第2部:第6話:「黒」と「金」の戦慄、迫り来る魔女の影
——黒魔女レッド・ビアンカが、自らの姿を老婦人や男へと擬態させながら、すでにファンナステッド王国の包囲網を抜けて国境を超えている。
そして、自分のプライドをズタズタにした『落ちていた小枝で術式を解いた小娘』の正体がシーリンだと突き止め、スペーシング王国へ潜入している——
その悍ましい事実を、ファンナステッド王国のスパイ組織がキャッチしたのは、まさにビアンカが国境を越えた直後のことであった。
◇
「――おい、金。至急、この最新の闇ルートの報告書を読め」
隠密作戦室の重い鉄の扉が開くと同時に、この国のスパイ活動の最高責任者となった『黒(第二王子・ブラックスタード)』が、今までにないほど鋭く冷徹な声音で部屋に滑り込んできた。
彼らが『影』として動く時、お互いを本名ではなく、それぞれの髪色コード――「黒」と「金」で呼び合うのが、今のこの組織の絶対のルールだった。
その黒一色の瞳は、普段の冷静沈着さを欠き、微かに焦燥の光で濁っている。
諜報部のトップとして机にいた『金(ブラウン家次期当主・オールゴルト)』は、ただ事ではない主君の雰囲気に、すぐに顔を上げて報告書をひったくるように受け取った。
「これは……裏社会の情報屋から吐かせた、黒魔女レッド・ビアンカの最新の動向ですか、黒?」
「ああ。魔女が裏で『血眼になって探していた人物』の条件を突き止めた。……魔女は、ダクワールの部屋から消えた『あの香炉の術式を解いた者』の名前と現在の居場所を、莫大な報酬を投じて裏社会で洗脳に近い聞き込みを行っていたようだ」
「術式を、解いた者だと……っ?」
金の眩しい金髪の前髪が、微かに揺れる。
報告書に書かれた、その『魔女が探している犯人の特徴』を上から下へと一気に目を通したその瞬間――。
バキィッ!!!
金が手に持っていた頑丈な万年筆が、凄まじい指先の力によって、無惨にも真っ二つにへし折れてインクが飛び散った。
普段の、妹を「天使ちゃん!」と呼んでデレデレと頬ずりしていた陽気なイケメンの顔は、跡形もなく完全に消滅していた。そこにあるのは、触れた者すべてを恐怖で平伏させる、国王直属次期スパイボスの、ドス黒いまでの覇気と殺気だった。
「狙われているのは、私の可愛い妹か……っ!!!」
「そうだ。あの魔女は、自分の特級呪詛を『小枝一本でササッと上書き解除した小娘』の正体がシーリンだと完全に突き止めた。そして……っ」
黒は、悔しげに拳をデスクに叩きつけた。
「最悪なことに、我々がファンナステッドの王都を血眼で大捜索している裏をかき、魔女はすでに擬態の能力を使って国境を突破している。……奴は今、シーリンのいる隣国スペーシング王国の王宮へと、その牙を剥いて潜入を開始しようとしているぞ!」
「な……ッ!?」
金は、ガタッと椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。その端正な顔が、恐怖と、実の妹の身に迫る最悪の危機への激しい怒りで一瞬にして青ざめる。
「くそっ……! 私の目が届かないところで、あの小汚い魔女がシーリンに触れようなどと、万死に値する……っ! 黒、大急ぎでスペーシング王国側へ連絡を! 今すぐ、永久フリーパス使います!」
「分かっている。ブルーコーラル宛てに、超特急の『国家最高機密・緊急暗号手紙』を今すぐ飛ばせ。奴は一国の国王だ、隣国の最高峰の情報網を動かして、シーリンの周囲の防衛線を今すぐ鉄壁に固めさせるよう伝える!」
「はい……っ!!」
金は、飛び散るインクも気にせず、次期ボスとしての凄まじい速度で暗号文をしたため始めた。
『レッド・ビアンカが国境を越えた。標的はシーリンだ。奴は姿を自由に変えて、今まさにそちらの王宮へと潜入しようとしている。一秒の猶予も無い。君の持てる全ての権力と影の力で、我が愛しい妹を何が何でも守り抜け。もしシーリンの髪一筋でも傷がついたら、我がブラウン家はスペーシング王国を敵に回してでも、その国を精鋭暗殺部隊の蹂躙で潰しに行くからな』
金の、シスコンの怒りとプロのスパイとしての冷徹さが極限まで融合した、恐ろしすぎる超特急の緊急暗号連絡。
ファンナステッド王国の闇の頂点から放たれたその緊迫の報せは、二国間の永久フリーパスの闇ルートを駆け抜け、何も知らずに甘い新婚生活を送っているシーリンの元――そして、彼女を命がけで愛するスペーシング王国の国王、ブルーコーラルの元へと、凄まじい速度で弾き飛ばされるのだった。




