第28話 初めての一撃
「ばか、やめろ!」
シオンの声が背中に突き刺さった。
「お前一人で、どうにかなる相手じゃない!」
「分かってます。でも、他に抜ける人がいないんです」
僕は鞭を握り直した。
シオンはもう動けない。リーナはさっきの風圧で弾き飛ばされて、広間の端で膝をついていた。
短剣を支えに、立ち上がろうとしている。
「ノア、行っちゃだめ……!」
リーナの声が震えている。
「大丈夫。ちゃんと、帰ってくるから」
そう言いながら、足は前に出ていた。番人がこちらへ向き直る。
胸の核が、さっきよりもはげしく赤く脈打って、巨大な腕が風を切った。
速い。
肩の筋の動きは見える。けれど、見えたと思った時には、もう腕は動き終わっている。
「くっ……!」
とっさに身を投げ出す。拳が頭の上をかすめて、石の床を砕いた。
飛び散った破片が右の腕をかすめる。熱い痛みが走って、袖が裂けた。
怖い。
心臓が胸の内側で、暴れ回っている。
でも、足は震えなかった。
【踏ん張り】が足の裏をしっかりと支えてくれている。怖いまま、立てる。
僕は番人から目を離さずに、柱の間を走った。追いかけてくる。
巨大な足が地面を揺らす。腕が柱をなぎ払う。
その時だった。
番人の左の拳が、僕を狙って振り下ろされ、近くの太い柱にがつん、と突き刺さった。石の柱が拳を食い込ませたまま、ぎしぎしと軋む。
腕が止まった。
今だ。
「ノア、あれ、抜けなくなってる!」
リーナの声が聞こえた。
僕は迷わずに地面を蹴った。止まった腕の上に飛び乗る。
幅は人の足よりも少し広いくらい。表面はなめらかで、ところどころ、割れた石が突き出している。
【平衡感覚】が足の裏に、踏みとどまる場所を教えてくれる。
走れる。
腕の上を肩へ向かって、一気に駆け上がった。
足元がぐらぐらと揺れる。番人が腕を引き抜こうと、もがいているのだ。
「うわっ……!」
体が傾く。それでも、体勢を低くして、足を踏ん張った。
肩を越える。
目の前に、番人の背中が現れた。
胸の核のちょうど裏側。赤く濁った紋様の真ん中に、あの太い黒い杭が深々と突き刺さっている。
僕は杭の頭の輪に鞭を放った。
くるり。
絡みついた。
「いっけええええ!」
全身の力で、鞭を引く。けれどびくともしなかった。
関節の杭とは、比べものにならない。まるで石の山に打ち込まれた鉄の柱を引っ張っているみたいだ。
手のひらに鞭が食い込む。
その時、番人が全身を大きく揺すった。
「ぐっ……!」
体が宙に浮く。
振り回された勢いで、背中の硬い突起に体を打ちつけた。息が止まりそうになる。
それでも鞭は離さなかった。離したら、終わる。
僕は突起にしがみついて、両足をかけた。【踏ん張り】で体を背中に固定する。
視界の隅が赤く染まった。
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◆ 経験変換 ◆
「初めての、急所に全力で挑む体験」を検知
力に変えますか?
