第16話 迷える魔物に救済を
「はにゃ~ん」
なんだかすごく幸せ。
ふわふわして。ぽかぽかして。
世界のすべてが優しく見える。
「あは、うふふ……」
そんな気持ちに浸っていると、
「揺子先生、起きてください」
聞き慣れた声がした。
「んぅ……?」
瞼を開くと、智代の顔があった。
「智代、ちゃん……?」
半身を起こし、揺子は周囲を見回す。
廃工場。壊れた機械。崩れた木箱。
先ほどまでと、変わらない景色。
だが、おかしい。
「私、生きてる?」
「生きてます!」
「工場は?」
「あります!」
「なんで?」
「魔法の効果です!」
「どういうこと?」
意味が分からず首を傾げると、智代が簡潔に説明してきた。
「えっと、私の魔法には二種類あって "ドカーン" と "キラキラ" なんです。 "ドカーン" はいろいろ壊せますけど "キラキラ" は壊せなくって、その代わり心がはにゃ~んてなるので、建物は無事なんです」
「ああ、そういう……」
壊滅的な語彙だが、言わんとしている事は理解できた。
智代の魔法 "永遠に瞬く救いの光" には、二つの効果がある。
ひとつは "ドカーン" 。攻撃に用いる破壊の光。
もうひとつが "キラキラ" 。精神浄化のみに留めた光。
これらの効果の切り替えは、智代に初めて遭遇した記憶が立証していた。揺子へのビーム。ゴーレムを倒した光。浄化と破壊。それを智代は任意で使い分けられる。
それにしても、
「攻撃と精神干渉の魔法とか、初めて聞いた」
「そうなんですか?」
「うん。魔法少女の魔法の効果は、大抵一つだけよ。それが二つもあって、さらに任意で使い分けるとか、かなり希少。スーパースペシャルレア」
「わっ! メムシュ、SSRだって!」
「Super Special Rareっシュ」
「発音すご」
攻撃もさることながら、精神干渉の魔法は珍しくもない。
だが、あれほどの規模で発揮するなど、聞いたこともない。
(やっぱり規格外よね。この子……)
改めて実感した瞬間だった。
「でへへ……」
濁った笑い声が聞こえた。見ると、針金で縛られた【魔骸】とゴブリンが、薄気味悪い笑みを浮かべて捕まっていた。様子を見る限り、浄化の効果は覿面らしい。
敵意も殺意もさっぱり消え失せ、今は腑抜けた状態だ。
「智代ちゃん、良くやったわ」
これなら、簡単に倒せる。
「いい? よく見ていて。【魔骸】の倒し方。こいつらには弱点がある」
杖を召喚して構える。
「それは "仮面" よ。これさえ砕けば――」
「ダメです!」
「ちょっと!?」
いざ魔法を放とうとした瞬間、智代が両手を広げて立ち塞がった。
「なんでまた庇うの!? コイツは昨日の【魔骸】とは違う!」
「わかります! 喋ってます! でも、泣いてます!」
「だから、それは私たちを騙そうと――」
「お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙ッ!」
泣き声が、空間に響き渡った。
「俺っちが悪かったぁぁぁッ!」
ピカロが、鼻水を垂れ流しながら号泣している。
「もっと真面目に生きていればぁぁぁぁッ!」
「親分、落ち着いて!」
「俺っちも頑張ろうと思ったんだよぉぉぉ!」
「それ毎回三日目で諦めたじゃねぇスか!」
「うるせぇぇぇ!」
反論できていなかった。
「なにこれ」
「魔法の効果が切れました」
「うん。わかるけど、えぇ……」
揺子の口から困惑が漏れる。
いや、本当に何なのだろう。目の前にいるのは【魔骸】だ。人を食べる怪物。本来なら問答無用で倒すべき敵。昨夜だって、その同類に殺されかけたのに。
「俺っちは必死に頑張ったんだぁぁぁ!」
怖くない。むしろ情けない。
それどころか、どう見ても小悪党だ。
揺子は額を押さえた。溜息が出る。ついさっきまで緊張していた自分が馬鹿みたい。
魔法が使える【魔骸】は脅威のはず。なのに、泣き喚く姿が憐みを抱かせる。
「うぅ、俺っちの人生、なんだったんだぁ……」
こんな【魔骸】は初めてだ。
ただひたすらに調子が狂う。
そして何より厄介なことに、
「あのう。良ければ、事情を聞かせてください」
智代が放っておくはずもなかった。
♣♦♠♥♠♦♣
「助けたいんです。あなたのこと」
智代が、ピカロと視線を合わせた。
