第10話 予期せぬ来訪
翌朝。窓から差し込む陽の光に、揺子は意識を覚醒させた。
昨晩は帰宅してから夜更けまで、ずっと資料を漁っていた。過去に起きた魔骸事件の記録を精査し、これから起きる事態に備え対抗策を練りつづけた。
最後に時計を見たときは、たしか夜中の三時を回っていた気がする。
そのせいで身体が重たい。寝ぼけ眼を擦りつつ、揺子は目を開いた。
「おはようございます」
瞬間、視界に映った智代の顔。
「……は?」
「えへへ、来ちゃいました」
「え、いや、なに……は?」
「揺子先生のお家ってマンションなんですね。部屋も広いし、羨ま――」
「なんでいるの!?」
ガバッ、と跳ね起きる。
「ていうか、どっから入って……」
「玄関です。メムシュの魔法で開けました!」
「シュ!」
「シュじゃないわよ!?」
智代の膝にいたメムシュが「シュ~!」と怯えて逃げる。それを智代が「許してあげてください!」と両手を広げて庇った。
頭を抱えざるを得ない。寝起きの脳には刺激が強すぎる。
「智代ちゃん。これはダメな事なのよ?」
「はい。でも私は先生の生徒で……」
「関係の話じゃない!」
ぴしっと指を突きつけるが、智代はキョトンとするだけ。昨日のビームと言い、悪気がないというのは、どうしてこうも厄介なのか。
「ちなみになんだけど、マンションの場所はどうやって?」
「六花先生に聞きました。電話で」
「アイツ……ッ!」
「あ、良かったらどうぞ」
「コーヒー?」
智代がカップを差し出してきた。黒い液体が小さく波打つ。
「勝手に淹れてごめんなさい。けど、飲んでほしくて」
「そこは謝れるのね。まぁ、ありがと……」
口を付けて飲んだ。直後、
「ブフォォォ――ッ!?」
あまりのしょっぱさに吹き出す。
「何よこれぇ!?」
「美味しくなかったですか?」
「そうじゃなくて、何入れたの!?」
「お塩です」
「なんで!?」
「メムシュが入れました」
「目ぇ覚めたっシュ?」
「あんたも飲むっシュ!?」
「イヤっシュ!」
はあ、と大きくため息をつく。朝から全力疾走した気分だ。
「まったく……」
ひとまず、揺子はベッドから降りた。
「こんな朝早く来るとか、非常識にも程があるでしょ」
「ごめんなさい。でも、揺子先生……まだ灰色だから」
しゅんと肩を落とす智代に、揺子は言葉を失う。
「心配なんです。今までの灰色は、私の魔法でちゃんと消えました。けど先生は、いくら魔法を使ってもそのままで……」
「そういうこと」
得心がいった。やはり智代は、未だに揺子の灰色とやらを気にしているらしい。
気にして、どうにかしたいと思い、ついには揺子の部屋にまでやってきた。
本当に優しい子だ。とはいえ、まずは常識を学ばせるべきだろう。
「気持ちは嬉しいけど、その感覚はあなただけのもの。私にはわからない。わからないから、智代ちゃんの行動も理解できない」
「そうなんですか?」
「うん。例え話をしましょうか。智代ちゃんに幽霊は見える?」
「見えません」
「そうよね。でも、もし見えるって言う人がいて、『あなたには悪霊がついています』って家にまで来る。その人、どう思う?」
「怖いです」
「でしょ? 同じことをしているのよ、智代ちゃんも。だから、次から私の部屋に来るときは連絡。あと勝手に鍵開けない。わかった?」
「わかりました……」
しょんぼりする智代。やはり聞き分けの良い子だ。
「なら安心した。さすが私の生徒」
「ふぁ……」
頭を撫でられ、智代が気持ちよさそうに頬を赤らめる。
次いで嬉しそうな笑顔。なんだか楽しくなってきた。
「さて」
揺子はスマホの時刻を見た。午前八時過ぎ。
「そろそろ出なきゃ。着替えてくるから、待ってて」
「はい。待ってます」
「朝ご飯は食べた?」
「まだです」
「じゃあ寄って行きましょう。美味しいパン屋さんがあるの」
「パン屋さん! シナモンロールありますか?」
「あるわよ。好きなの?」
「大好きです!」
「買ってあげる」
背後で「やったぁ!」と嬉しそうな声を聞きながら、揺子はクローゼットを開けた。
寝巻からいつものワイシャツとジーンズに着替える。我ながらバリエーションの乏しい私服だが、戦闘用に強化繊維と防護魔法で仕立てたので重宝している。
そのとき、背後で気になる声がした。
「メムシュ、どうしたの?」
「強い魔力を感じるっシュ」
ハッとして振り向くと、メムシュが部屋の隅にある、黒いシーツを被せた立方体を見上げていた。額の宝石を淡く光らせ、興味深そうに……。
まずい。揺子は慌てた。急ぎメムシュを捕まえようとする。
だが遅かった。制止も届かず、メムシュはシーツを引っ張った。
「シュゥ」
「ちょっと!?」
