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第2部:第15話:ゲームの残像と、愛しき夫の涙

デールが惜しまれつつもファンナステッド王国へと帰国し、あの黒魔女レッド・ビアンカによる襲撃騒動もひとまず落ち着いた、ある静かな夜のこと。


私はスペーシング王国の寝室で、ブルー―国宝級に美しい旦那様と二人きりで過ごしていた。

すると、ブルーは私の長い栗色の髪を愛おしそうに指先で弄りながら、どこか切なげで、ずっと胸の奥で燻っていたような表情を浮かべてぽつりと問いかけてきた。


「ねえ、リン……ずっと気になっていたんだが。その、君が前世でやり込んでいたというゲームの攻略対象者の中で……君は……一体、誰が好きだったのだい?」


「んー……」


私はブルーに抱き寄せられたまま、うーんと顎に手を当てて真剣に考えてみた。

でも、答えは一瞬で出た。ゲームの本来のシナリオの通り、あの『ファン恋』のヒロイン・シーリンのぶりっ子アピールがあまりにもクソすぎて、前世の私は攻略対象者たちにすら一切感情移入ができなかったのだ。だからこその、デール様一択の狂信的な推し活だったわけだし……。


嘘をつく必要もないと思った私は、目の前のブルーを見つめ、一点の曇りもない笑顔ではっきりと告げた。


「……攻略対象者の中で、好きな方は一人もいませんでしたよ! だって、ゲームの中のヒロインの性格に難がありすぎましたもの。そんなあざといヒロインを好きになってヘラヘラしている攻略対象者たちのことも、前世の私は全員『クソ男どもが』と思っていましたから」


「……っ!!?」


笑顔で放たれたあまりにも容赦のない辛辣な発言に、ブルーは目を見開いたまま息を呑み――次の瞬間、ガクッとその場に膝をついて激しいショックに打ちひしがれた。


「……ゲームの中の私を……好きになっては……くれなかったのか……。しかも……よりによって、“クソ”とは……っ」


「あ、あれっ!? ご、ごめんなさいっ!ブルー!! あくまでゲームの中のお話ですからね!? 今のブルーのことじゃないですからーーーっ!!」


私は自分の失言に気づいて大慌てでフォローをまくしたてたものの、時すでに遅し。

ブルーの繊細で重すぎるガラスの心臓は、粉々に砕け散ってしまっていた。


それからの数日間、ブルーは受けたショックがあまりにも大きすぎたのか、何をするにも上の空になってしまった。いつもなら公務の合間に「リン成分補給!」と執拗にハグをしてきたり、目が合えば蕩けるような優しい笑顔を見せてくれたりするのに、スキンシップもほとんどなくなり、笑顔すら消えてしまったのだ。


(うーん……どうやったら機嫌を直してくれる? だって本当にただのゲームの話でしょう? 嘘をついたってしょうがないし……私はゲームの王子じゃなくて、いま一緒にいる私の夫のブルーを、こんなにも愛しているというのに……)


ブルーの重病っぷりに私がベッドの上で頭を抱えていると、タイミング良く、ファンナステッド王国のデールから一通の手紙が届けられた。

開いてみれば、無事に帰国したことや、自分が留守にしていた1ヶ月の間に、グレイスタードが「デールにもっと好きになってもらうんだ!」と血の滲むような猛特訓をして、ずいぶんと力強く逞しくなっていた、という惚気話がこれでもかと書き連ねられていた。


「ううっ……最高……デール様が王子に愛されて世界一幸せそう……っ! 尊すぎて私の全細胞が浄化されちゃうっ!!」


最愛の推しの幸せ報告を特等席で読み、私は天にも昇るほどの幸福感に包まらせ、またしても恍惚の表情を浮かべながら、長い栗色の髪を乱してベッドの上をごろごろとのたうち回って大悶絶していた。


しかし――その姿を、部屋の入り口からじっと見つめていたブルーの胸の内では、嫉妬に狂ったどす黒い感情がその心を限界まで締め付けていた。


「――リンっ!!!」


「ひゃぅっ!? ブルー……っ!?」


これ以上は我慢ができなかったらしい。ブルーは大股でベッドへと近づいてくるなり、のたうち回っていた私の身体の上にガバッと激しい勢いで覆い被さってきた。逃げ道を完全に塞ぐように私の両手首をシーツに縫い留め、ブルーは声を荒げて、今にも泣き出しそうな切なげな表情で私に訴えかけてきたのだ。


