第27話 三人で
拳が落ちてくる。その一瞬、番人の肩の筋がほんのわずかに右へ動いたのが見えた。
「左です!」
僕はリーナとシオンの腕をつかんで、思いきり引っ張った。
三人まとめて、柱の陰に転がり込む。次の瞬間、さっきまでいた場所を、巨大な拳が叩きつぶした。
どおん。
石の破片が背中に降りかかる。息を整えながら顔を上げると、シオンがじっと僕を見ていた。
「……さっきの『右です』も、まぐれじゃなかったな」
「少しだけ、先が分かるんです。大きな動きなら」
シオンは悔しそうに口を結んで、それからふっと息を吐いた。
「作戦を立てる。時間を稼げ」
「はい!」
番人はゆっくりと首を回して、柱の陰を探している。動きは遅い。
けれど、僕たちを見失ってはいなかった。
僕は柱の端から、そっとのぞいた。【仕掛け看破】の感覚が、頭の中に広がる。
番人の体には、あの黒い杭が何本も打ち込まれていた。両方の肩と、両方のひざ。
そして、背中の胸の核のちょうど裏側に、ひときわ太い一本。
「杭は、肩とひざに、全部で四本です。それと、背中に、大きいのが一本」
「杭が、動きを狂わせているのか」
「たぶん。赤い紋様が、全部、杭のところから広がってます」
シオンは顎に手を当てて、少し考えた。
「なら、関節の杭を抜けば、動きが鈍る。問題は、俺の風だ。さっきは、刃ごと吸い込まれた」
その時、柱の外から冷たい風が流れ込んできた。ふーっ、ふーっ、と一定の間をあけて。
【風読み】が肌に教えてくれる。
「あ……」
「どうした」
「この風、一定の間をあけて、吐き出してます。吐いてる間は、逆に、あの像の周りの空気が、外へ押し出されてる。吸い込む力が、弱いんです」
シオンの目が鋭くなった。
「吐く時だけ、風が通るのか」
「たぶん、です」
「たぶん、で十分だ」
シオンは僕の肩を、ぽんと叩いた。
「ノア」
……と、言いかけて、やめたように見えた。
「……お前は、動きを読め。合図を出せ。吐く時と、拳の向きだ」
「はい」
「そこの女」
「リーナ!」
「リーナ。お前は、関節に飛びついて、杭の根元に、その短剣を差し込め」
「こじ開けるのね。分かった」
「俺は、残りの魔力で、風を一度だけ撃てる。それ以上は、もう無理だ。いつ撃つかは、俺が決める」
シオンは僕たちを順に見た。
「一度でも失敗したら、全員やられる。やるか」
「やります」
「やる!」
三人の声がそろった。
僕は柱の陰から飛び出した。
「こっちだ!」
鞭を番人の足元の石に、ぱしんと打ちつける。
赤い石の目が僕を追う。巨大な頭がゆっくりと回って、拳が持ち上がった。
先が読める。
拳が右へ。
「右に振ります!」
僕は左へ飛んだ。【平衡感覚】が、崩れた石の上でも、足の裏に踏みとどまる場所を教えてくれる。
どおん、と拳が床を叩く。その風圧の向こうで、リーナが番人の左のひざに飛びついていた。
【跳躍】で舞い上がり、足をかけて、短剣を黒い杭の根元に差し込む。
「かたい……っ!」
杭はびくともしない。
僕は杭の頭を見た。
小さな輪の形をしている。【武器絡め】の感覚が指先に伝わってきた。
「リーナ、そのまま、てこにして! 僕が、引っ張る!」
鞭の先を杭の頭の輪に向けて放つ。
くるり。
先端が輪に絡みついた。
「いくよ!」
リーナが短剣を押し上げ、僕が全身の力で鞭を引く。
がり、と石が鳴った。杭が少しずつ浮き上がる。
そして、ごとん、と抜けた。抜けた場所から赤い紋様が、すうっと青に変わっていく。
番人の左ひざががくんと沈んだ。
「やった!」
「まだ早い。次だ」
シオンの声が後ろから飛んでくる。
番人が怒ったように、ゆっくりと体をひねった。巨大な腕がリーナのいる方へ振り下ろされる。
「リーナ、飛び降りて! 右へ!」
