EP 3
月兎姫の警戒と、嘘のない心音
イグニスという不器用な巨漢の竜人をアルバイト(自称:店長の右腕)として雇い入れた俺は、とりあえず彼を引き連れて、丘の向こうに見えた集落へと向かうことにした。
「店長! 俺様が先行して、村の野蛮人どもを制圧してきましょうか!? あの巨大な城の主の御成だと触れ回れば、奴らもひれ伏すはずです!」
「やめろ。俺たちは侵略者じゃない。ただの小売業だ。それに、制圧なんてしたら後でクレーム対応するのは俺だぞ。穏便に行け、穏便に」
「お、おお……! さすが店長、弱者の命まで気遣うとは……まさに王の器!」
いちいちスケールのデカい勘違いをしているイグニスを宥めながら、土埃の舞う道を歩く。
背後を振り返ると、荒野のど真ん中にそびえ立つ10階建ての鉄筋コンクリートマンションが、異様な存在感を放っていた。どう見てもこのファンタジーな世界観から完全に浮いている。
あんなものが空から降ってきて、しかも1階部分が煌々と光るホームセンターなのだ。現地住民からすれば、パニックになってもおかしくはない。
「まずは村の代表者に挨拶して、敵意がないことと、商売を始めたいってことを説明しないとな……」
そう呟いた、次の瞬間だった。
――ズドォォォォンッ!!
鼓膜を劈くような轟音と共に、俺たちの目の前の地面が爆発したかのように抉れた。
もうもうと舞い上がる土煙。アスファルトすら砕け散りそうなそのクレーターの中心に、誰かが着地したのだ。
「……な、何者だッ!?」
イグニスが咄嗟に俺の前に立ち塞がり、背中の巨大な両手斧に手をかける。
「動かないでください」
土煙が晴れた中に立っていたのは、小柄な少女だった。
年齢は二十歳そこそこだろうか。ダボッとしたオーバーサイズのパーカーに、ショートパンツ。そして頭には、ピンと伸びた長くて白い『兎の耳』が生えていた。月兎族、と呼ばれる獣人だろう。
一見すると可愛らしい少女だが、その両手には黒光りする『ダブルトンファー』が握られており、足元にはつま先に金属プレートが仕込まれたゴツい安全靴を履いている。
(……ん? あの安全靴、タローマンのガテン系コーナーで売ってる特注品にそっくりだな)
俺がそんな職業病じみたことを考えていると、兎耳の少女は鋭い眼光で俺とイグニスを睨みつけた。
「私はこの『ポポロ村』の村長であり、自警団総監を務めるキャルル・ムーンハートです。……そこの竜人、その斧から手を離しなさい。さもなくば、あなたの顎の骨を粉砕します」
「な、なんだと!? この小娘が、竜王デューク様に並ぶ逸材である俺様に――」
「イグニス、ストップ」
俺はイグニスの背中を叩いて制止した。
元・近衛騎士隊長候補だとか何とか、ルチアナという駄女神から適当に世界観の予備知識は叩き込まれている。この世界の強さは、見た目の大きさには比例しない。
現に、あの少女――キャルルから放たれる殺気は、本物だ。本社の視察に来たエリアマネージャーが、売り場の陳列ミスを見つけた時の5倍はヤバいオーラが出ている。
「あなたが、あの気味の悪い巨大建造物の主ですね?」
キャルルは警戒心を一切解かず、俺にトンファーの切っ先を向けた。
「空から巨大な塔を落とし、凶悪な魔獣を圧殺した。……アバロン魔皇国の刺客ですか? それとも、ルナミス帝国軍の新兵器ですか? 目的は何です」
「いや、刺客でも軍の兵器でもない。俺はただの店長だ」
「店長……?」
俺は両手を上げ、敵意がないことを示す。
「ただの小売業だよ。あの建物は俺の能力で出したもんだが、侵略する気なんてこれっぽっちもない。ただ、安全な場所で静かに暮らしたいだけなんだ」
「……口では何とでも言えます。月兎族の耳を舐めないでください」
シュンッ!
