第35話 祭りの街アルバ
セルトを出て二日。街道の先から太鼓の音が聞こえてきた。
どん、どん、と腹に響く低い音に、笛の高い音色が重なっている。道ばたの木にも色とりどりの旗が結ばれていて、風にはためいていた。
「ノア、すごい! 町が全部、お祭りになってる!」
「ほんとだ。門のところまで、人が並んでるね」
アルバは市で栄えた大きな街だった。門をくぐった途端、人の波にのみ込まれる。屋台の煙、焼けた肉の匂い、甘い蜜の香り、商人の呼び声。どこを向いても色と音があふれていた。
人が多すぎて、スリが怖い。そう思って、【索敵】に意識を向けかけたとき、セルトでの目まいを思い出した。僕はあわてて意識を引っ込めた。
「ノア、また顔が青いよ?」
「大丈夫。同じ失敗は二回しないようにしたんだ」
荷馬車の列が広場のわきに止まると、ロベルトが護衛たちを集めた。
「ちょうど、実りを祝う一年に一度の市祭りの時期です。取引先の皆さんが忙しく、荷の受け渡しが明日の夕方までかかりそうです。今夜と明日の夜、二晩をここで過ごします」
「やった!」
リーナがぴょんと跳ねた。
「ただし、祭りの夜は、財布を狙う者も多いです。点呼には必ず戻ってきてください。それと、くれぐれも羽目を外しすぎないように」
ロベルトはリーナの方を見て、にこりと笑った。見透かされている気がした。
広場へ出ると、中央に大きな舞台が組まれていた。その前に立つ大きな看板に、リーナの足がぴたりと止まる。
――食べ比べ大会。三人一組。参加費、銀貨三枚。優勝賞金、金貨三枚。
「ノア」
「だめ」
「まだ何も言ってないよ!」
「言わなくても分かるよ。食べ比べ大会に出たいんでしょ」
リーナはうっと詰まった顔をした。それから真剣な目で僕を見つめた。
「優勝したら、金貨三枚だよ? 銀貨三十枚だよ?」
「参加費が銀貨三枚かかるんだ。負けたらただの出費だよ」
「でも、勝てば十倍になって返ってくるの!」
確かにそう言われると、悪くない話に聞こえた。護衛の報酬があるとはいえ、お金はあって困るものじゃない。ただ、三人一組だ。
「あとひとり、必要なんだよね。誰か、食べるのが得意な人がいればいいんだけど」
そのとき、看板の前に見覚えのある大きな背中があった。
ガルド組の、盾のバルドだった。腕を組んで、看板をじっと睨んでいる。いや、睨んでいるというより、穴が開くほど見つめていた。
「バルドさん?」
びくっ、と大きな肩が揺れた。
「……なんだ、ノアか。いや、俺は別に、何も」
ぐうううう、と大きな音が鳴った。バルドのお腹からだ。
「…………」
「…………」
バルドは耳まで真っ赤になった。
「あのね、バルドさん」リーナがにっこり笑って近づいた。「一緒に、出よう?」
「俺は、そういう子どもじみた催しには」
「毎年、祭りのたびに、屋台の甘いものを全部食べたがるんだぜ、こいつ」
背後から槍のトビが、にやにやしながら現れた。後ろにはガルドとイルゼもいた。
「トビ! 余計なことを言うな!」
「だって本当だろ。去年なんか、蜜がけの揚げ菓子を十二個も食べて、動けなくなって」
「あれは、その、つい」
バルドは小さくなって、うつむいた。大きな盾を背負った大男が、しゅんとしている光景に、僕は笑いをこらえるのに必死だった。
ガルドがはあ、とため息をついた。
「勝手にしろ。ただし、荷の点呼には遅れるなよ」
「……いいのか?」
「お前の腹の虫がうるさくてかなわん」
バルドの顔がぱあっと輝いた。それは、さっきまでの無口な大男とはまるで別人のようだった。
「よろしくね、バルドさん! 優勝して、金貨三枚、三人で分けようね!」
「ああ、任せろ」
受付で名簿に名前を書くと、係の人が顔を上げた。
「チームの名前は?」
「えっと……」
「『ごはんの勇者たち』!」
リーナが即答した。バルドがぎょっとした顔をした。
「ごはんの……」
「いいでしょ、バルドさん!」
「……あ、ああ」
バルドは観念したようだった。僕は銀貨三枚を受付の机にそっと置いた。
昼になると、広場に大勢の人が集まってきた。
舞台の上に陽気な司会の女の人が立っている。広場を取り囲むように、十二の屋台が円を描いて並んでいた。
「みなさーん! お待たせしました、アルバ名物、食べ比べ大会のはじまりでーす!」