「分かった!」
リーナがひざから身を投げた。腕がその頭上を通り過ぎていく。
僕はすぐに鞭を引き戻した。
「次は、右ひざ!」
「了解!」
二本目。右ひざの杭も、同じようにして抜いた。
息が少しずつ合ってきた。
けれど、残りの二本は、肩にある。高い位置だ。
番人が両手を床について、立ち上がろうとしていた。立たれてしまえば、もう、肩には届かない。
「ノア、立っちゃう!」
「分かってる! でも……」
その時、ふーっ、と冷たい風が吐き出された。
「シオンさん、今、吐いてます!」
「分かっている」
シオンが柱の陰から一歩前に出た。右手をまっすぐに突き出す。
細い風の筋が手のひらに集まる。右回りのうずがぎゅっと、小さく強く巻いていく。
「……これで、最後だ」
放たれた風は、刃ではなかった。太い風の槌のように、番人の胸にどおんとぶつかる。
巨大な体が、がくんと後ろにのけぞって、立ち上がりかけた動きが、ぴたりと止まった。
「リーナ、今だ!」
「うん!」
リーナが番人の腕を駆け上がる。左の肩の杭に短剣を差し込む。
僕も鞭を放って、杭の輪に絡めた。
腕がぐんと重くなる。止まっている番人の力が、杭の向こうで必死に押し返してくる。
「ぐ……っ!」
【踏ん張り】が足の裏から、体じゅうに力を満たしてくれる。
鞭の先が手のひらに食い込む。それでも、離さない。
「あと、少し……!」
がり。
ごとん。
左の肩の杭が抜けた。
リーナはすぐに反対の肩へ駆け上がる。同じように差し込んで、僕が引く。
もう一本。
ごとん。
四本とも抜けた。番人の体がぐらりと揺れた。
赤かった紋様の多くが青に戻っている。
「……やった」
シオンがその場に、どさりと座り込んだ。
肩で息をして、顔が真っ青になっている。魔力は完全に尽きていた。
「リーナ、戻って!」
「うん!」
リーナが番人の腕から飛び降りて、僕の隣に着地する。
「やったね、ノア!」
「うん。でも……」
僕は番人を見上げた。
背中の太い杭。あの、一番大きな杭が、まだ残っている。
番人の体は、ぐらつきながらも、まだ立っていた。胸の赤い核が、さっきよりもはげしく脈打っている。
ゴウ、ゴウ、と地の底から響くうなり声が広間じゅうを揺らした。
「……まだ、動くのか」
シオンがかすれた声でつぶやいた。
核の赤い光が一気に強まる。番人の動きが、今までとはまるで違っていた。
ぐらついていたのが嘘のように、巨大な腕が風を切って、横から薙ぎ払ってくる。
速い。
【見切り】で、腕が動く向きは分かった。それなのに、体が間に合わない。
「ノア、危ない!」
リーナの体当たりが僕を横へ突き飛ばした。
直後、腕がリーナのすぐそばを通り過ぎる。
当たってはいない。けれど、その風圧だけで、リーナの体は木の葉のように宙に浮いた。
「リーナ!」
小さな体は、広間の端まで弾き飛ばされて、石の床に転がった。
リーナはうめきながら、短剣を杖がわりにして体を起こそうとしている。意識はあるようだ。
僕はほっと息をついた。それでも、胸の奥は冷たいままだった。
足元では、シオンが柱にもたれて、動けずにいる。リーナは遠くで膝をついている。
番人はゆっくりと、僕の方へ向き直った。あの杭を抜かなければ、終わらない。
でも、短剣のリーナも、魔力の尽きたシオンも、もうあの背中には届かない。
届くとしたら。
僕には【見切り】がある。【平衡感覚】も、鞭もある。
足はまだ動く。
怖い。心臓は胸の中で暴れている。
けれど、足は震えていなかった。
「……シオンさん」
自分の声が、思ったよりも静かだった。
「あの杭は、僕が抜きます」
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