EP 10
嵐の前の穏やかな業務と、暗躍する『死蟲』の影
屋上でのジンギスカン宴会から数日が過ぎ、ポポロ村はかつてないほどの平和と活気に満ちていた。
「春太さん、おはようございます! はい、今朝の分の特製ポポロ・コーヒーです!」
「おお、サンキュ。……って、キャルル、ちょっと距離が近くないか?」
爽やかな朝の陽光の中、マンション1階の店舗『タローマン』のシャッターを開けていると、エプロン姿のキャルルがトテトテと駆け寄ってきた。
彼女はマグカップを差し出すと同時に、俺の腕にギュッと抱きつき、ウサギ耳をピコピコと動かしている。
「近くないですよ! 私は春太さんの専属護衛兼、看板娘兼、将来の伴侶候補なんですから、このくらいのパーソナルスペースは当然です!」
「伴侶候補は初耳なんだが」
「私の心音に嘘はありません!」
胸を張ってドヤ顔をする月兎姫の頭を、俺は苦笑しながら撫でてやった。
相変わらずのヤンデレ気質(重い愛情)だが、以前のような「村を守らなきゃ」という悲壮感は消え去り、年相応の明るい笑顔を見せるようになっている。
「店長ォォッ! 頼まれてた太陽芋の畑の開墾、終わりましたぜ!」
遠くから、土煙を上げて巨漢の竜人が走ってくる。
イグニスだ。彼はタローマンの農作業用オーバーオールを身に纏い(特注サイズがなかったので布を継ぎ接ぎしている)、肩には巨大な耕運機を担いでいた。
俺が教えた機械の使い方をマスターした彼は、己のパワーと耕運機を組み合わせ、村の農家たちが数日がかりでやる開墾作業を、わずか一時間で終わらせてしまったらしい。
「お疲れ、イグニス。機械の調子はどうだ?」
「最高ですぜ! 竜人の力と鋼鉄の獣(耕運機)が合わされば、この大地に不可能はねェ! 村の婆ちゃんたちにも『いいお婿さんになるねぇ』って褒められました!」
「……それは良かったな。実家への手紙のネタがまた一つ増えただろ」
ガハハ、と豪快に笑うイグニスと、俺の腕にすり寄るキャルル。
店舗の前を行き交う村人たちも、誰もが笑顔で「店長さん、おはよう!」と声をかけてくれる。
三大国の緩衝地帯という危険な立地でありながら、今のポポロ村には、圧倒的な安心感とインフラによる豊かさが根付き始めていた。
「……ん?」
その時、イグニスの足元で、何かがカサカサと不気味な音を立てた。
見ると、見たこともない奇妙な虫が地面を這っている。
ハエのような形をしているが、サイズは拳ほどもあり、何より異様なのはその質感だ。生物らしい甲殻ではなく、くすんだ金属のような光沢を放ち、赤い不気味な複眼をギョロギョロと動かして俺たちのマンションを観察しているように見えた。
「なんだこの虫。キモいな」
「ヒッ!? 店長、俺様、虫は苦手で……っ!」
体長2メートルの竜人が、小さな虫を見て俺の背後に隠れる。
キャルルがトンファーを抜こうとしたが、俺は制止した。
「おいおい、虫一匹に物騒な武器を出すな。店舗の備品が傷つくだろ」
俺はレジ横のラックから、タローマン特製の『超強力ハエたたき(特殊ポリマー製)』を手に取った。
そして、カサカサと逃げようとする金属製の虫に向かって、スナップを利かせて思い切り振り下ろした。
パシィィィィンッ!!!
