第11話 約束
場所は変わってコスモスフィア魔法堂。出勤早々、揺子は手帳を取り出してスケジュールを確認した。シナモンロールを食べる智代に言って聞かす。
「それ食べ終わったら、いよいよ最初の授業ね」
「ん、むぐ――授業!」
「あはは、落ち着いて食べなさい。楽しみ?」
「楽しみ!」
「こやつめ」
「うゆぅ~」
智代の頬を指でつつく。モチモチとした触感が気持ちいい。
「けど、その前に……」
くるりと踵を返し、揺子は窓際を見やった。
「社長に会いたかったんだけどね」
「どこいるのかな、オリビアさん」
室内の窓際、そこに鎮座する巨大なプレジデントデスクは空席だった。智代への授業内容を考えるべく、オリビアに指示を仰ぎたかったのだが……。
「カァ! 社長ハ留守ゥ!」
「占イィ! 個人鑑定ィ!」
止まり木にいる二羽のカラス――フギンとムニンが不在を教えてくれた。
主に探偵業や荒事をこなす揺子や六花と違い、オリビアは星占いを専らとする。しかもよく当たると評判なので、個人鑑定の依頼が後を絶たない。
「仕方ない。授業の内容は私で決めようかな……」
「――ふっふっふ。お困りのようだね、揺子さん」
「それじゃ、智代ちゃん。まずは手合わせ――」
「ちょっと、六花ちゃんを無視しないで⁉」
先ほどから声をあげる、プライバシー侵害六花が鬱陶しい。
「なに、邪魔しないでくれる? 軽口さん」
「え、怒なの? まさか住所教えたから?」
「ええ。情報漏洩さんとは話したくないの」
「智代ちゃぁん! 揺子がいじめるぅ!」
「泣かないで、六花先生。いい子いい子」
「てゆーか、六花。あんた今日は巡回でしょ。さっさと行ったら?」
「そのつもりだけどね。智代ちゃん、いい匂いでさ。ハスハス」
「ブッ飛ばすぞ」
「あーん、もうっ! わかったよぅ!」
魔法の杖で脅してやると、六花は名残惜しそうに智代から離れた。肩を落として扉に向かう背中が「あ、そうだ」と振り返って何かを渡してくる。
「これ、杖の修復剤。良かったら使って」
手渡されたのは蓋付きの瓶だった。粘性の高い琥珀色の液体が入っている。
「貴重品だから、あまり塗らないでよ?」
揺子の杖――ひび割れた支柱部分を見て六花が言う。
飾らない優しさが嬉しい。揺子は素直に感謝した。
「ありがとう。助かる」
「午後の記者会見は私も行くから。たぶん社長からも連絡あるでしょ。ムニン」
それだけ言うと、六花はムニンとともに退出した。受け取った瓶を眺める。
「なんですか、それ?」
「ジャムみたいっシュ」
智代とメムシュが興味深そうに見つめてきた。ちょうどいい。
「少し座学といきましょうか」
揺子は智代を連れて作業室に移動した。棚に並ぶ薬品の瓶。壁に張られた魔法陣の設計図。使い込まれた道具が、あちこちに散乱していた。
「わぁ、魔法使いの工房ですか?」
「正解。ここで調合とかするのよ」
智代が面白そうに周囲を見回す。メムシュは棚の上に乗り、薬品を嗅いでいた。
「危ないから触らないでよ?」
「わかったっシュ」
不安だ。揺子はメムシュを気にかけながら、作業台の上に杖を置いた。
昨夜の戦闘で傷ついた魔法の杖。支柱を構成する宝石のひび割れは、時間が経ったおかげか少し埋まっていた。が、このままでは用を成さない。
「先生の杖。やっぱり壊れてますね」
「壊れてる、というより傷ついてる、かな。でも直せる」
「直せるんですか? どうやって?」
揺子は六花から貰った瓶を開けた。瞬間、甘い樹液の香りが漂う。
「これを杖に塗るの。〝ピヌスの松脂〟よ」
「マツヤニって、木の蜜ですよね」
「そう。虫のご飯ね。この杖にとっても」
「え」智代が目を丸くした。「魔法の杖って虫さんなんですか⁉」
「ふふ、違うわよ。ただ正確に言うと、杖の支柱――宝石を作る虫がいるの」
説明しつつ揺子は筆を取り出した。瓶の中に入れ樹液に浸す。
「この杖の支柱はね、〝虹霓石〟って呼ばれるアースノールの微生物が作った宝石なの。その微生物は今もこの支柱の中で生きている」
細い筆先で松脂を掬い、ひび割れた箇所に塗っていく。
「松脂は彼らの餌よ。これを塗れば、微生物が活性化してひびを埋めてくれる」
「すごい。生きてる宝石……」
物珍しげな顔が、何かを閃いたように輝く。
「もしかして、私の変身アイテムも生きてますか⁉」
「変身アイテムって――『聖櫃輝石』のこと?」
「はい!」
