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エピローグ

 ルミナスタワーの事件から数日後。

 史上三人目となる成人魔法少女の誕生に、世間は大いに盛り上がっていた。


 知恵揺子――かつてクレイドルソフィアとして活動し、引退した元魔法少女。そんな彼女が再覚醒した事実は、連日あらゆる媒体で取り上げられている。


 人々の祈りが奇跡を起こす。そんな美しい結論で片づけるには謎が多すぎた。集まった祈りの総量によるものか、あるいは揺子の資質が関係したのか。専門家の見解は分かれ、再現性の目途さえ立っていない。


 けれど世間にとって、難しい理屈は二の次らしい。

 魔法少女協会の車に揺られながら、智代はタブレットに並ぶ記事を眺めていた。


『奇跡の成人魔法少女、華々しく復活!』

『大人でも変身できる? 魔法研究の常識を覆した知恵揺子氏』

『独占取材! 本人が語る再覚醒の真相――』


「独占取材なんて、受けてないはずっシュ」


 隣から画面を覗き込んだメムシュが、ぴくぴくと耳を動かす。


「うん。たぶん勝手に書いてるよね」


 記事を閉じ、智代は車窓に目を移す。今日もコスモスフィア魔法堂で授業を受ける予定だ。揺子からは「一緒に来てほしい場所がある」とも言われている。


 ところが、車は目的地から離れたところで停車した。


「参ったな……」

「どうした」

「あれだ」

「……マスコミか」


 運転手が難しい顔で、フロントガラスを示す。


「申し訳ありません、智代様。これ以上は近づけそうになく……」


 魔法堂の前は報道陣で埋め尽くされていた。玄関にはカメラとマイクを抱えた人々が並び、店から出てくる者を逃すまいと扉を見張っている。


「別の場所でお待ちになりますか?」

「ここで降ろしてください。裏から回ります」

「ではお気をつけて。夕方、お迎えに上がります」


 智代は礼を言い、ドアを開けてメムシュとともに降りた。

 建物の路地に入り、『聖櫃輝石《ラナ・ジュエル》』を取り出して魔力を注ぐ。


「チェンジ―― "Ex-magia(エクスマギア)" !」


 光に包まれた茶色の髪が桃色に変わり、白いドレスとティアラが現れる。変身を終えた智代はメムシュを連れて建物を飛び越えると、報道陣から見えない路地に回り込み、魔法堂の裏手へと着地した。