ハラリ、と床に落ちるベルベットのシーツ。
その下に現れたのは、ガラスのショーケース。
中に収められていたのは――精緻な刺繍が施された純白のケープだった。銀河を閉じ込めたような裏地が、朝の光を受け煌めいている。
智代の目が、大きく見開かれた。
「――『暁星王妃』?」
ショーケースへと吸い寄せられるように近づき、ガラス越しに声を上げる。
「クレイドルソフィアの――魔法のケープだぁ!?」
揺子は、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
「すごいすごいすごいっ!」
興奮で声を弾ませながら、智代が振り返る。
「これ本物!? 本物ですよね⁉ ねぇ、揺子先生!?」
きらきらと目が輝いていた。眩し過ぎるほど、まっすぐな光。
「先生、やっぱりクレイドルソフィアだったんだ!?」
「ち、違いましゅ……ッ!?」
すぐに否定した。自分でも戸惑うくらい声が苦しい。
「え、違うんですか……?」
「はぃ、私は魔法少女ムッタラポンチョスです」
「ムッタラポンチョス!?」
適当な名前で切り抜ける。が、案の定、智代は首を傾げた。
「聞いたことない名前です。メムシュは?」
「初めてっシュ。ムッタラ……何っシュ?」
「ム、ムッコロポンタス」
「さっきと違うっシュ!?」
しまった。もっとそれらしい理由をでっちあげなくては。
「と、とにかく! これは知り合いの、そのまた知り合いの友達のお兄さんの彼女の従弟の奥さんの行きつけのスーパーの店長から譲り受けたの!」
「ふ?????????」
「魔法の呪文っシュ?」
「違う、そうじゃなくて――ソフィアが手放したのが、巡り巡ってここにきた!」
「怪しいっシュ」
「怪しくない!」
嘘だ。自分でも分かっている。こんな言い訳、通るはずない。
それでも、クレイドルソフィアと認めるわけにはいかなかった。
もし認めれば、その先に待つもので胸が苦しくなる。目を輝かせる智代から「大好きです」と慕われたのなら、自分はその優しさに許されたような安堵を覚えてしまうから。
けれど、それは違う。絶対に違う。
誰かに称賛されることで、帳消しにはならない。
誰かに引き継がせて、軽くしてはいけない。
それが〝クレイドルソフィアという罪〟だ。
智代の視線は、ショーケースに釘付けだった。もう数年も放置されているのに、埃一つないケープの輝きを、逃すまいと食い入るように見つめている。
もしこの子が真実を知れば、きっと踏み込んでくる。
揺子を助けようと――拒めば、きっと傷つくだろう。
そんな智代を見たくない、という気持ちと。
それでも触れられたくない、という思いが。
胸の奥で鈍くぶつかった。
「申し訳ないけど」
揺子は軽く咳払いして、意識的に声の調子を整えた。
「私は智代ちゃんが思うような魔法少女じゃないの。この『暁星王妃』も、ソフィアが捨てたから貰っただけ」
「……そう、ですか……」
「うん。だから、ごめんね。期待を裏切って」
「いえ、大丈夫です。けど……」
智代がショーケースから視線を逸らし、じっと揺子を見つめた。
「揺子先生が違うなら、ソフィアはいつ『暁星王妃』を迎えに来ますか?」
「迎えって、どうして?」
「だって『暁星王妃』――悲しい色してるから」
「……そう、思うなら……そうなんでしょうね」
他に言葉はなかった。智代に指摘されなくても、とうに揺子は痛感していた。
「わからないけど。きっといつか、来るんじゃない?」
「はい。きっといつか、絶対に」
「私、まだ準備あるから。智代ちゃん、外で待ってて」
「わかりました。メムシュ」
遠のいていく小さな足音。智代がメムシュを連れて玄関を出る。
訪れた沈黙。揺子は、かつて自分が纏っていた相棒に話しかけた。
「あのさ――【魔骸】が出た」
返事は無かった。『暁星王妃』は、ただ黙っている。
「アンタが私に失望するのも当然よ。でも、また力を貸してほしい。そんなこと言える資格がないのもわかってる。けど、お願い……」
反応は無かった。それも当然か。と、揺子は溜息をつく。
『暁星王妃』――異世界アースノール由来の魔道具。持ち主の戦闘支援を担う〝意思〟を持つ外套。現役時代の揺子にとっては、お供妖精のような存在だった。
しかし、もう『暁星王妃』は話さない。話さなくなった。
それもこれも、揺子が魔法少女を引退したときからだ。
「やっぱりダメか……」
揺子はショーケースから離れた。これ以上、智代を待たせるわけにはいかない。必要最低限の化粧と髪を整えると、貴重品を持って靴を履いた。
玄関を出る。外の光が差し込む。扉が閉まった。直後――
微かに。ほんの微かに。
純白のケープが揺れた。




