第13話 舞踏会の断罪
「お兄さま、動かないで!」
舞踏会の夜。
屋敷の衣装部屋で、リリアが背伸びをしながら、俺の首元のクラヴァットと格闘していた。
「リリアお嬢様、そこは右から回すのでございます」
「わ、分かってるもん、ゴードン」
三度目の挑戦で、ようやくそれらしい形になった。リリアは、満足そうに胸を張った。
「できた! お兄さま、かっこいい!」
鏡に映った自分の姿を見る。
濃紺の燕尾服に、少し歪んだ白いクラヴァット。
ゴードンが、父の古い礼服を仕立て直してくれたものだ。
「……ありがとな、リリア」
「お兄さま、舞踏会で誰と踊るの?」
「さあな。誰も誘ってくれないかもしれない」
「じゃあ、ノエルさんと踊ればいいのに」
思わず、むせそうになった。
「ノエルは貴族じゃないから、学園の舞踏会には入れないんだ」
「えー、つまんない」
リリアは、ぷうっと頬を膨らませた。
ノエルとは、天秤亭に遊びに行った時に何度か顔を合わせている。
無表情なお姉さんが、なぜかリリアにだけは、手品のようなカード捌きを見せてくれるらしい。
昨日の夜、念のため天秤亭でノエルにも舞踏会の話をした。
『貴族の舞踏会なんて、興味ないわ』
そう言って、ノエルはカードを配り続けた。だが、去り際に、ぽつりと付け加えた。
『……気をつけて。元婚約者が、何もしないはずがないもの』
(ノエルが、俺のことを心配していた確率は?)
【??】
……分かっている。聞くだけ無駄だ。
「坊ちゃま。馬車の用意が整いました」
ゴードンの声に、俺は頷いて衣装部屋を出た。
◆
新学期の舞踏会は、学園の大広間で開かれた。
天井には七つのシャンデリア。壁際には楽団。
磨き上げられた床の上を、色とりどりのドレスと燕尾服が花のように舞っている。
俺は、ゴードンが仕立て直してくれた濃紺の燕尾服を着て、広間の隅に立っていた。
隣には、同じく正装したアレン。
「……なぜ、お前まで来ている」
「監察だ」
「舞踏会の監察なんて聞いたことがない」
「では、今日から前例になる」
アレンは、手にしたグラスの果実水を一口飲んだ。
こいつは酒を飲まない。
審問官は、判断を鈍らせるものを口にしない決まりらしい。
「ヴィクトル。あの女、何を仕掛けてくると思う」
「さあな。だが、仕掛けてくるのは間違いない」
俺は、広間の中央に視線を向けた。
金色の巻き髪に、真紅のドレス。
セレスティーヌは、カインの腕に手をかけて、貴族たちと優雅に談笑していた。
(今夜、セレスティーヌが俺に仕掛けてくる確率は?)
【99%】
――そして、その仕掛けがどこから来るのか。
この眼は、問いを立てなければ答えない。だから、一つずつ潰していく。
(セレスティーヌが、俺のグラスに何かを入れる確率は?)
【3%】
(セレスティーヌが、人前で俺を罵倒する確率は?)
【12%】
(セレスティーヌが、俺をダンスに誘う確率は?)
【88%】
……ダンス、か。
◆
楽団が、ゆったりとしたワルツを奏で始めた。
予想通り、セレスティーヌがこちらへ歩いてきた。
カインは、少し離れた場所で腕を組んで見ている。
「ヴィクトル様。一曲、お相手いただけますかしら?」
広間中の視線が、俺たちに集まった。
婚約を破棄した女が、破棄された男をダンスに誘う。
誰もが、何かが起きると期待している顔だ。
「喜んで」
俺は、セレスティーヌの手を取った。
ワルツが始まる。
ヴィクトルの体は、ダンスの作法を覚えていた。
子供の頃、この令嬢と一緒に、何度も練習したのだ。
「……昔は、よく一緒に踊りましたわね」
セレスティーヌが、小さな声で言った。
「ああ。君はいつも、俺の足を踏んでいた」
「踏んでいたのは、あなたの方ですわ」
一瞬だけ、セレスティーヌの声が柔らかくなった気がした。
だがすぐに、その碧の瞳は冷たい光を取り戻した。
(この曲の間に、セレスティーヌが転ぶ確率は?)
