第18話 初めての依頼
依頼の板の、一番端っこ。
推奨レベルが5以下の紙は、何度数えても、三枚しかなかった。
一枚目は、港の倉庫に住みついた、大ネズミの魔物の退治。推奨レベルは4で、報酬は銅貨四十枚。
二枚目は、港から隣町までの、荷車の付き添い。推奨レベルは3で、報酬は銅貨二十五枚。
三枚目は、船の帆の繕いの手伝い。推奨レベルは1で、報酬は銅貨十五枚。
「ねえ、どれにする?」
リーナが三枚の紙を、穴が開くほど見比べていた。
「帆の繕いなら、僕でもできるし、一番安全だと思うけど……」
「でも、一番安いじゃない!」
リーナは迷わず一枚目の紙に手を伸ばした。
「一番お金が多いのにしよう! 大ネズミなんて、あの大蛇に比べたらかわいいもんでしょ!」
止める間もなかった。リーナは、大ネズミ退治の紙をびりっと剥がすと、そのまま受付の机へ持っていってしまった。
マーサは紙を受け取ると、眼鏡の上からじろりとリーナを見上げた。
「大ネズミだからって、なめてかかるんじゃないよ」
マーサの声は静かだったけれど、妙に重みがあった。
「あいつらの歯には、弱い毒がある。噛まれたら半日は手足がしびれて、まともに動けなくなるからね。……気をつけて行っといで」
依頼の倉庫は、港の外れにぽつんと建っていた。
古い石造りの、大きな倉庫だった。分厚い木の扉には、鉄の金具が打ちつけられている。
扉の前で、倉庫の持ち主のおじさんが、困り果てた顔で僕たちを待っていた。
「おお、依頼所から来てくれたのかい。……って、ずいぶん若いな。大丈夫か?」
「は、はい。頑張ります」
僕が頭を下げると、おじさんは、まあいいか、と言うように肩をすくめた。
「この十日ほどで、急に数が増えちまってな。どこから湧いて出てくるのか、さっぱり分からないんだ。このままじゃ預かってる麦が全部食われちまう」
おじさんが扉を開けると、中から、むっとかびと穀物の匂いが流れ出してきた。
倉庫の中は薄暗かった。
天井近くの小さな窓から、細い光が何本か差し込んでいるだけだ。
【夜目】のおかげで、僕には奥までよく見える。けれど、リーナには少し暗すぎるようだった。
通路の両側には、木箱と麻袋が天井に届きそうなほど高く積み上げられていた。その麻袋のあちこちが無残に食い破られていて、こぼれた麦が床一面に散らばっている。
「……いる」
僕は小さくつぶやいた。
木箱の陰からかさかさと、何かが動く音がする。一つじゃない。あちこちから、いくつも。
次の瞬間、木箱の陰から灰色の影が飛び出してきた。
大きい。子犬ほどもある、丸々と太ったネズミだった。黄色く濁った前歯が、薄暗がりの中でぎらりと光る。
一匹、二匹、三匹。気づけば、通路の先に十匹近いネズミが、ずらりと並んでいた。
「うわ、思ったより多い……!」
リーナが銛を構えて、一歩後ずさった。
ネズミたちが一斉に飛びかかってくる。
僕はとっさに腰の鞭を抜いた。けれど、振り上げようとして、すぐに気づいた。
通路が、狭すぎる。
両側に積み上げられた木箱に挟まれて、鞭を大きく振る隙間がないのだ。このまま振れば、縄が木箱に引っかかってしまう。
だったら、ここにある物を使えばいい。
【即席使い】の感覚が、頭の中にぱっと浮かんだ。
僕は鞭を腰に戻すと、足元に転がっていた麻袋をつかんだ。中身が半分ほどこぼれて、ちょうど振り回しやすい重さになっている。
「リーナ、少しだけ下がって!」
飛びかかってきた先頭のネズミに、麻袋を思いきり叩きつける。ネズミはぎゅっと鳴いて、床を転がった。
続けて、積み上げられた木箱の一番下の段を思いきり蹴る。ぐらりと傾いた木箱の山が、通路の脇道を塞ぐように、どさどさと崩れ落ちた。
これで、ネズミたちの逃げ道は一つしかない。
僕はもう一つの麻袋を広げて、通路の端からネズミたちを追い立てるように振り回した。慌てたネズミたちが、僕から逃げるように、通路の奥の行き止まりの一角へと固まっていく。
「今だ、リーナ!」
「待ってました!」
リーナが銛を握り直して、ネズミたちが固まった一角へ飛び込んだ。
「見ててよ、ノア! 大蛇の時のお返し、ここでまとめてやるんだから!」
その瞬間、リーナの腕が、ぶれた。
いや、ぶれたように見えたのだ。
銛の先が目にも止まらない速さで、何度も、何度も突き出されていく。一突き、二突き、三突き。数えようとしても、目が追いつかない。
「せいっ、せいっ、せいっ!」
リーナのかけ声が響くたびに、ネズミが一匹、また一匹と、床に転がっていく。
【連突き】だ。大蛇との戦いの後に、リーナが覚えたばかりの力。
あっという間に固まっていたネズミたちは、一匹残らず動かなくなった。
「……ふう」
リーナは銛をくるりと回して、得意そうに胸を張った。
「どう? 見た? これが私の新しい力なんだから!」
「すごいよ、リーナ。本当に目で追えなかった」
僕がほっと息をついた、その時だった。
足首に鋭い痛みが走った。
見下ろすと、崩れた木箱の隙間から這い出してきた最後の一匹が、僕の足首にがっちりと噛みついていた。
「ノア!」
リーナがすかさず銛で、そのネズミを突き飛ばす。
けれど、噛まれた足首から、じわりと嫌な感覚が広がり始めていた。
痛みじゃない。しびれだ。
足首から、ふくらはぎへ、膝へと、冷たい何かが這い上がってくるように、感覚が鈍くなっていく。立っていられなくなって、僕はその場に膝をついた。
マーサが言っていた、毒だ。
その時、視界の端に赤い光が浮かんだ。
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◆ 経験変換 ◆
「初めての、毒のしびれ」を検知
力に変えますか?