「あなたの色は他の【魔骸】とは違う。黒と赤の中に、夕焼けの色がある。私、知ってます。その色は優しい心を持つ人だって。だからゴブリンさんと一緒にいるんです」
「最初会ったときは襲われたけど」
ゴブリンがつぶやいた。
「命乞いしたら、見逃してくれた」
「ほら!」
何が「ほら」なのだろう。と、思ったが智代の言い分には一応の信頼がある。
智代の共感覚は、他者の心を色として捉える。本人にしか知りえない感覚だが、これまでのピカロの言動と照らし合わせれば、あながち間違いではないのかもしれない。
ピカロ・ムエルテは、今までの【魔骸】とは明らかに違う。
戦闘は逃げ腰。ゴブリン相手に説教。挙句、捕まった今では人生の愚痴ばかり。
その異常な性質は、逆に興味が湧いてくる。
「話しなさい。これまでの事」
揺子に杖を突きつけられ、ピカロが観念したように語り出した。
「……いいぜ。俺っちはな、会社をやってたんだ」
「会社?」
「ああ。運送屋だ。最初は良かったぜ。毎日忙しくて、未来があった」
けど、と声が沈む。
「失敗した。仕事は減って、社員も辞めて、気づいた時にゃあ全部パァさ。人生ってのは残酷だよなぁ。頑張ったヤツが報われるとは限らねぇ……」
項垂れる姿に悲哀が滲む。
「その時だった。アイツが現れたのは」
「アイツ?」
「 "狐" の【魔骸】だ」
「――――」
狐。その言葉を聞いた瞬間、揺子は耳を疑った。
「きつ、ね……」
心音が跳ねる。指先が冷える。呼吸が浅くなる。
狐。その特徴だけで、脳裏に蘇る過去の敵。
揺らぐ長身。四本の尻尾。鋭い銀眼。
そして、頭部を覆う狐の頭骨。
「――先生?」
智代が、心配そうに覗き込んできた。
「なんでもない」
答えたものの、声は震えていた。
偶然だ。ただの偶然。アレが生きてるなんて有りえない。
そう思おうとしても、不安だけは消えてくれなかった。
「そいつが言ったんだよ。人生をやり直したくないかって。【魔骸】になれば、どんな成功も夢じゃねぇってよ」
「それで【魔骸】になったんですか?」
「おうよ。でも、ダメだった」
「ダメ?」
「俺っち、人を襲えなかった」
智代が嬉しそうに微笑む。
「やっぱり優しいです」
「違ぇよ! 弱かったんだよ!」
涙ながらに反論する。
「記憶は定かじゃねぇが、【魔骸】になった直後は今でも覚えてる! 周りのヤツらと比べて、俺っちだけが小さかった! 弱かった! 人を襲おうとしても敵わねぇし、魔物にも歯が立たねぇ! おかげでいつも腹ペコだ!」
「先生……」
「たぶん、不完全な魔骸化でしょうね」
揺子には心当たりがあった。
「人を【魔骸】にする『アフリマの仮面』には、適性があるの。女性や子供はなれない。仮面の呪いで死ぬからよ。けど、男性は別。呪いに耐えて魔骸化する。それでも、なかには適性が低くて弱い【魔骸】も生まれるの」
その場合、昨夜戦った個体と比べて強さは落ち込む。
「笑っちまうだろ?」
ピカロが溜息混じりに笑った。
「【魔骸】のくせに情けねぇよ。食い物もネズミとか、カラスだぜ。それで話せるようになって魔法が使えても、人を襲う度胸もねぇ」
「だから、ゴブリンとペット誘拐を?」
「ああ。けどさすがに犬猫は、な。可哀そうだから売って金にした」
「呆れた……」
揺子は嘆息した。本当に、どこまでも半端な【魔骸】だ。
「ほんと俺っち、【魔骸】としても失格だよ」
つぶやく声には、もう力がない。
「人間のときもダメで、【魔骸】になってもダメで。何やってもうまくいかねぇ。そのうえ魔法少女にまで捕まって、もう終わりだ。ほんと、何もかも終わり……」
涙が仮面の眼窩から滴り落ちた。
工場内に嗚咽だけが響く。
それを――
「終わりじゃないです」
智代が静かに遮った。
「え?」
「一回失敗したくらいで、終わりじゃないです」
ピカロが鼻を啜りながら睨む。
「綺麗ごと言うな。ガキのくせに」
「ピカロさんは、どれくらい失敗したんですか?」
「どれくらいって、数えきれないくらい……」
「じゃあ、また数えきれないくらい挑戦すればいい」
「はあ?」
「失敗したら、また新しく始めればいいんです」
屈託のない智代の笑顔。それに、ピカロが呆けて返す。
「い、今さら何を始めんだよ!? 【魔骸】になったんだぞ!? もう遅いだろ!?」