「ギチッ……!」
短い破裂音と共に、奇妙な虫は真っ二つにひしゃげ、動かなくなった。
断面からは体液ではなく、黒いオイルのようなものと、細い導線のようなものがはみ出している。
「異世界には変な虫がいるもんだな。……おいイグニス、後でホウキとチリトリで片付けておいてくれ」
「お、おう……! さすが店長、あんな気味の悪い虫を一撃で……!」
俺はハエたたきを元の場所に戻し、冷めたコーヒーをすすった。
この時、俺はただの「変な虫」だと思っていた。
それが、この世界を裏から浸食する恐るべき古代兵器の斥候――『死蝿機』であることなど、知る由もなかったのだ。
*
その頃。
ポポロ村から遠く離れた、地下深くに作られた薄暗い遺跡の一室。
無数の魔導モニターが壁一面に並ぶ『モニタールーム』の中で、道化師の仮面を被った男が、不機嫌そうに舌打ちをした。
「あーあ。通信ロスト(ゲームオーバー)じゃん。マジ萎えるわ」
死蟲軍の指揮官、魔人ギアン。
彼はゲーミングチェアのような椅子に深く腰掛け、コーラをラッパ飲みしながら、箱に入った冷めたピザを貪り食っていた。
モニターの一つが、砂嵐を映し出している。それは先ほど、ポポロ村で『ハエたたき』によって粉砕された死蝿機の最期の視界だった。
「でも、面白いモノが見れたよねぇ。……あのデカいコンクリートの箱。あんな建築技術、ドワーフの連中だって持ってない」
ギアンはピザの油で汚れた指を舐めながら、モニターの録画映像を巻き戻した。
そこには、朝日に照らされる10階建ての『マンション』と、エプロン姿の春太たちが映っている。
「平和だねぇ。ヘラヘラ笑っちゃってさ。……でも、そういうハッピーエンドみたいなツラ、僕一番嫌いなんだよね。絶望でグシャグシャに歪んだ顔が見たいの。魂が悲鳴を上げる、最高の喜劇が見たいのさ」
ギアンはキーボードを叩き、別のモニターに映像を切り替えた。
そこには、鬱蒼とした森の中を、ボロボロになりながら歩く一人の小太りな男の姿が映し出されていた。
「さて、と。ちょうどいい『駒』も手に入ったことだし……そろそろ次のステージ(襲撃)、いってみようか」
ギアンの仮面の奥で、冷酷な瞳が三日月のように細められた。
*
「クソッ……! 許さねェ……! あのウサギ娘も、トカゲ野郎も、そしてあの忌々しい店長も……ッ!!」
ポポロ村の近郊に広がる暗い森の中。
悪徳商人であるゲルは、泥だらけの高級な服を引きずりながら、恨み言を吐き捨てていた。
熊よけスプレーの激痛で顔は腫れ上がり、スタンガンのショックで足はガクガクと震えている。護衛たちはとうの昔に逃げ出し、彼はたった一人で森を彷徨っていた。
「俺はルナミス通商の幹部だぞ……! あの村の連中、絶対に皆殺しにしてやる……!」
『――へぇ。皆殺しにしたいんだ?』
「ヒッ!?」
不意に、ゲルの目の前に『立体映像』が浮かび上がった。
ノイズ混じりの空間に現れたのは、ピエロの仮面を被った男――ギアンだった。
「だ、誰だ貴様!?」
『ただの通りすがりのゲームマスターさ。ねえ、おじさん。あの村に復讐したいんでしょ? だったら、僕が最高の「力」を貸してあげるよ』
「ち、力を、貸す……?」
ギアンのホログラムがパチン、と指を鳴らす。
瞬間、ゲルの足元の地面が、凄まじい地響きと共にズブズブと陥没し始めた。
「な、なんだ!? 地震か!?」
ゲルが尻餅をついた目の前で、土を跳ね除け、巨大な『何か』が地中から姿を現した。
それは、体長5メートルを超える、巨大な鋼鉄のカマキリだった。
全身をくすんだ灰色の超硬度装甲で覆い、両腕にはどんな分厚い城壁をも両断するであろう、巨大で鋭利なチェーンソーのような鎌を備えている。
古代の神蟲魔大戦で使われた殺戮兵器――『死蟷螂機』である。
「ひぃぃぃぃッ!? な、なんだこの化け物はァァァッ!?」
『僕の可愛いオモチャさ。特別に、このネクロマンティスの指揮権をおじさんにアサイン(付与)してあげる。さあ、あの忌々しい村を、コンクリートの塔ごと切り刻んできなよ』
「お、俺に……? こ、この兵器を使ってもいいのか!?」
ゲルの顔に、恐怖を塗り潰すような下劣な歓喜の色が浮かんだ。
この圧倒的な破壊力を持つ鋼鉄の化け物があれば、あの憎き店長も、生意気な村長の小娘も、一瞬で細切れにできる。
「ハハハハハッ! 素晴らしい! やってやる、俺をコケにしたあの野郎どもを、ミンチに変えてやるぞォォォッ!!」
『うんうん、その顔。欲望に忠実でいいねぇ』
ギアンのホログラムが、ニチャリと歪な笑みを浮かべた。
『でもさ、ゲームのチュートリアル役は、もう用済みなんだよね』
「……え?」
ゲルが間抜けな声を上げた瞬間。
死蟷螂機の巨大な右鎌が、目にも留まらぬ速度で振り抜かれた。
「あ、が……?」
一切の抵抗も、悲鳴を上げる間もなく。
悪徳商人ゲルのぽっちゃりとした胴体は、斜めに綺麗に両断されていた。
ズレて落ちる上半身。大量の血飛沫が森の木々を赤く染め上げ、不気味な機械の虫は、無機質な赤い複眼をギョロリと動かした。
『あーあ、つまんない死に方。ま、前座のヘイト管理としては十分か』
ギアンはピザのコーラをストローですすりながら、ホログラム越しにネクロマンティスへ命令を下す。
『さあ、行っておいで僕の可愛い蟷螂チャン。あの生意気なコンクリートの箱と、中にいる連中を……一人残らず刻み潰してきなさい』
ギギギギギギッ……!!
死蟷螂機は、エンジンのような不気味な駆動音を鳴らしながら、巨大な鎌を血で濡らしたまま前進を始めた。
その赤い複眼が捉えているのは、森の向こう側――平和に微睡む、ポポロ村の灯りだった。
嵐の前の静けさは、悪意に満ちた古代兵器の足音と共に、終わりを告げようとしていた。
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