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【第2部スタート】ギャンブル中毒で放蕩三昧の悪役貴族、破滅ルートをひっくり返す  作者: 有馬 茶
第二章 学園社交界編 〜婚約破棄は神前で〜

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第14話 必中の剣


「――遅い」


夜明け前の訓練場に、アレンの声が響いた。


木剣が、俺の胸元をこつんと叩く。これで、今朝だけで三十回目だ。


「構えが甘い。足が止まっている。剣先を見すぎだ。そもそも、握り方が違う」


「……全部か」


「全部だ」


俺は、膝に手をついて荒い息を吐いた。


ヴィクトルの体は、子供の頃に少しだけ剣を習っていたらしい。

だが、その後の何年もの放蕩生活で、すっかり鈍りきっていた。

中身の俺に至っては、前世で竹刀すら握ったことがない。


「一週間で、カインに勝てるだけの剣を身につけるのは不可能だ」


アレンは、容赦なく言い切った。


「あいつは三年連続の剣術大会優勝者だ。

必中がなくても、お前など三合で斬り伏せられる」


「分かってる。だから、剣を覚えるつもりはないと言っただろう」


俺は、木剣を杖にして立ち上がった。


「アレン。カインの必中について、神殿の記録を調べてくれたか?」


アレンは、懐から一枚の紙を取り出した。

神殿が管理する『加護録』の写しだ。

王国中の加護持ちの名前と、その力が記されている。


「カイン・ヴェルナー。加護、『必中』」


アレンが、読み上げる。


「――宣言せし的に、放たれし一撃は、必ず届く」


「宣言、か」


舞踏会の前に、訓練場で見た光景を思い出す。

カインが何かを呟いた瞬間、林檎に浮かぶ数字は百に跳ね上がった。

あれが、宣言だ。


「アレン。もう一回、読んでくれ」


「宣言せし的に、放たれし一撃は、必ず届く」


「……必ず届く。だが、『いつ』届くかは、どこにも書いていない」


アレンが、眉をひそめた。


「何が言いたい」


「必中は、当たることを決める加護だ。

だが、どれだけ速く当たるかまでは決めてくれない。

剣を振る速さは、カイン自身の腕だ」


俺は、木剣の先を地面につけて、線を一本引いた。


「舞踏会で、俺は決闘の作法をこう決めた。

『先に』相手の薔薇を散らした方の勝ちだ、と」


アレンの目が、わずかに見開かれた。


「……お前、まさか、あの時からそれを」


「カインの一撃は、必ず俺の薔薇に届く。

それは変えられない。

だが――その前に、俺の剣があいつの薔薇に届けばいい」


  ◆


もちろん、言うほど簡単ではない。


「問題は三つある」


俺は、訓練場の隅に座り込み、指を折って数えた。


「一つ。

カインが必中を使う前に、普通の剣でやられたら終わりだ。

あいつは必中を使わなくても強い」


「二つ。

必中が宣言された瞬間、俺はそれに合わせて、あいつの薔薇を狙わなきゃいけない。

一瞬でも遅れたら負けだ」


「三つ。俺の剣が、カインの剣より先に届く確率は……たぶん、ほとんどない」


アレンは、腕を組んで聞いていた。


「一つ目は、どうする」


「避ける。それだけだ」


俺は、自分の目を指差した。


「俺の眼は、確率が見える。

カインが次にどこを狙って斬りかかってくるか、その確率なら読める。

百パーセント避けられるわけじゃないが、闇雲に避けるよりはずっとましだ」


「二つ目は」


「お前に、一つだけ技を教えてもらいたい」


俺は、木剣を握り直した。


「突きだ。

一番短い距離で、一番速く、相手の胸に届く一撃。

それだけを、一週間で千回でも二千回でも繰り返す」


アレンは、しばらく黙っていた。


それから、ふっと小さく笑った。


「……突きだけ、か。剣士が聞いたら泣くぞ」


「剣士になるつもりはないからな」


「三つ目は」


「それは、当日のお楽しみだ」


アレンは、もう何も聞かなかった。代わりに、自分の木剣をすっと構えた。


「突きは、腕で突くな。足で突け。

踏み込みと同時に、体ごと剣先を相手に届ける。

――構えろ」


  ◆


それからの一週間は、地獄だった。


夜明け前から授業が始まるまで、突き。

昼休みに、突き。放課後から日が暮れるまで、突き。


腕が上がらなくなり、足の皮が剥け、夜は泥のように眠った。


アレンは、驚くほど教えるのがうまかった。

言葉は少ないが、的確だ。

俺が何百回と失敗するのを、根気よく見守り、一つずつ直していく。


「踏み込みが浅い。あと半歩」


「肩に力が入っている。抜け」


「剣先がぶれた。目線を、薔薇から外すな」


そして、俺の避ける練習にも付き合ってくれた。

アレンが木剣で打ち込み、俺がそれを避ける。


(アレンの次の一撃が、右から来る確率は?)


【64%】


左に避ける。木剣が、右の脇腹をかすめて空を切った。


(次の一撃が、上から来る確率は?)