 変身を解き、裏口から店内に入る。


「おはようございま――」

「智代ちゃん!?」


 予想外の状況に、智代の目が点になった。

 部屋の中央で、揺子が四つん這いの姿勢を取っている。

 揺子の腰には、輪郭を淡く透かした『暁星王妃《エレンミア》』が足を組んで座っていた。六花とオリビアは助けるでもなく、困った笑みで二人を眺めている。


「……何してるんですか?」

「ち、違うの! これには事情が!」

「六年も我を放置したうえ、散々こき使ったのだ。相応の代価を払わせておる」


『暁星王妃《エレンミア》』は当然の権利を主張する口ぶりで、揺子の背中で足を組み直す。


「乗り心地は我が名馬 "グルファクシ" に遠く及ばぬがな」

「ぐぬぬ、覚えてなさいよ。この借りは絶対――」

「それ、何を停まっているか。進めぃ!」


 パシン、と揺子の尻を叩く。


「ひひぃん!?」


 揺子は悲しい顔で馬の鳴き真似をし、床を進み始めた。


「ユリコ、膝を痛めるわよ」

「心配するところ、そこですか社長……」


 オリビアは優雅に紅茶を口にし、六花は面白そうに笑いを堪えている。

 智代はどう反応すべきか分からず、メムシュと顔を見合わせた。


 やがて『暁星王妃《エレンミア》』は満足して姿を消すと、揺子が膝を擦りながら立ち上がる。


「もう嫌……最近、こんなのばっかり……」


 ぼやきながらソファに寝転がる。


「巡回すれば人だかり。魔物を倒せばサインと写真。マンションにも記者が張り込んでるし、おかげで智代ちゃんの授業もまともにできない……」


 愚痴の勢いが弱まり、揺子は申し訳なさそうに智代を見た。


「ごめんね。せっかく来てもらったのに」


 影響を受けているのは智代も同じだった。

 事件後に改めて開かれた記者会見では、自分の事よりも揺子に関する質問が相次いだ。二人はいつから知り合いなのか。何を教わっているのか。再覚醒の兆候はあったのか。

 智代の会見なのに、最後まで揺子について聞かれ続けたのだ。


「大丈夫です。気にしてません」


 智代が答えると、揺子は意外そうに顔を上げた。


「先生が魔法少女に戻ったことが嬉しいです。すごく授業が楽しみになりました」

「智代ちゃん……っ!」


 感極まった揺子が泣きそうな顔になる。しかし、その目が部屋の時計を向いた。


「あっ、もうこんな時間!?」


 勢いよくソファから起き上がり、大慌てで身支度を始める。

 六花が窓辺に立ち、カーテンの隙間から地上を覗いた。


「うへぇ、まだいるよぉ。しかも増えてる」


 報道陣は減るどころか、さらに数を増しているようだ。


「ねぇ、揺子。いっそのこと、智代ちゃん連れて飛んじゃえば?」

「そんなことしたら目立つじゃない。向こうでも人だかりよ」

「では正面から蹴散らすか?」

「エレンミアは黙ってて!」


 そのとき、外から悲鳴が上がった。

 何事かと全員窓に集まり、眼下を見下ろす。

 報道陣が逃げ惑う頭上で、鈍色の巨体が翼を広げていた。再生した両翼を打ち鳴らすたびに突風が吹き、カメラを構えていた人々を店先から押し退かせていく。

 飛翼蜥蜴《ウィンリヤ》の首元には、作業着姿のピカロが跨がっていた。


「魔物運送ピカロ便! お迎えに上がりましたぁ!」

「助かった。行くよ、智代ちゃん!」

「あ、はい。メムシュ!」

「シュゥ!」


 揺子が智代の手を取った。『暁星王妃《エレンミア》』をスカーフに変化させて首元に巻く。

 二人は意を決し店を出た。混乱に乗じながら飛翼蜥蜴《ウィンリヤ》の荷籠に乗り込む。


「しっかり掴まってろよ!?」


 巨翼が風を叩き、荷籠が浮き上がった。報道陣はなおも取材を試みようとするが、上空に飛び立った智代たちには届かない。


 なんだか楽しくなり、智代は揺子と笑みを交わした。



          ◇     ◇     ◇ 



 雲下を飛ぶ飛翼蜥蜴《ウィンリヤ》の背後で、荷籠が一定の間隔を保って揺れている。

 眼下に広がる街並みを眺めながら、揺子はピカロの背中に声をかけた。


「魔物運送の仕事、うまくいってる?」

「おうよ。注文が多すぎて困ってるくらいだ。普通の運送屋が入れねぇ山ん中でも、俺らなら荷物を届けられるからな」


 自慢げに胸を張り、ピカロは続ける。


「ゴブリンどもも悪させずに働いてるよ。いまじゃ立派な社員だ」

「そう。頑張ったのね」

「当然よぉ。商売ってぇのは信用第一だからな!」


 照れ隠しのような大声に揺子は笑った。


「ところで、塔から落ちてよく無事だったわね。みんな死んだと思ってた」

「俺もそう思ったよ。けど、王子様と天使みてぇな魔法少女が飛んできてな。俺とゴブリンを助けてくれたんだ」

「王子様と天使?」

「おう。世の中にゃあ、いろんな魔法少女がいるもんだなぁ」


 ピカロは遠い空を見るように目を細めた。揺子には心当たりがなかったが、ピカロを助けてくれた相手には、いつか礼を言いたい。


 荷籠の向かいでは、智代がメムシュを抱いて景色を眺めていた。風に髪を揺らす横顔に目を留め、揺子は頬の傷が消えていることに気づく。


「智代ちゃん、傷、綺麗に治ったね」

「はい。治癒魔法のおかげです」

「痕が残らなくて良かった」

「私は、先生が死ななくて良かったです」


 智代が笑う。揺子も服の上から腹部に手を当てた。

 尾に貫かれた箇所は、痕跡すら残さず塞がっている。その後の検査でも内臓や血管に異常はなく、失われた血液まで補われていた。日常生活への支障もない。

 あれほどの傷が完全に消えた理由は、再覚醒と同じく今も解明されていない。


 だが、揺子には心当たりがあった。すなわち、人々の祈りだ。


 それによって引き起こされた、魔法少女という名の奇跡。目の前で失われてしまう命があるのだから、今その瞬間だけでも救いがあってほしいと、託された願い。


 揺子はジーンズのポケットから『聖櫃輝石《ラナ・ジュエル》』を取り出した。

