第28話 恩返し
※以前の30話を29話と統合しました。こちらが最新話です。
三本の尾が、別々の軌道で襲いかかってきた。
右から薙ぎ。左から突き。正面からは路面を這う低い殴打。
揺子は跳んだ。右を潜り、左を杖で逸らし、三本目は足で踏みつける。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉―― "加速せよ" ッ!」
踏んだ尾を足場に、一息でラポゾの懐へ。
狙うはひび割れた仮面。杖に力を込めて振り抜く。
当たる。そう確信した瞬間だった。
視界に割り込む小さな影――拘束された智代が眼前に。
「く……ッ!?」
手首を捻る。渾身の一撃は軌道を捨て、虚しく空を裂いた。
体勢を崩した揺子へ、尾の横薙ぎが迫る。踏み止まれない。傾いた重心は戻らず、回避に転じる足場もない。このままでは直撃する。
だったら――
「エレンミアッ!」
声より早く、『暁星王妃』が揺子の身体をさらった。
黒い尾が鼻先をかすめ、ヘリポートを砕く。回避した先へ尾が追撃に迫ったが、純白の裾が風を起こし、揺子を強引に後方へと逃がした。
「おや、どうしました?」
ラポゾが嗤う。尾の先で、智代を揺らしながら。
「遠慮なさらず、当てればよいものを」
「お前……ッ!」
「ああ、それともできませんか。クフフ」
最低な戦術だった。
智代を吊るした尾を、常に自分と揺子の間に置くという卑劣。だからこそ、広範囲の魔法は使えなかった。射線の通る攻撃も封じられる。残るは近接戦のみ、四本の尾が支配する、最も危険な間合いだけ。
「先生! 私ごとやってください!」
智代が叫んだ。迷いのない目で。
「私は大丈夫です! だから――」
「ダメよ! 教師が生徒を見捨てるとか!」
即座に撥ねつけるも、揺子の背筋は冷えていた。
なんの躊躇もなく、智代が自己犠牲を厭わなかったことに。
その迷いのなさが、ラポゾの尾よりも、よほど怖かった。
だが今は、考えている暇はない。
ポーチから薬瓶を引き抜く。栓を歯で抜き、一息に呷った。
身体活性の栄養剤。喉を焼くような熱とともに視界が冴え、身体に活力が漲っていく。これと言って魔法的な効能はない。ただ残りの命を前借りするだけだ。
「クフ、なんと甘い」
ラポゾが虚空に指を掲げた。
「では、その甘さに――余興をひとつ」
砕けかけた仮面の奥で、銀の瞳が揺らめく。
「 "霧は道を閉ざさず、人はただ己を失う"」
パチン、と指が鳴った。直後、増殖するラポゾの群れが、瞬く間に着陸面を埋め尽くした。しかも、そのすべてが尾に智代を捕らえている。
「さあ、当ててごらんなさい。本物は、どォれだ?」
「先生……っ!」
四方八方から重なる声。しかも智代の声まで。どれが本物なのか見当がつかない。それでも『暁星王妃』は揺子の肩を引き、死角から来た一撃を避けさせた。幻は騙せても、主を守ろうとする彼女の意志までは欺けないらしい。
――そうか。
幻は目を騙すだけ。実体が無いからこそ、『暁星王妃』は対処しない。
ならば、こちらは攻め手を変えるまで。
揺子はポーチから魔鉱石を三つ掴み、着陸面に向かって撒き散らした。白線の内側に一つ。給水設備側へ一つ。塔屋との間に一つ。石は床に触れると消え失せた。
「策を弄しようが無駄ァ!」
幻の尾が一斉に伸びる。
揺子は回避に徹した。身を沈め、宙返りし、時には防護呪符を発動させ、尾を半透明の壁で受け流す。呪符は一撃ごとに焼け落ちたが、それでいい。
左後方、塔屋との間で青い光が瞬いた。