① 【毒耐性】 毒が、体に回りにくくなる
② 【薬草見分け】 毒や傷に効く草を、見分けられる
③ 【しびれ払い】 しびれた体を、少しの間だけ無理やり動かせる
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【しびれ払い】なら、今すぐ立ち上がれる。でも、それは少しの間だけの無理やりだ。
【薬草見分け】は、旅を続けるならきっと役に立つ。宿代を浮かせるために、野宿をする夜も来るかもしれない。
けれど、この先、遺跡や森で、もっと強い毒を持つ魔物に出会うかもしれない。その時、毒に倒れて、リーナを一人で戦わせるわけにはいかない。
リーナを守れる体でいたい。
「……①だ」
選んだ瞬間、体の奥で何かが静かに切り替わったような気がした。
足首から這い上がってきていた冷たいしびれが、すうっと潮が引くように薄れていく。
完全に消えたわけじゃない。それでも、指先に少しずつ感覚が戻ってきた。
「ノア、大丈夫!? 顔、真っ青だよ!」
リーナが僕の顔をのぞき込んでいた。
「うん……もう、平気。だいぶしびれが引いてきたから」
「引いてきたって、マーサさんが半日は動けないって言ってたじゃない」
「【経験変換】のおかげだよ。今、初めて味わった毒のしびれを、力に変えたんだ」
僕が小さく笑ってみせると、リーナは呆れたように、でもほっとしたように、大きく息を吐いた。
「……あんたのその力、ほんと、ずるいよね」
騒ぎが収まったのを聞きつけたのか、倉庫のおじさんが、恐る恐る扉から顔をのぞかせた。
床に転がったネズミたちを見て、おじさんは目を丸くした。
「こりゃあ、驚いた。全部片付けちまったのかい。若いのに、大したもんだ」
おじさんは何度も頭を下げると、依頼を終えた証の札を僕の手に握らせてくれた。それから、ふと首をかしげた。
「そういや、一つだけ、気になることがあってな」
「気になること、ですか?」
「あのネズミども、この倉庫の床下の、古い排水口から上がってきてたみたいなんだ。前はあんなもの、一匹も出なかったのに」
おじさんは倉庫の奥の床にはめ込まれた、錆びた鉄の格子を指さした。格子の隙間の向こうは、真っ暗で、何も見えない。
「まるで、地面の下の何かから、逃げてきたみたいにな」
僕とリーナは思わず顔を見合わせた。
「ノア、今の話って……」
「うん。ピコが言ってた、夜になると地面の下から聞こえる音。もしかしたら、同じ場所のことかもしれない」
リーナが格子の向こうの暗闇を、じっと見つめた。
けれど、今の僕たちには、地下へ降りる準備なんて、何もない。毒のしびれもまだ完全には抜けきっていなかった。
「……今日は、まず依頼所に戻ろう。報酬を受け取ってから、ちゃんと考えよう」
リーナは少しだけ名残惜しそうに格子を振り返ってから、こくりと頷いた。
依頼所に戻ると、マーサは僕たちの顔を見て、少しだけ眉を上げた。
「おや、無事に帰ってきたかい。それも、思ってたよりずっと早く」
マーサは倉庫のおじさんから預かった証の札を確かめると、引き出しから小さな袋を取り出した。
「ほら、報酬だよ。銅貨四十枚。数えてごらん」
机の上に銅貨がじゃらりと広げられた。
リーナがその銅貨を一枚ずつ、ゆっくりと数え始めた。一、二、三。数えるたびに、口元がどんどん緩んでいく。
「……三十九、四十。本当に、四十枚ある」
リーナは銅貨を両手ですくい上げて、じっと見つめた。
「ねえノア、これ、私たちが稼いだお金なんだよね。島のみんなにもらったお金じゃなくて、自分たちで」
「うん。僕たちが、自分の手で稼いだお金だよ」
「……なんか、すっごく重たい気がする」
リーナはそう言って、照れくさそうに笑った。
その気持ちは僕にもよく分かった。
港で働いていた頃にも、給金はもらっていた。けれど、今、目の前にある四十枚の銅貨は、それとはまるで違う重みがあった。
依頼所を出て、宿へ向かう坂道を上りながら、僕は倉庫のおじさんの言葉を思い出していた。
――まるで、地面の下の何かから、逃げてきたみたいにな。
僕は坂の途中で、ふと足を止めた。
地面の下。
ピコが言っていた、夜の音。屋根裏部屋の床の下から響いてきた、あの低い音。父さんが報告書を出さないまま、この町を出ていった、地下水路の調査。
ばらばらだったはずの話が、少しずつ、同じ場所を指し始めている。
僕は左腕の傷に、そっと触れた。
昨日の夜よりも、ほんの少しだけ熱が強くなっている気がした。
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