第24話 告げられた真実
「―――― ぁ――――」
目が覚めると、真っ白な天井が視界に映った。
次いで消毒液の臭い。柔らかな寝心地。腕から伸びる点滴の管。
視線を動かすと、ベッドに横たわった身体は患者衣だった。
ここは病院。そう理解してから、すぐに思い出す。
そうか。私はラポゾに敗北して……。
「揺子?」
そのときだった。聞き慣れた声が聞こえたのは。
「六花……」
揺子の覚醒に気づき、丸いパイプ椅子から腰を浮かす六花。驚きと戸惑いに満ちたその顔がくしゃりと歪み、堪えていた涙が溢れ出す。
「バカッ! もう二度と、あんな無茶すんなぁぁ……っ!」
「ごめん……ほんと……ごめん……」
謝罪を口にすると、なぜだか切なくなった。深い喪失が胸の奥に残っている。まるで親しい誰かを亡くしたような、そんな悲しみ――
瞬間、教え子を思い出した。
「智代ちゃん……ッ!?」
急いで起き上がろうとするも、激痛が邪魔をした。全身の筋肉と骨、そして胴体の内側までもが悲鳴を上げている。浮き上がった身体が、再び沈み込んでしまう。
「動かないで」
六花が宥めるように告げてきた。
「医者が言うには、強化魔法による身体の酷使と、【魔骸】から受けた傷で全治三週間だって。奇跡的に内臓は免れたけど、しばらくは安静にしないと」
「治癒魔法を……っ!」
「かけれるわけないでしょ。治癒魔法は相手の治癒力を活性化させるだけで、どんな傷も治す魔法じゃない。体力のない今の揺子に使ったら、今度こそ死んじゃう」
その通りだった。治癒魔法は受けた傷に応じて対象の体力を使い、生物が持つ本来の治癒力を促す仕組みだ。対象が健康体なら負担も少ないが、もしも瀕死の人間に使えば、傷が癒えるより先に生命力を使い果たす。
悔しいが、大人しく従うしかない。
「……智代ちゃんは?」
六花の表情が、わずかに曇った。
「無事よ。生きてる」
「良かった」
「ただ……」
「ただ?」
「危険な状態なの」
揺子は息が詰まった。
「危険って、どういう意味よ」
「ラポゾのせい。今はICUにいる」
「なんで。あの子が、なんで」
「揺子」
「説明してよ! ぜんぶ!」
六花が唇を引き結ぶ。それから、絞り出すように言った。
「現場を警護していた四人の魔法少女は、全員亡くなった」
「……そう」
「ラポゾの仮面は現場に残ってなかった。まだ、生きてる」
「…………」
「揺子……」
「智代ちゃんは?」
六花が立ち上がった。
「社長呼んでくる。あの人から直接聞いた方がいい」
「待ってよ」
「待たない。絶対ここから動かないで」
それだけ言い残して、六花は病室を出ていった。
静寂が降りる。揺子は天井を見つめた。
智代が、危険な状態。
行かない道理はない。
揺子はベッドの柵を掴んだ。またもや激痛。それでも歯を食いしばって身を起こす。床に足をつけて、なんとか立った。点滴のスタンドを杖代わりに廊下へ出る。
ICUはどこだ。
看護師に見つかれば止められる。気配を殺しながら、揺子は廊下を進んだ。窓から見える外は夜だった。どれくらい時間が、いや日にちが経ったかもわからない。
どうでもいい。今は智代の場所が知りたい。
しばらく迷っていると、廊下の奥に見覚えのある紋章を見つけた。
魔法少女協会の紋章。それが掲げられたドアをくぐり、中に踏み入った。
室内は薄暗かった。しかし奥の壁際、ガラス一枚挟んだ向こうに光るものが。
医療魔法ポッドだ。重篤な患者に対し、魔力による治療を持続的に与える装置。
ポッドの中は、青く発光する溶液で満たされていた。
その水底で眠る胎児ように、患者衣の智代が浮かんでいる。
口には人工呼吸器。そして身体のあちこちに残る痛々しい痣。
「智代、ちゃん……」
揺子は胸を痛めた。守れなかった後悔に、膝が折れそうになる。
