第5話:昏き王子の企みと、暗躍する影
放課後の第一王子グレイスタードの学園の寮の私室。
重厚なカーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中で、王子はデスクに肘をつき、深く、重いため息を漏らしていた。グレーの瞳はどこか虚ろで、机の上の書類を見つめたまま焦点が合っていない。
そこへ、すり寄るような足取りで近づいてきたのは、王子の腰巾着であるダクワール子爵だった。
「……殿下、学園生活はどうですかな? 何かお悩みでも?」
ダクワールが下卑た笑みを浮かべて問いかけると、王子は霞がかった頭を振るようにして、ぽつりと重い口を開いた。
「実は……私は、ブラウン伯爵令嬢をどうしても自分のそばに置きたいと思っているのだ。あの日、入学式で彼女を見た瞬間から、私の心は彼女のことでいっぱいなのだ。……しかし、私にはデールという婚約者がいる。どうしたらいいものか……」
王子のその言葉を待っていたかのように、ダクワールの細い目がギラリと妖しく光った。
「なるほど、左様でございますか。……それならば殿下、この私が、デール様の悪い噂を流しましょう」
「デールの、噂……?」
「ええ。ちょうど先日、懇意にしている貴族のご令嬢から、デール様がブラウン伯爵令嬢に向かって物を投げつけ、激しく叱りつけていたという話を聞きましてね。……その噂を学園中に流すのです。そして同時に、傷ついたブラウン伯爵令嬢を、殿下が優しく支えようとしている、という噂もご一緒に。」
ダクワールは言葉巧みに、王子の歪んだ執着をさらに煽り立てるように囁く。
「……それで、本当に上手くいくのか?」
「はい、間違いございません。私が何としてでも、ブラウン伯爵令嬢があなたのそばに行くよう仕向けます。殿下は何も案ずることはございません、安心してお待ちください……」
ダクワールは満足そうに口元を歪めると、何故か部屋の奥へとねっとりとした視線を走らせた。
「では殿下、私はこれで失礼いたします」
そう言い残し、ダクワールは影に溶けるように部屋を去っていった。
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ダクワールが部屋を出た瞬間、すぐ目の前から冷ややかな声が降ってきた。
「――おや、ダクワール子爵ではありませんか」
「ひゃうっ!?」
子爵は短い悲鳴を上げて飛び上がった。
廊下の影から音もなく姿を現したのは、紫の髪を夜風に揺らした青年――王子の側近、アズパープル・トルネークだった。その冷徹な紫の瞳は、まるで獲物の隙を狙う鷹のように鋭く子爵を射抜いている。
「あ、ア、アズパープル殿……! こ、これは奇遇、ですな……」
子爵はみるみるうちに顔を青ざめさせ、額から新たな脂汗を噴き出させた。
アズパープルは懐に手をそえたまま、ゆっくりと子爵に歩み寄る。その足音すら、子爵にとっては死神の足音のように聞こえた。
「こんな学園の寮まで来られるとは、何か急ぎの用でもあったのですか? 殿下の私室へ入られる貴族の手配は、すべて私が把握しているはずですが……」
有無を言わせぬ威圧的な声が、廊下に低く響く。
アズパープルの目は完全に疑っていた。ただでさえ最近のグレイスタード王子の様子はおかしい。その王子が、素行が悪いことで有名なダクワール子爵を、側近である自分を通さずに秘密裏に部屋へ招き入れているのだ。それもわざわざ学園の寮まで。まともな用件であるはずがない。
「い、いや! 何、大した用ではございません! 故郷の領地から珍しい銘酒が手に入りましてな、殿下へ献上しようと……! ですが、殿下はお疲れのご様子でしたので、すぐにお暇した次第です!」
子爵は引きつった笑みを浮かべ、必死にでっち上げた言い訳をまくしたてた。
「ほう。銘酒、ですか。しかし、子爵の手には、何も持たれていないようですが?」
アズパープルの鋭い突っ込みに、子爵は息を詰まらせ、喉をひっくつかせた。
「そ、それはその! 侍従の方に先に預けて参りましたので! ああ、夜も更けてまいりました、私めはこれにて失礼いたしますぞ!」
子爵はこれ以上追及されてはたまらないとばかりに、アズパープルの横をすり抜け、太った体を揺らしながら逃げるように廊下を走り去っていった。
その見苦しい後ろ姿を、アズパープルは冷ややかな紫の瞳で見送る。
「……見え透いた嘘を。殿下、一体あの男と何を企んでおられるのですか」
アズパープルは王子の部屋の扉を一瞥し、深く、重い溜息を漏らした。主君の狂気が、じわじわと取り返しのつかない破滅へと向かっている不穏な予感が、彼の胸を黒く染めていく。
◇
一方、アズパープルの追及を命からがら逃げ延びたダクワール子爵は、学園の社交場の片隅へと駆け込んでいた。
息を切らしながらも、彼はすぐに、日頃から利害関係で繋がっている数人の貴族の子息や令嬢たちを呼び寄せた。
「いいかね、皆の者。ここだけの深刻な話があるのだ」
子爵は周囲を気に隠すように声を潜め、いかにも「重大な秘密を共有してやる」という体で話し始めた。
「実は……ホワイト公爵家のデール様が、ブラウン伯爵家のシーリン嬢を、嫉妬のあまり陰湿にいじめているという確かな筋からの噂があってな」
「えっ、あのデール様が……!?」
「まあ、なんて恐ろしい……」
令嬢たちが驚きに小さな悲鳴を上げる。子爵は
我が意を得たりとばかりに、さらに言葉を重ねた。
「シーリン嬢は涙一つ見せず、必死に耐えている可哀想な被害者なのだよ。グレイスタード殿下もその健気さにひどく心を痛め、彼女をこの理不尽な悪意から守ってあげたいと切望されているそうだ。……ねえ君たち、これは見過ごせない問題だろう? ぜひ、仲の良い友人たちにも伝えてあげてほしい。どんどん周りに伝えて、この学園の正義を守るのだ」
「わかりました、子爵様。私、すぐに明日の朝一番でクラスの皆に伝えますわ!」
「可哀想なシーリン嬢のためにも、噂を広めなくてはね」
子爵の巧みな言いくるめに、面白半分な生徒たちは完全に躍らされ、正義感に目を輝かせた。
「うむ、頼んだよ。私はこれで失礼する」
計画が完璧に始動したことを確信し、子爵は満足げに下卑た笑みを浮かべて学園を後にした。




