EP 8
悪質クレーマーには塩対応を。キレた店長の「防犯マニュアル」
マンション1階の店舗『タローマン』の事務所で、俺が売上と在庫の計算をしていた時のことだ。
店舗の外――ポポロ村の広場の方から、何やら剣呑な怒鳴り声が聞こえてきた。
「ふざけるなよ、ウサギ娘! 俺たち『ルナミス通商』が買い取ってやっているから、この辺境のド田舎の作物が金になっているんだろうが!」
嫌な予感がして外に出ると、広場には豪奢な馬車が停まっていた。
中心でふんぞり返っているのは、脂ぎった小太りの男だ。身なりは良いが、その顔には傲慢さと下劣さが張り付いている。背後には、いかにも柄の悪そうな武装した護衛を二人連れていた。
男の前に立ちはだかっていたのは、自警団長であるキャルルと、イグニスだった。
「ゲル商人……。いくらなんでも、この買い取り価格は横暴です! 陽薬草もポポロシガーも、相場の十分の一以下じゃないですか! これじゃあ、村の人たちは冬を越せません!」
キャルルがギリッと歯を食いしばりながら、男――ゲル商人に抗議している。
だが、ゲル商人は下劣な笑みを浮かべて鼻で笑った。
「嫌なら他所で売るんだな。……おっと、この緩衝地帯から大国への流通ルートは、俺たちルナミス通商が独占しているんだったなァ? 逆らえば、この村の作物は一生外には出回らねぇぞ。大人しくこの契約書にサインしな!」
足元を見る、という典型的な悪徳商人の手口だ。
キャルルはトンファーを握る手を震わせていた。彼女の力なら、こんな商人など一秒で制圧できる。だが、村の流通(経済)を握られている以上、村長である彼女は暴力に訴えるわけにはいかないのだ。
「……おい、そこのデカブツ。さっさとその陽薬草の木箱を馬車に積め。ノロマなトカゲめ」
ゲル商人が、横で木箱を持っていたイグニスを顎でしゃくった。
キャルルが侮辱されたことで頭に血が上っていたイグニスは、力加減を間違え、木箱の端を「バキッ」と握り潰してしまった。
「ああっ!? てめぇ、何商品に傷つけてんだこの出来損ないのトカゲ野郎!」
「あ、ち、違う……俺様はただ……」
「ドンクサい爬虫類風情が、人間の俺に口答えすんな!」
ゲル商人はイグニスの脛を思い切り蹴り飛ばした。
イグニスの頑強な肉体なら痛くも痒くもないはずだが、彼は「村のために波風を立ててはいけない」と必死に耐え、巨体を丸めてペコペコと頭を下げている。
「す、すまねぇ……俺様が不器用なばかりに……」
「チッ。使えねぇトカゲだ。……そっちの田舎ウサギもだ。村長だか何だか知らねぇが、生意気に睨んでんじゃねぇぞ。大方、獣のクセに偉ぶって……」
――ピタッ。
その時、キャルルの兎耳がピクリと動き、彼女の顔色が変わった。
キャルルはハッとして、広場の端――店舗の入り口に立つ『俺』の方を振り向いた。
彼女の特技である『心音の探知』が、俺の胸の奥で鳴り響く異常な鼓動を聞き取ったのだ。
いつもは「休みたい」「面倒くさい」という小市民的で穏やかな俺の心音。
それが今は、氷のように冷たく、一切の感情を排した不気味なほどの『無音』に切り替わっていた。
「……店長、さん?」
「どうしたんだい、キャルルさん。随分と騒がしいじゃないか」
俺はバインダーを片手に、ゆっくりと広場へ歩み出た。
瞳から光が消えている自覚はあった。社畜時代、本社の理不尽な要求や、従業員に土下座を強要するような悪質クレーマーの矢面に立った時、俺はいつもこの『社畜覚悟モード(ブラック・マネジメント)』に切り替わっていた。
「あァ? なんだてめぇは。ヒョロっちい人間が、俺の商談に口出しする気か?」
「俺はこのホームセンターの店長だ。……ちょっと、その契約書を見せてもらっていいか?」
俺はゲル商人の手から半ば強引に契約書を奪い取り、目を通した。
「なるほど。一方的な価格改定と、独占契約を盾にした優越的地位の濫用だな。俺のいた世界なら、下請法違反で一発アウトだ」
「な、何をワケの分からねぇことを……! 返せ!」
「契約はお断りだ。この村の流通は、今日から俺の店舗が引き受ける」
俺はビリッ、ビリビリッ!と、その場で契約書を破り捨てた。
「なっ……!? き、貴様ァ! 後悔するぞ! この村の作物は全て腐り果てることになるんだぞ!」
「問題ない。うちの『タローマン』を通せば、大国への直接流通網が使えるからな。お前らみたいな中間搾取のダニに払うマージンはない。……さあ、商談は決裂だ。うちの敷地から出て行け。塩を撒くぞ」
一切の感情を交えず、淡々と事実だけを突きつける。
完全な塩対応に、ゲル商人の顔は屈辱と怒りで茹でダコのように真っ赤に染まった。
「ふ、ふざけるなァ! おい、やっちまえ! そいつの腕をへし折って、俺に土下座させろ!」
ゲルの命令を受け、背後にいた二人の大柄な護衛が、腰の剣を抜いて俺に飛びかかってきた。
殺気を放つ異世界の戦士。常人なら腰を抜かす場面だ。
「店長ォォッ!!」
「春太さんッ!! 逃げて!!」
イグニスとキャルルが悲鳴を上げ、俺を庇おうと飛び出してくる。
だが、俺はバインダーを投げ捨て、二人の前にスッと手を横に出して制止した。
「下がるんだ、二人とも。……『従業員の安全を守る』のは、店長の最低限の義務だからな」
俺はスーツのポケットから、黒いスプレー缶のようなものを取り出した。
タローマン防犯・アウトドアコーナーの人気商品。
「異世界の戦士ってのは、魔獣の気配を察知するために『嗅覚』や『視覚』が異常に発達してるらしいな」
「死ねぇぇッ!!」
「……だからこそ、こういうのが一番効くんだよ」
護衛たちが剣を振り下ろそうとした瞬間。
俺は彼らの顔面至近距離に向かって、スプレーのボタンを強く押し込んだ。
――プシュゥゥゥゥッ!!!
