32.継母との再会
『王都新報』の記事は、瞬く間に王都中へ広がった。
朝、新聞売りが大通りで声を張り上げた。
「号外だよ! ヴァレンティン公爵邸の“少女たちの部屋”!」
「シモンズ伯爵、娘を公爵へ! 直筆書簡を公開!」
昼には、街のいたるところで公爵の名前を聞いた。
グレイ家へ帰る途中のパン屋の前でも、乗合馬車の中でも、街はその話題でもちきりだった。
「読んだ?」
「あの公爵様の?」
「少女の絵が何十枚もあったって」
「しかも番号つきだそうよ」
知らない人たちが、私たちの書いた記事のことを話している。
不思議な気分だった。
「エラぁ!」
グレイ家につくと、リジーが目を真っ赤にして飛び出して来た。
リジーは私に飛びつくと、ぎゅっと息ができないくらい抱きしめた。
アスターに、ヘレン奥様に、リジー。
立て続けに、いろいろな人に抱きしめられた。
――それは、とても幸せなことだと、本当に思った。
「リジー、ごめんね。ヘレン奥様に叱られなかった?」
リジーにはアスターへの取次をお願いしてしまった。
そのことは、胸につっかえていた。
「ううん。私は別に何も言われていないけど、なんで?」
きょとんとした顔のリジーを見て、安心する。
私がリジーにアスターに路地裏に来るように伝えてくれと頼んだことは、奥様に伝わっていないのか、それとも知らないふりをしてくださったのか。
それはわからないけれど、リジーが怒られていなくてよかった。
「髪の毛、どうしたの……」
リジーは短くなった私の髪を見て、目を丸くした。
「いろいろあって。……また伸びるから、いいわ」
私は自分の髪を撫でて笑った。
◇◇◇
数日後、私のインタビュー記事が続報として掲載された。
【「私には二人の母親がいます」――エラ・シモンズ嬢、失踪中の継母クロエ夫人について語る】
ヴァレンティン公爵邸に存在した“少女たちの部屋”、そして故ジャック・シモンズ伯爵が十五歳の娘を公爵へ委ねようとしていたことを示す書簡。
本紙は先日、この二つについて報じた。
今回、本紙は事件の当事者であるエラ・シモンズ嬢に改めて話を聞いた。
取材に応じたエラ嬢は、肩につかないほどに短く切った金髪で現れた。
その腕には、よく似た二匹の兎のぬいぐるみが抱かれていた。
一匹は、幼い頃に実母アイリス・シモンズ前伯爵夫人から贈られたもの。
もう一匹は、継母クロエ・シモンズ夫人がかつてエラ嬢のために購入しながら、本人には渡さず、《銀月の大広間》に預けていたものだという。
エラ嬢は、夜会でヴァレンティン公爵と会った際のことを次のように語った。
「公爵は、私の金髪を何度も美しいと言いました。十五歳は”今にも咲こうとする蕾のような”一番美しい年頃だとも」
エラ嬢は十歳の頃、継母クロエ夫人によって、それまで伸ばしていた金髪を短く切られている。
当時はその行為を、継母からの嫌がらせだと思っていたという。
「でも、公爵に会って、クロエが私の髪を切った意味がわかりました。きっと、あの人は私を公爵から隠したかったんだと思います」
クロエ夫人はその後も、エラ嬢を社交界へ出さず、屋敷の上階にある部屋で生活させていた。これらの行為についても、本紙は当初、「継娘を社交界から遠ざけ、屋根裏へ追いやった」と報じた。
しかし、故シモンズ伯爵が娘をヴァレンティン公爵へ委ねようとしていた事実、そしてクロエ夫人自身が十五歳の頃に公爵と関わっていたとみられる記録が発見された現在、その意味は改めて検討される必要がある。
「公爵の“少女たちの部屋”で十五歳のクロエの絵を見つけて……、私はそのままそこに置いておけずに、台帳と一緒に思わず持ち帰ってしまったのです」
夜会後、エラ嬢は自ら長い金髪を切った。
「公爵に髪を見られて、あれは私のものなのに、誰かに評価されるためのものみたいに思えてしまったんです。だから切りました。でも、髪なんてまた伸びます。昔、クロエに言われた通りでした」
一方で、エラ嬢はクロエ夫人について、単純に「優しい継母だった」と語ることを拒んだ。
「私は今でも、クロエのことを好きになれません」
そう言って、エラ嬢は少し笑った。
「髪を勝手に切られたことも嫌でした。何も説明してくれなかったことも嫌です。ひどいこともたくさん言われました。だから、今までされたことを全部、“本当は優しさだった”とは思いません」
しかし、と続ける。
「それでも、クロエは私を守ろうとしてくれたのだと思います」
伯爵家の破産後、エラ嬢は現在、王都のグレイ家で住み込み使用人として働いている。
