第38話 赤い目の群れ
赤い目が闇の中から、ぞろぞろと近づいてくる。
低い唸り声と、ぺたぺたと岩を踏む足音。【索敵】で、その数と動きが頭の中の地図にくっきりと浮かんでいた。
「ハンス、射て!」
ガルドの号令と同時に、荷馬車の上からハンスの矢が放たれた。ひゅん、ひゅん、と風を切る音。闇の中で悲鳴が上がる。
「ミレイ!」
「はい! ……火の輪!」
ミレイの杖の先から赤い光が走った。群れの真ん中で炎が輪になって広がる。ゴブリンたちがぎゃあぎゃあと叫びながら、火を避けて散った。
けれど、後ろからはまだまだ押し寄せてくる。
「来るぞ! 盾を構えろ!」
どん、と鈍い音が響いた。バルドの大盾に先頭のゴブリンが数匹、まとめて叩きつけられた。盾がびくともしない。その横から、トビの槍がひゅっと突き出されて、ゴブリンを串刺しにする。
「ガルドの組は、さすがだね……!」
リーナが感心した声を上げた。でも、感心している暇はなかった。
「左側に、三匹抜けたよ」
闇の中から静かな声がした。イルゼだ。
「あなたたちに任せる。私は右を見る」
それだけ言うと、イルゼはまた闇の中に溶けていった。
【索敵】が左の暗がりから迫る三つの気配を捉えた。荷馬車と荷馬車の間の細い隙間を狙っている。
「リーナ、左の隙間!」
「うん!」
僕は鞭を握り直して、前に出た。
闇の中からゴブリンが飛び出してくる。小柄で、緑色の肌。手には粗末な棍棒や錆びた短剣を握っている。目は血のように赤かった。
――ぱしんっ!
鞭を振る。先頭のゴブリンの足首に鞭がくるりと巻きついた。ぐい、と引くと、ゴブリンは足をすくわれて、後ろ向きにひっくり返り、後ろの二匹を巻き込んだ。
三匹が団子になって地面に転がる。
「そこっ!」
リーナが左右の短剣を閃かせた。【疾風】の速さで団子の中に飛び込む。一匹、二匹。
最後の一匹が棍棒を振り上げて、僕の方に向かってきた。
迷う暇はなかった。右手の剣をまっすぐに振り下ろす。
ざくっ、と肉を断つ手応え。ゴブリンは声もなく崩れ落ちた。
――斬った。
初めて剣で魔物を斬った。手のひらに重たい感触が、いつまでも残っている。
その瞬間、視界に赤い光が浮かんで、世界の音が遠のいた。右から飛びかかろうとしていたゴブリンが宙でぴたりと止まる。
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◆ 経験変換 ◆
「初めて、剣で魔物と戦う体験」を検知
力に変えますか?
① 【剣術】 剣の振りが、正確になる
② 【受け流し】 敵の攻撃を、剣で逸らしやすくなる
③ 【鞭剣連携】 鞭と剣を同時に使うときの動きが、滑らかになる
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この画面が出ている間だけ、時間が止まる。何度見ても、不思議な感覚だった。
【受け流し】も、【鞭剣連携】も、魅力的だった。でも、剣そのものの扱いがまだ僕にはない。鞭に頼らず、剣だけで戦える力が、いつか必要になる。
「……①だ」
選んだ瞬間、右手の剣がすうっと軽くなった。音が戻ってくる。止まっていた世界が、ふたたび動き出した。
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◆ 経験変換 ◆
【剣術】を習得しました
Lv1
効果:剣の振りが、正確になる
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目の前に迫っていたゴブリンが棍棒を振り下ろした。僕は半歩だけ身を引いて、剣で払う。刃が狙った場所に、すっと吸い込まれた。
「ノア、すごい! 動きがさっきと違う!」
「うん。ちょっと分かってきた」
その時だった。二匹目を斬り伏せた瞬間、体の奥がかっと熱くなって、世界がまた一瞬だけ止まった。
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レベルが上がりました
Lv6 → Lv7
新しい固有スキル:【弱点看破】 魔物や物の、壊れやすい所が分かる
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緑の光が視界の端で瞬いた。
「ノア! 今、体が熱い!」
リーナも同じだった。二人で目を見合わせて、にやりと笑う。
【弱点看破】が目の前の世界を、少しだけ違って見せた。ゴブリンの首の後ろ。肘の内側。膝の裏。そこがうっすらと白く浮かんで見える。
