第5話 【魔骸】
「今の……ッ!?」
揺子の緊張が喚起された。距離からして、そう遠く離れてない叫び。
話の途中だが人命優先。少女の魔法については、この際どうでもいい。
「あなたはもう帰りなさい」
悲鳴の方向を見据え、揺子は杖を取り出した。
「夜の魔物は危険よ。戦おうなんて、思わないで!」
「待っ――!?」
少女の止める声を背に一息で駆け出す。
悲鳴の方角は完全な闇の中。明かりが欲しいところだが、下手に魔法を使っては敵に位置を知らせてしまう。ゆえに――
「フギンちゃん、索敵お願い!」
命令を受け、フギンが空高く羽ばたいて先行した。すると標的を見つけたのか、距離にして三〇メートル先の雑木林。その直上で旋回しはじめた。
が、様子がおかしい。妙に羽をバタつかせ、慌てている。
「ユリコ、来ルナァ! コイツハ……ッ!」
「? 何を言って……」
構うものか。先手必勝だ。揺子は杖に魔力を通し、支柱を輝かせた。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉――」
直後、それは間違いだったと思い知る。
もっと慎重になっていれば。警告に耳を傾けていれば。
だが、もう遅い。闇の中へと躍り出た瞬間、輝く杖に照らされて浮かんだ――髑髏の仮面。その窪んだ眼窩からのぞく、白く濁った銀の瞳に射抜かれて、
「――――」
揺子は殴り飛ばされた。
「がッ!?」
衝撃は一瞬だった。流れる景色のなか、全身の激痛が痺れに変わっていく。まるで車に撥ね飛ばされたよう。そう自覚するより早く地面に転がった。
「ぐ……ッ」
それでも意識は保たれた。いや、動転していたと言うべきか。
なぜならば――
「た、スケ、てェ……たす、けけけぇぇぇ……ッ!」
暗い林の向こうから、啜り泣くように響くおぞましい声。
次いで鼻をつく腐敗臭。場の空気が、一気に澱んでいく。
「嘘」
ありえない、こんなこと。
「なん、で……」
いるはずがない。
脳裏に焼きついた記憶が現実を否定する。三年前。あの戦いの果てに、ヤツらは消えたはずなのだ。それなのに――
「タす、け……テぇ……ッ!」
闇の奥から現れた〝それ〟は、記憶の中の怪物と同じだった。
顔を覆う色鮮やかな髑髏の仮面。歯列の隙間から滴る血液。黒く肥大化した四肢は歩くたびに軋むような音を鳴らす。
そして何より――黒く充血した怪物の瞳。
黒い眼窩で濡れ光る、白く濁った銀の色。
死を連想させる、意思すら曖昧な残り滓。
「ぁ……」
理解が、遅れてやってくる。
――倒さなければ。
瞬間、脳内に溢れ出す忌まわしい記憶。焼けた空気。灰の臭い。走馬灯のごとく瞬く凄惨な光景が、憤怒の引き金となって揺子の理性を消し飛ばす。
「〈アルス・ハオス・ケルヌァス〉――〝切り裂け〟ッ!!」
杖を振るって斬撃を飛ばす。虚空を奔る風の刃。
「がァッ⁉」
切り裂かれる肉。吹き出す血液。それでも致命傷には至らない。怪物の傷は見る見るうちに閉じ合わさり癒着していく。
「やメ、ろrrrrr――――ッ!」
怪物が雄叫びをあげ突進してきた。腐敗臭が一層きつくなる。
「〈ヴィルニルヤ・イェレスマイヤ〉――〝穿て〟ッ!!」
杖先を向けた直後、怪物の身体に孔が生じた。それでも突進は止まらない。怪物は受けた傷など意にも介さず、ただ揺子目がけて襲いかかる。
「イたィッ!」
「く――ッ!?」
突き出された手を紙一重で避け、態勢を立て直すべく後退。逃がすまいと追う怪物。だが、揺子のほうが一手早かった。
「〈ヴィルニルヤ・イェレスマイヤ〉――〝穿て・七重詠唱〟‼」
至近距離で放たれた魔法が、間を置かず七度連続で炸裂した。
狙った対象に孔を穿つ神秘が重なり、怪物の身体に穴を開けていく。
胸、肩、腹、喉。瞬く間に全身が撃ち抜かれ、怪物は蜂の巣と化した。
「――ゴ、がッ……」
血のあぶくを吹き出して、怪物が地面に倒れ伏す。その姿に警戒しながらも、すぐさま揺子は駆け出した。怪物の弱点を狙うために。
それは仮面。力の源泉たるそこを砕けば――
「ユリコ、離レロォ!」
フギンの警告。しかし、手遅れだった。
倒れ伏したまま身を起こしもせず、怪物は腕を振るって揺子を払い飛ばした。バネ仕掛けのように跳ね起きる漆黒の巨体。穿たれた孔は、いつの間にか閉じていた。
まずい。こうなったら最大火力を見舞うまで!