という風切り音が鳴ったかと思うと、キャルルの姿がブレた。
次の瞬間、俺の懐にキャルルが入り込んでいた。俺の首元には冷たい金属製のトンファーが押し当てられ、彼女の顔が俺の胸板にピタリと密着している。
「て、店長ォォッ!?」
「動くなイグニス。大丈夫だ」
俺は冷や汗を流しながらも、努めて冷静に声を張った。
キャルルは俺の胸にウサギの耳を押し当て、目を閉じている。
「月兎族は、相手の『心音』で嘘を見抜けます。恐怖、悪意、野心、嘘……すべて鼓動の乱れに表れる。……さあ、正直に答えてください。あなたの本当の目的は何ですか? この村を奪うことですか?」
首元のトンファーが、ジリッと食い込む。
普通なら、ここでパニックになって心拍数が跳ね上がる場面だろう。
だが、72時間連続残業を終え、過労死を経て、さらには女神に顔面を蹴り飛ばされてきた俺の心臓は、そんじょそこらの脅しで乱れるほどヤワではなかった。
「……本当の目的、か」
俺はため息を一つ吐き、ポツリと本音を漏らした。
「定時で退勤して、温かい風呂に入って、8時間たっぷり寝ることだ」
「……はい?」
「侵略? 戦争? 冗談じゃない。俺はもう、誰かにノルマを押し付けられて、命を削って働くのはごめんなんだ。俺はただ、あのマンションで静かに店を開いて、誰にも邪魔されずに平和に暮らしたい。……できれば、有給休暇も欲しい。それだけだ」
静まり返る荒野。
キャルルは俺の胸に耳を当てたまま、ポカンと口を開けて固まっていた。
「……嘘。どういうことですか、これ……?」
「ん?」
「脈拍が、異常なほど落ち着いている……。悪意も、野心も、一切ない。あるのはただ……『休みたい』『眠りたい』という、果てしない疲労感と平和への渇望だけ……?」
トンファーを下ろし、キャルルは信じられないものを見るような目で俺を見上げた。
彼女の『嘘発見器』が、俺のあまりにも後ろ向きで小市民的な本音を完全に証明してしまったらしい。
「言ったろ。俺に争う気はない。むしろ、この村と仲良くやっていきたいんだ」
俺はそう言いながら、目の前に立つ小柄な村長を改めて観察した。
強い殺気を放ってはいたが、よく見ればその瞳の奥には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。小さな肩には、この緩衝地帯という危険な土地にある村を、たった一人で守らなければならないという『過剰な責任』が重くのしかかっているように見えた。
……分かる。痛いほど分かる。
人手不足の店舗で、全責任を一人で背負い込んでいた時の俺と同じだ。
「あんた、村長なんだろ。こんな若いのに、大したもんだよ。……でも、ちゃんと寝てるか? 目の下にうっすらクマができてるぞ」
「えっ……?」
俺はひしゃげたスーツのポケットから、先ほどタローマンのレジ横から持ってきた『甘いミルクキャラメル』の箱を取り出し、一粒だけ取り出してキャルルに差し出した。
「疲れてる時は、甘いものを脳に回した方がいい。一人で背負い込みすぎるなよ。ミスが起きる原因だ」
「……」
キャルルは呆然としたまま、俺の手からキャラメルを受け取り、ゆっくりと口に含んだ。
甘さが口いっぱいに広がったのか、彼女のピンと張っていた兎の耳が、ふにゃりと少しだけ垂れ下がった。
「……美味しい」
「だろ。うちの店の定番商品だ」
キャルルは俺をじっと見つめ直した。
先ほどまでの敵意は綺麗に消え去り、代わりに何か、熱を帯びたような不思議な視線が俺に突き刺さっている。
(……ドクンッ)
キャルルの胸の奥で、何かが大きく跳ねたような音が聞こえた気がした。
彼女はほんのりと頬を朱色に染め、コホンと一つ咳払いをして姿勢を正す。
「……心音に、嘘偽りがないことは確認しました。どうやら、本当に侵略者ではないようですね」
「分かってくれて助かるよ」
「その代わり! あの巨大な建物の素性や、あなたたちのことは、村長である私がしっかりと『管理・監視』させていただきます! 絶対に、私の目の届く範囲から逃げないでくださいね?」
なぜか、最後の一言にズシッとした異様な重み(ヤンデレの片鱗)を感じたが、とりあえず武力衝突は避けられたようだ。
「了解だ。俺は神城春太。タローマンの店長だ。こっちは……従業員のイグニス」
「お、俺様は店長の右腕だ! よろしく頼むぞ、村長!」
イグニスが勢いよく頭を下げるのを横目に、キャルルはふわりと微笑んだ。
その笑顔は、年相応の純粋で可愛らしいものだった。
「歓迎します、春太さん。ポポロ村へようこそ」
こうして俺は、少し重いものを背負った月兎姫の警戒を解き、異世界での第一歩となる村への入場を許されたのだった。
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