第19話 過重装填
【魔骸】ラポゾ・ムエルテ。
揺子先生が戦っていた相手。その強さは、先生の傷が物語っている。
共感覚がラポゾの色を読む。黒だ。底なしの黒。昨夜の【魔骸】にあった悲しみの光など、どこにもない。あるのはただ、満たされた暗さ。
これが望んで【魔骸】になった人の色……。
とても信じられなかった。だが、現にラポゾを前にして思い知らされる。黒と赤。それらが渦巻く中にある喜びの色。他者を傷つけることに罪悪感を抱かない怪物。
智代は一瞬だけ後ろを振り返った。
先輩たちに介抱されている揺子。服は真っ赤に染まり、気を失いかけている。出血のせいで顔も青ざめていた。感情の色も怒りと悲しみでぐちゃぐちゃだ。
許せない。
揺子先生の言う通り、あの【魔骸】は助けてはいけない。ここで逃せば、多くの人が犠牲になる。でも、私だけじゃ無理。それだけの強さをラポゾから感じる。
「私も戦うわ。あなた一人じゃ危険よ」
赤髪の魔法少女が前に出た。
「私たちも」
残る三人が、それぞれ杖を構える。
「ありがとうございます」
智代はメムシュに告げた。
「メムシュ。先生を助けて」
「任せるっシュ」
メムシュが揺子に近づき、額の宝石を淡く光らせた。
出血が止まり、揺子の顔色は良くなっていく。だが完治には至らない。負わされた傷が深いせいか、再生は遅々として進まない。すぐにでも病院に運ばなければ。
だからこそ、戦いは短期決戦で。
「行きます!」
智代が動いた。同時に、四人の魔法少女が散開する。
赤髪の少女が炎で注意を引く。二人が左右から挟撃に回り込み、もう一人が上方から牽制。智代は【魔骸】の弱点、仮面への最短距離を一直線に。
「 "永遠に瞬く" ――ッ!」
「残念」
ラポゾが指を弾いた。
瞬間、景色が歪み、複数の分身が現れる。
「なッ!?」
残像ではない。歪みから抜け出した別のラポゾが、現れては尾を広げて並び立つ。その輪郭からまた同じ姿が出現し、次々にホールへと分身を増やしていく。
「なにこれ、魔法!?」
「こんな数、無理!?」
「幻覚よ、本物は一体!」
赤髪の叫びに応えるように、すべてのラポゾが同時に嗤った。
嗤いが同じ角度で首を傾け、同じ拍子で尾を揺らす。群れ全体が一個の生き物のように振る舞い、本物の挙動を悟らせない。
「くっ!?」
大丈夫。私には見える。智代は共感覚を研ぎ澄ませた。
黒と赤。あんな濃い色、隠せるはずが――
「え」
黒――黒、黒、黒。どれもが等しい悪の色。渦巻く赤まで。
(幻覚なのに、心の色まで……ッ!?)
物心ついたときから、色は本当のことを教えてくれた。
なのに、その色はいま同じ嘘を並べている。
生まれて初めて智代の目は、ただの目になった。
「――あがっ!?」
短い苦鳴。振り向けば、青髪の先輩が氷の盾ごと尾に貫かれていた。引き抜かれた尾が群れに紛れ、遺体の上へと幻が雪崩れ込む。
「散って! 固まらないで――」
風で幻影を切り払っていた緑髪の先輩が、声を途切れさせた。
姿は見えない。何かが床に崩れる音と、止んだ風だけが悲劇を報せる。
「ぅぐ――」
さらに、目の前を横切る黄色い髪。雷の先輩が、床に伏したまま動かない。
名前も、まだ聞いてないのに。
「や、やめて、やめてぇぇぇ!」
智代は杖を薙いだ。黄金の光が扇状に広がり、群れを呑み込んでいく。
だが手応えは感じられず、光は幻を素通りするばかり。
「ああ、いいですねぇ。その悲鳴」
本物の声がした。右左から。背後から。出処を悟らせない反響で。
「これだから殺しはやめられない。怯える姿、苦しむ姿、絶望に暮れる姿。そんな窮地に陥る貴女たちを見ていると、何とも言えない高揚感を抱いてしまう」
「黙れぇええ!」
赤髪の先輩が咆えた。杖から炎を噴き出し、真正面から群れに突っ込む。
「私が本体を捕まえる、その隙に倒して!」
「そんな、でも――」
「行くわよ!」
返事を待たず、赤髪が群れに突っ込んだ。その背中に智代は必死で追いすがる。
放たれる炎がラポゾたちを焼き払う。それでも幻は減らなかった。焼け落ちた端から、同じ姿が陽炎のように揺らぎ立つ。
群れの隙間から、幾本もの尾が殺到した。
