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そのとき君は、僕の名を呼ぶ  作者: 久賀ラトル


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今度

 深夜のファミレスは、思っていたより人がいた。


 窓際の席で四人組の大学生が声を張り上げていて、奥の席でスーツの男がノートパソコンを開いていて、レジの近くで店員が二人、伝票の束を数えていた。


 濡れた服で入るのは気が引けたが、店員は何も言わずに一番隅のボックス席へ通してくれた。冷房が効きすぎていて、座った瞬間に彼女がくしゃみをした。


「寒いわ」


「上着とかは」


「六月に上着を持ち歩く人がいる?」


 彼女はおしぼりで髪を拭きながら、メニューを開いた。そして五分ほど無言だった。


「正宗」


「はい」


「これ、全部食べていい?」


「全部?」


「ドリンクバーと、ハンバーグと、ポテトと、あとパフェ」


「さっき定食を食べましたよね」


「食べたわ。でも、もうお腹が空いたの。それに濡れたし」


 彼女は真顔だった。


「朝から何も食べてなかった人間の体は、たぶんまだ足りてないのよ」


「医学的な話ですか」


「私の感覚の話よ」


 注文が来るまでのあいだ、彼女はドリンクバーへ三往復した。最初にコーンスープを二杯飲んで、三杯目でメロンソーダとオレンジジュースを混ぜたものを作ってきて、一口飲んで顔をしかめた。


「まずいわ」


「そうでしょうね」


「でもこれも、やったことがないことよ」


「それはそうですね」


 料理が来ると、彼女は本当に全部食べた。


 僕はコーヒーだけ飲んでいた。


「正宗は食べないの」


「さっきカレーを食べたので」


「カツを載せなかったでしょう」


「……よく見てますね」


「見てるわよ。今日、あなたのことしか見てないもの」


 彼女はあっさり言って、ハンバーグを切った。


 僕はコーヒーを飲んだ。熱くて、舌をやけどした。


             ◇


「正宗って、一人暮らし?」


「そうです」


「実家は」


「静岡です。父と母と、猫がいます。二匹目の」


「二匹目」


「一匹目は、僕が小学生のときに死にました」


 彼女は箸を止めた。


「……最初のノイズの」


「あれです」


「そう」


 彼女はそれ以上訊かなかった。訊かないでくれたことが、少しありがたかった。


「食事はどうしてるの」


「作ってます」


「毎日?」


「だいたい。学食は高いので、弁当も作ります」


「弁当」


 彼女がフォークを置いた。


「あなた、お弁当を作るの」


「作りますよ」


「毎朝?」


「毎朝は無理です。夜に作って、冷蔵庫に入れておきます」


「へえ」


 彼女は少し身を乗りだした。


「何を入れるの」


「卵焼きと、あと前の日の残りです。あと冷凍食品」


「卵焼きは自分で焼くの」


「焼きます」


「甘い? しょっぱい?」


「しょっぱいほうです」


「私は甘いほうだわ」


 彼女は鞄に手を入れて、何かを取り出した。


 薄い水色の、二段重ねの弁当箱だった。


「これ、まだ入れっぱなしだったの」


 彼女はそれをテーブルの上に置いた。


 蓋の縁の溝に、白いゴムのパッキンが、半分だけ嵌まったまま垂れ下がっていた。僕が昼間、戻せなかったやつだ。


「ほら、これ」


「すみません」


「いいのよ。私も戻せないって言ったでしょう」


 彼女は爪の先でパッキンを押しこもうとした。一箇所が入ると、別の一箇所が浮いた。


「昔からそうなの。この蓋、どこかが必ず余るのよ」


「構造の問題ですかね」


「構造の問題だわ。設計した人を呼んできたい」


 彼女はしばらく無言で格闘していた。


 僕はその手元を見ていた。爪が短く切ってあった。今朝、出席カードを差しだしてきたときに、最初に目に入ったのがその爪だった。


「今度」


 彼女がパッキンを押しこみながら言った。


「今度、これであなたの分も作ってあげてもいいわ。卵焼きの甘いほうを教えてあげる。あなたのは絶対しょっぱすぎるもの」

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