次の一匹が飛びかかってくる。僕は鞭を足に絡めて動きを止め、白く浮かんだ首の後ろを、剣で突いた。
一撃だった。
「見える……」
「ノア、また来るよ!」
「うん。左のは、リーナに任せる。右は僕が」
二人で背中を合わせて、荷馬車の隙間を守った。鞭が足を払い、短剣が閃き、剣が急所を突く。ゴブリンたちは一匹も後ろへ通さなかった。
その時、正面から地鳴りのような声が響いた。
「ぐおおおおおっ!」
ホブゴブリンだった。ゴブリンの倍はある巨体が、二体。分厚い腕に、太い丸太のような棍棒を握っている。
「バルド、止めろ!」
「承知!」
一体目がバルドの盾に棍棒を叩きつけた。どおん、と大地が揺れる。バルドがぐっと膝を沈めて、耐えた。ガルドがその横から斬り込む。
けれど、二体目は正面の戦いには加わらなかった。荷馬車の円の外側を、ぐるりと回り込んで、左側へ向かっている。
「左だ! 坊主たち、そっちに行ったぞ!」
ガルドの叫びが聞こえた。【索敵】が、巨大な気配が、僕たちの方へ迫っているのを告げる。
「リーナ、来る!」
「うん! 私が引きつける!」
リーナがホブゴブリンの前に飛び出した。右へ、左へ。【疾風】の速さで、ホブゴブリンの周りを駆け回る。ホブゴブリンは苛立ったように、棍棒を振り回した。
その隙に僕は【弱点看破】で、巨体を見つめた。
分厚い筋肉の下に白く光る場所があった。右の足首、アキレス腱のあたり。そして、棍棒を握る右腕の、肘の内側。
「リーナ、上に跳んで!」
「分かった!」
リーナが地面を蹴って、高く跳んだ。ホブゴブリンの目がその動きを追う。顔が上を向いた。
その一瞬。
僕は鞭を放った。鞭はホブゴブリンの右の足首に、ぐるりと巻きついた。
「ぐ……ああっ!?」
力いっぱい引く。【踏ん張り】で、体は少しも揺れない。巨体が足をすくわれて、後ろへぐらりと傾いた。
「リーナ、今だ!」
「【空中制動】!」
リーナは宙で身をひねった。真っすぐ落ちる途中で、向きを変える。両手の短剣を、ホブゴブリンの肩に叩き込んだ。
棍棒が手から落ちる。
僕は剣を構えて、倒れかけた巨体の首元に飛び込んだ。白い光の中心を、まっすぐに突く。
ずぶり、と深く沈む手応え。
ホブゴブリンは低い声で一度うなって、ゆっくりと膝をつき、横に倒れた。
「ノア!」
「うん。……やった」
二人とも、肩で息をしていた。でも、リーナの目はきらきらと輝いていた。
「やったね! ホブゴブリン、倒しちゃった!」
正面でも決着がついていた。ミレイの火の輪が、ホブゴブリンの足を焼き、バルドの盾とガルドの剣が、とどめを刺していた。群れの残りはばらばらと闇の中へ逃げていく。
「追うな! 深追いするな!」
ガルドの声に皆が足を止めた。
荒い息づかいだけが岩場に残った。焚き火がぱちぱちと爆ぜている。
「……全員、無事か」
ガルドがゆっくりと見回した。ハンスが荷馬車の上から手を挙げ、ミレイが座り込んで笑う。イルゼが闇の中から静かに戻ってきた。トビも、バルドも、傷だらけだけれど、立っている。
「ロベルトさんも、無事です!」
荷馬車の陰からロベルトが顔を出した。青ざめた顔のまま、深々と頭を下げる。
「皆さん、ありがとうございます。荷も、馬も、人も、誰一人、欠けていません」
その言葉を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
僕は剣を握っていた右手を、ゆっくりと開いてみた。指がこわばって、すぐには動かない。【踏ん張り】があっても、戦いのあとの疲れはちゃんとやってくる。
「ノア、手、真っ白だよ」
隣に座り込んだリーナが僕の手をのぞき込んだ。
「ずっと、力が入ってたんだと思う。リーナは、怪我はない?」
「ちょっと、かすっただけ。ほら、平気」
リーナは袖をまくって、細い擦り傷を見せた。それから、へへ、と笑う。
少し離れたところでは、ハンスが荷馬車の上で大の字になって、空を見上げていた。ミレイはその隣で杖を抱えて、うとうとしている。バルドは傷だらけの盾を、黙って指でなぞっていた。トビとガルドは地面に倒れたゴブリンたちを、静かに片づけている。
さっきまでの怒号や悲鳴が嘘みたいだった。焚き火がぱちぱちと小さく爆ぜる音だけが、岩場に響いていた。
僕は息を長く吐いた。生き延びたんだ、という実感が遅れてじわじわと胸に広がってくる。
東の空がうっすらと白んでいた。
