第39話:翡翠と紫紺の引き際、そして漆黒の誓い
スペーシング王国での、あの前代未聞の国王宣言が飛び出した『婚約式』を無事に終え、帰国した一同。
我が実家であるブラウン家の大広間では、私たちの正式な婚約を祝うための、華やかなパーティーが催されていた。
会場が美しい音楽と笑い声に包まれる中、真っ先にお祝いを言いに私たちの元へと歩み寄ってきたのは――正気に戻った第一王子グレイスタードと、我が最推し、デール・ホワイト公爵令嬢の二人だった。
「ブルーコーラル殿下、シーリン様、この度は正式なご婚約おめでとうございます」
デールはそう言って上品に微笑んでくれたが、次の瞬間、キッと美しく眉をひそめると、私の隣にいるブルーコーラルに真っ正面から詰め寄った。
「……それにしてもブルーコーラル殿下。シーリン様のために自国で国王になると宣言されたのは素晴らしいと思いますけれど……私の唯一の親友をスペーシング王国へ連れて行ってしまうなんて、本当に生意気だわっ!」
プンプンと怒るツンデレなデールの愛らしさに、私が顔を真っ赤にして思わず「ふふふっ」と笑っていると、ブルーコーラルは困ったように、けれど切実に、私の腰を抱き寄せる手に力を込めて答えた。
「すまないね、デール嬢。だけど、私も彼女をどうしても手放したくないんだ。……君が彼女の隣に立つのならまだ許せるけれど、他の男となると話が変わる。私以外の誰も、彼女に近づけさせたくないんだよ。だから、どうか多めに見てほしいな」
しおりのデールへの狂信すら丸ごと肯定するような、ブルーコーラルのあまりにも真っ直ぐな独占宣言。それ聞いたデールは、白銀の瞳をパッと丸く見開いた後――。
「ふふふ。シーリン様、安心いたしましたわ。とっても愛されていて……この方ならば、私も安心してお任せできそうですわ」
誰もがパッと目を奪われるほどの、世界一美しい、一点の曇りもない極上の笑顔でそう言ってくれたのだ。最推しからの、これ以上ない最高のハッピーエンドの祝福。私の胸は尊さで張り裂けそうだった。
すると、あの事件の後から私と一度も話していなかったグレイスタードが、きゅっと唇を噛みしめ、重い口を開いた。
「……この度はおめでとう、シーリン嬢。……それから、今まで、色々と本当にすまなかった」
王子としてのプライドを捨て、私の前で深く、深く頭を下げたグレイスタード。
私は目を見開き、それから、今や世界で一番大切な親友となった令嬢の横顔を見つめ、心を込めてお辞儀を返した。
「どうぞ、デール様とお幸せに、グレイスタード殿下」
あの洗脳が解け、今ではデールのスパルタ教育のもとで必死に頑張っている。私がこのゲームの世界に転生してまでへし折りたかった絶望の未来は、これで本当に、完全に消えてなくなったのだ。
◇
そんな私たちの眩いほどのハッピーエンドの光を、会場の少し薄暗い壁際から、じっと見つめている三人の男たちがいた。
グリーンタール、アズパープル、そして第二王子ブラックスタード。
彼らはグラスを片手に持ったまま、ブルーコーラルの隣で、今まで誰にも見せたことのないような、心からの幸せそうな笑顔を咲かせているシーリンを、ただ静かに見つめていた。
「……あんな顔をするシーリン嬢は、見たことがないな」
ぽつり、と苦しげに呟いたのはグリーンタールだった。その新緑の瞳には、かつて「私だけを見てくれ」と狂おしく叫んだ時の熱情ではなく、どこか穏やかで、しかし深い寂しさを湛えた光が宿っている。
「私と劇場へ行った時も、夜景の丘にいた時も、彼女はいつも私の顔を見てパニックを起こして赤くなっていた……。だが、あいつの隣にいる彼女は違う。完全に、一人の恋する少女の顔をしているじゃないか。……私たちの負けだ、アズパープル。認めざるを得ないな」
グリーンタールは自嘲気味に微笑むと、グラスに残った琥珀色の酒を一気に飲み干した。
「……ええ。本当に、悔しいですが……そのようですね」
アズパープルもまた、手元にあるグラスを見つめながら、冷徹な紫の瞳を微かに揺らした。いつも完璧な彼の背中が、今日ばかりはどこか小さく見える。
「私は彼女を、自分のこの手の中だけで誰の目にも触れさせずに守りたいと願った。……ですが、ブルーコーラル殿下は、彼女が大切にしたい世界を、彼女のデール様への愛ごと、全てを守るために王座すら奪ってみせた。……私の生涯のプロポーズなど、あの方の覚悟の前には、あまりにも小さすぎたということです。……これからは、私はファンナステッド王国とスペーシング王国の『未来永劫の友好』を裏から支えることで、彼女の幸せを全力で守る友人になりましょう」
「アズパープル……。ああ、そうだな。私も公爵家の人間として、彼女を、生涯をかけて外側から守り抜くと誓おう」
二人の男が、切なくもどこか清々しい表情で、恋心の白旗を上げた。
そんな二人の横で、終始無言だった第二王子ブラックスタードは、漆黒の髪を退屈そうにかき上げると、黒一色の瞳をギラリと光らせて不敵にニヤリと笑った。
「フン……。グリーンタールもアズパープルも、ずいぶんと物分かりが良いな。だが、私は簡単に白旗を上げるつもりはないぞ?」
「ブラックスタード殿下……?」
二人が驚いて見上げる中、ブラックスタードは私とブルーコーラルが仲睦まじく歩く後ろ姿をじっと見つめた。
「他国の次期国王が相手では、今すぐ力ずくで彼女を奪うことはできない。……だが、未来は誰にも分からないだろう? もしもあの青い男が、ほんの一瞬でも彼女を泣かせるような真似をしてみろ。私は我が国の第二王子として、そして彼女の実家の完全な理解者として、いつでも彼女をこの腕の中に掠め取りにいく。……私はこれからもずっと、彼女の隣を狙う『最強の猟犬』として、彼女を見守り続けるさ」
「……はは、相変わらず恐ろしい執念ですね、殿下」
「あいつが浮気でもしたら、その時は三人でスペーシング王国に攻め込みましょうか」
グリーンタールとアズパープルが苦笑し、男たちの間に、かつての戦友のような不思議な絆が生まれていた。
自分の大好きな最推しデールを救い出し、そして隣国の王子の隣で、世界一のハッピーエンドを掴み取ったシーリン。
会場の隅で、彼女に恋をした完璧なオオカミたちが、それぞれの方法で「彼女の一生の幸せを守る」と静かに誓い合っていることなど、満面の笑顔を浮かべるしおりは、まだ何も知る由もなかったのだった。