「なぜ君は……夫である私が、こんなにも傷ついて落ち込んでいるというのに、私のことは放っておいて、またデール妃殿下の手紙を読んでそんなに幸せそうな顔をしてベッドで転がるんだ……っ!君に触れたくて、抱きしめたくて仕方がなかったのに……この間、君に言われた『クソ男』という言葉が頭をよぎって、苦しくて、怖くて、どうしても君に触れられなかったというのに……! 君は私のことなど、どうでもいいのかっ!?」


今にも大粒の涙を溢れさせそうな、あまりにも切なくて、余裕をなくして震えているブルーの顔。その剥き出しの愛の重さに、私の胸の奥がキュンと激しく締め付けられた。


「……ごめんなさい、ブルー。……でもね、ブルーが尋ねたのは、あくまで前世のゲームの中のお話でしょう? ……私はゲームの中のブルーコーラル様なんて、1ミリも好きではありませんでした……。けど……私は、画面の中の偽物ではなく……今こうして目の前にいる、私の大好きな夫のブルー……あなたという一人の男性のことを、心からとてもとても愛しているのですよ?」


「っ……!!」


その言葉を聞いた瞬間、ブルーはハッとしたように青い瞳を見開き、言葉を失ってカタカタと唇を震わせた。


「……もう……もう一度……言ってくれ……。お願いだから、もう一度……私の耳に、その言葉を……っ」


掠れた、今にも消え入りそうな声でおねだりしてくる愛しい旦那様。

私はもう恥ずかしがるのをやめて、真っ直ぐに彼の青い瞳を見つめ返し、優しく微笑んだ。


「はい、何度でも言いますわ。私は、あなたを……世界で一番、心から愛しています」


「……ああ……リン……っ。リンは本当に、私のことを、愛してくれているのか……。ゲームの中の私を好きではなかったと聞いて、今の私のことも、本当は好きではないのではないかと……怖くてたまらなかったんだ……」


ブルーのとろけるような青い瞳から、ぽろりと、一筋の美しい涙が頬を伝って流れ落ちた。

しかし、ブルーは私の身体を抱きしめたまま、その涙の跡を揺らし、まだどうしても拭いきれない不安を吐き出すように、掠れた声でさらに問いかけてきたのだ。


「……この際だから、ずっと気になっていたことを教えて欲しい。……君の前世では、恋人はいなかったのかい?」


(うぅっ……! まずいか、これ!? どうしよう……。お付き合いはしたけれど、本当になーんにも無かったからなぁ……っ)


「……えーっと……」


私が気まずさに視線を泳がせ、頭を抱えて考え込んでいると――ブルーは私のその言い淀みを見て、一瞬で顔を強張らせた。


「やはり居たのだな……っ!? 私には『君の何もかもが初めての男が私で良かった』と言ったではないかっ!」


またしても、凄まじい焦りと嫉妬で顔を真っ赤にして怒りだすブルー。私は慌てて彼の胸元に手を当て、必死に言葉を紡いだ。


「ち、違います、ブルー! 今話したら、きっとブルーはまた怒るだろうなと思って言い淀んでしまいました。ごめんなさい!……私は前世の学生の頃……好きだ、と告白されて、お付き合いした方がいました」


その言葉を聞いた瞬間、ブルーはこの世の終わりを迎えたような顔をしてガタガタと震え出した。


「……ですが! その後、何の連絡も無くなって、2週間後にやっと連絡が来たと思ったら『別れよう』と言われ、そのまま一瞬でお別れしました! ですから、これは付き合っていたうちに入らないのでは? と私は思うのですけれど……?本当に、人生でその一度だけですよ!? これでも『恋人がいた』と言うなら居ましたが、告白されたこと以外は、本当の本当に、何もかもがあなたが初めてなのですよ! 告白だって、こちらの世界に来てからは、あのグレイスタード殿下が一番でしたしね!」


