第9話:オタクのジレンマと、栗色の逆襲
黒幕がグレイスタード王子とダクワール子爵だと確信し、反撃の炎を燃やしたのも束の間。私は作戦基地の切り株に座り込んだまま、ふと我に返って冷や汗を流していた。
(待って。もしここで王子の悪事を暴いて完全に断罪しちゃったら……どうなる?)
次期国王たる第一王子が、婚約者を陥れるために卑劣な罠を仕掛けた。そんな事実が明るみになれば、グレイスタードが王位を継ぐことは絶対にできなくなる。そうなれば、当然デールとの結婚も完全な白紙に戻されてしまう。
何より、デールは不器用ながらも王子のことを幼い頃から一途に想ってきたのだ。もし王子が自分をハメようとしていたと知ったら、デールが受けるショックと絶望は計り知れない。
「……そんなの、絶対に嫌。デール様の悲しむ顔なんて、私は見たくない……!」
それから数週間、私は王子への断罪をどうすべきか、寝る間も惜しんで悩み続けていた。王子を社会的に滅ぼすのは簡単だが、それではデールのハッピーエンドが壊れてしまう。
悩み、考え抜き、そして私は一つの新しい結論に達した。
「……だったら、今回は噂を『別の噂』で書き換えてしまえばいいのよ!」
物理的な証拠を突きつけるのではなく、王子が流した「いじめの噂」自体を無効化する。私はさっそく、グリーンタールとブルーコーラルを集めてその作戦を共有した。
「噂の書き換え……? 一体どうやるんだい?」
ブルーコーラルが興味深そうに青い瞳を輝かせる。私は拳をぎゅっと握りしめて宣言した。
「これから私、学園内の噂を聞いて心配して声をかけてくれる人全員に、こう答えます。『私はデール様が世界で一番大好きなのです! デール様と殿下のご結婚を誰よりも願っています!』って。いじめられている本人が、満面の笑みで『デール様大好きです、殿下との結婚を願っている』と言い続ければ、周囲はいじめがただの誤解だったと思うはずですわ!」
私の突飛な作戦に、二人は言葉を失った。
グリーンタールが、痛むような目で私を見つめ、静かに問いかけてくる。
「……シーリン嬢。本当に、君はそんな結末でいいのか? 殿下にあんな酷いことをされ、デールに誤解されて、押し倒され胸ぐらまで掴まれたというのに……君は何も得られないじゃないか」
「何をおっしゃるのですか、グリーンタール様」
私は振り返り、ヒロインが持つ絶対的美少女のスペックをフル活用した、一点の曇りもない最高の笑顔を咲かせた。
「デール様が傷つかず、世界で一番幸せになること。それだけが、私の何よりの喜びですから!」
「っ……!」
「……あぁ、本当に君って令嬢は……」
私の眩しすぎる無私の笑顔に、グリーンタールは耳まで真っ赤にして視線を逸らし、ブルーコーラルもまた、顔を紅潮させ彼女を愛おしそうに見ながら、自分の前髪をかき上げた。二人の胸の奥で、彼女への恋心が取り返しのつかないほど深く根を張った瞬間だった。
「…だが、ダクワールは噂が上手くいかなかった場合のシナリオも用意していると言っただろう?君が危険になるのではないか…?」
グリーンタールは心配そうに私の顔を覗き込む。
「…それなら、なるべく私がそばにいよう。流石に寮までは侵入はして来ないだろうから、学園にいる間は、私が。それでどうだろう?」
ブルーコーラルは優しく微笑みながらそう提案してきた。
「……えっ…?いやっ、大丈夫ですわっ。私もどなたかと一緒にいるよう努めますので、そこまでしていただかなくて…」
(なっな…なにを言ってるの、この王子は!そんなことしたら…こ…恋人みたい見えてしまうじゃないっ!)
私は心の中で大パニックに陥っていた。
「……ふふ。いや。君の護衛として一緒にいるよ。」
そう言って彼は私の顔に手を添えた。
◇
その後、グリーンタールはアズパープルに接触し、作戦が変更されたこと、そしてシーリンが語った言葉をそのまま伝えた。
「……彼女は、真実を知ったデールが傷つくことを恐れて、すべてを自分の『デールへの愛』という噂で上書きするつもりのようです」
「……何ということだ」
話を聞いたアズパープルは、冷徹な紫の瞳を微かに揺らし、驚愕していた。
主君の身勝手な執着に巻き込まれ、最も理不尽な被害を受けているはずの少女が、傷つくどころか、自分を陥れようとした者たちの幸せを最優先に祈っている。
(シーリン嬢……君はどこまで、気高く強い人なのだ……)
アズパープルの胸の奥に、義務感や憐れみではない、強烈な「好意」と「独占欲」の蕾が、少しずつ、しかし確実に開き始めていた。
――そして。
学園のさらに高い場所から、この一連のドタバタを完全に傍観している人物がいた。
手すりに片肘をつき、冷たい風に吹かれているその青年は――第一王子グレイスタードに、鏡写しのように酷似した端正な容姿を持っていた。
しかし、兄のグレーの髪とは違い、彼の髪は闇をそのまま溶かし込んだかのような漆黒。そして、眼下の裏庭を見下ろすその瞳もまた、すべてを冷酷に見通すような黒一色の輝きを放っている。
グレイスタードと数分違いで生まれた双子の弟。
第二王子、ブラックスタード・ファンナステッド。
ブラックスタードは手元の書類から視線を上げ、兄の私室の方角を睨みつけると、深く頭を抱えてため息を漏らした。
「……兄上は、本当にどこまで愚かなんだ。自分の婚約者をハメるためにダクワールのような小悪党を使い、あまつさえ、その企みがターゲットであるブラウン伯爵令嬢に完全に透けて見えていることすら気づかないとは」
黒い瞳に、兄への底冷えするような侮蔑の光が宿る。
「お守り隊、か。面白い。あの栗色の令嬢が、このくだらない噂の罠をどうひっくり返すのか……少し見物させてもらおう」
優秀すぎる第二王子の黒い瞳に、シーリンへの深い興味が刻まれた。王子の企みを裏で嘲笑うかのように、シーリンの「噂の上書き作戦」がいよいよ幕を開けようとしていた。




