↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのとき君は、僕の名を呼ぶ  作者: 久賀ラトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/35

不法侵入

「犯罪の一歩手前って、何をするつもりですか」


「ついてくれば分かるわ」


 怜奈は振り返らずに歩いていた。国道沿いの歩道を、駅からどんどん離れていく方向へ。


 シャツの背中が、まだ濡れて色が変わっていた。歩くたびに、スカートの裾から水が落ちていた。


「怜奈」


「なに」


「一応、確認しますけど」


 僕は歩きながら、彼女の背中に言った。


「今日の夕方、死因の話をしましたよね」


「したわね」


「一位は自殺でした」


 彼女の足が止まった。


 半拍遅れて、振り返った。


「……ちょっと」


「はい」


「あなた、私が何をすると思ってるの」


「分かりません」


「だから確認してるのね」


「はい」


 彼女は、あきれた顔でもなく、怒った顔でもなく、少しだけ困ったような顔をした。


「正宗」


「はい」


「私、さっきファミレスで、生きたいって言ったばかりよ」


「言いました」


「あなた、それを聞いてなかったの?」


「聞いてました」


「じゃあ何で訊くの」


「怖かったからです」


 彼女は黙った。


 それから、少しだけ息を吐いた。


「……そう」


「すみません」


「いいわ。訊いてくれたほうがいい」


 彼女はまた歩きだした。少しだけ速度を落として、僕が並べるようにしてくれた。


「安心して。危ないことはしないわ。危ないことは全部だめだって、あなたが言ったんだもの」


「じゃあ何を」


「不法侵入」


「充分危ないです」


             ◇


 大学の正門は、当然だが閉まっていた。


 門柱の横の守衛室に明かりがついていて、中で人影が一つ、テレビか何かを見ていた。


 怜奈は門から少し離れたところで足を止めて、塀を見上げた。


「乗り越えるのは無理ね」


「無理です」


「あなた、運動は」


「できません」


「使えないわね」


「怜奈だってできないでしょう」


「私は人生で三回しか走ったことがないのよ。期待しないで」


 僕は、しばらく考えた。


 正直に言うと、方法は知っていた。


 文学部棟の裏に、非常階段がある。その一階の扉は、建て付けが悪くて、力を入れて押すと錠が下りきっていないことがある。サークル棟の連中が夜中に出入りするのに使っていて、大学側は何度か直したはずだが、また同じことになっている。


 その話を、僕は隆二から聞いていた。


「……あります」


「あるのね」


「たぶん」


「最初から言いなさいよ」


「言ったら行くじゃないですか」


「行くわよ。それが目的なんだもの」


             ◇


 扉は、開いた。


 三回目に、思いきり体重をかけたら、がこん、という嫌な音を立てて隙間ができた。


 僕らは中に滑りこんで、扉を閉めた。


 暗かった。


 非常灯の緑色の光が、階段の踊り場のあたりだけをぼんやり照らしていた。それ以外は、何も見えなかった。


「わ」


 彼女が小さい声を出した。


「どうしました」


「思ったより、暗いわ」


「電気はつけないほうがいいです」


「ええ、分かってる。分かってるけど」


 彼女は一歩、こちらへ寄ってきた。


 それから、もう一歩寄ってきた。


 それから、僕の腕を掴んだ。


「……怜奈」


「なに」


「近いです」


「我慢して」


「いや」


「我慢してって言ってるでしょう」


 彼女の指に、はっきりと力が入っていた。腕の内側に、濡れたシャツの冷たさと、その下の体温が、両方伝わってきた。


 僕は前を向いたまま、廊下へ出た。


             ◇


 昼間に毎日歩いている廊下が、まったく知らない場所になっていた。


 窓から入ってくる街灯の光で、床のタイルだけが白く見えた。左右の教室の扉は全部閉まっていて、上のほうの小さなガラスが、黒くて何も映していなかった。


 自分の足音が、やけに大きく聞こえた。


「ねえ」


「はい」


「私、いま気づいたことがあるわ」


「なんですか」


「私、怖い話は好きだけど、怖いのは嫌いなのよ」


「いま気づいたんですか」


「いま思い出したの」


 彼女は僕の腕を両手で抱えこんでいた。もう完全に体重を預けてきていた。


「オカルトの本は、明るい部屋で読むから楽しいのよ。夜の廊下で読む人はいないわ」


「それはそうですね」


「帰りましょう」


「早いです」


「五分もいたわよ」


「三分です」


 そのとき、どこかで音がした。


 ぽちゃん、という、水の落ちる音だった。


 彼女の体が、完全に固まった。


「……いまの」


「たぶん、水道です」


「たぶん?」


「どこかの蛇口が、ちゃんと閉まってないんだと思います」


「たぶんよね?」


「たぶんです」


「断言して」


「断言できません」


「使えないわね、あなた!」


 声を抑えているつもりらしかったが、まったく抑えられていなかった。


 僕は笑ってしまった。


「笑うな」


「すみません」


「私が真剣に怖がってるのに」


「怜奈、いま、一日で一番元気ですよ」


 彼女が、動きを止めた。


 暗くて、表情はよく見えなかった。


「……そうかもしれないわ」


 彼女は少しだけ力を緩めた。緩めただけで、離しはしなかった。


「変ね。死ぬのが怖いのに、お化けも怖いのよ。両方怖がる余裕があるなんて、私、意外と丈夫にできてるのかも」


「そうですね」


「正宗」


「はい」


「もう少しだけ歩きましょう。三階まで行ったら帰る」


 僕らは階段を上りはじめた。


 二階の踊り場に差しかかったところで、上のほうから足音がした。


 二人とも止まった。


 足音も止まった。


 それから、また動きだした。こちらへ降りてくる。


 彼女が僕の腕を、痛いくらいに握った。


 懐中電灯の光が、階段の壁を舐めるように動いた。


 そして、光がこちらを向いた。


「――あれ? お前ら何やってんの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。