「来ると思っていたわ」
そこへ、老いた女性の声がした。
振り返ると、部屋の隅に老年の女性が腰掛けていた。白髪を長めのショートカットに整え、協会の礼装を身に纏っている。その傍らに、付き人らしき人物が二人。
老女は睨むような視線だった。その理由を、揺子は知っている。
「お久しぶりです。魔法少女協会――星見ノヴァ会長」
星見ノヴァ。魔法少女協会における最高権力者。
そして揺子の友人――星見エマの祖母であった。
「止してちょうだい。気安く挨拶する仲でもないでしょうに」
ノヴァの声は、氷のように冷たかった。
「私の孫娘――エマを死なせたアナタに、心を許すつもりはないの」
「…………」
突き放すような視線と拒絶に、返す言葉も見つからない。
当然だ。自分はこの人から、エマを奪ったのだから。
謝罪なら、もう数え切れないほど口にしてきた。
それでも、他に相応しい言葉はなかった。
「申し訳、ありません……」
「謝罪なら聞き飽きたわ」
ノヴァが溜息をつき、おもむろにポッドを見やった。
「それより、気がかりではなくて?」
揺子も智代を見た。ポッドの心電図が、一定の音を発している。
「あの子に、何があったんですか?」
「 "過重装填" 」
「――どうして」
「必要だからよ」
「なんてことを」
愕然とせざるをえない。
「あれは高等部にしか許可されていない機能です! だって――」
「身体への負荷が大きすぎるから。知らないとでも?」
揺子の言葉を遮って、ノヴァが続きを口にした。
「 "過重装填" 。『聖櫃輝石』の処理速度を一時的に引き上げ、魔法少女の能力を飛躍的に増幅させる機能。けれど過剰な魔力放出による塩化現象が進行するため、未成熟な中等部以下には制限されている」
「じゃあ、なんで」
「私が許可したからよ。【魔骸】の討伐。そして背後にいる首謀者を倒すために」
「そんなこと、ランキング上位の魔法少女に任せれば――」
「彼女たちは腐っている。企業の駒でしかない。マレフィシアが消えたここ数年で、自分たちの存在意義を見失った。今や本当の意味での正義は、籠目智代だけよ」
「あの子は小学生です!」
ノヴァの冷たい物言いが、揺子に拳を握らせる。
「それを駒同然に扱って、【魔骸】を倒せて良かった、で済ませるつもりですか!?」
「もちろん。勝利こそが希望であり人類の証明よ。そのためなら私はどんな手を使ってでも、本当に救うべき者たちを守る」
「最低」
「言っておくけれど、籠目智代には事前に聞かせてあるわ。 "過重装填" を使えば、自分の身に何が起こるのか」
「あの子は、なんて?」
「喜んで受け入れたわよ。それで多くの命を救えるなら、てね」
「――――」
智代の覚悟に言葉を失う。
あの子なら、本当にそう言う。
誰かが困っていると知れば、自分が傷つくことを躊躇せずに助ける。
そういう子だ。優し過ぎるほどに。
「だからって……ッ!」
揺子はノヴァを睨んだ。
「それを受け入れていい理由にはならない。大人が止めなきゃいけないんです。子供が自分を犠牲にしようとしたら、それは間違いだって言わなきゃいけないッ!」
もう一度、ポッドの中を見る。
小さな身体。まだ十歳の少女。
「なのにあなたは、あの子の優しさを利用した!!」
静まり返った室内に、揺子の責め立てる声が響く。
しかしノヴァは、眉一つ動かさない。
「利用?」
むしろ、心外だと言わんばかりに。
「違うわ。あの子の覚悟を尊重しただけ」
「同じよ!」
「いいえ、違う。籠目智代は自分で選んだのよ。人類の希望となる道も、教育プログラムも。そして、クレイドルソフィアのもとで学ぶことも」
「――――は?」
最後の方の言葉を、聞き間違いかと疑った。
「クレイドル、ソフィア?」
