第27話 恐怖と決意
高度五〇〇メートルの風が、ルミナスタワーの頂上を吹き抜けていた。
塔の頂には円形のヘリポートがあり、東の塔屋には非常用エレベーターから続く屋上階段、北西にはルーバーで囲われた給水設備室が設けられている。着陸面の上空では、髑髏の魔道具が旋回していた。これから始まるであろう惨劇を日本中に届けるために。
籠目智代は給水設備室の壁面に、手足を縛られた状態で座らされている。
その十〇メートル先。智代とヘリポート中央を結ぶ位置に、ラポゾはいた。
「退屈ですねぇ。少し、お喋りでもしましょうか」
「はい」
「ずいぶん素直ですね」
「私も、聞きたいことがあるので」
智代が顔を上げる。幼い瞳は、湖面のように澄んでいた。
――退屈しのぎのつもりだった。
処刑を待つ人質から、上等な怯えをひと摘まみ。それだけの座興のはずが、この少女は拉致してこの方、一度も恐怖を覗かせない。それが、ラポゾには不満だった。
「では、私から。あのホールでの質問を覚えていますか?」
「どうして私が、【魔骸】を人に戻すのか」
「ええ。答えを聞きそびれていましたので」
ラポゾは両腕を背中に回し、講壇に立つように歩き始めた。
「【魔骸】の拡大こそ、人類にとっての救済。なのに、貴女は邪魔しようとする」
四本の尾が優雅に広がる。
「誰かのため。正義のため。どれも結構。ただし、お忘れなきよう。それは強者の理屈です。真の弱者を救うには、時に法を超越する必要がある」
「本人に、聞いたんですか?」
「何を?」
「その人に【魔骸】になりたいかって。仮面をつける前に、聞きましたか?」
「必要ありません。自由を知らない奴隷に選ばせても、主人の元へ戻るだけです」
「でもみんな、泣いてました」
「……泣いていた?」
「黒くて、赤くて、痛そうな色。その奥で、助けてって。だから助けました」
「何を言って――」
「ピカロさんもそうです。人間に戻ったとき、明るい色になりましたよ?」
ただ見てきたものを報告する口調が、ラポゾの神経を逆撫でした。
反論ではない。感想にも等しい。だから、論で破る箇所がない。
「戯言を」
尾が床を打った。面が砕け、破片が飛び散る。
「では、貴女はどうなのです。【魔骸】を人間に戻し、それが正しいと心から信じている。ずいぶんと傲慢な話では?」
「そう思うこともあります。助けてほしくない人も、いるかもしれません」
「なら――」
「そのときは、もう一度助けます。今度はお話を聞いて、別の方法を探します」
傲慢を認めながら、手を引くという選択をしない綺麗事。
ならば、その善意はどこで止まるのか。ラポゾは限界を知りたくなった。
「では、二人が同時に助けを求めたら? 片方しか救えないなら、どちらを?」
「二人とも助けます」
「できないと言っている!」
「できないなら、できるように考えます」
「間に合わなければ!?」
「次は間に合うよう、頑張ります」
「その無茶で死ぬことになっても!?」
「そのときは、喜んで命を使います」
智代は、それがさも当然であるかのように微笑んだ。
「誰かを助けられるなら、私はどうなっても関係ないのです」
ぞわり、と。ラポゾの尾が意思に反して波打った。
この少女の言葉には強がりがない。犠牲を誇る響きすら。ただ世間話でもするかのように、自分の命を勘定の外へと置いている。
献身などという美しいものではない。生き物として、根本から歪んでいる。
「ク、フ――フフハハハ! どうなってもいい? 自分が?」
笑い声が響いた。ラポゾは智代の周囲を、落ち着きなく歩き回る。
