第26話 番人
扉の向こうはひんやりとした光に満ちていた。
足を踏み入れると、すり鉢の縁に出た。遥か下の底まで、壁に沿って細い石の階段が、ぐるりと回りながら続いている。
「……帰れ」
後ろからかすれた声がした。
「ここから先は、役所の調査の持ち場だ。お前たちの仕事じゃない」
シオンは扉の枠に手をついて立っていた。言葉は強いのに、肩が小さく上下している。
「顔色、真っ青ですよ」
「うるさい」
シオンは右手を前に出して、風を起こそうとした。けれど、手のひらから出たのは、ふっ、と頼りない息のような風だけだった。
うずが巻かない。シオンは悔しそうに手を下ろした。
「……魔力が、切れかけている。水路の水を払い、仕掛けを風で探りながら、ここまで来た。それで、ほとんど使い切った」
「じゃあ、なおさら一人じゃ危ないです」
僕は鞭を握り直した。
「一緒に行きます。扉を開けたのは、僕たちですから。期限は二日あります」
「ノアの言う通りだよ。それに、あなた、足元ふらふらじゃない」
リーナが腰に手を当てて、胸を張った。シオンは二人の顔を見比べて、深く舌打ちをした。
「……勝手にしろ。ただし、足手まといになったら、置いていく」
「はいはい」
リーナがにっと笑った。
僕たちは階段を一段ずつ下り始めた。
足場は狭くて、手すりもない。右側は壁で、左側は底の見えない暗闇だった。
【平衡感覚】と【踏ん張り】が、足の裏にしっかりと力をくれる。足は震えない。
けれど、心臓はさっきからずっとうるさかった。下りるにつれて、壁の紋様がはっきりと見えてきた。
青白く光る線の中に、ところどころ、赤く濁った場所がある。赤は脈を打つように、ゆっくりと広がったり縮んだりしていた。
その一つに、僕は近づいた。【仕掛け看破】が頭の奥で、ちかりと光る。
赤い紋様の真ん中に、黒い金属の細い杭が、深く打ち込まれていた。
「シオンさん、これ」
「……杭?」
シオンがランプを近づける。
「大昔の人が作った仕組みの上から、誰かが無理やり打ち込んだものです。線がここで切られてます」
「ほかの赤い所にも、同じものがあるのか」
「たぶん、全部に」
壁を見渡すと、赤く濁った紋様は数え切れないほどあった。シオンの声が低く沈んだ。
「自然に暴走したんじゃない。誰かがわざと狂わせている」
水路の人の手で塞がれた通路。
黒い手袋の男。
背筋に冷たいものが走った。
その時、僕の頬に冷たい風が当たった。【風読み】が肌に教えてくれる。
さっきよりもはっきりとした、ゆっくりとした流れ。うずはない。
ただ、ずっと下から、ふーっ、ふーっ、と一定の間をあけて、押し寄せてくる。
「風が息をしてるみたいだ」
「……息?」
リーナがぞくりと身を縮めた。
階段はやがて、平らな底に着いた。
底には太い石の柱が、円を描くように何本も立っていた。その真ん中に、巨大な何かがうずくまっている。
石と黒い金属でできた、人の形の像だった。
座っているのに、頭が柱の半分より高い。胸の真ん中には丸い赤い石がはまっていて、脈打つようににぶく光っている。
僕の肌に当たる冷たい風は、その像の胸の奥から流れ出していた。
「……あれが、番人か」
シオンが息をのんだ。
その時、赤い石がひときわ強く光った。
ゴウン。
低い音が足の裏から、体の中を突き抜ける。像の石の目がゆっくりと開いた。
そして、赤い光が僕たちを、まっすぐに見た。
「下がれ!」
シオンが叫んで、風の刃を放った。
細い刃が番人の肩に向かって、鋭く飛ぶ。けれど、刃は当たる直前に、すうっと像の周りの冷たい空気に吸い込まれて、消えた。
「風が……効かない!?」
「私が行く!」
リーナが地面を蹴った。
【跳躍】の力で、高く舞い上がって、番人の腕に飛びつく。短剣を石の関節に突き立てた。
きん、と澄んだ音がして、短剣が弾かれた。
「かたっ……!」
番人の腕がゆっくりと動く。
大きくて、遅い。けれど、その遅さが、かえって恐ろしかった。
腕がリーナのいる場所を通り過ぎようとしている。
「リーナ、そこから離れて!」
僕は鞭を放った。
鞭の先がリーナの腰に、くるりと巻きつく。両足を踏ん張って、思いきり引いた。
「うわっ!」
リーナの体が番人の腕から、ぐいっと引き離される。その直後、さっきまでリーナがいた場所を、巨大な石の拳が通り抜けた。
どおん。
石の床が砕けて、破片が雨のように降りかかる。足元がぐらりと崩れた。
僕は膝をつきながらも、鞭を離さなかった。
「ノア、大丈夫!?」
「大丈夫……!」
その時、視界の真ん中に赤い光が浮かび上がった。
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◆ 経験変換 ◆
「初めての、巨大な敵の攻撃を受ける体験」を検知
力に変えますか?
① 【見切り】 大きな動きの先が、少しだけ読める
② 【耐衝撃】 衝撃を受けた時の痛みが、少しだけ軽くなる
③ 【威圧耐性】 恐ろしい相手の前でも、息が乱れにくくなる
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目の前であの拳が、風を切って通り過ぎた。
大きな動きは、遅い。けれど、見えているのに、体が一歩遅れる。
もし、動き出す前に、先が読めたら。
②か③なら、もう少し楽に耐えられる。でも、耐えるだけでは、この人たちを守れない。
「……①だ」
選んだ瞬間、視界がすっと澄んだ。
番人の肩の筋がわずかに動く。次の瞬間に、腕がどちらへ振られるかが、ほんの少しだけ先に分かった。
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◆ 経験変換 ◆
【見切り】を習得しました
Lv1
効果:大きな動きの先が、少しだけ読める
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「右です!」
僕が叫ぶのと、番人の腕が右へ振られるのは、ほとんど同時だった。
シオンとリーナがはっとして左へ跳ぶ。巨大な腕が二人の髪をかすめて、柱に叩きつけられた。
石の柱が轟音を立てて崩れ落ちる。
「……なぜ、分かった」
シオンが息を切らして僕を見た。
「えっと……なんとなく、です」
「お前の『なんとなく』は、もう聞き飽きた」
シオンはそう言って、苦しそうに片膝をついた。その手のひらから、風はもう一筋も出なかった。
「……魔力が、完全に尽きた」
声が小さく震えていた。
「逃げろ。お前たちじゃ、勝てない」
「置いていけません」
僕はシオンの前に立った。
足は震えない。けれど、心臓は胸の中で、割れそうなほど暴れていた。
怖い。
でも、怖いまま、ここに立っている。
番人の赤い石がこれまでで一番強く光った。巨大な拳がゆっくりと持ち上がる。
その影が三人の上に、静かに落ちた。
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