赤髪は正面の一撃を杖で防ぎ、足元からくる尾を跳び越えた。背後から智代を狙った尾には身を翻して即座に迎え撃つ。一方、自分への攻撃は急所を外すだけに留め、肩を裂かれても、脇を抉られても足を止めない。
「三時方向……」
攻防に紛れて聞こえた声に、智代は息を呑んだ。
――まさか、先輩……。
視界を埋める姿も、四方から響く足音も、漂う魔力の気配さえ幻術に塗り替えられている。どれほど目を凝らしても、本物を見分けることはできない。
しかし、幻は肉を裂けない。傷を残せるのは、本体から伸びた四本だけ。
先輩は攻撃を受けるたび、その痛みが来た方角を記憶していた。傷を負いながら本体の位置を絞り込み、少しずつ間合いを詰めている。智代を背後に置いたのも、その痛みを一人で引き受けるためだった。
己の身体を、たった一つの羅針盤にして。
「見つけた……ッ!」
赤髪が炎を引き、群れの右奥を見据えた。
その動きを読んだのか、無数のラポゾが一斉に尾を振り上げる。
直後、隠れていた一本が床を抉った。狙いは赤髪ではない。後方の智代を排除すべく、死角に回り込んでいた。
「危ないッ!」
赤髪が智代を突き飛ばす。
床に投げ出された智代が顔を上げる。自分の立っていた場所に赤髪が割り込み、その腹部を黒い尾が貫いていた。鮮血が、ボタボタと床に零れ落ちる。
「そんな……ッ!?」
赤髪の膝が折れかける。
だが、倒れない。
「……捕ま、えた」
震える両手が、自身を貫く尾を掴んでいた。
「離さない……絶対にぃ……ッ!」
尾が慌てたように引き戻される。しかし食い込んだ指が逃走を許さない。赤髪は尾を掴んだまま腰を落とし、全身の力を使って一気に引き上げた。
「ううううぁぁぁッ!!」
「――ほうッ!?」
宙に放り出された本体だけが、幻の中で体勢を崩す。
「今よ!!」
「 "永遠に瞬く" ――ッ!」
すかさず両手で杖を握る智代。低く下段に、振り上げる構えで。
しかし、そこで気づかされるラポゾの尻尾。それが、二本しかない。
ラポゾの尻尾は四本のはず。先輩が掴んでいる一本を差し引いても、残りは三本。なのに、智代の目に映るのは〝二本〟だけ。
一本足りない。また幻覚か。けど、これは本体――
「ぅ――ッ!?」
腹部への殴打。考える間もなく、智代の身体が宙を舞う。
床を這い忍び寄っていたのは、切り離されたラポゾの尾だった。本体から伸ばされたのではない。分離したまま群れに紛れて、智代を足元から襲ったのだ。
「ぁハ――ッ!?」
壁に激突し、床に落ちながら智代は見た。
赤髪の先輩が、事切れて倒れる姿を。
「い、や……っ!」
「ありがとうございました」
ラポゾが赤髪を見下ろして笑った。
「おかげで少し、楽しめましたよ」
分離していた尾が、蛇のように床を這いながら本体へ。臀部に接続し、癒着。元通りの四本に戻ってしまった。勝ち誇るかのように、すべての幻覚も消え失せる。
「ソフィアッ!」
メムシュが智代に駆け寄った。
「だめ……メムシュ、逃げて……」
「いやっシュ!」
「クフフ、どこかで見た展開ですね」
ラポゾが舌なめずりで近づいてくる。
そのとき、オリビアと六花がホールに駆け込んできた。
「ユリコッ!?」
「智代ちゃん!?」
見知った二人の姿に智代は安堵しかけた。だが、床に広がる揺子の血と先輩たちの亡骸が、その感情をたちまち恐怖に塗り替える。
――来ちゃだめ。
そう叫びたいのに、喉が引き攣って声が出ない。助けを求めたい気持ちとは裏腹に、二人がこちらに近づくほど、同じ姿で倒れる光景ばかりが鮮明になった。
これ以上、自分を助けようとした人が傷つくのは耐えられない。
「おや、また新たな犠牲者が」
ラポゾの尾が、二人へと迫った。
◇ ◇ ◇
魔法少女になったばかりの頃、不思議な夢を見るようになった。
具体的に言うと、名前も知らない "男の人" と会う夢だ。
男の人は名乗らなかった。ただ笑顔で『私は魔法使いだよ』とだけ言った。
不思議と智代は納得した。男の人は魔法使いに相応しい恰好をしていたから。
身の丈よりも長い魔法の杖。純白の法衣。青みがかった白髪は首筋で切り揃えられており、その下から伸びる長髪が気まぐれに外へと跳ねている。瞳は糸みたいに細く、常に笑顔なので怪しい雰囲気を纏っていた。