朝食の支度ができるまでには、少しだけ時間があった。リーナが僕の袖をくいっと引く。
「ノア。ちょっと、あっち」
荷馬車の陰に回ると、他の人の姿は見えなかった。念のため【索敵】で周りの気配を探る。一番近くにいるのは、少し離れた焚き火のそばで槍の手入れをしている、トビだけだった。
「ここなら大丈夫。声は、小さくね」
「うん。じゃあ、確かめよう」
僕は頭の中でステータスを開いた。見慣れた緑色の光が視界に広がる。
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名前:ノア
レベル:7
固有能力:【天与の手】 道具を扱う才能に恵まれる
固有スキル:
【道具理解】 初めて触る道具でも、使い方が分かる
【精密操作】 投げる・結ぶ・当てるが正確になる
【即席使い】 その場にある物を、武器や道具として使える
【仕掛け看破】 罠や仕掛けの仕組みを、見抜ける
【武器の心得】 どんな武器でも、基本の構えと扱いが身につく
【弱点看破】 魔物や物の、壊れやすい所が分かる
変換スキル:
【踏ん張り Lv3 MAX】 恐怖の中でも、体が震えなくなる
【平衡感覚 Lv2】 細い足場や不安定な場所でも、走れる
【索敵 Lv1】 暗闇でも見通せて、風と気配から、周辺の状況や眠っていても近づく危険が分かる
【縄抜け Lv1】 締めつけや縛りから、体をひねってすり抜けられる
【武器絡め Lv1】 鞭で、相手の武器を絡め取って、手から奪える
【追跡 Lv1】 一度見た相手の逃げる先を、読み取れる
【毒耐性 Lv1】 毒が、体に回りにくくなる
【見切り Lv1】 大きな動きの先が、少しだけ読める
【鞭撃 Lv1】 鞭の先に力を乗せて、一点を鋭く打てる
【味覚鋭敏 Lv1】 味の違いを、細かく感じ分けられる
【剣術 Lv1】 剣の振りが、正確になる
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「レベルは7。新しい固有スキルは、【弱点看破】。魔物や物の、壊れやすい所が分かるんだって」
「だから、ホブゴブリンの足首とか、首元とか、狙えたんだ!」
「しーっ! 声が大きい」
「ご、ごめん……」
リーナは両手で口を押さえた。それから、こそこそと小声で続ける。
「それで、経験変換の方は?」
「【剣術】が増えた。剣の振りが、正確になる。あとは、アルバの鍋で【味覚鋭敏】も」
「あの鍋、役に立ったんだ」
「うん。でも、この力のことは、リーナ以外には、まだ言えないよ」
リーナは真剣な顔でうなずいた。
「私も、レベルは7になった。新しい固有スキルは、【双刃】。二本の刃を、同時に正確に振るえるんだって」
「リーナの二本持ちに、ぴったりだ」
「お店のおじいさんが言ってたやつだよね。『両手が同じ速さで動かんと、ただの重りになる』って」
「これで、重りにならなくて済むね」
「うん!」
リーナがにっと笑った。その時、ぐうう、とお腹の鳴る音がした。
「…………」
「…………」
「ほら、ごはんのいい匂いがする」
「リーナ、まだ話の途中……」
「続きは、食べながら!」
袖を引っ張られて荷馬車の陰から連れ出された。
戻ってみると、ロベルトの用意した朝食が岩場に並んでいた。温かいスープと、焼きたてのパン。リーナが目を輝かせて、パンに飛びつく。
「ノア、お腹すいた! 戦ったら、もっとお腹すいた!」
「リーナは、いつもすいてるでしょ」
「今日は特別!」
リーナはパンを両手に持って、幸せそうに頬をふくらませた。僕は笑いながら、自分のスープを口に運んだ。
その横に大きな影が立った。
ガルドだった。傷だらけの鎧のまま、腕を組んで、僕を見下ろしている。
「……坊主」
「はい」
「いや」
ガルドは小さく咳払いをした。それから、ほんの少しだけ視線を逸らして言った。
「ノア。昨夜は、助かった。お前が気づかなければ、陣形を組む前に、群れに飛び込まれていた」
初めて、名前を呼ばれた。
「いえ。皆さんの力があったからです」
「それでも、お前の手柄だ。……リーナもな」
「えへへ」
リーナがパンをくわえたまま、得意げに胸を張った。ガルドはふん、と鼻を鳴らして、また自分の組の方へ戻っていく。その背中がほんの少しだけ、笑っているように見えた。
朝の光が岩場を金色に染めていた。峠の向こうに、これから向かう道が、細く続いている。
「次は、ガロだね」
「うん。行こう」
僕たちは荷馬車の列のそばに戻って、また歩き出した。