【91%】
――来たな。
ワルツが、最高潮に差しかかる。
くるりと回転した瞬間、セレスティーヌの体がふわりと傾いた。
俺の手から、彼女の手がするりと抜ける。
近くの給仕の盆に、セレスティーヌの肩がぶつかった。
赤ワインのグラスが宙を舞い、真紅のドレスに、さらに濃い赤が広がった。
セレスティーヌは、床に崩れ落ちた。
「きゃあっ!」
悲鳴が上がる。楽団が演奏を止める。
セレスティーヌは、濡れたドレスを抱きしめるようにして、震える声で言った。
「ひどい……ヴィクトル様、ひどいわ……」
――嘘は、言っていない。
「ひどい」というのは、ただの感嘆だ。
俺が突き飛ばしたとも、手を離したとも、一言も言っていない。
アレンの鐘は、鳴らなかった。
だが、広間中の誰もが、同じ光景を思い描いていた。
元婚約者を恨んだ放蕩伯爵が、ダンスの最中に彼女を突き飛ばした、と。
(……なるほど。嘘をつかずに、人を陥れるやり方か)
思わず、感心してしまった。
これは、俺がドルマンやバルトロに使ってきたやり方と同じだ。
「――ラングレェッ!」
カインが、人垣をかき分けて飛び込んできた。
セレスティーヌを抱き起こし、俺を射殺すような目で睨みつける。
「貴様……セレスティーヌに何をした!」
「何も。彼女が転んだだけだ」
「黙れ! セレスティーヌを辱めておいて、まだしらを切るか!」
カインの言葉にも、鐘は鳴らない。
こいつは、本気でそう信じている。信じていることを口にするのは、嘘ではない。
カインは、手袋を外し、俺の足元に叩きつけた。
広間が、息を呑んだ。
「ヴィクトル・ラングレー。
セレスティーヌの名誉のため、貴様に神前決闘を申し込む!」
◆
神前決闘。
神前勝負の中でも、剣や武術で決着をつけるものを、特にそう呼ぶ。
「賭けるものを言え、ヴェルナー」
俺は、足元の手袋を見下ろしたまま言った。
「俺が負けたら、何を差し出せばいい」
カインは、セレスティーヌと一瞬だけ視線を交わした。
「――ラングレー家の領地のうち、北の丘陵を」
広間が、ざわめいた。
「あんな荒れ地を?」
「名誉の決闘に、土地を賭けるのか?」
周囲の貴族たちは首を傾げているが、俺には分かっている。
魔石の鉱脈。最初から、それが狙いだ。
「では、お前は何を賭ける」
「……ヴェルナー家の宝剣を」
「足りないな」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「丘陵は、ラングレー家の先祖代々の土地だ。
剣一本と釣り合うものじゃない。
――お前の、ヴェルナー家の家督相続権を賭けろ」
カインの顔が、強張った。
家督相続権。それを失えば、侯爵家の嫡男としての地位も、将来も、全てが消える。
(カインが、家督相続権を賭けることに同意する確率は?)
【52%】
迷っている。
「どうした。学園一の剣士が、放蕩伯爵との決闘で、自分の未来を賭けるのが怖いか?」
【52% → 78%】
「それとも――セレスティーヌ嬢の名誉は、剣一本程度の価値しかないのか?」
【78% → 96%】
「……いいだろう」
カインは、歯の間から絞り出すように言った。
「家督相続権を賭けてやる。どうせ、貴様が勝つことなどあり得んのだからな」
セレスティーヌが、カインの腕の中で、ほんのかすかに笑ったのが見えた。
◆
「決闘の形式は、申し込まれた側が決める。それが女神の作法だ」
アレンが、一歩前に出た。
「ヴィクトル。形式を選べ」
広間中の視線が、俺に集まった。
誰もが、同じことを考えているのが分かる。
――剣では勝てない。ならば、カードか、サイコロか。
賭場育ちの放蕩伯爵は、得意な土俵に逃げるだろう、と。
カインも、そう思っているのだろう。口元に、侮蔑の笑みが浮かんでいる。
「カードでも、サイコロでも、好きなものを選べ。
どうせ貴様は、それしか能がないのだからな」
俺は、少し考えるふりをしてから、答えた。
「剣で」
広間が、静まり返った。
カインの笑みが、凍りついた。
「……何?」
「剣で決闘しよう。ただし、作法は一つだけ付け加えさせてもらう」
俺は、広間の花瓶から一輪の白薔薇を抜き取り、自分の胸元に差した。
「互いの胸に、白薔薇を一輪。
先に相手の薔薇を散らした方の勝ち。
血を流す必要はない。
――淑女の名誉を賭けた決闘には、ふさわしいだろう?」
カインは、しばらく呆然としていた。
それから、腹を抱えて笑い出した。
「はっ……はははは! 正気か、ラングレー! この俺に、剣で挑むと!?」
周囲の貴族たちも、つられて笑い出す。
「気でも狂ったか」
「必中のカインに、剣で勝てるわけがない」
「薔薇どころか、胸を貫かれて終わりだぞ」
アレンだけが、笑っていなかった。
じっと、俺の顔を見ていた。
「……立会人は、俺が務める」
アレンは、静かに言った。
「決闘は、一週間後。学園の闘技場にて」
◆
舞踏会からの帰り道。
馬車の中で、アレンが口を開いた。
「お前、剣を握ったことはあるのか」
「ヴィクトルは、子供の頃に少しだけ習っていたらしい。……俺自身は、一度もない」
「は?」
「いや、こっちの話だ」
アレンは、額を押さえて深いため息をついた。
「一週間で剣は身につかない。
カインは、三年連続の剣術大会優勝者だ。
しかも、必中の加護を持っている。
あいつが狙った薔薇は、必ず散る」
「ああ、知ってる」
「なら、なぜ剣を選んだ」
俺は、馬車の窓の外を流れる王都の夜景を眺めた。
カードやサイコロを選べば、俺は勝てただろう。
だが、そうすれば「やはり賭場の手口だ」と言われる。
セレスティーヌの思惑通りに。
それに――。
「アレン。必中の加護には、一つだけ弱点がある」
「……弱点?」
「狙った一撃は、必ず当たる。だが、そのためには――狙いを、決めなきゃいけない」
アレンは、怪訝そうに眉を寄せた。
俺は、胸元の白薔薇を指でつまんだ。
「一週間、付き合ってくれ。
剣の振り方を覚えるつもりはない。
覚えるのは――避け方だけでいい」