「そこッ!」
手を伸ばすと同時に石が爆ぜる。
爆発そのものは小さい。が、幻には踏めない物理の罠。噴き上がった炎熱が目印となって、本体の居場所を教えてくれた。
そこへ揺子は、一直線に踏み込む。
「〈キュロス・ヘイストス・パリウス〉―― "加速・強化" ッ!」
全身が軋む。まだ塞がっていない傷が開き、脇腹に熱いものが滲んだ。それでも杖は届く。頭部の狐面、その中心へ――
「きゃッ!?」
突き出そうとした刹那、またもや智代を盾にされる。
「この……ッ!?」
揺子は咄嗟に身を捻り、智代の頬を掠める寸前で杖を逸らした。
その隙を狙いすました尾が、容赦なく腹部へと叩き込まれる。
「う――ッ!?」
身体が折れ、着陸面を跳ね転がった。『暁星王妃』が勢いを殺してくれたものの、衝撃の痛みで意識が遠のきかける。
「お見事。ですが、いつまで持ちますかねぇ?」
ラポゾが身を翻し、再び群れの中へと没した。
戦いは振り出しへ。しかし、同じ手で臨むのは愚策だ。
たとえ再度ラポゾの位置を特定して攻撃を仕掛けようにも、そのたびに智代が盾にされる。幻を見破れても、肝心の一撃が届かないのでは意味がない。
加えて、先ほどから気になるラポゾの外見。
中継を見ている人々の恐怖が、魔力となってラポゾに集まっているのだろう。漆黒の身体はひと回り大きくなり、迸る魔力量も上昇しているのが見て取れた。
反対に、揺子の身体は消耗するばかりだ。
いくら栄養剤で一時的な活力を得ようとも、疲労も痛覚も消えたわけじゃない。依然として昨日負った傷は動きを阻害し、呼吸のたびに腹が痛む。
このままじゃジリ貧。揺子の胸に焦燥が過った。
しかし、そのとき視界の端に見出した給水設備――おそらくは消防用に密閉・区画化された貯水槽に――揺子の祝福〈智慧〉が、起死回生の手段を閃かせた。
"あれだ!"
すかさず揺子は給水設備に手を伸ばした。瞬間、付近に置かれた魔鉱石が爆発。炎熱が噴き上がるも手応えはない。だが、反応はあった。
「――ッ!?」
爆発があろうと、揺子から視線を逸らさない群れの中で唯一、給水設備を振り返った本物のラポゾ。しかしそれをあえて狙わず、揺子は群れの中を突っ切った。
「なにを……?」
ラポゾの声に、初めて戸惑いが入り混じる。
その反応を尻目に、揺子は駆ける勢いのまま跳躍した。
「〈ナティア・シア・ソーティア〉―― "吹き飛べ・五重詠唱" ッ!」
五連発の衝撃波が、壁面のルーバーを正面から打ち抜く。
外壁が陥没し、内部の貯水槽と配管がまとめて破裂する。
轟音とともに水が噴き出した。
白い奔流が揺子の頭上を越え、ヘリポートに勢いよく降り注ぐ。排水口の処理能力を上回る水量が、見る間に着陸面一帯を覆っていく。
「まさか!?」
ラポゾがようやく意図を悟る。
「〈ヴァスネクストス・ディーオクス〉――」
揺子は杖を水面に突き立てた。
「 "酔えよ、唄えよ、泥の中で、酩酊神に抱かれて" !」
着陸面を満たした水が波打ち、意思を得たように渦を巻く。
「 "草木満たして、地に染みわたれ、生命の源どこまでも" !」
幾筋もの水流が発生し、絡み合い、長大な流れを形成した。
「 "母なる雫、万物の根源、其は元素の内のひとつなり" !」
飛沫が鱗となって水流を覆い、渦巻く水が顎と牙を作り出す。
「 "水よ、水よ、水よ、水よ" !」
そうして姿を現したのは巨大な蛇だった。荒れ狂う水の身体を持つ大蛇が、鎌首をもたげてヘリポートを眼下に収める。その威容は、恵みと災いを司る水神を連想させた。