でも、そんな魔法使いでも智代は信頼できた。
毎晩、夢の中で彼は智代に戦い方を教えたのだ。
ありとあらゆる魔物への対処。そのための知識と応用。どれも智代には刺激的で、面白く、めきめきと実力は向上していった。
「ねえ、クラゲのお兄さん!」
智代が呼ぶと、男の人は困ったように笑った。
「またその呼び方かい、智代。お兄さんは泣きそうだよ。せめて "大魔法使い" とか、 "真理の神さま" とか、私が名乗った通りの――」
「クラゲっぽいもん」
「どこがだい?」
「髪型!」
「そうかなぁ」
夢の世界は、今日も一面まっしろな空間だ。どこまでも続く浅瀬みたいな水面の上に、智代とお兄さんだけが立っている。
「今日は何を教えてくれるの?」
「そうだねぇ」
お兄さんは杖を肩に担ぎながら、空を見上げた。
「この惑星の終わり方、とか?」
「えぇ……」
「冗談だよ」
「お兄さんの冗談、怖い」
「よく言われる」
くすくす、と笑う。楽しそうに。面白そうに。
お兄さんはいつもこの調子だ。フワフワして、掴みどころのない感じ。もしかしたら、手を伸ばしても届かないくらい、本当はずっと遠くにいるのかも。
不意に、お兄さんが優しい声で呼んだ。
「智代」
「なに?」
「今夜で、これも最後だ」
「最後?」
「うん。これからは、キミ自身が物語を紡ぐ番だ」
「寂しい……」
「おやおや、悲しまないでおくれ」
智代が顔を俯かせると、お兄さんは慰めてくれた。
それから、珍しく真面目な顔になる。
「その代わりと言っては難だが、最後に一つだけ教えよう」
言って、お兄さんが指を差す――智代の胸元。
変身アイテム『聖櫃輝石』が、淡く光った。
「その石にはね。 "鍵" がある」
「鍵?」
「うん。キミの魔法を、本当の意味で解放するための鍵だ。じつは言うとキミはまだ、無意識に力を抑えている。世界を壊さないように、本能でブレーキをかけているんだ」
「そんなことしてるの?」
「してるとも。じゃなきゃ、とっくに大惨事さ」
冗談っぽく笑う。でも、その目だけは笑っていなかった。
「『聖櫃輝石』の奥にある力を解放すれば、キミはもっと強くなれる」
「ほんと!?」
「ただし、おすすめはしない」
「なんで?」
「キミの魔法は危なすぎるから」
首を傾げる智代に、お兄さんは困ったように笑う。
「キミの魔法はね、本来、とても危険なんだよ。 "できない" を壊してしまうから」
「できないを……壊す?」
「うん。だから、もし力を開放すれば――キミ自身も壊れる」
「私が……」
「怖がらせてごめんよ。けど、言っておかないとね。戻れなくなるから」
そこから先の説明は、智代にもよく分からなかった。ただ覚えていることは、力を開放したときの恩恵、そして後の代償だけ。
語り終えて、お兄さんが笑いながら肩をすくめる。
「まあ、運が良ければ助かるよ」
「笑いごとじゃないよ」
「はは、ごめんごめん」
また笑う。いつもの調子で。
けれども、目だけは真剣に。
「どうか約束してほしい。どうしても、守りたいものがある時にだけ使うこと。キミは優しい子だからね。きっと自分を壊してでも誰かを助けようとする」
智代は少し黙る。それから、小さく頷いた。
「うん。約束する」
「いい返事だ」
お兄さんは嬉しそうに頷き、立ち上がる。
「さて、それじゃお別れだ」
そして、ふっ――と。
「〝祈りの彼方に祝福を〟。智代」
少しだけ寂しそうな顔をした。
「鍵の開け方は、望めばわかるはずだ」
◇ ◇ ◇
「 "永遠に瞬く救いの光" 」
智代が胸元の『聖櫃輝石』に触れた瞬間だった。
淡い光を放っていた宝石が、脈動するように明滅。
直後――
「過重装填」
カチリ。指の動きに合わせて、機械めいた音を発した。
宝石を支えていた逆三角のフレームが、ゆっくりと回転。
眩い光を撒き散らしながら反転し、正三角形へと変形する。
同時に、下部台座に刻まれていた紋様が露わになった。
上下。二つの三角が重なり、形成された光り輝く六芒星。
空気が震える。魔力が唸る。
まるで世界そのものが、この解放を拒絶しているかのように。
パキン、と。小さな亀裂音。
宝石内で何かが "開き" ――ラポゾの尾が切り落とされた。