オレンジ色のガスが、護衛たちの顔面を直撃する。
『熊よけスプレー』。超高濃度のカプサイシン(トウガラシ成分)を圧縮した、現代地球における最強の非致死性防犯兵器だ。
「「ぎ、ぎぃぃぃゃああああああああああああああああッ!?」」
剣を取り落とし、二人の護衛が顔面をかきむしりながら地面をのたうち回った。
ただでさえ常人の何倍もの感覚を持つ彼らにとって、粘膜に直接浴びるカプサイシンの劇痛は、地獄の業火で焼かれる以上の苦痛として作用する。
「な、なんだと!? い、一体どんな恐ろしい黒魔法を……!」
「魔法じゃない。ただのトウガラシだ。……さて、次はお前だな」
俺は悲鳴を上げる護衛を冷たく見下ろしたあと、ゲル商人へと向き直った。
ゲルは腰を抜かし、尻餅をついたままズルズルと後ずさる。
「ひっ、く、来るな! 俺を誰だと……!」
「悪質クレーマーの対応には慣れてるんでね。退店のお時間だ」
俺はもう一つのポケットから、黒い長方形の機械を取り出した。護身用の『大型スタンガン』だ。
スイッチを入れると、先端から「バチバチバチッ!!」と青白い雷光とけたたましい放電音が鳴り響く。
「ひぃぃぃッ!? らい、雷魔法!? 許して、許してくれぇ!」
「二度と、うちの可愛い従業員たちをバカにするなよ」
バチィッ!!
俺はゲルの分厚い腹の肉に、容赦なくスタンガンを押し当てた。
100万ボルトの電圧が肉体を駆け巡り、ゲル商人は白目を剥いてビクビクと痙攣し、口から泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
完全な制圧。時間にして、わずか十数秒の出来事だった。
俺はスタンガンのスイッチを切り、大きく息を吐き出した。
「……ふぅ。スーツがホコリまみれになっちまった」
俺は落ちていたバインダーを拾い上げ、何事もなかったかのように振り返った。
そこには、口をポカンと開けて固まっているキャルルとイグニス、そして村人たちの姿があった。
「て、店長……! 今の、あの雷のアーティファクトは……!?」
「ただの護身用具(防犯グッズ)だよ。……おいイグニス。こいつら、その辺の森にでも捨ててきてくれ。店の前が汚れる」
「お、おう! 任せてくだせぇ!」
イグニスが、目を輝かせながら気絶した三人組をまとめて担ぎ上げる。
俺の心音は、すでにいつもの『面倒くさがりな平和主義者』へと戻っていた。
「……春太、さん」
キャルルが、トテトテと小走りで俺の前にやってきた。
彼女のウサギ耳はピンと真っ直ぐに立ち上がり、俺を見上げるキャラメル色の瞳は、これ以上ないほどの熱とキラキラとした尊敬(と、若干のヤンデレ)の光を宿していた。
「えっと……あの、すいません。私、村長なのに何もできなくて……」
「気にするな。客商売をしてりゃ、ああいう理不尽な奴なんていくらでも来る。……それに、イグニスもお前も、俺の大事な仲間(従業員)だからな。身内をコケにされて黙ってるほど、俺の気は長くない」
俺がそう言って頭をポンと撫でると、キャルルの顔がボンッと音を立てそうなほど真っ赤になった。
「な、仲間……かぞく……!!」
「家族とは言ってないぞ」
「はいっ! 私、一生春太さんについていきます! 誰が何と言おうと、春太さんは私が絶対に守り……いえ、春太さんに守ってもらいます!!」
キャルルが俺の腰にギュッと抱きついてきた。
……まあ、理不尽な輩を追い払って、この村の平和(と俺の定時退社)が守られたなら、少しやりすぎた防犯対策も正解だったということだろう。
「よし、後片付けが終わったら、今日は約束通りマンションの屋上でジンギスカンだ! お前ら、腹空かせておけよ!」
俺がそう宣言すると、村の広場はこれまでにないほどの大きな歓声に包まれたのだった。
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