掃除、洗濯、裁縫、料理の補助、帳簿の読み方、計算。
現在の生活を支えている技術の多くは、クロエ夫人から厳しく教え込まれたものだという。
「お父様は、私に財産を残してくれませんでした。でも、クロエが仕事を教えてくれたから、私は働いてお金をもらえます」
エラ嬢は、腕に抱いた二匹の兎へ目を落とした。
「私には、二人の母親がいます」
エラ嬢は、アイリス夫人から贈られた兎を膝に乗せた。
「一人は、幼い私に愛されることを教えてくれました」
そして、もう一匹を抱き寄せた。
「もう一人は、生きる術を教えてくれました」
クロエ夫人は現在、夫ジャック・シモンズ伯爵殺害の疑いを持たれたまま失踪している。
エラ嬢は、継母の無実を無条件に主張しているわけではない。
「お父様を本当に殺したのなら、そのことについては裁かれなくてはいけないと思います」
その上で、次のようにクロエ夫人へ呼びかけた。
「クロエ。あなたのことを、お母様とは呼ばないわ。私のお母様は一人だから」
エラ嬢は二匹の兎を抱いて、言った。
「でも、あなたは私の母親よ」
「お父様を本当に殺したのか、あなたの口から聞きたい。どうして何も言ってくれなかったのか。どうしてあんなに意地悪だったのか。どうして私に兎を渡してくれなかったのか。話したいことが、たくさんあるの。
だから、出てきて。
私は、あなたを待っているわ」
なお、アルバート・グレイ弁護士は本紙の取材に対し、クロエ・シモンズ夫人が自ら出頭した場合、弁護を引き受ける意思があると回答している。
また王都警察のトマス警部は、アイリス・シモンズ前伯爵夫人の死について再捜査を進めた結果、現在は故ジャック・シモンズ伯爵が殺害に関与した可能性が高いとの見方を示した。
かつて本紙は、クロエ・シモンズ夫人を“悪しき継母”と書いた。
だが、事実は一つの呼び名だけでは収まらない。
クロエ・シモンズ夫人は、本当に夫を殺したのか。
そして、継娘を守るために何をしたのか。
本紙は引き続き、その行方と真相を追う。
◇◇◇
――当然、ヴァレンティン公爵も黙ってはいなかった。
別の新聞に、公爵側の声明が掲載された。
『あれは盗まれた私信である』
ジャックお父様の書簡について。
そして、台帳とクロエの肖像画について。
公爵は私物を不法に持ち出したエラ・シモンズを、屋敷からの窃盗で訴えると主張した。
「……そうなるとは、思ったわ」
向こうからすれば窃盗ではある。
そう呟いてアルバート様を見る。
アルバート様は眼鏡を外して、眉間を押さえた。
「訴えること自体はできる」
「……」
「だが――公爵は、自分でその手紙と台帳が自分のものだと認めてしまったな。“盗まれた私物”だと言うなら、少なくとも偽物だとは主張できない」
私はアルバート様を見つめた。
翌日の新聞は、そこを逃さなかった。
『公爵、“盗まれた私信”と認める――問題の書簡は本物か』
さらに、私は新聞に記事を書いてもらった。
『エラ嬢は本紙に対し、次のように話している。
「クロエの絵と記録を見つけて、いてもたってもいられず持ち帰ってしまいました。記録の台帳については返却の意思があります。しかし、クロエの絵については返したくありません。――買い取ることはできないでしょうか。アルバート弁護士にご連絡ください」』
――もう、記録については新聞社で全て写真を撮ったうえ、複写もしてある。
どうしても返せというのなら、台帳は仕方ない。
けれど、クロエの絵だけは返したくなかった。
世間の反応は、公爵が思っていたものとは、まるで違った。
「十五歳の娘を買おうとした男が、盗まれたって騒いでる?」
「エラ嬢は、継母の肖像画をそのままにしとけず、持ち帰ってしまったと言ってるみたいよ」
「泣ける話じゃないか。それは、窃盗になるか?」
「まず自分の説明をしろ!」
新聞各紙の投書欄、街角、酒場、市場。
どこへ行っても、公爵への非難ばかりだった。
――数日後、公爵側は、私に対する訴えを取り下げた。
「返却しろ」という連絡もなかった。
◇◇◇
それで終わりではなかった。
むしろ、そこからだった。
新聞社へ、一人、また一人と女の人たちが訪れるようになった。
「昔、公爵邸で働いていました」
「私の姉が、あの屋敷にいました」
「公爵から別の貴族の家へ移されたあと、帰ってこなくなった友人がいます」
元使用人――かつて公爵に「保護」された女性。
その家族。
何年も、誰にも話さなかった人たちが、秘密の部屋が公になったことで少しずつ口を開き始めた。
