EP 6
月光の涙と、甘い夜の管理者責任
その夜、ポポロ村は静寂に包まれていた。
三日月が傾き、湿った夜風が村の作物たちの葉を揺らしている。俺は2階の居住区で書類仕事をしていたのだが、ふと窓の外を見た時、村の中央にある『聖なる泉』の辺りで、青白い光が揺らめいていることに気づいた。
「……キャルルか?」
村の警備を名目に、俺は2階から階段を駆け下り、泉の方へと向かった。
泉のほとりには、月兎族の村長・キャルルが座り込んでいた。彼女の姿は、昼間のパーカー姿ではなく、質素な白いワンピース姿。裸足のまま泉の中に足を浸し、その小さな手から放たれる青白い光を、泉の水に溶け込ませている。
「ハァ……ハァ……っ……!」
彼女の呼吸は荒く、額には大粒の汗が滲んでいた。
泉の周りには、村の農家から持ち込まれたであろう大量の『陽薬草』が束ねられている。それら一つひとつに、キャルルが己の魔力と力を注ぎ込み、どんな傷も病も癒す秘伝のポーション『月光薬』を錬成していたのだ。
「……馬鹿なことを」
思わず声が出て、キャルルがビクッと肩を震わせた。
こちらを振り返った彼女の顔は、驚くほど青白い。
「春太さん……どうしてここに?」
「夜回りをしていたら、明かりが見えたからな。……何をしてる。そんな体調で、自分の命をすり減らして何が楽しいんだ?」
俺の言葉に、キャルルは弱々しく笑った。
「これは、村の役目ですから。最近、この辺りは魔獣の出現も増えて、怪我をする村人も多くて……。私がこうして月光薬を作っておけば、みんなが安心して畑に出られる。だから……」
「だから、お前が倒れたら誰がポポロ村を守るんだよ」
俺は彼女の隣に座り込み、強制的に彼女の手を泉から引き離した。
ひんやりと冷たいはずの泉の水なのに、彼女の手は異常に熱い。闘気の使いすぎによる『魔力循環障害』に近い状態だ。社畜時代、無茶なシフトを組んで過労で倒れた部下たちの姿と重なり、胸が酷く締め付けられる。
「店長……?」
「村長なら、管理責任って言葉を知ってるだろ。村を守るための手段が、村の守護神を殺してどうする」
俺はキャルルの冷たい肩を抱き寄せ、マンションの1階から持ってきた保温性の高いブランケットで彼女を包んだ。
キャルルは驚いたように目を瞬かせ、やがて俺の胸元に顔を埋めた。彼女の心音が、先ほどよりも一層激しく、不規則に打ち鳴らされるのが聞こえる。
「……ハルタさん、私は……私は、こうして皆のために何かをしていないと、自分がこの村にいる資格がないような気がして……」
「馬鹿を言うな。お前はただの月兎族の少女だろ。誰かのために命を燃やさなきゃいけないなんて、そんなの、ただのブラック企業と変わらないぞ」
俺はタローマンの備品倉庫から持ってきた『高密度エナジーバー』と、温かい『ポポロ・コーヒー(カフェイン控えめ・ミルク多め)』を彼女の手に持たせた。
「食え。そして飲め。お前が一人で抱え込んでる仕事なんて、俺とイグニスで半分以上は肩代わりしてやる」
「で、でも……お仕事は……」
「店長命令だ」
俺がそう言うと、キャルルは諦めたように笑い、キャラメル色の瞳を潤ませた。
エナジーバーを小さな口で齧り、温かいコーヒーをゆっくりと喉に流し込む。彼女の瞳から、一筋の雫がこぼれ落ちた。
「……甘い。すごく……甘いですね」
「疲れてる時は、糖分が一番だ」
キャルルは俺のシャツをギュッと掴み、まるで迷子の子ウサギのように俺の懐に潜り込んできた。彼女の心音が、さっきまでの張り詰めたリズムから、嘘のように落ち着いていく。
(ドクン、ドクン……)
それは、春太という異世界で唯一の、そして最も信頼できる人間に対する安心の鼓動だった。
「春太さん……私、今すごく……すごく幸せです」
「……そうか。なら良かった」
彼女のヤンデレ気質が、村を守るという『重圧』から、俺という『個人の保護』へとシフトし始めているのがひしひしと伝わってくる。
だが、今の俺にはそれを否定する気力も、理由もなかった。
過労死するまで働いた俺にとって、こうして誰かの心音を聞きながら、温かい場所で休息をとることは、何よりも満たされる時間だったからだ。
「明日からは、陽薬草の錬成も一人でやらないでくれ。イグニスを連れていけば、アイツの莫大な魔力で半分以上の工程を自動化できるはずだ」
「……ふふ、そうですね。イグニスさんなら、きっと『俺様の手にかかればこんな草、一瞬だぜ!』って言ってくれそう」
「ああ。アイツは案外、そういう単純作業は嫌いじゃない」
俺たちは星空の下で、他愛のない会話を続けた。
この村の、静かで心地よい夜。
三大国の狭間で、明日の納期やノルマに怯えることなく、ただこうして誰かと寄り添っているだけで、俺の魂の『傷』が少しずつ癒えていくのを感じていた。
「春太さん。……私、これからは、村のためだけじゃなくて、店長のためにも頑張ります」
「ん? まあ、無理しない程度にな」
キャルルは俺の胸元で小さく微笑み、満足そうに瞳を閉じた。
その顔は、村長としての重圧を背負った戦士の表情ではなく、ただの愛らしい少女そのものだった。
(……ああ、ダメだな。この子を泣かせるような理不尽な奴がいたら、俺は何をしてでもぶっ潰してやる)
俺は心の中で小さくそう誓い、キャルルの細い肩を抱きしめた。
マンションの1階には、明日もまた、平和な日常(と、地獄の棚卸し)が待っている。
でも、それもまた悪くない。
俺は、異世界で初めて、本当に『守りたいもの』を見つけた気がした。
遠くで、夜行性の鳥が鳴いている。
俺たちはそのまま、夜が明けるまで、泉のほとりで静かに身を寄せ合っていた。
この村を守る、たった二人の管理責任者として。
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