「遅くなんてないです。何かを始めるのに、『もう遅い』なんてないと思います」
「そんなこと……」
「人って、きっと自分で自分を幸せにもできるし、不幸にもできます」
智代の声は、揺れなかった。
「だから、いろんなものを見てください。聞いてください。感じてください。たくさんの人と会って、いろんなことを知るんです。そしたらきっと、『こんなのもあったんだ!』って思える道が見つかります……って、お世話になった人が言ってました」
「お前ぇの言葉じゃねぇのかよ!?」
「えへへ」
「ったく……でも、悪くねぇ言葉だ」
ピカロは感心していた。
揺子も胸を打たれていた。
この言葉は、ピカロに向けられたもの。
なのに、どうしてだろう。
まるで自分に言われているようで、胸の奥が、微かに痛んだ。
過去に自分が犯した過ちを思う。あの日、失ったものを思う。
やり直せると、本当に言えるだろうか。
贖えると、自分を信じられるだろうか。
「失敗しても、また始めればいい、か」
ピカロの声は、もう沈んでいなかった。
「初めてだよ。そう言ってくれたヤツ」
あるのは、過去を振り返らぬ決意。
「また頑張ってみようかな。へへっ!」
まだ見ぬ未来への期待だった。
「応援してます。ピカロさん」
「素直で良かったっシュ」
「うるせぇ。でも、ありがとよ」
ぶっきらぼうに言って、ピカロが揺子を見た。
「俺っち、今度こそ心を入れ替える。償いもする。そのために、売っ払ったペットも全部取り戻して、飼い主に返すよ。あ、でも【魔骸】のままじゃなぁ……」
「大丈夫よ。智代ちゃん」
「いいんですか?」
呼ばれて、智代が確認してくる。人間に戻していいかどうか。
ここまできて拒否はない。なにより、ピカロを信じてみたくなった。
「ええ。でも、今回だけよ?」
「はい!」
智代が杖を構えた。光が静かに溢れていき、
「 "永遠に瞬く救いの光" 」
ピカロの全身を、優しく包み込んだ。
♣♦♠♥♠♦♣
智代の魔法によって人間に戻ったピカロは、小柄な男性だった。
年齢は三十代。ずんぐりとした体型。丸い目。低い鼻。ゴブリンと並ぶと、血縁でもあるんじゃないかと思う顔立ちだ。
「親分、もしかしてご先祖は俺たちで?」
「マジでゴブリンみてぇだ……」
「本当に人間スか?」
「うるせぇぞ、お前ぇら!」
照れくさそうに怒鳴り散らし、ピカロは大きく溜息。それから、くたびれたスーツの襟元を正すと、希望を湛えた目で空を見上げた。
「そんじゃま、いっちょやりますかぁ!」
「やるって、攫ったペットを取り戻すの?」
「それもあるけどよ……」
揺子に問われ、ピカロがゴブリンたちを見やった。
「コイツらと事業を起こす。今度こそ、成功させてやる」
「ゴブリンと事業ねぇ。うまくいくの?」
「いくさ、きっとな。コイツらがいればできる気がする」
根拠もない、清々しいまでの自信。
その前向きな姿勢が、少し羨ましい。
「じゃあな、お嬢ちゃん」
ピカロが智代に手を振った。
「人間に戻してくれてありがとよ!」
「頑張ってください、ピカロさん!」
「おう!」
ゴブリンたちを引き連れ、ピカロが廃工場から出ていく。
その背中を見送りながら、揺子は腕を組んだ。
「また悪さするんじゃないの、あれ」
「きっと大丈夫です」
智代は、ピカロたちを見つめて言った。
「また失敗したら、またやり直せばいいんです。どんな過去があっても、その人が走り続ける限り、積み上げたものはきっと力になります」
「…………」
揺子は何も言えなかった。
きっと力になる。
本当に、そう言えるだろうか。
あの日、自分がしたことは。犯した罪は。
それでも走り続けていいと、誰かに言ってもらえるのか。
わからない。でも。
智代を一人前にすること。守ること。
それが、自分にできる唯一のことなら。
せめてそれだけは、やり遂げようと思う。
物思いに耽っていると、スマホの通知が鳴った。
スクリーンをタップして確認する。オリビアからだ。
「先生、どうかしましたか?」
「社長から。そろそろ会場に来てって」
「あ、記者会見! 急ぎましょう!」
「慌てないの。まだ時間あるから」
駆け寄ってくる足音を背後に聞きながら、揺子は前を向いた。
いつの間にか心は、少しだけ澄んでいる。