「減らず口を! ならば、これはどうです!?」
尾の先で、智代の頬を切りつけた。
深く弧を描いて。滴り落ちる鮮血。
「さぁ、怯えなさい。痛いでしょう、死にますよ!?」
「……痛い、です。けど、あまり怖くないです」
「なぜ!?」
「みんなの気持ちが流れ込んでくる方が、ずっと怖かったから」
風の中でも聞き落としそうな、小さな声だった。
「誰かが泣くと、私も悲しくなる。誰かが怒ると、私も苦しくなる。そういうとき、あの光を思い出します。揺子先生が、私を見つけてくれたときの光です。パパもママも消えた世界で、先生の色だけが、すごく綺麗だった……」
智代が目を閉じた。
「毎日、思い出してきました。苦しい色が入ってきたら、先生の光で塗り替えるんです。そうすると静かになるから。今も思い出してます。だから、大丈夫」
理解しがたい智代の感性に、思わず尾を引いてしまう。
自身の内側に生まれる負の感情を、一人の魔法少女で塗り潰すという逃避。
自分が自分であるためとはいえ、はたしてそれで悲劇を許容できるのか。
「貴女の両親を死なせたのも、その女でしょう……」
「パパとママが死んだことと、先生が私を助けたことは別です」
「あの女は自分を見失い、五〇〇人を巻き込んだ!」
「それでも先生は、私を見つけました」
「大勢を殺して一人を救っただけだ!」
「でも私には、それがぜんぶなのです」
迷いのない、透明な笑み。
「みんなが先生を責めても、私には先生の色が見えます。先生が自分を信じられないなら、私が代わりに信じます。先生が、またあの光に戻るまで」
「――――」
この少女は、恨むべき相手を崇めている。
恐怖も、憎悪も、この少女の中には存在しない。人の形をして、人の言葉を口にしながら、内側に他人の在り方を宿すだけ。
これはもう、人間ではない。
さながら他者を収めた祠だ。
「――ぉ、おぞましい。なんなのですか貴女は。自分を勘定に入れない救いなど、好意など、人の域を越えている! もはや、神の所業ではありませんか!」
「それが――魔法少女です」
「はぁ!?」
詰ったつもりだった。お前は人ではない。異常なのだと。
だが、少女はそれを肯定した。ただ職分を確かめる声で。
人は自分のために生きる。痛みを避け、利益を求め、他人への施しさえ。
それは人間を【魔骸】に変えるたび、深まっていった確信でもある。善人も、悪人も、最後には泣いて許しを請う。我が身可愛さに。
結局、人は自分が大事。この公理の外に立つ者は存在しない。
だからラポゾは勝ち続けた。恐怖は誰にでもあるからだ。
なのに、この少女には通用しない。
恐怖を突き立てる的が、どこにもない。
「こ、壊れている、お前は……空っぽ。何もない、がらんどう……ッ!」
違う、と分かっていても、その言葉に縋るしかない。
空っぽなら、まだいい。欠陥品として捨て置ける。
だが少女の中身は、他人でできている。
それを、己そのものと信じきって――
「ラポゾさん。あなたの色も、見えます」
少女の目が、黄金に輝いた。
「怖がってる。怯えなくていいんだよ?」
そして、憐れむように言う。
「ふ――ッ!?」
不意に、六年前の交差点が瞬いた。
振り下ろされる血塗れの拳。逃げ場のない、あの恐怖。
違う。怯えてなどいない。恐怖は与えるもの。【魔骸】となって以来、ずっとそうしてきた。奪う側の武器を、なぜ私が向けられているのか。
しかも憐れまれた。弱者を見る目で、このラポゾを。
「ふざけるなよガキがぁぁぁッ!!」
尾を振り上げた、刹那。