裂けた顎から咆哮が放たれる。ラポゾの分身たちから、初めて笑みが消えた。
「呑み込めぇぇぇッ!」
号令一下。揺子の指示で大蛇が馳せた。
うねる巨躯が幻の群れを呑み込んでいく。
触れた幻は波紋ひとつ立てず、偽物の智代ごと泡のように掻き消えた。三体。五体。七体と――大蛇がひと薙ぎするたびに、群れが面で消し飛んでいく。
「ぐ、ォ……ッ!?」
本体だけが跳んだ。智代を吊るしたまま、迫る水面を蹴って虚空へ。
逃がさんと大蛇の首が追う。跳べば追われ、降りれば呑まれる。着陸面に足をつけた瞬間には蛇頭が迫り、ラポゾは尾で水を裂きながら、ただ逃げ惑う他なかった。
「小癪な、小癪なァァッ!!」
その背を追いながら、揺子は呪文を囁くように唱える。
「〈ヴァスネクストス・ディーオクス〉――」
ラポゾは気づかない。迫る水牙から逃れることしか頭にない。
水面に映る揺子の影が、ゆらりと、ひとつ増えた。
「そこまでよ!!」
「舐めるなァ!!」
振り向きざまの尾が、揺子の胴を貫く。
殺られた――そのはずだった。
ばしゃり、と。
貫かれた揺子は "水飛沫" となって弾け飛ぶ。
「な……ァ!?」
分身魔法 "分かたれよ" 。
自然物を媒介に、術者の姿を象る魔法。土であれば土塊の、炎であれば陽炎の。実体を持つがゆえに幻術とは異なり、影も匂いも、足音すら偽れる。
ただし媒介がなければ成立しない。だから揺子は、あの貯水槽を撃ち抜いた。
大蛇という魔法は注意を引くための舞台装置。本命は分身による奇襲だ。
幻には幻で返す。祝福〈智慧〉が導いた――意趣返しの一手。
「私は――ここッ!!」
本物の揺子は、ラポゾの頭上にいた。
振りかぶった杖を、脳天から叩き込む。
「おおおおおッ!!」
直撃。狐の頭骨に、新たな亀裂が刻まれた。
だが、割れない。
空中からの一撃。腰の入らない必殺では、破壊までには至らない。
「――よ、よくも……よくもォォォッ!!」
激昂の咆哮とともに、三本の尾が乱舞した。
狙いも軌道も無造作でありながら、互いの隙を埋めるように連なる殴打。高速で振るわれるそれらが大蛇を霧散させ、次いで揺子に向かって矛先を変えた。
『暁星王妃』が生地を伸ばして防ぐ。が、鮮やかな挙動で足元を払われた。
「くっ!?」
傾いた揺子の身体を『暁星王妃』が退かせる。しかし、間髪入れずに突かれた尾によって裾を縫われ、動きを封じられた。回避、支援も許さないとばかりに尾が迫る。
魔法を唱える暇もなく、揺子は片端から杖で防いだ。
だが、あまりにも速い連撃。このままでは……。
「あ――ッ!」
撓った鞭のような一撃が、揺子の手から杖を叩き落とす。
見逃すラポゾではなかった。
「終わりだァァァッ!!」
二本の尾が剣の穂先のように収束し、無防備な揺子へと一直線に。
躱せない。防げない。目を閉じかけた――
そのとき。
「――うおおぉぉぉッ!!」
風を裂いて、巨影が割り込んだ。
全長十メートル。蜥蜴の体躯に、皮膜の翼を持つ魔物―― "飛翼蜥蜴" 。
鈍色を帯びた鱗が陽光を受けて硬質に光る。その厚い胸鎧のような鱗が、揺子とラポゾの間に滑り込み、二本の尾を防いだ。
ガキン、と。金属を打ち鳴らしたような音が響く。
「なにィッ!?」
「グルルァァァッ!!」
飛翼蜥蜴が咆え、翼をひと打ち。突風がラポゾを押し返す。
その首の付け根で男が一人、手綱を握って笑っていた。
「魔物運送ピカロ便、記念すべき初仕事はァ――恩返しのお届けだぜぇ!!」