「……っ。……そいつに、君を触れさせては居ないのだな?」


ブルーは執念深い、ギラリとした青い瞳で私の目をじっと見つめてくる。


「はい! 手の一つすら、一度だって握っていませんよ!」


「……はあぁぁ……っ」


私の必死の叫びを聞き、ブルーは今度こそ、深く、深く安堵したような長い長い溜息を漏らして私の胸元に顔を埋めた。


「……リンを愛しすぎて、私は君の何もかもが知りたい。……だが、知るのが怖いんだ。今のように、醜い嫉妬で狂ってしまうから……。リン……ここ数日の私の態度、本当に申し訳なかった。リンが私のところに来て『言い訳』をして欲しい……本当は私が一番好きだった、と、君の口から言ってほしいと、ずっと子供のように部屋の隅で願ってしまっていたんだ。なのに、君は私を放っておいた。しかも、デール妃殿下の手紙を読み浸って楽しそうにしていた。私はそれが悔しくて……君が、憎くてたまらなくなったんだよ。私のこの歪んだ独占欲に、君はどうして答えてくれないのかと……っ」


「放っておいた……と言いますか、ただのゲームの話なのに、何故そんなに本気で落ち込んでいらっしゃるのかが私には全然わからなかったのです。だって、ゲームのシーリンは私じゃないし、ゲームのブルーコーラルはあなたじゃない。私はここにいるブルーだけを愛しているのですから。……デール様のお手紙のことは、本当にごめんなさい。私の最愛の推しの幸せ報告の手紙には……やはり、オタクとしての気持ちがどうしても抑えきれませんでした……」


ここまで真っ直ぐな、重すぎるほどの嫉妬と独占欲を向けられたのは、人生で初めての経験だった。

私は、ブルーのこのあまりにも深い愛情に対して、自分はちゃんと応えられていないのではないかと、急に激しい不安が胸の奥から襲ってきたのを感じた。

どうしたら、もっと彼を安心させてあげられるのだろう……。


前世で読んだ少女漫画とかだと、こういう時は「愛してる」とか「大好き」って言葉にして自分から抱きついたり、キスをして仲直りしていたけれど……恋愛経験ゼロの私には、それはあまりにもハードルが高すぎる。


……でも。私が少しでも甘える姿勢を見せたら、ブルーはきっと、それだけで凄まじく嬉しいと思ってくれるのかなと思い――私は覚悟を決め、回されていた彼の大きな背中に、自分からそっと両腕を回してぎゅっと抱きしめ返した。


「……こんな私を、嫌いになりましたか、ブルー? 前世でも、私は男性の方と普通にお話しするのすら苦手で……こういう時に、どうしたらいいのか全然わからなくて……。でも、私は……デール様と同じくらい、ブルーのことが本当に大切なんです。それだけは、どうか信じてください。こんな私を、見つけて、好きになってくれてありがとう。ブルー」


一生懸命に言葉を紡いでいると、視界が急に滲み、目尻からすぅっと熱い涙が頬を伝って流れていくのが分かった。


あれ……? 私……今、ブルーに『嫌われるのが嫌だ』って、本気で思ってる……?

この人と、一秒だって離れたくないって……私の心が、叫んでる……?

そんな感情を自覚した瞬間、私の胸の奥から止めどない感情の濁流がブワッと溢れ出し、私はブルーの胸の中で、子供のように大声を出してワンワンと激しく泣きじゃくってしまった。


「うわあああん……っ! ブルーが大好きだから……嫌われるのが、こんなに怖いだなんて思わなかったーーーっ! 私……こんなに男の人を、心の底から本気で好きになったのなんて、生まれて初めてだから……! 嫌われたのかもって、口に出したら、怖くて、怖くて……たまらない……」


私のあまりの変わりようと、初めて見る大号泣の愛の告白に、ブルーは驚愕に大きく青い瞳を見開いて固まっていた。


そして、私のその大粒の涙を、それはそれは愛おしそうに、宝物を扱うかのように両手で優しく包み込んで拭ってくれたのだ。


「……すまない……リン。私のせいで、君をこんなにも傷つけ、泣かせてしまったね。……だが、君がそんな風に私のことを想ってくれていることが……私は今、世界で一番嬉しいよ。君を、この一生涯をかけて愛し続けると誓う。私には君が必要で、君以外の女性なんてこの世に一人もいらないんだ。愛してる、という言葉だけでは、到底足りないくらいに……君を愛しているよ、リン」


ブルーは、蕩けるような優しい笑顔を浮かべると、泣きじゃくる私の唇へと、そっと、熱く、壊れ物を労わるように優しい優しい口づけを交わしたのだった。

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