全身の毛が、逆立った。
六年前、自分を追い詰めた魔力の圧。ラポゾは尾を止め、空を振り仰ぐ。
青の彼方。白い流星がひとつ、一直線にこちらへ飛んでくる。
「……クフ」
ようやく来た。乱れた吐息を、嗤いの形に整える。
「皆様、お待たせ致しました」
旋回するレンズへ、ラポゾは両腕を広げた。
「役者のご到着です!!」
◇ ◇ ◇
風が頬を切った。
眼下を流れていくビル群。追い越していく鳥の群れ。雲の影が市街を渡るのを、揺子は空の高みから見下ろしていた。
飛んでいる。
六年ぶりの飛行。けれど身体は、少しも戸惑わなかった。風の掴み方も、旋回の重心も、何ひとつ忘れていない。
羽織った者を飛翔させる魔道具――『暁星王妃』。
彼女は無詠唱で揺子を空に運べる。しかも、ただ飛ぶだけではない。持ち主を脅威から守る〝自由意志〟を備え、さらには回避行動まで引き受けてくれるのだ。傷の癒えない今の揺子にとって、これほど頼りになる加護はなかった。
攻撃は揺子。守りは『暁星王妃』。
戦いの中で鍛えられた阿吽の呼吸。
「ねぇ、エレンミア。覚えてる?」
揺子は、はためく純白へと語りかけた。
「初めて飛んだ日。私、怖くて目も開けられ――」
「黙れ」
ピシャリ、と遮られた。
「戦を前にして、つまらぬ感傷に浸るな」
「……っ」
素っ気ない。あまりにも素っ気ない。
けど口元が緩むのを、揺子は止められなかった。
六年間の沈黙を『暁星王妃』は顧みない。それどころか、以前と変わらず憎まれ口を叩いてくる。きっとこれが、彼女なりの和解なのだろう。
「ふふ」
「何がおかしい」
「ううん。相変わらずだなって」
尊大で、容赦がなくて、けれど何ひとつ変わらない態度。
「また話せて嬉しいよ。エレンミア」
「戯け。浸るなと言ったであろう。見よ」
促され、視線を向ける――青空を貫く白亜の塔。
揺子は身を絞り、一直線に加速した。
風の唸るルミナスタワーの頂へ、純白のケープを翼のごとく広げて揺子は降り立つ。着地の衝撃がヘリポートを打ち鳴らし、粉塵が円を描いて散った。
「智代ちゃん!」
「先生……ッ!」
尾に吊るされたまま、智代が顔を上げた。頬に刻まれた傷。乾いた血痕。恫喝があったのは明らかだ。揺子は怒りを抑えられず、ラポゾを睨みつけた。
「お前、よくも……ッ!」
「はてさて、なんのことやら」
肩をすくめる【魔骸】。
「それより、時間厳守とは感服いたしました。教師の鑑ですねぇ」
「いいから、その子を離しなさい」
「クフフ、そう焦らないで。盛り上がりには大きく助走をつけるもの」
「何を言って――」
「では皆様! お待ちかね!」
不敵に笑い、ラポゾが上空を振り仰いだ。
「開演と参りましょう!」
「――ッ!?」
瞬間、ラポゾの頭上を旋回する髑髏の魔道具がに赤く明滅。次いで眼窩より新たな光を照射すると、虚空にホログラフィックビジョンを展開した。
ホログラフィックビジョンは、劇場のスクリーンにも匹敵する大きさだった。映像は瞬く間に全国へ波及し、街頭ビジョンから家庭のテレビ、通行人のスマホに至るまで、日本中の画面を塗り潰していく。
映っているのは、六年前の記録映像。
交差点でラポゾを殴り続ける、血塗れのクレイドルソフィア。
閃光。爆発。炎上する街。泣きながら頭を下げる記者会見。
断片だけを都合よく繋ぎ合わせた過去が、延々と日本中へ。
『ご紹介しましょう、皆様。この魔法使い・知恵揺子の正体は、かつてルミナ市で五〇〇人の死傷者を出した魔法少女――クレイドルソフィアです!』
「――――」