【71%】


半歩下がる。木剣が、鼻先をかすめて振り下ろされた。


「……気味が悪いな」


アレンが、木剣を下ろして言った。


「お前の避け方は、剣の素人のそれだ。

足運びもなっていない。

なのに、俺の打ち込む場所を、まるで最初から知っているかのように避ける」


「知ってるわけじゃない。確率が高い方に賭けてるだけだ」


「七割なら、三割は外れるだろう」


アレンの木剣が、ひゅっと風を切った。


(右から来る確率――)


数字を読む前に、木剣が左の肩を打った。


「っ……!」


「数字を読む間に、剣は届く。それを忘れるな」


……その通りだ。


この眼は、問いを立てなければ答えない。

そして、問いを立てるには、ほんの一瞬だけ時間がかかる。

剣の速さに比べれば、その一瞬は永遠のように長い。


「なら、問いを減らす」


俺は、肩をさすりながら言った。


「全部の攻撃を読もうとするから遅れるんだ。

カインが狙いそうな場所を、最初から三つくらいに絞っておく。

その三つだけを、交互に問い続ける」


「……できるのか、そんなことが」


「前世――いや、昔、ポーカーで似たようなことをやってた。

相手の取りうる手を絞り込んで、その中で一番ありそうなものに備える。

剣も、きっと同じだ」


  ◆


三日目の放課後には、俺はアレンと一緒に、訓練場の観客席の陰に身を潜めていた。


眼下では、カインが取り巻きたちの前で、必中の技を披露していた。

決闘を前に、自分の強さを見せつけたいのだろう。


「アレン。数を数えてくれ」


「数?」


「カインが『必中』と呟いてから、短剣が的に当たるまでの間だ」


カインが、的に向き直る。唇が動く。


【的に当たる確率:100%】


「――いち」


アレンが数え始めるのとほぼ同時に、カインの腕が振られ、短剣が的に突き刺さった。


「……一も数えきれなかったな」


「何度か見せてくれ。近い距離の時と、遠い距離の時と」


カインは、取り巻きの歓声に応えて、何度も技を繰り返した。

十歩、二十歩、三十歩。

距離が離れるほど、短剣が的に届くまでの時間は長くなる。

だが、宣言してから腕が動き出すまでの間は、いつも同じだった。


ほんの、一呼吸の半分ほど。


「必中を宣言してから、カインの体が動き出すまでに、ほんのわずかな溜めがある」


俺は、小声で言った。


「その溜めの間、あいつの体は狙った的に向かって、もう止まれない。

必中は、宣言した一撃を必ず届けるために、体ごと一本の線に乗せる加護なんだ」


「……つまり」


「宣言した瞬間、カインは『無防備』になる。自分の胸の薔薇を守ることを、捨てる」


アレンは、しばらく黙ってカインの動きを見つめていた。


「その一瞬に、お前の突きを合わせる、か」


「ああ。あいつの溜めは半呼吸。俺の突きは――」


「今のお前なら、一呼吸かかる」


アレンは、容赦なく言った。


「足りない」


「なら、あと三日で半呼吸にする」


俺は、木剣を握り直した。手のひらの包帯に、新しい血が滲んだ。


  ◆


四日目の昼休み。


訓練場の隅で、包みを抱えた人影が待っていた。


銀色の髪に、地味な外套。学園の制服ではない。


「……ノエル?」


「ゴードンさんに、届けるように頼まれたの」


ノエルは、無表情のまま包みを差し出した。中身は、まだ温かいサンドイッチだった。


「天秤亭はいいのか」


「昼は、店を開けていないもの」


ノエルは、俺の手を見た。豆が潰れて、包帯がぐるぐると巻かれている。


「……ひどい手」


「突きの練習をしてるからな」


「剣で決闘するって、本当だったのね。

天秤亭のお客さんたちが、噂してた。

放蕩伯爵が、必中のカインに剣で挑むって。

……賭けの倍率は、五十倍だそうよ」


「俺が勝つ方に?」


「ええ」


俺は、思わず笑った。


「なら、ありったけ賭けておけばよかったな」


ノエルは、しばらく黙って俺を見ていた。


それから、外套のポケットから一枚の紙片を取り出し、俺に見せた。


天秤亭の、賭け札の控えだった。


『ヴィクトル・ラングレー 勝利 金貨十枚』


「……ノエル」


「別に。倍率がよかったから、賭けただけ」


ノエルは、ぷいと顔を背けた。


(ノエルが、本当にそれだけの理由で賭けた確率は?)


【??】


……やっぱり、読めない。


だが、それでいいと思った。


「負けたら、十枚返してもらうから」


「勝ったら、五百枚になるな」


「そうね」


ノエルは、立ち上がって外套の裾を払った。


「だから、勝って」


それだけ言って、彼女は訓練場を出ていった。


アレンが、木陰から呆れたような顔でこちらを見ていた。


「……監察対象の私生活には、口を出さないことにしている」


「何も言ってないだろ」


「鐘が鳴りそうな顔をしていた」


  ◆


六日目の夕方。


屋敷に戻ると、ラットが待ち構えていた。


「伯爵様。ちょっと、気になる話を拾ってきた」


「なんだ」


「ローゼンハイム家の侍女が、下町の薬屋で眠り薬を買ってった。

かなり強い奴だ。

一口飲めば、丸一日は目を覚まさねえってやつ」


ラットは、懐から一枚の封筒を取り出した。ローゼンハイム家の紋章が押されている。


「で、さっき屋敷にこれが届いた」


封を切ると、流麗な筆跡でこう書かれていた。


『ヴィクトル様。

舞踏会では、取り乱してしまい申し訳ありませんでした。

決闘の前に、一度きちんとお話がしたいのです。

明日の朝、学園の温室で、お茶をご一緒いただけませんか。

――セレスティーヌ』


俺は、手紙を二度読んだ。


(明日のお茶会で、俺が眠り薬を盛られる確率は?)


【93%】


決闘は、明日の正午。


丸一日眠らされれば、俺は決闘の場に姿を現せない。

不戦敗だ。

北の丘陵は、戦わずしてヴェルナー家のものになる。


「……行くのか?」


ラットが、心配そうに俺を見上げた。


「ああ、行く」


俺は、手紙を丁寧に畳んだ。


「元婚約者のお誘いを、断るわけにはいかないからな」

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