「〈ナティア・シア・ソーティア〉――」
だが詠唱は、幼い悲鳴に断ち切られた。
「だめぇえええ!!」
「な――ッ!?」
腰に絡みつく小さな腕。大人の揺子を押し倒す膂力。
飛び込んできたのは――白い魔法少女だった。
「この……ッ!」
怪物が来る。腕が迫る。これでは最大火力を放てない。自身の体勢が不利と見るや揺子は、少女を抱えたまま代わりの魔法を唱えた。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉――〝吹き飛べ〟ッ!」
瞬く閃光が衝撃波となって、怪物を勢いよく吹き飛ばす。数十メートル先まで何度も地面を跳ね転がると、怪物は公園の事務所に激突して瓦礫の山に埋もれた。
敵が再起する前に次の手を。揺子は立ち上がった。
が、その前に。どうしても無視できない事がある。
「ちょっと、あなた!!」
倒れていた少女の腕を掴み、半ば強引に引き起こす。
「なんでアイツを庇った!? あれがどういう魔物か知ってるでしょ!?」
「え、あれって――」
「【魔骸】よ!!」
怪物の名を揺子は知っていた。知らない魔法少女はおろか、民間人もいない。
なのに、少女はただ事務所を見つめて、茫然とつぶやくだけ。
「まがい……」
「フザケないで!!」
怒声が夜気を震わせた。
「あれはマレフィシアの手先! 悪の首領が最後に生み出した魔物! 人質、騙し討ち、公開処刑、平気でやる! 人の祈りを、恐怖に変える化け物よ!」
半壊した事務所を睨みながら、揺子は記憶を呼び起こした。
「言葉で人を騙すの! 助けてって泣いて、情けをかけた隙に喉元を食い千切る! 何人もの魔法少女が殺された!」
息が荒くなる。それでも言葉は止まらない。
「だから全部倒したの! 三年前、マレフィシアもろとも! 今じゃ記録映像でしか知れないくらい――この世から消えたはずなのに!」
なんで。なんで今さら。
言葉は続かず、荒い息だけが空に散った。
今でも夢に見る、血塗られた当時の光景。
それを知らない子供に戦わせるなど、あまりにも酷だ。
揺子は少女を見つめた。憧れだけで魔法少女になった幼い子供。
揺子も最初はそうだった。清く、正しく、美しく戦う魔法少女。
けど、現実は違った。かつて抱いた理想は、壊されてしまった。
この少女には、あんな思いをさせたくない。
――お願いだから、諦めて。
しかし揺子の想いは、少女には届かなかった。
「でも、あの魔物――泣いてました」
「……は?」
毅然と言い放たれた言葉に、しばし揺子は呆けてしまう。
その隙に、少女が瓦礫へと向かって歩き出す。
「だから、私が助けます」
「――馬鹿言わないで!」
少女の肩を掴む。
「泣いてたって、話を聞いてなかったの!? それが【魔骸】の手口よ!」
「私には見えます。あの魔物の色が」
「そんなもの、見えたって関係ない!」
「それにお姉さんはもう、戦えません」
「あのね‼」
いよいよ制止を物ともしない少女に、さすがの揺子も限界がきた。
こうなったら力づくで――そう思った瞬間、焼けるように感じる腹部の激痛。見下ろせば、シャツが赤く染まっていた。膝が抜けて、揺子は体勢を崩す。
いつの間に傷を負ったのか。けど、この程度なら問題ない。
「治癒魔法で――」
唱えようとして、揺子は愕然とした。杖の支柱にひびが入っている。漏れた魔力が光の粒子となり、虚空に散っていた。
「そんな、これじゃ魔法が……」
あのとき――倒れた【魔骸】の一撃が、杖ごと腹部を抉っていたのだ。
「もう、無理しなくて大丈夫です」
少女が決然と瓦礫を見た。その小さな背中が、揺子を際限なく焦らせる。
「待って、行っちゃダメ!」
「平気です。私の魔法なら」




