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【第3部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第二章 学園社交界編 〜婚約破棄は神前で〜

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第15話 毒の紅茶


決闘の日の朝。


夜明け前の書斎で、俺はラットの報告を聞いていた。


「ローゼンハイム家の侍女の名前は、ハンナ。

十年以上、あの家に仕えてる古株だ。

セレスティーヌのお付きってことになってるけど、実際は侯爵――セレスティーヌの親父の言いつけで動いてるらしい」


「見張り役か」


「ああ。

屋敷の下働き連中に聞いたら、みんな口を揃えて言ってたよ。

『お嬢様は、ハンナの前じゃ絶対に本音を言わない』ってな」


ラットは、眠い目をこすりながら続けた。


「それと、薬屋の親父から聞き出した。

ハンナが買ってったのは『夢見草』の粉だ。

湯に溶かすと、味も匂いもほとんど消える。

でも、砂糖みたいな固いもんに染み込ませると、ほんの少しだけ形が崩れるんだってさ」


「……砂糖、か」


「伯爵様?」


「いや。助かった、ラット。お前は少し寝ておけ」


ラットは大きなあくびをして、書斎の長椅子に転がった。

数秒後には、もう寝息を立てていた。


俺は、窓の外の白み始めた空を見上げた。


セレスティーヌは、父親の見張りの前では本音を言わない。


なら、今日のお茶会で、彼女が本当は何を言おうとしているのか。

それを確かめる方法は、一つしかない。


――見張りの手を、封じることだ。


  ◆


学園の温室は、朝露に濡れた硝子の向こうで、静かに光っていた。


南国の花々が咲き乱れる中、白いテーブルが一つ置かれている。

その上には、銀のティーセット。


セレスティーヌは、淡い水色のドレスを着て、テーブルの向こうで微笑んでいた。

後ろには、侍女が一人控えている。


「来てくださったのね、ヴィクトル様」


「元婚約者のお誘いだからな」


俺は、向かいの椅子に腰を下ろした。


決闘まで、あと五時間。


「舞踏会では、ごめんなさい。わたくし、取り乱してしまって……」


セレスティーヌは、しおらしく目を伏せた。


鐘を持つアレンは、ここにはいない。だから、この女はいくらでも嘘をつける。


「気にしてないさ」


「まあ、優しいのね。昔から、あなたはそうだったわ」


侍女が、ティーポットを手に取った。

銀の注ぎ口から、琥珀色の紅茶が二つのカップに注がれる。


セレスティーヌのカップは、金の縁取りがある白磁。

俺のカップは、青い小鳥が描かれた白磁。


(このカップの紅茶を飲んだら、眠ってしまう確率は?)


自分のカップに、問いを立てる。


【4%】


――低い。


(セレスティーヌのカップは?)


【3%】


どちらも、ただの紅茶だ。


ポットにも、カップにも、薬は入っていない。


なら、どこだ。


テーブルの上を、ゆっくりと見回す。焼き菓子の皿。蜂蜜の小瓶。そして、銀の砂糖壺。


侍女が、砂糖壺の蓋を開けた。中には、真っ白な角砂糖が十個ほど並んでいる。


「ヴィクトル様、お砂糖はいかがですか?」


――ああ、なるほど。


俺は、砂糖壺の中の角砂糖に、一つずつ問いを立てていった。


(この角砂糖を入れて飲んだら、眠る確率は?)


【2%】【1%】【3%】【2%】――


そして、壺の手前、右端の一つ。


【96%】


見た目は、他の角砂糖と何も変わらない。

だが、よく見ると、角の一つがほんのわずかに欠けていた。

侍女が見分けるための目印だろう。


「いや、遠慮しておくよ。甘いのは苦手でね」


侍女の手が、一瞬だけ止まった。


セレスティーヌの笑顔が、ほんのわずかに固くなった。


(セレスティーヌが、別の手を用意している確率は?)


【41%】


――蜂蜜か、焼き菓子か。まだ、手札は残っているらしい。


  ◆


「そういえば」


俺は、紅茶を一口飲んでから、何気なく言った。


「君は昔から、紅茶に砂糖を三つも入れていたな。

子供の頃、それを見て驚いた覚えがある」


セレスティーヌが、目を瞬かせた。


「……覚えていらしたの?」


「ああ。

庭園で花冠を作った後、必ず甘い紅茶を飲んでいた。

三つ入れて、それでもまだ足りないって言ってたな」


ヴィクトルの記憶の底に、その光景は確かに残っていた。


金色の髪の少女が、小さな手で角砂糖をつまみ、ぽちゃん、ぽちゃん、とカップに落としていく。

そして、隣の少年に「ヴィクトルも入れる?」

と笑いかける。


セレスティーヌの表情が、一瞬だけ揺らいだ。


「……昔の、話ですわ」


「今も、三つ入れるのか?」


「ええ、まあ……」


「なら、入れてあげよう」


俺は、テーブルの上の銀のトングを手に取った。


侍女の顔から、さっと血の気が引いた。


「あ、あの、伯爵様、それはわたくしが――」


「いいんだ。昔は、よく入れてあげていたからな」


俺は、砂糖壺の中に、トングを差し入れた。


一つ目。左端の角砂糖をつまみ、セレスティーヌのカップに落とす。ぽちゃん。


二つ目。真ん中の一つ。ぽちゃん。


三つ目。


トングの先が、右端の――角の欠けた角砂糖を、そっとつまみ上げた。


侍女が、息を呑む音が聞こえた。


だが、何も言えない。

「その角砂糖はおやめください」と言えば、その一つにだけ何かがあると白状することになる。


セレスティーヌは、侍女の顔色の変化に気づいていない。

ただ、昔の記憶を手繰るような目で、俺の手元を見つめていた。


ぽちゃん。


三つ目の角砂糖が、金の縁取りのカップの中に沈んでいった。


「さあ、どうぞ」


俺は、トングを置いた。


(セレスティーヌが、この紅茶を飲む確率は?)


