第30話 審判の光
智代には見えていた。
「祈りが、届いたんだ……っ!」
街から無数の色が昇ってくる。
迷いに濁った紫。悲しみを含んだ青。今にも消えそうな小さな光もあった。
色も輝きも違う祈りが、傷だらけの揺子に集まっていく。
道路脇に停めたトラックの運転席で、男がスマートフォンを握っていた。かつて揺子が車体を受け止め、救った運転手だ。
『あの人は、女の子だけじゃない。俺も助けてくれた。立ってくれ……ッ!』
避難所のテレビの前では、一人の女性が古びた遺影を抱いていた。
『私は、まだ許せない。けど、あの子を守ろうとする気持ちは、きっと本当……』
病院のロビーで、六花はモニターを切実に見つめていた。
『立って揺子! 智代ちゃんを連れて帰るんでしょ!?』
隣のオリビアは胸の前で指を組み、願いを託している。
『今こそ、あなた自身が生きる道を選びなさい。ユリコ!』
日本中で生まれた祈りが、光の流れとなってルミナスタワーに注がれる。
ラポゾの黒い毛並みが退色し、膨れ上がった巨体がさらに縮んだ。
◇ ◇ ◇
「ば、馬鹿な……ありえない……ッ!?」
ラポゾが残骸を押し退け立ち上がった。震える銀眼が揺子の右腕を指差す。
「お前は大人だ! いまさら魔法少女に戻れる年齢では――」
「私に言われても知らないわよ……ッ!」
強がってみせたものの、驚いているのは揺子も同じだった。
ラポゾに腹を貫かれた時点で死を観念したし、事実、血液が失われていくなかでエマという存在が走馬灯のごとく頭をよぎっていた。
だが、予想外の出来事が起きた。追憶に思いを馳せていた数秒の間に、身体に活力が漲ってきたのだ。もちろん揺子が行使した治癒魔法ではない。その不可思議に当初は驚きこそすれ、次第に原因を理解していった。
籠目智代。あの子の願いに、ルミナ市の住民が答えてくれた。
その事実に胸が熱くなる。同時に、右腕に宿った熱が全身を駆け巡った。腹部の重傷には光の膜が張り、それまで感じていたあらゆる痛みを引かせていく。
――ありがとう。これで戦える。
無上の感謝を胸に、揺子は右拳を見つめた。
「ふざけるなァッ!」
ラポゾの尾が水を裂いた。正面から来る一本を、純白の右手で掴み取る。手首に重い衝撃が食い込み、足元のコンクリートに亀裂が走った。
間を置かず、脇を狙う別の尾。それを揺子は左腕で防ぐ。
袖が弾け、黒い尾と肌の間に閃光が瞬いた。純白の布地が指先から肘まで駆け上がり、右腕に纏うオペラグローブと同じ物を編み上げる。
「なんだと……ッ!?」
尾を腕で押し返し、右足に力を込める。履き慣れた靴が光にほどけ、デニムの裾も膝上まで消えた。代わりに現れた純白のニーハイブーツが床を踏み砕き、揺子の身体が疾走。ほとんど飛んでいるにも等しい勢いを利用して、ラポゾに足刀を叩き込む。
「ガハッ!?」
蹴りを受けた巨体が後退した。床に爪を立て踏み止まり、反撃してくる。
「この、落伍者がァ!」
揺子は着地し、沈み込んだ反動を蹴りに変えた。靴とデニム裾が光に変わり、左足にも白のニーハイブーツが現れる。蹴り上げられた尾が根元から浮いた。
「あ、ありえない……ありえないありえないありえないぃぃぃっ!」
四本の尾が殺到する。揺子は初撃を躱し、残りをまとめて蹴り払った。
衝突波がヘリポートを駆け抜ける。残っていたジーンズが光の糸となって巻き上がり、腰に幾層もの布を纏わせた。純白のスカートが花開き、金の刺繍が裾を縁取っていく。
刹那、揺子の頭上から振り下ろされるラポゾの爪。
両手で受け止め、半壊した仮面と顔を突き合わす。
「人の祈りなど気まぐれに過ぎないッ! これまでお前を責めていたヤツらが、今さら縋ったところでぇぇぇッ!」
「罪が消えないことくらい、知ってる!」
揺子は爪を掴んだまま、ラポゾを投げ飛ばした。
「助けを求めている人がいる――それだけで充分よ!」
胴体に熱が宿る。血に汚れたシャツが輝きを発し、金糸を走らせたドレスの身頃に変わる。胸から腹に沿う硬質な布地が、離れざまの尾を弾いた。
ラポゾの顔に、剥き出しの恐怖が浮かぶ。
「認めない、私は……お前のような敗北者ァァァッ!!」
「確かに私は敗けた。けど――またここから始める!」
黒い奔流と化した四尾を、揺子は正面から迎え撃つ。拳が尾の束に激突し、空気が爆ぜた。着陸面を覆う水が円形に吹き飛び、塔屋の瓦礫までをも巻き上げる。
瞬間、鉄骨が除けて自由になった『暁星王妃』が、揺子の肩へと舞い戻った。
全身を包む輝きが、さらに強まっていく。
長い茶髪が鮮やかな桃色へと根元から染まる。揺子の頭部にティアラが現れ、埋め込まれた宝石が星のごとく煌めいた。そして最後に、胸元にも変化が。
白色に輝く三角形の宝石――変身アイテム『聖櫃輝石』の出現。
六年前に失った魔法少女の姿が、齢二十三の身体に再び宿った。
「な、何度やっても同じだ! どれだけ祈られようと、過去は消えないッ!」
ラポゾの攻撃を捌きながら、揺子は現在の自分に思いを馳せる。
これは過去を帳消しにする力ではない。許された証でもない。
智代の声に応じた人々の祈りが、今の自分に託した奇跡。
立ってほしい。
守ってほしい。
救ってほしい。
それらの願いが魔法少女の道を開き、クレイドルソフィアを呼び戻したのだ。
「終わりにしましょう、ラポゾ・ムエルテ」
「終わるものか、人間が【魔骸】を恐れる限り、私はァッ!」
ラポゾが魔力を噴き上げた。鋭い牙がのぞく口内に、灼熱の炎が渦巻く。
六年前と同じ。この場から逃げるつもりなのだろう。
だが、逃がさない。そしてもう、誰も巻き込まない!
