣士とは別人のように、小さく見えた。


観客席が、爆発した。


「ラングレーが勝った!」

「必中のカインに、剣で勝ったぞ!」

「五十倍だ! 五十倍の大穴だぁ!」


歓声と悲鳴と、賭け札が宙を舞う音が、闘技場を埋め尽くした。


俺は、鼻の下から垂れてきた血を、袖で拭った。

足が震えて、立っているのがやっとだった。


観客席の隅に、地味な外套を着た銀髪の女の姿が見えた。


ノエルは、一枚の賭け札を胸の前に掲げていた。


『ヴィクトル・ラングレー 勝利 金貨十枚』


五十倍。金貨、五百枚だ。


彼女は何も言わなかった。

ただ、ほんのわずかに――本当にわずかに、唇の端を上げてみせた。


(ノエルが、今のは笑った確率は?)


【??】


……ああ。今はそれで、十分だ。

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