第25話 夢の底へ
※ちょっと描写を修正。智代ちゃんは患者衣を着ています
夜の廃ビル。暗がりの片隅。そこに、ラポゾ・ムエルテは臥せっていた。
「ぐ……ぁ、……」
投げ出された四尾が、力なく床を這っている。体毛は焦げ、至るところで真皮が剥き出しになっていた。筋繊維が空気に晒され、微かに震えている。
再生は続いている。しかし、あまりにも遅い。
「ク、ソ……あのガキィ……ッ!」
原因はあの光だ。籠目智代による魔法。それが再生を遅らせているのだ。まるで内側から、じわじわと火で炙られるような激痛が、ラポゾの体力を消耗させていく。
「憐れだな、憐れだね、憐れだよ」
声がして、ラポゾは顔を上げた。
いつから近くにいたのか。月明かりを背にして立つ影があった。古びた外套。目深に被ったフード。その暗い奥から、赤い二つの眼が光っていた。
「情けないったら、ないね」
声は若かった。だが、男なのか女なのか判然としない。
「あれほどの、力を持ちながら、小娘一人に、手こずるとは」
「黙れぇ……ッ!」
「カカカッ! 黙れ、か」
赤い眼光が細くなった。
「なんて、言い草だい。ワシに、助けてもらいながら。この、恩知らずめ」
魔法の杖を床につきながら、外套の人物が近づいてきた。
拍子に、ぐり、と杖の先端を足に押しつけられ、たまらずラポゾは悲鳴を上げた。剥き出しの筋繊維が、黒い血を吹き出して痙攣する。
「グァ、ガァァァッ!?」
「それにしても、厄介な光だね。【魔骸】の再生を、遅らせるとは」
「や、やめ……ッ!」
「お前もお前で、力を使いすぎたね。このまま戦えば、今度こそ、終わりだよ」
「わかって、います……ッ!」
「わかっていて、また戦うつもりかい?」
「当然です!!」
血の滴る真皮が、怒りに合わせて引き攣れる。
「あのガキに、コケにされたまま引き下がれるかァッ!」
「……まったく。懲りないね、懲りないな、懲りないよ」
深く溜息を吐いて、外套の人物が杖を引っ込めた。
「今の、お前では、勝てない」
「なら、どうすれば!?」
「さぁてね。自分で、考えな」
外套の人物が、乾いた笑いを漏らしながら踵を返した。
その背中を引き留めるように、ラポゾは怒鳴りつける。
「待ちなさい! 貴方は我々の指導者と協力関係にある! それほどの者が、傍観するだけとは思えない! 助けておきながら、ただ嫌味を言うだけですか!?」
「ああ、そうだよ」
杖が床を、コツン、と叩く。
「気まぐれに、助けはするが、戦いには、不干渉。それが、筋というものさ」
「では――」
「けどまぁ」
遮り、何か思案して。
「そうさね。先の事を、考えれば、助言するのも、悪くない」
フードの奥の眼光が、弧を描いて笑った。
「魔法少女が、強くなる仕組みは、知っているね?」
「人々の祈りです」
「そう。声援、期待、憧れ。形は様々だが、人の想いが、力となる。ならば、答えは簡単さ。その祈りを、失墜させればいい」
「――――」
ラポゾの沈黙を意に介さず、外套の人物は続ける。
「祈りが失われれば、力も失われる。民の前で、魔法少女を、陥れるのさ。たしかあの小娘、名をクレイドルソフィア、と言ったか……」
「――は?」
驚愕があった。押し寄せる感情とともに、ラポゾは目を見開く。
「クレイドル、ソフィア?」
「おや、知らなかったのかい? 馬鹿みたいに、あちこちで、名乗っていたよ」
「……そういうこと、でしたか……」
ラポゾの口が、裂けるように吊り上がった。
頭の中で想起される、知恵揺子の姿。かつて自分を追い詰め、そして人々から見捨てられた魔法少女――その名を、あの忌まわしい子供が名乗っている。
「ク」
笑いが漏れた。怒りと憎しみの笑いが。
「クフフ」
四本の尾が、ゆっくりと持ち上がった。
濁った銀の瞳が、愉悦に染まっていく。
元魔法少女の過去を持つ魔法使い。
その女が、最も隠したいもの。
最も触れられたくない罪科。
それを、あの子供ごと。
大勢の前で――
「何か、思いついたようだね」
外套の人物が言った。杖の音が、遠ざかっていく。
「心ゆくまで、企むといい。事と次第によっては、ワシも、協力するよ」
足音が消えた。
廃ビルに、ラポゾだけが残される。
「クフ、クフハハハハ――――――ッ!!」
計画は、もう動き始めていた。
♣♦♠♥♠♦♣
白い。
どこまでも、白かった。
水の中にいるような感覚。音が遠く、光が滲む。身体の輪郭が曖昧で、自分がどこにあるのかもわからない。
そこへ、声が届いた。
『起きるんだ。智代』
クラゲのお兄さんの声だ。穏やかで、温かで。だけど、
『彼女が――危ない』
急かすような響きを伴って、智代の意識を覚醒させた。
次の瞬間――バン、と。持ち上げられた自分の手が、透明な蓋を叩いた。
全身の冷たい感触。口には人工呼吸器。でも、そんなことはどうでもいい。
出して。強く念じた。ここから、早く!
