第23話 力の代償
床に転がるラポゾの頭部を見下ろしたまま、智代は呆然としていた。
終わった。あれほど苦しめられた戦いが。先輩たちを殺し、揺子を追い詰め、自分さえ死にかけた駆け引きが。ただ『聖櫃輝石』の力を解放しただけで圧倒できた。
簡単といえば、あまりにも簡単だ。
けど、だからこそ理解してしまう。
――もっと早くに使っていれば――
抱いた自責に心が軋んだ瞬間、足元で呻く声がした。
ラポゾだ。眼球の動きだけで、智代を見上げていた。
智代は溜息すると、ラポゾに向けて杖を突き出した。
「それじゃあ最後に、ひとつだけ聞かせてください」
杖先に光が収束していく。
「あなたを【魔骸】にしたのは、誰ですか」
「…………ッ…………」
沈黙。銀の瞳が、わずかに揺れる。
答えない。いや、口止めされているのか。
でも、そんなことはどうでもいい。
「わかりました」
仮面を砕こう。そう思った、瞬間だった。
カチリ。胸元で音が鳴った。
「……え?」
見下ろすと、『聖櫃輝石』の台座が、ゆっくり回転していた。 正三角が反転し、元の逆三角に戻っていく。六芒星の紋様は消え、宝石の輝きも失われていった。
直後、全身に緊張が駆け巡る。
「ァ――――ッ!?」
肺が潰れるような圧迫感。鼓膜に響く心音の乱打。体内で何かが暴れているような、それでいて逃げ場のない熱が、激痛となって智代に膝を折らせる。
「は、ぁ……っ!?」
呼吸ができない。意識が霞む。
心臓が、一拍飛んだ。
「ぅ く」
また、飛んだ。
腕に視線を落とすと、皮膚の下から青紫の痣が広がっていた。じわりと滲むように、花開くように。肌のあちこちに、毛細血管の破裂した跡が咲いていく。
痛い。痛い。痛い。これが、力の代償。
「ぅ、ふ……ッ!」
耐えられなくなり、智代は床に倒れた。絶え間ない激痛と息苦しさに涙が溢れる。苦しい。助けて。怖い。掠れた声しか出ない。
「か はっ……ぁ――ッ!」
死んじゃう。死んじゃう。死んじゃう。
そのとき。
風が吹いた。
会場内に、存在しないはずの風が。
だが確かに、ホールの空気が揺れ、
タッ――と。
静かな足音。
「あ、貴方は……ッ!?」
ラポゾの声が震えた。
智代は霞む視界のまま顔を上げる。
足音の主は、古びた外套を纏った人物だった。外套は擦り切れ、色褪せ、元の色すら分からないほどにボロボロだ。丈は足元まであり、深く被ったフードが顔を隠していた。
フードの奥には、赤い光だけが浮いている。
眼光だった。燃えるような、赤い二つの眼。
「だ、れ……」
智代が掠れた声で聞けども、謎の人物は答えない。
答えない代わりに、何者かは外套から褐色の腕を伸ばした。手には魔法の杖。しかも見覚えのあるステッキ型。全長約九〇センチ。動物の頭が彫刻された銀の柄に、水晶のような宝石の支柱――揺子先生が持つ杖と同じ――魔法使いの杖だった。
何者かはラポゾの頭を拾い上げると、魔法の呪文を唱えた。
「〈ヴィルニルヤ・イェレスマイヤ〉―― "転ぜよ" 」
瞬間、忽然と姿を消す魔法使い。ラポゾの頭部も同じく、その場から消え失せた。
「――は?」
智代の思考が止まる。
逃げられた。あれだけの犠牲を払って。
先輩たちが死んで。揺子が傷ついて。
みんな命を懸けたのに。
なのに、私は――
「待っ……」
立ち上がろうとした。
けど、動けなかった。
足に力を込めても、床を手で押しても。
「待っ、て……ッ!?」
立てない。立てない。立てない。
「待ぁ……っ」
指先も、呼吸も、視界すらも。
何一つ、思うようにならない。
「……っ、ぅ……」
悔しかった。情けなかった。
そして何より――
視界の端、倒れた先輩魔法少女たちが見える。
変身が解けた彼女たちは、普通の女の子だった。自分と同じように。学校へ行って。友だちと話して。家族と笑って。そんな、当たり前を生きていたはずなのに。
もう二度と、帰らない。
「ごめん、なさい……」
涙が零れる。
「私が……もっと……」
もっと早く決断していれば。
もっと速く力を解放していれば。
「う ぁ……」
誰も死なずに済んだのに。
名前も知らないまま死んだ先輩たち。
逃がしてしまったラポゾ・ムエルテ。
守れなかった命。止められなかった悪。
どうしようもない無力感が、智代の心を押し潰していく。
「あ……ぁぁぁ……っ!」
もう、泣くことしかできない。
智代はただひたすらに、泣くことしかできなかった。
♣♦♠♥♠♦♣
――夢。夢を見ている。
矢継ぎ早に飛ぶ批判の声と、ひっきりなしに焚かれるフラッシュの嵐。
そのたびに視界は水の中にいるように、歪み、滲んで、絶えず世界を溶かしていく。
こんな事になるなんて思ってなかった。それでも正しい行いだった。たとえ同じ仲間に責められようとも、自分の感情は正しかった。でなければ、誰が【魔骸】を裁くのか。
もう戻らないファンの笑顔。あの夜とともに、憧れ求めた理想も消えた。
『ごめん――なさい――』
すべての始まりはここから。
私の人生は愛と喜び、そして後悔と悲嘆に満ちていた。
愛した人と共に戦えた日々を心から誇りに思い、誰かを守ることに喜びを感じ、犯した罪に深く後悔し、何度も朝と夜を繰り返すほどに嘆き悲しんだ。
それでも、救ってきた命は、感謝の言葉は、
輝かしい記憶として、私を前へと進ませた。
本当に、楽しかったのだ。あの頃の自分は。
失ったもの、傷つけたものは数えきれない。
それでも得たもの、守れたものも確かにあった。
けど、もういい。
ぜんぶ捨てよう。
もう、疲れたから。
纏っていた服を脱ぎ、握っていた杖を手放す。
何も身に着けない身体は、驚くほど軽かった。
これで、ようやく眠れる。
この、どこかもわからない場所で。
トプン、と。
倒れた身体が、水底に沈んでいく。
深く。深く。暗く、静かな闇へと。
眠ろう。少しだけ。
少しだけ……。
――揺子先生。
声がした。幼く、可愛らしい声が。
――揺子先生。
知っている声だ。どこかで聞いたことがある。
――揺子先生。
誰かが呼んでいる。小さくて、必死な声で。
沈みかけた意識が、その声に引っ張られる。
嫌だ、と思った。まだ眠っていたい。
でも、その声は――
「クレイドルソフィアッ!」
涙に濡れた響きで、私の意識を引っ張り上げた。




