第10話 祈りの彼方に祝福を
ミネルスフィア魔法堂から出ると、協会の人たちが迎えてくれた。
玄関の前には車が停まっており、智代を見るや後部座席の扉を開ける。学園までお送り致します。そう言って乗車を促してきた。
名残惜しさを感じて、智代は揺子の横顔を窺った。
少し疲れた顔をしている。でも、さっきよりずっと穏やかだ。
「それじゃ、また明日」
揺子が智代の視線に気づいた。
「午前は私との授業、午後からは記者会見ね」
「はい。記者会見、緊張します」
「ふふ、そんな身構えなくてもいいわよ。発表会みたいなものだから」
「発表会、ですか?」
「つまりサプライズね。誰かを驚かせたり、楽しませたり、みたいな」
「わかりました。やってみます」
「と言っても、記者会見なんて私は一度きりだし。参考になるかは怪しいけど」
「揺子先生も魔法少女のとき、やったんですか?」
「うん。私は――」
そこで言葉が途切れた。揺子は黙り込み、視線を宙に浮かせる。
不意の反応に智代は戸惑った。同時に、心がきゅっと締めつけられる。
揺子の灰色が濃くなっていく。聞いてはいけない事だと、遅れて気づく。
「あ、あの、先生!」
両手をぶんぶん振って、必死に声をかけた。
「私、記者会見がんばります! けど、もし緊張しちゃったら "緊張をほぐす魔法" かけてください! あと、強く見せたいので "ムキムキ魔法" もお願いします!」
「……ぷふっ」
しばらく上の空の揺子だったが、智代の慌てぶりに吹き出した。
「ムキムキって……あるけど、本当にいいの?」
「え!? いや、その、ムキムキはちょっと……」
「あはは! そうね、やめときなさい」
揺子の笑いにつられて、智代も小さく笑った。
智代様、お時間です。協会の人が急かしてきた。はい。智代は短く返事をして、メムシュを先に乗せる。後に続こうとしたところで、不思議な響きが耳に届いた。
「 "祈りの彼方に祝福を" 」
思わず振り返る。揺子の言葉――その意味が気になった。
「それ、ずっと前に言われたことがあります」
「誰から?」
「魔法使いの人です。どういう意味ですか?」
揺子は少し間を置いてから、夜空を見上げた。
「異世界アースノールに伝わる挨拶よ。人々の祈りが集まる場所があるの。意識の届かない、遠い地平線の向こう――それを "祈りの彼方" と呼ぶ」
声は穏やかだった。説明するというより、懐かしむように。
「そこに私たちの想いが届きますように……って意味よ。相手の無事を祈るとき、また会おうと願うとき、どちらにも使える」
「ステキですね」
「私もそう思う」
祈りの彼方に、祝福を。
声に出してみたくなった。
「 "祈りの彼方に祝福を" 」
言うと、揺子が穏やかに微笑した。
「うん。 "祈りの彼方に" 」
心地よい静寂が降りた。その余韻を感じつつ、智代は後部座席に乗り込んだ。
車が発進する。窓越しに揺子を見ると、遠のく姿はまだ玄関先にあった。
「やっぱり、クレイドルソフィア」
胸の内で確信する。思っていた通りの人だった。
優しくて、少し不器用で、それでも誰かを守ろうとする。
「けど、ずっと灰色のまま……」
「なにか理由があるっシュか?」
首を傾げるメムシュに、外を眺めながら言う。
「きっと私が想像するより、もっと深い傷があるんだよ」
さっきまでの揺子を思い出す。笑顔なのに、どこか遠くを見ているような目。
あんな人は初めてだ。今までの灰色は、時間が経てば消えていた。それなのに揺子先生は、いくら魔法を浴びせても色褪せない。
それがどれほどの痛みなのか、想像するだけで胸が苦しくなる。
「知れたらいいな。知って、ちゃんと助けになりたい」
「なら、ずっとそばにいるっシュ」
「ずっと?」
「うん。そしたら今より仲良くなって、話してくれるかも」
「そうだね……あ……」
何気ないメムシュの提案が、智代に妙案を閃かせる。
「いいこと思いついた!」
「聞きたいっシュ!」
「えっとね、あのね……」
♣♦♠♥♠♦♣
廃ビルの最奥は、夜の闇よりなお深い暗さに沈んでいた。
光が届かないのではない。空間そのものに黒が澱んでいるようだ。湿り気を帯びた空気には腐臭が染みつき、埃と混ざり合って重たく漂っていた。
そんな暗がりのなか、銀の瞳が静かに開かれた。
白濁した虹彩が映すのは、つい今しがた見た光景。
黄金の光に包まれた先で、元の姿に還っていく同胞。
「――ああ、なんてこと……」
低く滑らかな声が、妖しく響いた。
「せっかく解き放たれた魂が、また人の形に押し込められてしまった」
どこか悲哀を含みながら、言葉遣いだけは端正に。
「ですが、いいでしょう。思わぬ収穫でした。まさか魔法少女協会が、あのような魔法を生み出していたとは。クフフ、私も本腰を入れねばなりませんね」
四本の尾が緩やかに揺れる。毛先が床を払うたび、微かな呻き声がした。
縛られた手足。押し殺した呼吸――床には、男が転がされていた。妖しい声の主を見上げるその瞳は、恐怖と怯えに染まりきっている。
「お可哀想に」
黒い手が、男の顎をそっと持ち上げる。
「貴方はこれまで、ずいぶんと我慢を重ねてこられたのでしょう」
慰めるようでいて、獲物を確かめる捕食者の手つき。
「努力しても報われない。正しくあろうとしても認められない。誰しも、そのような夜を胸に抱え生きております。ですが、もう偽る必要はありません」
髑髏の仮面が、ぼんやりと闇に浮かぶ。
「怒りも、嫉妬も、満たされぬ渇きも。それこそが貴方だけの才能です」
黒い指先が、男の喉をゆっくりと撫でた。
「自己研鑽とは、本性を肯定することに他ならない。貴方はもっと、自由になるべきだ」
やめてくれ。男の縋るような懇願を、声の主は聞き入れない。
「さあ、貴方も生まれ変わるのです」
その言葉を皮切りに、仮面は男の顔へと。
被さった――瞬間。
迸る赤光。吹き荒ぶ突風。仮面を中心に発生したそれらが、夜の廃ビルを震撼させた。空気は荒れ狂い埃を巻き上げ、壁に幾条もの亀裂を走らせていく。
「ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙――――――ッ!?」
仮面の下で絶叫が上がった。
それを合図に、触手と呼ぶには余りに繊細な、糸のように細く黒いそれらが、仮面の淵から這い出した。一本、二本、数が増えるにつれ、男の全身に絡みついていく。
軋む関節、歪む骨格、触手で膨れあがる男の五体。
やがて光と風が収まる頃、そこに立っていたのは人の倍はある巨躯だった。立ち込める腐臭に髑髏の仮面。そして窪んだ眼窩に浮かぶ銀眼。
「――祝いましょう」
四本の尾が、愉悦に揺れた。
「新たな【魔骸】の誕生を!」
理性の悲鳴は、獣じみた咆哮へと。
人であった名残は、もうどこにもない。