わあああ、と歓声が上がった。
「ルールは簡単! 十一の屋台を、好きな順番で回って、一皿ずつ食べ切ること! 一皿を食べ切るごとに、札を一枚もらえます!」
「そして、十一枚の札をすべて集めたチームだけが、最後の十二軒目、名物の『地獄の赤鍋』に挑戦できます! 制限時間はありません! 十二軒すべてを食べ切った順番が、そのまま順位です! 途中で動けなくなったら、リタイアですよ!」
「一皿を食べ切るのは、三人で分けてもいいんですよね?」
僕は手を挙げて聞いた。
「もちろん! ただし、食べ残しは失格! 体力と、胃袋と、作戦の勝負ですよ!」
出場したのは、全部で二十組。広場は参加者と見物人でぎゅうぎゅうだった。ひときわ目立っているのは、白髪の老夫婦と、その孫らしい青年の三人組だった。
「三年連続優勝の、ベルナ夫妻です!」と、司会が叫んだ。「今年も、強そうですねえ!」
老夫婦はにこやかに手を振っていた。
「あの人たち、強そうだね」
「ああ。年寄りだからと、油断するな」
バルドが真剣な顔でうなずいた。盾を持たない彼は、さっきよりずっと大きく見えた。
「それでは、よーい、はじめ!」
銅鑼が鳴った。
リーナが風のように駆け出した。
「まず一軒目、いただきます!」
【疾風】が無駄に使われていた。リーナは一番目の屋台で三本の串焼きがのった皿を受け取ると、自分の一本を手に持ち、残りの二本がのった皿を僕の手にぽんと押しつけた。
「バルドさん、串焼きは一人一本ずつです! どうぞ!」
「承知した」
バルドは串焼きを一口で頬張った。リーナも手にした一本を、あっという間に食べ終える。僕も残りの一本をかじって、皿を空にした。
空の皿を屋台のおじさんに返すと、代わりに木の札が一枚、手のひらにのった。一皿を食べ切って、はじめてもらえる札だ。
「ノア、次、次! 二番目はあっち!」
リーナはもう二番目の屋台の前まで走っていた。
「リーナ、走らないで! 僕はそんなに速く走れないんだから!」
人混みに押されても、【平衡感覚】のおかげで体はぐらりともしない。二皿目、三皿目、四皿目と、屋台を渡るたびに札が増えていく。
甘い揚げ菓子。香ばしい焼き魚。煮込みの汁もの。パンに挟んだ肉と野菜。バルドは顔を輝かせて食べ続けた。
リーナは見た目の細さからは信じられない量を、軽々と平らげていく。
「ノア、次はあっち! 近い順に、回った方が早いよ!」
「分かった。順番を考えるから、ちょっと待って」
僕は屋台の位置を頭に入れた。円を描いて並んだ屋台を、最短の順に回れば時間を節約できる。作戦係に回ったのは正解だった。
ガルドたちが広場の端から、呆れた顔で眺めている。ハンスとミレイは人混みの中で、手を振っていた。
「がんばれー! ごはんの勇者たちー!」
ハンスの大声に観客がどっと笑った。
八軒目を終えたとき、札の数はベルナ夫妻の組と同じだった。
「ノア、ちょっと、お腹が……」
リーナの手が止まりかけた。
「リーナ、もう少し。あと四軒だよ」
「うん……がんばる……」
バルドはまだ元気そうだった。それどころか、次の屋台の匂いに鼻をひくひくさせている。
九軒目、十軒目、十一軒目。ベルナ夫妻の組も一歩も引かなかった。老夫婦はゆったりとした動きなのに、一皿ごとの終わりがほとんど同時だ。
十一軒目の屋台を出たとき、司会の声が広場に響いた。
「さあ、残るはあと一軒! 最後の屋台は、毎年、挑戦者を泣かせる魔の鍋、『地獄の赤鍋』です!」
広場の端で赤い湯気が、もうもうと立ち上っていた。その近くを通りかかった人が、ごほごほ、と咳き込んでいる。
湯気の向こうで大きな鍋が、ぐつぐつと煮えていた。真っ赤な汁の表面に、見たこともない大きさの唐辛子がいくつも浮かんでいる。
「十一軒すべてを回って、ここまでたどり着いたのは、たった二チーム! 最後の鍋を一番に食べ切ったチームが、優勝です!」
観客がどよめいた。
二チームとも札は十一枚で並んでいる。つまり、この鍋を一番に食べ切った組が、そのまま優勝だ。
リーナが青ざめた顔で、僕の袖をつかんだ。
「ノア……あれ、食べるの……?」
「……らしいね」
赤い湯気がおいで、と言うように、ゆらりと揺れた。




