EP 9
屋上ビアガーデンとジンギスカン。ここは俺の新しい居場所
悪徳商人であるゲルとその護衛たちを、熊よけスプレーとスタンガンという『現代の防犯グッズ』で物理的に排除した日の夕方。
ポポロ村は、かつてないほどの熱気と歓喜に包まれていた。
「さあ、皆さん! 順番にこの『鉄の箱』に乗ってください! 揺れませんから安心してくださいね!」
10階建てマンションの1階エレベーターホール。
キャルルが村人たちを誘導し、不思議な銀色の扉の中へと押し込んでいく。
「む、村長……これ、本当に大丈夫なのか? 鉄の箱ごと魔獣に食われたりしないか?」
「大丈夫です! 春太さんの魔法の城ですから!」
無限の電力を誇るマンションのエレベーターが、村人たちを乗せて静かに上昇していく。
チンッ、という軽快な音と共に最上階(屋上)の扉が開いた瞬間、村人たちは揃って感嘆の声を上げた。
「「おおおおぉぉぉっ……!!」」
そこには、異世界とは思えない光景が広がっていた。
タローマンのアウトドアコーナーから引っ張り出してきたLEDランタンが、暖色の光で屋上全体を煌びやかに照らし出している。
並べられた長机と折りたたみチェア。各テーブルの中央にはカセットコンロが置かれ、その上には中央がドーム状に盛り上がった奇妙な形の鉄鍋――『ジンギスカン鍋』が鎮座していた。
そして、屋上の特設カウンターの奥では、俺が首からタオルを下げて生ビールのサーバーを操作していた。
「いらっしゃいませ。タローマン特設『屋上ビアガーデン』へようこそ」
俺がニヤリと笑ってジョッキを掲げると、村人たちから割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「す、すげぇ……星空がこんなに近いぞ!」
「見ろ、あの光るランタン! 火も使っていないのに燃え続けている!」
「おい、あそこの肉の山を見ろ! ロックバイソンの肉じゃないか!?」
俺はイグニスを呼び寄せ、肉の配膳を指示した。
「イグニス、各テーブルに肉と野菜を運べ! 焼き方は俺が教える!」
「おうっ! 任せてくだせぇ、店長!」
テーブルに置かれたジンギスカン鍋の周囲に、キャベツやもやし、タマンネギといった村の野菜を敷き詰める。そして、ドームの頂上部分に、薄くスライスしたロックバイソンの肉を乗せた。
ジュウウウウウッ! という凄まじい音と共に、肉の焼ける暴力的な匂いと、タローマン特製の『ニンニク醤油だれ』の香ばしい匂いが屋上全体に充満した。
「よし、焼けたぞ。大人はこっちのジョッキ(生ビール)を持て。子供とキャルルは、こっちの人参リンゴジュースだ。……あの悪徳商人を追い払ったことと、これからのポポロ村の発展を祝して……乾杯!!」
「「「乾杯ァァァッ!!!」」」
村人たちが一斉に肉を口に運び、そして目を見開いた。
「う、うめぇぇぇっ! なんだこの肉! 硬いバイソンの肉が、タレの力で信じられないくらい柔らかくて美味いぞ!」
「この野菜も最高だ! 肉の脂を吸って、無限に食える!」
「ぷはぁぁっ! なんだこの黄色い泡の酒は! 喉が凍るほど冷たくて、生き返るぅぅ!」
俺のマンションから無限に供給される『よく冷えた生ビール』と、濃い味付けのジンギスカン。
労働の後の疲れた肉体に、これ以上の特効薬はない。
宴会はあっという間に最高潮に達し、あちこちで笑い声とグラスを合わせる音が響き渡った。
「店長ォォッ! この『びーる』って酒、最高ですぜ! 痛快だァッ!」
顔を真っ赤にしたイグニスが、巨大なピッチャーをジョッキ代わりに煽りながら豪快に笑っている。
「飲み過ぎるなよ、イグニス。明日の棚出しに響いたら給料から引くからな」
「ガハハハッ! 店長となら、徹夜で棚出ししたって構わねぇですよ!」
イグニスがゴキゲンで村人たちと肩を組んで歌い始めたのを見届け、俺はふと、屋上のフェンス際へと歩み寄った。
眼下には、平和なポポロ村の灯りと、どこまでも続く暗い森、そして空には美しい二つの月が浮かんでいる。