【88%】


侍女が、震える声で何かを言いかけた。


「お、お嬢様……」


「なに?」


セレスティーヌが振り返った。

侍女は、口をぱくぱくと動かしたが、結局、何も言えずにうつむいた。


主人に「あなたの紅茶に眠り薬が入っています」と告げることは、自分がそれを用意したと認めることだ。

そして、その眠り薬が本来誰のためのものだったのかも。


セレスティーヌは、不思議そうに首を傾げてから、カップを手に取った。


「……ありがとう、ヴィクトル。昔みたいね」


一瞬だけ、子供の頃と同じ呼び方だった。


そして、彼女は紅茶を飲んだ。


  ◆


「わたくし、あなたのことが嫌いだったわけではないのよ」


紅茶を半分ほど飲んだところで、セレスティーヌがぽつりと言った。


「父が、言ったの。

ラングレー家は、もう終わりだって。

あんな男と結婚すれば、ローゼンハイム家も一緒に沈むって。

だから、婚約を破棄しろって」


「……そうか」


「でも、あの夜会で指輪を投げつけたのは、わたくし自身の意志よ。

あの頃のあなたは、本当にひどかったもの。

賭場に入り浸って、目が死んでいて、わたくしのことなんて見てもいなかった」


セレスティーヌは、カップの縁を指でなぞった。


「なのに、今のあなたは、まるで別人みたい。わたくしの砂糖の数まで覚えていて……」


その声が、少しずつ間延びしていく。


「……ねえ、ヴィクトル。わたくし、本当は……今日、あなたに……」


まぶたが、重そうに落ちていく。


「……あら……なんだか、急に、眠く……」


セレスティーヌの手から、カップが滑り落ちそうになった。


俺は手を伸ばして、それを受け止めた。


セレスティーヌの頭が、ゆっくりと傾いて、テーブルの上に伏せられた。

規則正しい寝息が聞こえてくる。


丸一日は、目を覚まさないだろう。


「お、お嬢様……!」


侍女が、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。


「伯爵様、お、お嬢様に、何を……」


「砂糖を三つ、入れてあげただけだ」


俺は、侍女の目をまっすぐに見た。


「三つ目の角砂糖に何が入っていたのかは、君の方がよく知っているんじゃないか?」


侍女は、ぶるぶると震えながら、その場にへたり込んだ。


俺は、自分の上着を脱いで、眠るセレスティーヌの肩にそっとかけた。


「彼女が目を覚ましたら、伝えてくれ。お茶、美味しかったと」


  ◆


温室を出ると、入口の脇の植え込みの陰から、アレンが姿を現した。


「……監察していたのか」


「温室の外から、硝子越しにな。声は聞こえなかった」


アレンは、腕を組んだ。


「何があった。あの女が、急に眠り込んだように見えたが」


「彼女の紅茶に、砂糖を三つ入れてあげた。昔、よくそうしてたんだ」


鐘は、鳴らない。


アレンは、しばらく俺の顔を睨んでいた。


「その砂糖に、何か入っていたのか?」


「入れたのは、俺じゃない」


「…………」


アレンは、深くため息をついた。


「お前と話していると、鐘があってもなくても同じ気がしてくる」


「褒め言葉として受け取っておく」


決闘まで、あと四時間半。


俺は、包帯を巻いた右手を握りしめた。


(今日の正午、俺がカインに勝つ確率は?)


問いを立てても、数字は砂嵐のようにざらついて消えた。

俺自身の選択が絡む勝負の行方は、この眼には見えない。


だが、一つだけ確かめておきたいことがあった。


(カインが、決闘の場でセレスティーヌの姿を探す確率は?)


【97%】


――あいつは、彼女が来ないことに動揺するだろう。


ほんの少しでも、剣が鈍ればいい。


「行こう、アレン。闘技場へ」


「ああ」


アレンは、俺の隣に並んで歩き出した。


それから、前を向いたまま、ぽつりと言った。


「……ヴィクトル。最後に一つだけ聞かせろ」


「なんだ」


「あの女に、未練はあるのか」


俺は、少しだけ考えた。


ヴィクトルの記憶の中の、花冠を編んだ金髪の少女。砂糖を三つ入れて笑った横顔。


それは確かに、大切な思い出なのだろう。

だが、それはヴィクトルのものだ。

俺の――黒崎透の胸の中にいるのは、別の誰かだ。


「ない」


鐘は、鳴らなかった。


アレンは、それ以上何も聞かなかった。

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