その反応を訝しく思ったらしい。ノヴァは、しばし眉根を寄せて揺子を見つめた後、「ああ、知らなかったの」と呆れるように囁いた。
「まったく、オリビアもお優しいこと。まさか隠していたなんて」
「待ってください」
「いいわ。代わりに教えてあげる。籠目智代はね……」
「待って」
「六年前、あなたが戦いに巻き込んだ犠牲者であり、両親を失った遺族よ」
何かが、壊れる音がした。
「彼女はあの夜、現場にいた。両親と共に」
足元から、世界が崩れ去るような。
「アナタが追い詰めた【魔骸】――ラポゾ・ムエルテによる自爆。それによって巻き込まれた死傷者は三〇〇名余り。籠目智代は、その内の一人よ」
「それって……智代ちゃんの両親は……私が……」
ノヴァは答えなかった。
答えなかったことが、まるで肯定であるかのように。
「私、が……っ!?」
揺子の意識を責め立てた。
「う、そ――」
理解できない。理解したくない。
けれど言葉だけが、頭の中で何度も反響する。
犠牲者。遺族。両親を失った。六年前。私のせいで。
膝から力が抜けて、視界が傾く。思わずガラスに手をついた。
拍子に、目の当たりにする教え子の姿。私に懐き、私を先生と呼び、私が変身していた魔法少女――クレイドルソフィアに憧れる少女。
なのに、私にすべてを奪われて――
「ぅ……っ」
泣くまいと思った。泣く資格がないと思った。
それでも、涙は止まらなかった。
「智代、ちゃん……」
息が苦しい。胸が痛い。
なんで、なんであなたは私に。
『揺子先生』
あんなふうに笑えたの?
自動扉の開く音がした。
「ユリコ」
現れたのはオリビアだった。その後ろに、六花が続く。
揺子は二人を見た。涙を流しながら、放心としたまま。
オリビアの顔に戸惑いが浮かんだ。
「何があったの」
「真実を伝えたわ」
ノヴァが冷然と告げる。
「籠目智代の素性と、知恵揺子によって奪われた両親を」
「ノヴァ……ッ!」
「いい気味だわ。これで大切な人を奪われる痛みが分かったはず」
気色を害する発言に憤怒を覚えたのか、オリビアが無言で魔法の杖を召喚した。
その行動を敵意と見做した付き人が、懐から銃を取り出してオリビアに向ける。
「杖を捨てろ、オリビア・ミネルスフィアッ!!」
「構いません」
ノヴァが付き人を制した。
「部下の精神をケアするのでしょう。我々には関係のないこと」
「ノヴァ」
「なにかしら」
「変わったわね、アナタ」
「当然よ。エマを失ったあの日から、私の心もなくなった」
声に恨みを滲ませて、ノヴァが付き人とともに退出する。
静寂。後に残ったのは、三人の魔法使い。
オリビアが杖を消失させ、ゆっくりと揺子に歩み寄った。
「…………」
しかし何も言わず、ただ沈鬱な面持ちを晒すだけ。
「オリビア……社長……」
知っていた。
オリビアは、最初から知っていた。
揺子が智代の両親を死なせたことも。智代が揺子の正体を知っていることも。すべて黙ったうえで、それでも教師を引き受けさせた。
「どう、して……」
やっとの思いで声にする。けれども、それ以上は言葉にできなかった。
問い詰めることも。怒鳴る力も。泣き崩れる感情すら出せずに茫然と。
『この、人殺し』
エマの声が、聞こえた気がした。
「――――――」
悪夢のごとく重苦しい絶望が全身に広がる。
耐えがたい苦痛に理性が崩れていく。
揺子は暗い闇に沈んでいく錯覚に囚われた。灰色の世界。地獄のような真実。
かつて贖おうとしてきた大罪は、決して許されぬものなのだと理解した。
「ユリコ!?」
オリビアの叫びが遠のいていく。六花の声もしたが、もう聞こえなかった。
嘔吐感と眩暈が同時に襲い、全身の筋肉を弛緩させた。床に倒れた衝撃すら感じなくなり、揺子の意識はそこで途切れた。