タバコに火をつけ、紫煙を夜風に乗せる。
「……」
72時間連続で働き、薄暗い事務所のパソコンの前で孤独に死んだ、あの夜。
あの時の俺は、自分が何のために生きているのか、何のために命を削っているのか、全く分からなくなっていた。
だが今はどうだ。
背後からは、俺が作った料理を美味いと食べ、俺が守った村で笑い合う人々の声が聞こえる。
「……春太さん」
背後から、控えめな声がした。
振り返ると、両手でジュースのグラスを持ったキャルルが立っていた。
夜風に白い兎耳を揺らし、少しだけ頬を朱色に染めている。
「抜け駆けですか? 私も混ぜてください」
「ああ。村長さんも、今日はお疲れ様。あの商人、もう二度とこの村には寄り付かないだろうさ」
キャルルは俺の隣に並び、フェンスに腕を乗せて村の景色を見下ろした。
「……凄いです。春太さんが来てから、村の空気が一変しました。水は豊かになり、誰も無理な労働で倒れることなく、こうして皆が心の底から笑っている。……まるで、魔法みたいです」
「魔法じゃないさ。ただのインフラ整備と、防犯対策だ」
俺が冗談めかして笑うと、キャルルはグラスを持ったまま、コテン、と俺の肩に頭を乗せてきた。
彼女の柔らかな髪から、シャンプーの良い香りがする。
「私……ずっと怖かったんです」
キャルルが、ポツリと本音をこぼした。
「村長として、皆を守らなきゃいけない。強くいなきゃいけない。大国に舐められちゃいけない。……そうやって、一人で気を張って、夜にこっそり月光薬を作りながら、いつか自分が壊れてしまうんじゃないかって……」
彼女の指先が、俺のシャツの袖をギュッと強く握りしめる。
「でも、春太さんが言ってくれました。『休め』って。『俺が肩代わりしてやる』って」
ドクン、ドクン、ドクン。
俺の腕に密着した彼女の胸から、力強く、けれどとても穏やかな心音が伝わってくる。
嘘発見器の異名を持つ月兎族の心音。それはつまり、彼女が今、世界中のどこにいるよりも安心しきっているという証左だった。
「春太さん。私……あなたに出会えて、本当に良かった」
「……」
「これからは、私があなたの背中を守ります。あなたが安心して定時で退勤できるように、私が最強の盾になりますから。……だから、ずっと一緒にいてくださいね?」
ヤンデレ気質特有の、少しだけ重くて、でもとびきり純粋な愛の告白。
俺は短くなったタバコを携帯灰皿に捨て、彼女の頭にポンと手を乗せた。
「盾なんて物騒なものにならなくていい。お前はただ、元気に店の看板娘をやってくれりゃ、それで十分だ」
「むぅっ……看板娘だけじゃ不満です! いつかは店長夫人を狙ってますからね!」
「はいはい、時給が上がったら考えてやるよ」
俺が軽くあしらうと、キャルルは「もう!」と頬を膨らませながらも、嬉しそうに俺の腕にすり寄ってきた。
そこへ、ピッチャーを空にしたイグニスが「店長ォォ! 肉のおかわりくだせェェ!」と大声を上げながら突進してくる。
「イグニス! 空気読みなさいよこの爬虫類!」
「あァ!? なんか言ったかウサギ娘!」
いつものように言い合いを始める二人を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
笑いが止まらなくなり、腹の底から声を上げて笑った。前の世界では、こんな風に笑ったことなんて一度もなかった。
(……ああ、そうか)
理不尽な死から始まり、駄女神に蹴り落とされて始まった異世界生活。
剣の才能も、魔法の力もない。ただの元社畜だ。
けれど、不器用で真っ直ぐな竜人の相棒と、重い責任を背負っていた愛おしい月兎姫がいる。
「……良い職場だな、ここは」
俺は夜空の二つの月を見上げながら、ポツリと呟いた。
ここが、俺の新しい居場所だ。
誰が何と言おうと、この場所と、この仲間たち(従業員)だけは、俺の命に代えても守り抜いてみせる。
俺の中で、店長としての『本当の覚悟』が静かに、しかし確固たるものとして根を下ろした夜だった。




