第6話 【魔骸】
「今の……ッ!?」
揺子の緊張が喚起された。距離からして、そう遠く離れてない叫び。
話の途中だが人命優先。少女の魔法については、この際どうでもいい。
「あなたはもう帰りなさい」
悲鳴の方向を見据えながら、揺子は杖を取り出した。
「夜の魔物は危険よ。戦おうなんて、思わないで!」
「待っ――!?」
少女が止める声を背に一息で駆け出す。悲鳴の方角は完全な闇の中。明かりが欲しいところだが、下手に魔法を使っては敵に位置を知らせてしまう。ゆえに――
「フギンちゃん、索敵お願い!」
命令を受け、フギンが空高く羽ばたいて先行した。すると標的を見つけたのか、距離にして四十メートル先の雑木林。その直上で旋回しはじめた。
が、様子がおかしい。妙に羽をバタつかせ、慌てている。
「ユリコ、来ルナァ! コイツハ……ッ!」
「? 何を言って……」
構うものか。先手必勝だ。揺子は杖に魔力を通し、支柱を輝かせた。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉――」
直後、それは間違いだったと思い知る。
もっと慎重になっていれば。あるいは、警告に耳を傾けていれば。
だが、もう遅い。闇の中へと躍り出た瞬間、輝く杖に照らされて浮かんだ――髑髏の仮面。その窪んだ眼窩からのぞく、白く濁った銀の瞳に射抜かれて、
「――――」
揺子は殴り飛ばされた。
「が――!?」
衝撃は一瞬だった。流れる景色のなか、全身の激痛が痺れに変わっていく。まるで車に撥ね飛ばされたよう。そう自覚するより早く地面に転がった。
「ぐ……ッ」
それでも意識は保たれた。いや、動転していたと言うべきか。
なぜならば――
「た、スケ、てェ……たす、けけけけけぇえぇぇぇ……っ!」
暗い林の向こうから、啜り泣くように響くおぞましい声。
次いで鼻をつく腐敗臭。場の空気が、一気に澱んでいく。
「う、嘘……」
ありえない、こんなこと。
「なんで……」
――いるはずがない。
脳裏に焼きついた記憶が現実を否定する。三年前。あの戦いの果てに、ヤツらは消えたはずなのだ。それなのに――
「タす……け……テぇ……ッ!」
闇の奥から現れた "それ" は、記憶の中の怪物と同じだった。
顔を覆う色鮮やかな髑髏の仮面。歯列の隙間から滴る血液。黒く肥大化した四肢は歪なまでに折れ曲がり、歩くたびに軋むような音を鳴らしている。
そして何より――怪物の瞳。
黒い眼窩で濡れ光る、白く濁った銀の色。
それは生者の色ではない。意思すら曖昧な残り滓。
「ぁ……」
理解が、遅れてやってくる。
――倒さなければ。
瞬間、脳内に溢れ出す忌まわしい記憶。走馬灯のごとく瞬いた凄惨な光景。
憎悪。悲嘆。後悔。あの日に焼きついた感情が、憤怒の引き金となって、
「あああああぁぁぁぁぁッ!!」
揺子の理性を消し飛ばした。
「〈アルス・ハオス・ケルヌァス〉―― "切り裂け" ッ!!」
杖を振るって斬撃を飛ばす。虚空を奔る風の刃。
「がァッ!?」
切り裂かれる肉。吹き出す血液。それでも致命傷には至らない。怪物の傷は見る見るうちに閉じ合わさり癒着していく。
恐ろしい再生力。やはりあの時から変わらない。
「やメ、ろrrrrr――――ッ!」
怪物が雄叫びをあげ突進してきた。腐敗臭が一層きつくなる。
長期戦は不利。そう判断するや、揺子はさらに魔法を唱えた。
「〈ヴィルニルヤ・イェレスマイヤ〉―― "穿て” ッ!!」
直後、怪物の身体に孔が生じた。それでも突進は止まらなかった。怪物は受けた傷など意にも介さず、ただ揺子目がけて猛然と襲いかかる。
「イたィッ!」
「く――ッ!?」
突き出された手を寸でのところで避け、揺子は態勢を立て直すべく距離を取った。逃がさんと追いかける怪物。だが、揺子のほうが一手早かった。
「〈ヴィルニルヤ・イェレスマイヤ〉―― "穿て・七重詠唱" !!」
至近距離で放たれた魔法が、間を置かず七度連続で炸裂した。
狙った対象に孔を穿つ神秘が重なり、怪物の身体に穴を開けていく。
胸、肩、腹、喉。瞬く間に全身が撃ち抜かれ、怪物は蜂の巣と化した。
「――ゴ、がッ……」
血のあぶくを吹き出して、怪物が地面に倒れ伏す。その姿に警戒しながらも、揺子は残心を怠らない。怪物には再生能力がある。
だからこそ、揺子は先の魔法を唱えた。身体の八割を失えば、きっと――
「ユリコ、離レロォ!」
一早く危険を察知したフギンが警告する。が、手遅れだった。
倒れ伏したまま身を起こしもせず、怪物は腕を振るって揺子を払い飛ばした。バネ仕掛けのように跳ね起きる漆黒の巨体。穿たれた孔は、いつの間にか閉じていた。
まずい。こうなったら最大火力を見舞うまで!