揺子は腰を低く落とした。直後、足元を中心に光の環が現れ、星と天秤を象った紋様がヘリポート全体に浮かび上がる。
繰り出すは現役時代の必殺技。天下無双と謳われた絶技。
これを受けた者は言うに及ばず、成す術もなく塵と化す。
其は――
「 "審判の光" 」
静かに技名を紡ぐや否や、揺子は右拳を放った。
ラポゾとの距離は一〇メートル。近づかなければ届きえないはずの空間に、光の巨腕が眩く具現化。黒い魔力を正面から打ち砕き、ラポゾの身体を強かに打った。
「ガ――ッ!?」
続く左拳で再び巨腕が出現。質量を持った光が、守りに入った尾ごと身体を打ち抜く。追撃の回し蹴りが空を薙ぎ、離れたラポゾの側面に巨大な蹴りが刺さった。
「うヴォァ!?」
距離も死角も、この技の前では意味を持たない。
揺子の拳と足刀に応じ、光の手足が虚空に現れる対人魔法。どこへ逃げようとも退路を阻む絶対不可避の連続殴打が、休む間もなくラポゾを蹂躙していく。
「フグッ――オご――うギュ――――グギャッ!?」
踵落としで叩き伏せ、揺子は胸元で祈り手を作る。
『聖櫃輝石』が白く輝き、ラポゾの足元に光が集束。
そして――天を貫く光の柱。
轟音とともにラポゾの足元から光が噴出し、ヘリポートを白く染め上げる。悲鳴が柱の中で引き裂かれ、黒い肉体は端から塵と化していく。
「私は、恐怖そのもの……祈りごときに……消されるはずが――」
声が、絶叫へと。
「ギィヤアアアアアァァァァァァァ――――――ッ!!」
残った狐の仮面が、主を追うように消滅。
魔法陣が閉じ、場を満たしていた轟きが止んだ。
雨のように落ちる水滴の中で、髑髏の魔道具が物言わず状況を映し出す。
それを揺子は意にも介さず、ゆっくりと振り返って智代を見た。
瓦礫が散乱する屋上で、目を見開き何かを言おうとしている。けれどうまく言葉に出せないのか、驚きの表情で固まっていた。
揺子は歩み寄り、そっと近くで膝を折る。
「智代ちゃん」
幼い目に涙が浮かぶ。頬を伝う光る雫。何度もしゃくりあげて肩を揺らすと、両腕を広げて揺子の胸に飛び込んだ。
「クレイドルソフィア。来てくれるって、信じてたぁ……っ!」
「――うん。待たせてごめんね」
小さな身体を優しく抱き留める。雨上がりのように清々しい快晴の下、たったひとつの命を救えた安堵に、揺子も涙を流して微笑んだ。
◇ ◇ ◇
ルミナスタワーから街区を隔てた、雑居ビルの屋上。
遠く聳える白亜の塔を外套の魔法使いが一人、物言わず眺めていた。
やがて空の彼方から、髑髏の魔道具が飛来してくる。眼窩のレンズを明滅させながら高度を落とし、差し出された魔法使いの手に収まった。
「憐れだね、憐れだな、憐れだよ」
髑髏のレンズには、智代を抱き締める揺子の姿が映されていた。
「舞台も観客も、用意してやったというのに。最後は魔法少女を作り出す、羽目になるとは。悪役が主役の引き立て役で終わるなんて、じつに残念な、幕切れだ」
嘆く口調とは裏腹に、その声には愉悦が滲んでいた。
魔法使いは映像の中の揺子を見つめる。桃色に染まった長髪。胸元で輝く『聖櫃輝石』。人々の祈りによって再現された大人の魔法少女。
何かに気づいたように、髑髏を弄んでいた指が止まる。
しばし思案したのち、外套の奥で口元が歪んだ。
「フン。せいぜい暴れるがいいさ、魔法少女。偽物の分際で、どこまで道化を演じられるか、楽しませてもらおうじゃないか」
乾いた笑いが屋上に響く。
風に外套が翻った瞬間、魔法使いと髑髏は忽然と姿を消した。
無人となった屋上には、行き場をなくした笑い声だけが風に残っていた。