直後、透明な蓋がひとりでに開いた。
溶液が溢れ出し、床に広がる。智代はゆっくりと身を起こした。口元の人工呼吸器を両手で外すと、甲高い警告音が響き渡った。
構わず、ポッドから足を下ろす。覚束ない足取りで部屋を出た。
誰もいない、暗く沈んだ真っ白な通路に、蛍光灯の明かりだけが連なる。消毒液の臭いから病院だと気づき、智代は濡れた足のまま歩いていった。
すると、背後から聞き慣れた声がした。
「智代?」
振り返ると、メムシュが見つめていた。
「智代ぉ!」
「メムシュ」
胸に飛びつくメムシュを抱きとめると、身体中が泥まみれだった。白い毛並みに茶色い土。草の匂い。爪の間にまで土が詰まっている。
「どこに行ってたの?」
「これ、智代に元気になってほしくて」
メムシュが前足を差し出した。
小さな手に、四つ葉のクローバーが一枚。
「私に?」
「探したっシュ」
胸が、じんとした。
こんなに汚れるまで、ずっと探してくれたんだ。
「ありがとう」
智代はクローバーを受け取った。泥のついた葉っぱが、光って見えた。
遠くから慌てた靴音が近づいてくる。姿は見えないが、きっと看護師だ。
見つかったら連れ戻される。智代は静かにその場を離れ、再び歩き出した。
「揺子先生のところに案内して」
「わかったっシュ」
メムシュに導かれて廊下を曲がると、病室の前に人影が見えた。
白衣の医者と二人の魔法使い――オリビアと六花だった。
智代は廊下の影に身を寄せた。
「魔法の影響です」
医者の声が届いた。低く、慎重な物言いだった。
「知恵さんは何らかの魔法を受けている。それが昏睡の原因と考えられます」
「魔法……」
オリビアに視線を寄越され、六花が懸念を口にする。
「きっと【魔骸】の仕業です」
「おそらく、可能性は高いかと」
医者が静かに言及した。
「ですが問題は、このまま放置できないことです。身体がどんどん衰弱しています。栄養補給だけでは追いつかない」
「どういうこと」
「魔法が知恵さんの身体を消耗させているんです。解呪しようにも、当院で用意した医療機器では難しく――」
「わかったわ」
オリビアが遮った。
「伝手を当たります。六花、急ぎましょう」
「はい」
足音が近づいてきた。三人の影が通り過ぎ、遠ざかっていく。
周囲の無人を確認してから、智代は病室に近づき、中に入った。
室内は薄暗かった。ベッドに横たわる揺子の顔は青白い。目を閉じたまま、動かない。呼吸はしている。でも、すごく弱々しかった。
「とても悪い魔法っシュ……」
メムシュが腕の中で唸る。
「うん。わかるよ」
智代にも理解できた。
「深い悲しみと、恐怖の色。それが揺子先生を苦しめてる」
揺子の全身に絡みつく、恐怖の黒と悲哀の青。鎖のごとく巻きつくそれらが蠢き、脈動する魔力となって揺子を蝕んでいる。
「とても悪意のある魔法。たぶん、普通に浄化しても消せない」
この負の感情は、きっと強い。表面だけを払っても、根っこに絡んだ色は消えない。智代は胸を痛めた。これは、人が恐れる "ナニカ" を見せる魔法だと。
揺子の唇が動いた。
「……エマ……」
掠れた声。譫言のように。
「……ごめん、なさい……」
頬を流れる一筋の涙。
「智代ちゃん」
「――――」
智代は無言のまま揺子を見つめた。メムシュを枕元に置き、ベッドに登る。うなされる揺子の頬を優しく撫でた。慰めるように。慈しむように。
そして、意を決した。
「メムシュ。 "アレ" を使うね」
「そんな、ダメっシュ!?」
メムシュが飛び上がった。
「もし失敗したら――」
「心が壊れる。でもね」
智代の瞳が、黄金に輝いた。
「揺子先生の想いは―― "私にしかわからない" 」
あの日。瓦礫の中で目を覚ました日。パパとママがいなくなって、一人になって、それでも白いお姫さまが『ありがとう』と、笑いかけてくれた日。
「だから私が――クレイドルソフィアを救うんだ」
誓いを胸に。今日というこの瞬間を、私は待ち望んでいた。
智代は揺子の身体に跨った。そっと頭を寄せて、自分の額と揺子の額を触れさせる。
「この魔法こそ」
祈りが、静かに紡がれた。
「悪夢にさまよう、すべてを導く招きの光」
指先から、光が溢れ出す。
「闇に終わりを、道に印を、贖う者には解放を」
部屋が、金色に染まっていく。
「Gōda Hyrde――其は咎人を償還せし、迷羊導く神人也」
智代は目を閉じた。
「今ここに示せ」
光が揺子を包み込み、
「 "永遠に瞬く救いの光" 」
智代の意識は――揺子の意識と同化した。