「〈ナティア・シア・ソーティア〉――」
だが詠唱は、幼い悲鳴に断ち切られた。
「だめぇえええええッ!!」
「な――ッ!?」
腰に絡みつく小さな腕。大人の揺子を押し倒す膂力。
飛び込んできたのは――白い魔法少女だった。
「この……ッ!」
怪物が来る。腕が迫る。これでは最大火力を放てない。自身の体勢が不利と見るや揺子は、少女を抱えたまま代わりの魔法を唱えた。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉―― "吹き飛べ" ッ!」
瞬く閃光が衝撃波となって、怪物を勢いよく吹き飛ばす。数十メートル先まで何度も地面を跳ね転がると、怪物は公園の事務所に激突して、瓦礫の山に埋もれた。
敵が再起する前に次の手を。揺子は即座に立ち上がった。
が、その前に。どうしても無視できない事がある。
「ちょっと、あなた!!」
倒れていた少女の腕を掴み、半ば強引に引き起こす。
「なんでアイツを庇った!? あれがどういう魔物か知ってるでしょ!?」
「え、あれって――」
「【魔骸】よ!!」
怪物の名を揺子は知っていた。知らない魔法少女はおろか、民間人もいない。
なのに、少女はただ事務所を見つめて、茫然とつぶやくだけ。
「まがい……」
「フザケないで!!」
怒鳴り声が、夜気を震わせる。
「あれはマレフィシアの手先! 四人の幹部が倒されたあと、悪の首領が作った魔物よ!」
半壊した事務所を睨みながら、揺子は記憶を呼び起こした。
悪の首領と四人の幹部。行いこそ悪でも、彼らは最後まで "物語の敵役" だった。
だが【魔骸】は違う。四幹部が越えることのなかった一線を、平気で越えた。
「人質、騙し討ち、公開処刑、平気でやる! そうして恐怖を撒き散らし、人の祈りを絶望に変える! あいつらはそういう魔物なの!」
その凶行は、ついに政府と魔法少女協会が対策を取るほど。
「あなたがこだわるランキング制度はね、元々は【魔骸】を倒すために作られたのよ! 人々の祈りを十人の魔法少女に集中させて、ようやく悪の首領ごと消し去った!」
激戦の果てに悪の首領は倒され、【魔骸】も消滅。
世界はようやく平和を取り戻した、はずだった。
「なのにまた現れた! 消えたはずなのに、また!」
すでに声は怒りだけでなく、確かな恐怖が滲んでいた。
「だから庇っちゃいけないの! 【魔骸】は人を真似して騙す化け物! 一瞬でも情けをかけたら、その隙に喉元を食い千切られる!」
息が荒くなる。それでも言葉は止まらない。
「倒すしかないのよ、ヤツらは! じゃないと私たちだけじゃない、多くの人間が襲われる! たとえ逃しても誰かを守れるほど――【魔骸】は人間に甘くない!」
今でも時おり夢に見る、血塗られた当時の光景。
失意と絶望。多くの魔法少女が【魔骸】に殺された。
それを知らない子供に戦わせるなど、あまりにも酷だ。
揺子は少女を見つめた。憧れだけで魔法少女になった幼い子供。
揺子も最初はそうだった。清く、正しく、美しく戦う魔法少女。
けど、現実は甘くなかった。かつて抱いた理想は、壊されてしまった。
――お願いだから、諦めて。
心の底から願う。この少女には、そんな思いをさせたくない。
しかし揺子の想いは、少女には届かなかった。
「でも、あの魔物――泣いてました」
「……は?」
少女が毅然と言い放った言葉に、しばし揺子は呆けてしまう。
その隙に、少女が瓦礫へと向かって歩き出した。
「だから、私が助けます」
「――馬鹿言わないで!」
少女の肩を掴む。
「泣いてたって……話を聞いてなかったの!? それが【魔骸】の手口よ! 言葉を使って人を惑わす、何人もの魔法少女が騙されてきた!」
「私には見えます。あの魔物の色が」
「そんなもの、見えたって関係ない!」
「それにお姉さんはもう、戦えません」
「あのね!!」
いよいよ制止を物ともしない少女に、さすがの揺子も限界がきた。
こうなったら力づくで――そう思った瞬間、焼けるように感じる腹部の激痛。見下ろせば、シャツが赤く染まっていた。膝が抜けて、揺子は体勢を崩す。
いつの間に傷を負ったのか。けど、この程度なら問題ない。
「治癒魔法で――」
急ぎ魔法を唱えようとして、揺子は愕然とした。杖の支柱にひびが入っている。漏れた魔力が光の粒となり、虚空に散っていた。
「そんな、これじゃ魔法が……」
そこでようやく思い至る――あのとき、倒れた【魔骸】による一撃が杖を傷つけ、そのまま腹部にまで届いていたことを。
「もう、無理しなくて大丈夫です」
少女が決然と瓦礫を見た。その姿が、揺子を際限なく焦らせる。
「待って、行っちゃダメ!」
「平気です。私の魔法なら」