映像を介して響くラポゾの声が、ルミナ市全域に響き渡る。
揺子は街が静まり返るのを感じた。同時に、数十万の視線が凍りつくのも。
『さて、皆様はご存知でしょうか。この女がその後、どのように生きてきたかを』
尾の一本が、嘲るように揺子を示す。
『言うまでもなく、魔法使いです! 人々を守るために。ああ、なんと涙ぐましい! 多くの犠牲を出した者が、ちまちまと小さな善行を積み上げる! ですが、それで罪が帳消しになるとでも?』
髑髏のレンズが、ゆっくりと揺子に寄った。
『いいえ、それは違う。この女の善行は、ただの自己愛だ! 誰かを救ったときだけ、自分を許せた気になれる。つまりこの女は、他人の不幸を利用しているのです!』
ラポゾが揺子を指差した。
『そして極めつけがこちら――知恵揺子の生徒!』
尾に吊るされた智代が、レンズに晒される。
『怒りのあまり街ひとつ焼いた人間が、今度は子供に魔法を教えている。なんと醜悪で惨めなことか! 親が子に自分の夢を託すように、この女は自分の罪を、クレイドルソフィアという悪を、十歳の子供に背負わせようとしている!』
声の勢いが増していく。
『皆様、これが真実です。この女は反省などしていない。ただ自分の罪を可愛らしい包装紙で包んだだけ。そして次に街が焼かれるとき、今度はこの子供が中心にいる!』
髑髏のレンズが、ぐるりと智代を映した。
『さあ、否定なさい。知恵揺子。カメラの前で。言えるものならねぇ!』
「先生は悪くな――」
「智代ちゃん」
揺子は静かに遮った。
昨夜、この身を抱きしめてくれた小さな腕を思い出す。
――クレイドルソフィアは失格なんかじゃない。
あの言葉で私は救われた。前に進もう、と決意できた。
ならば今こそ、一歩先へ。揺るがぬ意志を示すとき。
「否定しない」
揺子は毅然として受け入れた。
『……ほう?』
「私は怒りに呑まれた。止められるはずの自分を、止めなかった」
あの夜、憎悪に猛って、大勢を犠牲した自分を否定しない。
「仲間を死なせて、大勢の人を巻き込んだ。その責任は一生、私のもの」
贖罪でも、免罪でもない。ただ事実として背負う。
六年かけて、ようやく辿り着いた答えなのだから。
「けどね、ラポゾ・ムエルテ」
そのうえで、揺るがぬ現実を突きつける。
「あの人たちを灰にしたのは、お前よ」
「…………」
沈黙。これ以上の答えはない。
「爆発を起こして、五〇〇人を死なせた張本人。その原因が私にあるのもわかってる。けど、死んだ人たちを、私を責める道具にすることだけは――絶対に許さない‼」
脳裏をよぎるのは、あの日の顔たち。
名前も知らないまま、手の中で崩れていった人々。最期まで揺子を案じたエマ。瓦礫の上で息をしていた籠目智代。
彼らは、この獣の玩具ではない。
誰にも、そんな真似はさせない。
右手が開かれ、魔法の杖が具現した。
魔力に呼応し、支柱の宝石が白く輝く。
そして揺子は、智代を見上げた。
尾に吊るされたまま、こちらを見つめる小さな瞳。そこには不安も恐怖もなかった。ただ、まっすぐな信頼を眼差しに託している。
「来なさい。ラポゾ・ムエルテ」
杖を構え、六年ぶりに口上を述べる。
「たとえ闇夜に阻まれようと、命を賭し、すべての人を守り抜く」
かつての矜持を、声に乗せて。
「魔法少女クレイドルソフィア。世界の守護者として【魔骸】に告げる――――
"その命、祈りの彼方へ導きます" !」
「クフ!」
仮面の奥で、銀の瞳が細まった。
「フフハハハッ! 結構! では遠慮なく――処刑と参りましょうかァ‼」
必殺の尾が殺到した。




