4.地獄を天国に
嫌味。嫌味。嫌味。
非をつくられる。
印象操作をされる。
心に強い負荷がかかり続ける。
結果、僕は休んだ。
たった一日。たった一日の休み。一日で何ができるだろうか。一日で何が変わるだろうか。
家にいても心が腐るばかりだろうと思って、外に出てみた。
街にいる人間たちは、みんな忙しそうな顔をしている。
スーツを着て、気難しそうな雰囲気をしているサラリーマンの男性。背中がどこか寂しそうに思えた。
レジ打ちをしている若いコンビニ店員の女性。どことなく疲れた顔をしているように見えた。
子どもたちを幼稚園まで連れていこうとしている主婦。なぜか苦しそうな笑みを浮かべているように感じた。
そう見えてしまうのは、僕の心がいっぱいいっぱいになってしまっているからだろうか。
心に焦りが生じる。
普通の人間は、仕事をしている。仕事をするために、会社に向かっている。あるいは、教育を受けるため、学校に向かっている。
僕は、休んで街をぶらぶらとしていて、いいのだろうか。
明日にはもう、あのオフィスで教育係の先輩に叱られながら、心も身体も疲弊させていくのだろう。
どんどん焦りが生じていく。
僕って、なんだっけ。
僕は何をすればいいんだっけ。
僕はどうすれば楽になれるのだろう。
僕という存在はなんのために生まれてきたのだろう。
僕の将来に希望はあるのだろうか。
わからず、僕はただ歩き続ける。
ドン、とだれかにぶつかった。
「ごめんなさい」
お互いに謝罪した。
「ん」
ぶつかった相手は、この前、僕が遅刻したときにもぶつかった、あの若い女性だった。
女性はどこか、生気のない顔をしていた。
「あの」
「はい?」
「あ、あ、い、いえ。なんでもないです」
勇気がなくて、遠慮してしまう僕。
女性の様子がおかしいなんて、わかっているクセに。
だからと言って、僕に何ができる。この女性を助けようと思っても、それが独りよがりの行動として扱われるかもしれないのに。そもそも、何もできず、むしろ女性の邪魔をしてしまうかもしれないのに。
立ち去ろう。
僕は駅に向かった。
;;;;;;;;;;
行く先は考えていない。
海にでも行くか。山にでも行くか。
都会と田舎。どちらがいいか。
適当。適当にぶらぶらとしよう。
ベンチから立つ。立つのと同時に、アナウンスが入った。次の電車がもうまもなくやってくるらしい。
「あれ?」
さっきの女性が僕の隣にいた。
何かあったのだろうか。
と、思ったのだが、女性は僕に気づいていないようだった。
どうやら偶然らしい。
しかし、美人だ。僕なんかじゃ、月とすっぽんすぎてつり合わないだろう。
なんて、ぼんやりと思う僕。
突然、ホームから線路に飛び込もうとする女性。
「早まっちゃダメだ!」
とっさに女性の腕をつかみ、制止する僕。
瞬間、列車が勢いよく進入してきた。
間一髪だった。僕が瞬時に女性の腕をつかまなければ、この女性はお陀仏状態になっていた。
「はあ、はあ、はあ」
肺が苦しかった。
「止めないでください」
なんて、暗い表情で僕に言ってくる女性。
女性にとっては、僕の行動はおせっかいだったらしい。
「死んでも、救われるとは限らない」
言うつもりはなかったのに、外に漏れ出てしまう僕の考え。
「なら、どうすれば救われますか」
沈黙。
僕は女性の問いに答えられなかった。
わからない。
でも、自死してはいけないなんて、なんとなくわかっている。
たしかに、将来はお先真っ暗だ。
絶望。世の中、苦しいことばかりだ。
幸せの『し』の字もない。
他人の感情に溺れる。苦しくて息ができない。
どうして、自死してはいけないのだろう。
人生が終わるから。他人に迷惑をかけるから。
だれかが心配するから。
だれか、って、だれだ。だれが僕を心配してくれるのだろうか。
心配してくれる相手がいないとしたら?
いや。考えない。考えたら、ダメな気がする。
そうだ。ダメなんだ。
「人生を終えたってさ」
「はい」
「次の人生的な世界がスタートして、その世界は今よりももっと苦しいかもしれないから。だから、死んで救われるとは限らない」
言い換えれば、そういう僕のエゴで、女性の手をつかんで、女性がお陀仏状態になるのを止めてしまった、と言える。
僕視点では女性を『助けた』となっても、女性からしたら僕の行動は『自分勝手』と言えるのかもしれない。
「そういう考えもあるんですね」
女性は僕の顔をじっと見た。
「じゃあ、地獄はずっと続くってことですか」
「それは」
だれにもわからないことだ。
でも、今、女性が欲しい言葉は正論や的確な言葉ではないはずだ。
「自分の手で地獄を天国に変えられれば、地獄は消滅するんじゃないかな」
「無謀ですね。それに、方法もわからないから、地獄に浸かったままなのに」
女性の瞳から大粒の涙が溢れた。
苦しみは伝わる。苦しみから逃れようと、女性が自死を選んだのは理解できなくはない。
でも、最後にたどり着くのが自死だなんて、そんな悲しい構造をしているこの人生とかいうものが、僕には許せない。
もがいて、もがいて、自分の居場所を探そうとしている人間を、自死させていいわけがない。
「そうだね」
頷くことしかできなかった。