智代が制服のポケットから取り出したのは、人の掌大もある桃色の宝石だった。金の台座に収められた、辺に丸みのあるトリリアンカットの形。
通称『聖櫃輝石』。魔法少女なら誰もが持つ変身アイテムだ。
「残念だけど……」
筆を走らせながら、揺子は苦笑した。
「それは魔法で作られた宝石よ。ただ変身するためのアイテム」
「そうですか。なんか私のこと、見てくれてる気がしたのに……」
「なんか、ごめんね。期待した答えじゃなくて」
「大丈夫です。新しいことが知れました!」
グッと握り拳を作る。落ち込んだ態度から明るい笑顔。
気遣うつもりが逆に気遣われてしまった。智代の健気さに庇護欲が湧いてくる。
そこで思い出す――智代の両親について。昨晩、資料を漁る際に見た彼女のプロフィール。そこに書かれてあるはずの二人の詳細が、なぜか記載されていなかった。
「そういえば、智代ちゃん。あなたのお父さんとお母さんって、どんな人?」
「……えっと……」
智代の視線が揺れた。踏み込んだ質問だったかもしれない。
「あ、ほら。何かあった時とか、連絡先が知りたいの。一応、智代ちゃんを預かる教師として責任があるから。……無理に答えなくていいのよ?」
「二人とも、もういません」
一瞬、時が止まった気がした。
「ずっと前から……」
小さく息を吸い、それから。
「私、ひとりです」
寂しそうに笑った。
「……ごめん」
馬鹿か私は。軽々しく触れていい話じゃなかった。
「ごめんなさい、私――」
「いいんです」
智代が首を振る。
「もう、乗り越えました。それに今は寂しくありません。メムシュもいますし、魔法少女学園にも友達がいるんです。その子とは寮が相部屋で、冥夜宵ちゃんって言うんですけど、すごく頭が良くて私より勉強できて――」
揺子は杖を作業台に置いた。膝を折り、そっと智代を抱き寄せる。
「智代ちゃん」
「せ、先生……!?」
智代が小さく声を上げた。構わず、そのまま話しかける。
「本当ならあなたは、【魔骸】と戦っちゃいけない年齢よ。学園が定めた制度だって、初等部はスライムやゴーレムみたいな魔物としか戦えない決まり」
「でも、先生。私――」
「わかってる。戦わなきゃいけない。あなたを守る制度を無視して。お父さんもお母さんも、誰も守ってくれない戦場で。だから……」
揺子は身を離した。智代と目線を合わせる。
「私が守る」
「先生……」
小さな瞳が涙に揺れた。震える手が、揺子の腕をキュッと掴む。
「けど、ひとつ約束して」
「約束?」
「うん。これから先、いつも私がそばにいるわけじゃない。一人で【魔骸】と戦わなきゃいけないときが、きっとくる。もしそうなったら、守ってほしい事があるの」
「なんですか?」
「すべてを救おうとしないで」
「……すべて……」
「昨日の【魔骸】のこと、覚えてる?」
「はい。泣いてました」
「そう。無理やり【魔骸】にされて。だから助けを求めた。でも世の中には、自分から望んで【魔骸】になった人もいる」
「え」
智代の顔に戸惑いが浮かぶ。
「そんな人が……」
「いるのよ。人であることを捨てて力を取った――そういう【魔骸】は泣いたりしない。助けも求めない。むしろ逆。言葉巧みに、あなたを騙そうとする」
「騙す……」
「【魔骸】は人を食べることで強くなる。賢くなる。人を何人も食べた【魔骸】は、人間みたいに話せるようになるの」
息を呑む音がした。
「昨日の【魔骸】は、まだ生まれたばかりだった。だから言葉が崩れていた。でも長く生きた【魔骸】は、普通に会話できる。そういうヤツらほど危険なの」
経験者だからこそ言える、【魔骸】の悪辣さ。
「言葉巧みに人を騙す。誰かが助けたくなるように、わざと可哀そうな振りをするの。もし、そんなヤツに遭ったら救おうとしないで。被害が広がる前に、倒すの」
「それが約束……」
「できる?」
智代はしばらく黙っていた。近づいてきたメムシュを、優しく胸に抱いて。
やがて、意を決したように顔をあげる。先ほどまでの翳りは消えていた。
「わかりました」
声には決意が宿っていた。
「私、倒します。悪い【魔骸】は、必ず」
「うん」
「でも、助けられるなら、助けたいです」
「知ってた」
揺子は肩をすくめた。
「そのときは、私も手伝う」
「ありがとうございます!」
こっちまで嬉しくなる智代の笑顔。子を持つ親の気持ちが、少しわかった。
揺子は作業台の杖を見た。支柱のひび割れは、とっくに塞がっていた。