① 【鞭撃】 鞭の先に力を乗せて、一点を鋭く打てる
② 【見切り】 先読みの力が、さらに伸びる
③ 【打たれ強さ】 殴られても、少しだけ耐えやすくなる
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痛みと恐怖で、頭の中が真っ白になりかけた。
②なら、もう少し先が読める。③なら、もう少し耐えられる。
でも、今、足りないのは、引く力でも、耐える力でもない。杭にこの鞭の力を、一点に集めること。
引くだけじゃ、抜けない。
打たなければ。
「……①だ」
選んだ瞬間、右の手のひらに、これまでにない感覚が集まった。
鞭の一番先。そのほんの小さな一点に、全部の力が流れ込んでいく。
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◆ 経験変換 ◆
【鞭撃】を習得しました
Lv1
効果:鞭の先に力を乗せて、一点を鋭く打てる
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「ノア!」
下からシオンの声がした。
「杭の根元だ! 輪じゃなく、根元を狙え!」
僕はうなずいた。
突起に足をかけ直して、体を支える。それから、杭の輪に絡んだ鞭を一度引き戻した。
息を吸って、腕を大きく振りかぶる。【精密操作】の感覚が腕の先まで、すうっと届いていく。
狙うのは、一点。杭の根元と、石のわずかな隙間。
「はあっ!」
ぱあん、と澄んだ音が広間じゅうに響いた。鞭の先が隙間の真ん中を、まっすぐに打った。
ぴし、と細い亀裂が走る。
杭がわずかに浮いた。
「今だ!」
僕はもう一度、杭の輪に鞭を絡めて、渾身の力で引いた。
足を番人の背中に踏みしめる。【踏ん張り】が全身に力をくれる。
がり、がり、と杭が動く。
「ぬけろおおお!」
ごとん。
太い黒い杭が背中から、ずるりと抜けた。
その瞬間、番人の胸の核がびくんと跳ねた。赤い光がぱっと散って、すうっと青白い色に変わっていく。
ゴウン、と広間じゅうに低い音が響いて、それから、ぴたりと止まった。番人の体から力が抜けた。
巨大な体がゆっくりと前へ傾いていく。
「うわあああ!」
僕は背中から滑り落ちる。【平衡感覚】で体勢を整えて、床に転がり落ちた。
どさり。
目を開けると、番人はゆっくりと膝をついていた。
そして、胸の核の光が静かな、青白い色になっていた。壁の紋様が一つずつ、青に染まっていく。
広間じゅうが、やわらかな青白い光に満ちた。さっきまでの肌を刺すような冷たい風がすうっと止む。
代わりに、ゆるやかなあたたかい空気が流れた。
「……終わった」
僕は床に倒れたまま、天井を見上げて、つぶやいた。
その時、視界の端に見慣れた緑色の光が浮かんだ。
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レベルが上がりました
Lv5 → Lv6
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新しい力の欄も、続いているようだった。
けれどシオンが近くにいる。今は、確かめる余裕もなかった。
体の奥がじわりと熱くなる。
「ノア!」
駆け寄ってきたリーナが僕の前にしゃがみ込んだ。目が、真っ赤だ。
「ばか! 無茶しすぎ! 死んだかと思った!」
「ごめん……でも、抜けたよ」
「うん。見てた。ちゃんと、見てたよ」
リーナはぐすっと鼻をすすって、笑った。
その時、リーナがぴくりと動きを止めた。宙の何かを見つめて、目を丸くしている。
「……あれ。なんか、体の奥が、あったかい」
「リーナも?」
「ノアも?」
僕たちは顔を見合わせた。リーナがはっとして、シオンの方をちらりと見る。
シオンは少し離れたところで、壁にもたれたまま、広間を見回していた。こちらには、気づいていないようだった。
リーナが声を落とした。
「……あとで、ね」
「うん。あとで」
僕たちはこっそりと、うなずき合った。
その時、足音が近づいてきた。ふらふらとした足取りで、シオンが僕たちの前に立った。
外套はぼろぼろで、顔色は真っ青のまま。けれど、その目はまっすぐに、僕を見ていた。
「……ノア」
初めて、名前を呼ばれた。
「はい」
「見事だった」
それだけを言って、シオンはふいと顔をそむけた。けれど、その耳がほんの少しだけ、赤くなっているのが見えた。
「……お前の鞭の腕は、ただの港町の子どものものじゃない。どこで、そんな技を覚えた」
「えっと……港で、色々と」
「またそれか」
シオンは呆れたように息を吐いた。けれど、それ以上は聞いてこなかった。
その時、リーナがあっ、と声を上げた。
「ねえ、あれ、見て」
指さす先。
番人の足元の床がゆっくりと青白く光り始めていた。膝をついた巨大な足の下から、床の石が音もなくせり上がってくる。
現れたのは、一枚の大きな石の板だった。表面には、びっしりと古い文字が刻まれている。
そして、その板がまるで僕たちを呼ぶように、ゆっくりと輝いていた。
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