第2部:第2話:ファンナステッドの影
学園の卒業と、あの壮大な婚約式から月日は流れ――。
ファンナステッド王国の裏社会、そして国家防衛の根幹を担う隠密組織の体制は、大幅に強化されていた。
最高権力者である国王陛下の直属として、この国のあらゆるスパイ活動、防衛網の最高責任者に新たに就任したのは、第二王子ブラックスタード殿下であった。
そして、そのブラックスタードが最も信頼を置き、実戦部隊および隠密・諜報部のトップとして変わらず組織を率い続けているのが、シーリンの実家であるブラウン公爵家。現在は、地味で気弱そうなフリをした父親から、あの陽気でモデル並みのイケメンな長男オールゴルト・ブラウンへと、影の首領の座が正式に引き継がれようとしていた。
◇
「――それで、ブラックスタード殿下。例の『黒魔女レッド・ビアンカ』の捜査状況はどうなっていますか?」
薄暗い王宮の地下、最高機密が敷き詰められた隠密作戦室。
オールゴルトは、普段の妹に見せるようなデレデレとしたシスコンな笑顔を完全に消し去り、冷徹で、獲物を逃さない本物の『影の首領』としての眼光を宿して、デスクの前に立つブラックスタードへと問いかけた。
デスクに両手をつき、漆黒の髪を揺らしたブラックスタードは、黒一色の瞳を苦々しげに濁らせる。
「フン……。我が国のスパイ活動の頂点たる私の情報網と、君たちブラウン家の誇る『諜報部』の総力を挙げて大捜索を行っているというのに、未だにレッド・ビアンカの髪の毛一本の手がかりすら掴めない。……流石は、かつてダクワールを手助けして完璧に闇に潜んでいた特級の魔女だな。容姿を自在に変えられる能力…擬態のせいで、網の目をすり抜けるようにするりするりと逃げ隠れされてしまう」
「ええ。我がブラウン家の私設精鋭部隊をファンナステッド全土、果ては国境線にまで配備して包囲網を狭めているのですが、あと一歩のところで煙のように巻かれてしまうのです。……ですが殿下、我々だけではありません。隣国スペーシング王国側――妹のシーリンの旦那様となったブルーコーラル陛下が率いる『隣国の影』たちも、すでにこちらと手を組んで極秘裏に動き出しています」
オールゴルトがそう告げると、ブラックスタードは「ブルーコーラルも、か」と低く声を漏らした。
シーリンへの愛のために一国の王にまで上り詰めた、あの隣国の国王。彼が率いるスペーシング王国の最高峰の情報網が、ファンナステッド王国の「ブラックスタード×ブラウン家」という最強の影と合流し、今や二つの国が総出で一人の魔女を捕まえようと裏社会を完全包囲していた。
「……だが、全く手がかりが掴めないわけではないぞ、オールゴルト」
ブラックスタードが不敵にニヤリと笑い、一枚の最新の暗号報告書をデスクに提示した。
「スペーシング王国の影と、君たちの諜報部が協力して裏社会の闇ルートを洗った結果、面白い情報をキャッチした。……潜伏中の黒魔女レッド・ビアンカが、裏社会の仲間に莫大な報酬を支払い、血眼になって『ある人物』の正体を探し回っているらしい」
「ある人物、ですか?」
オールゴルトが眉をひそめる。
「ああ。数ヶ月前、兄上の私室から消えた、あの『香炉に描かれていた術式を解いた者』だ。魔女は自分の最強の呪詛を上書き解除されたことで、プライドをズタズタに引き裂かれ、狂気的な怒りと恐怖を胸に犯人を特定しようと動いている。……もう、お前にも分かるだろう?」
「――ッ!!!」
その瞬間、オールゴルトの顔から一切の余裕が消え去り、凄まじい焦燥と冷酷な怒りで一瞬にして表情が凍りついた。
あの香炉の術式を一瞬で、しかも落ちていた小枝でササッと解いた化け物。
それは、世界中を探してもただ一人――現在、スペーシング王国の王宮の奥で、何も知らずにのんびりとデールへの手紙を読みながら新婚生活を送っている、自分の最愛の妹・シーリンに他ならない。
「……あいつ、私の可愛いシーリンを狙っているのか」
オールゴルトの全身から、ドス黒い、触れた者すべてを噛み殺さんばかりの圧倒的な『影の首領』の殺気がブワリと立ち上る。
ブラックスタードもまた、黒い瞳に獰猛な炎を灯した。
「面白い。私の率いる国家組織の総力、そして君たちの諜報部の力、すべてを以てその小賢しい魔女を逆に徹底的にハメ殺してあげよう。……あの小鳥の髪一筋さえ、傷つけることは許さない」
最強の男たちが、シーリンを守り抜くための『過保護防衛戦』を決意したその頃。
黒魔女レッド・ビアンカは、最強スパイ連合の包囲網を交わしながら、様々な人間の姿に擬態してじわじわと王宮の深部へと侵入し、ついに術式を解いた正体が「シーリン・ブラウン」という名前に辿り着こうとしていたのだった――。