 金属を介して伝わる想いの熱に、目を閉じて答える。

 ありがとう。そして、これからも私は――


「先生?」

「ううん。……私も、生きてて良かったなって」

「はい!」


 智代の笑顔がいっそう明るくなった。


「おーい、着いたぞ!」


 ピカロの声に揺子は外を見る。

 飛翼蜥蜴《ウィンリヤ》が高度を下げていた。大通りの交差点に接する朝の広場。通勤時間を過ぎたばかりのそこには人影も少なく、中央に灰色の慰霊碑が建っている。


 六年前、ラポゾの自爆によって命を落とした人々の名前が刻まれた碑だ。

 ピカロに礼を言い、揺子は智代を連れて荷籠から降りる。慰霊碑の前まで歩くと、スカーフと化した『暁星王妃《エレンミア》』を首元から外した。


 銀河の裏地から花束を取り出し、そっと碑の前に供える。

 智代も隣に膝をついた。視線の先には、両親の名前が刻まれている。

 二人は長い間、言葉を交わさずに祈った。

 先に立ち上がった揺子は、朝日を受ける慰霊碑を見つめて言う。


「昔ね、ランキング一位になりたかったの」

「何か、願い事があったんですか?」

「うん。私には、どうしても叶えたい願いがあった」

「聞きたいっシュ」


 メムシュが無邪気に問う。

 それを微笑で受け、揺子は静かに語り出した。


「みんなが大切な人と笑って暮らせるような、平和な世界にしてください――って」


 口に出してみると、幼い頃の自分が考えた言葉のままだ。

 揺子は少しだけ恥ずかしくなり苦笑する。


「【魔骸】と戦うたびに誰かが仲間を失った。私も友だちを失くした。そんな悲しい別れを全部なくせたらって、本気で思ってたの。子供じみた願いだけど」

「子供じみてなんかいません」


 智代が強く否定した。その心遣いが嬉しい。


「ありがとう。けどね、一位には届かなかったし、知っての通り私は道を間違えた。もう私に叶える資格なんて無いし、今は目の前の人を助けるのが精一杯」


 かつては、自分なら世界を変えられると信じていた。

 ランキング一位になれば、争いも悲しみもない世界を実現できる。あの頃の揺子は、そんな途方もない願いを疑いもしなかった。


 けれど現実には、真逆の事を犯してしまった。


 エマを奪われた怒りに呑まれ、ラポゾの自爆を止められず、慰霊碑に刻まれた人々から日常を奪った。その中には、隣に立つ智代の両親も含まれる。


 世界中の人を笑顔にしたいと願った魔法少女が、五〇〇人もの人生を傷つけた。

 その矛盾を突きつけられてから、揺子は人を助けても何も感じなくなった。相手にどれだけ礼を言われても、見ていたのは覆せない過去ばかり。


 いつしか、何を願い戦っていたのかさえ忘れてしまった。


 だけど、今は違う。罪を消すためではなく、助けた人の笑顔を見たいから手を伸ばす。あの日懐いた夢には届かなくても、誰かを守ることができるのなら、それで――


「じゃあ、私が叶えます」


 智代が、さりげない口調で言った。


「……え?」

「前は、みんなにクレイドルソフィアを許してもらおうと思ってました」


 両親の名から目を逸らさずに続ける。


「けど、先生の罪は願いで消すものじゃないって教わりました。先生に救われた人がいることも、傷ついた人がいることも、どちらも無かったことにしちゃいけない」


 それは、初めて智代の願いを聞いた夜、揺子が教えたことだ。

 他人の人生を背負って、自分の願いを使ってまで揺子を救おうとしていた少女が、その意味を自分なりに受け止めている。


「だから今度は――先生のために一位になる」


 朝日を受けた茶髪が風に揺れ、セーラー襟の制服がそよいだ。未来を見据えるその姿は、何の疑いもなく理想を信じていた頃の揺子と重なった。


「きっと叶えてみせます。先生の夢は、私が――」


 迷いのない誓いに、揺子は答えを返せなかった。

 いつの間にか揺子は、理想を掲げる眩しさも、未来を望む喜びも思い出せなくなっていた。そんな夢見は終わったものと決めつけ、振り返ることさえ避けてきた。


 けれど夢は、智代に拾われた。


 揺子の罪をなくすためではない。自分が正しいと証明するためでもない。もう誰にも大切な人を失ってほしくないという、智代自身の願いとして。


 理想を継いだ智代は、いずれ多くの苦難に出会うことだろう。救えない命に傷つき、信じた選択を後悔し、どこに進めばいいか分からなくなる日も来るだろう。


 ならば、そのときは自分が導けばいい。


 正しい答えを教えるのではなく、共に悩み、傷つき、誰かの笑顔を喜べる智代に立ち戻れるよう支え続ける。もし道を見失ったのなら、何度でも連れ戻せばいい。それが今の揺子の生き方であり、教師として果たすべき責任なのだから。


 少なくとも、揺子が犯した過ちを独りでなぞらせることはない。


 嬉しそうに未来を語る智代が、うっすらと明るく、仄白い光に包まれているのを揺子は心に刻んだ。この先どれほどの時間が流れても、この光景を忘れないように。


「そっか。うん――嬉しい」


 込み上げた熱に目を細め、揺子は穏やかに息を吐いた。



          ◇     ◇     ◇ 



 ――揺子は、どうして魔法少女になろうと思ったの?――



 茜色に染まる教室で、彼女に訊かれる。

 傾く日の向こう。失われた微笑みが、儚げに溶けて消えていく。

 帰れない時間ばかりが美しく、古い傷に柔らかな光を落とした。

 その景色を引き留めるように、私は忘れかけた答えを口にする。

 想いは強く、誓いは熱を帯びて。



 ――私はね、助けた人の笑顔が、嬉しかったからよ――



             〈了〉

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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