そして、ついに王宮からもヴァレンティン公爵について声明が出された。
現在報じられている事柄について重大な懸念を持っており、事実関係が明らかになるまで、王室として公爵との公式な交流を控える。
そんな内容だった。
公爵は、王族と近いことを、ずっと誇りにしていた。
その王家から、距離を置かれた。
王都新報だけではない。さまざまな新聞に公爵についての風刺画が載ることになった。
その一つはこんな風刺画だった。
若い頃のヴァレンティン公爵の花のような美青年の絵画が飾られている。
その横に、現在の公爵が描かれている。
腹を突き出し頭に無理やり金色の巻き毛をつけ鏡へ向かって、『まだ若いだろう?』と話しかけている。
見出しは『六十五歳の“花の王子”』
――その数日後、公爵は“少女たちの部屋”で猟銃を用いて死亡しているのが発見された。
◇◇◇
公爵の死が報じられてから、数日した頃――、私宛にトマス警部から連絡が入った。
『クロエ・シモンズが出頭した』
私はグレイ夫妻とアスターと共に、王都警察署に向かった。
トマス警部から通された部屋には、男性の服に身を包んだクロエがいた。
長く美しかった黒髪は、私と同じように、短く切られていた。
「クロエ」
最初に私が呼びかけた。
クロエはぎこちなく顔を上げると、私を見つめた。
「……エラ」
私は一歩、クロエに向かって踏み出した。
「……生きていると思ったわ」
クロエも私を見据える。
「……髪を切ったの?」
「ええ」
「新聞記事を読んだわ。あんた、なんでわざわざ公爵のところに行ったの。私がせっかく……」
「――クロエが、何も残してくれなかったからじゃない!」
私はクロエのすぐ近くまで、つかつかと近寄った。
私たちはしばらく見つめ合った。
「――お父様は、あなたが殺したの?」
しばらくの沈黙のあとそう聞くと、クロエは頷いた。
「そうね。ジャックは私が殺したわ」
「――そう」
私はクロエに手を伸ばした。
私より背丈の高い、クロエを抱きしめる。
クロエの身体が強張った。
――私のことは、アスターが、ヘレン奥様が、リジーが抱きしめてくれた。
あなたのことは、私が抱きしめてあげる。
「私に話したいことって何よ……」
クロエの言葉に、私は口を開いた。
いろいろと言いたいことはあったけれど、口から出てこない。
唇が震えて、嗚咽とともに、涙が目から流れ出した。
「私……」
声が震えた。頭がぐるぐる回って、言葉が出てこない。
――やっと言ったのは。
「『暖炉掃除競争』一位なんですって……」
「――は?」
クロエが私を引き離して、見つめた。
私は目をごしごし擦りながら言葉を続けた。
「『じゃがいもの皮むき競争』も一位だし、『染み抜き競争』も一位……」
「……何の競争なの、それは」
「グレイ家で、使用人の同じ部屋に……、リジーって子がいるんだけどぉ……リジーの中で開催された競争なのぉ……」
泣き崩れた私を、クロエはじっと見つめてから、抱きしめた。
「……変わったお友達ね」
私は頷いてから、嗚咽して言葉を続けた。
「優勝すると、リジーが歌を歌ってくれるの。『おめでとぉ、エラぁ』って。あの子、音痴なのよぉ」
「――そう」
クロエは私の頭を撫でた。
「でも、優勝よ……すごいでしょぉ? 私、伯爵令嬢なのに……」
「――すごいわね」
クロエは私の短い髪をゆっくりと撫でた。
「初めて褒めたわね……」
そう言って、私はクロエを睨んだ。
「もっと他に……褒めることがあるんじゃない?」
クロエは呆れたように息を吐いて、私をもう一度抱きしめた。
「――本当に、可愛くない子……」
――しばらく私の髪を撫でてから、クロエはグレイ夫妻を見つめて、礼をした。
「――アルバート様、ヘレン奥様、エラを引き取ってくれて、ありがとうございます」
それから、横に立つアスターに視線を移した。
クロエの瞳が大きく見開かれた。
「あなたは……」
「アスター……、記事を書いた新聞社の人よ……」
私が答えると、クロエはアスターを見つめた。
アスターもクロエを見つめ返す。
クロエは少し微笑んで、呟いた。
「アスター……、そう、あなたがあの記事を書いた方なのね……」
アスターはクロエに一礼した。
「――もう少し、時間を作ろうか」
トマス警部が椅子をすすめてくれた。
私とクロエはそこに座って、向かい合った。
私は、クロエを見つめた。
「――髪の毛、切ったのね。男装して隠れていたの?」
「……目立つでしょう。私は、そのままじゃ……」
私は自分の髪の毛を触って、呟いた。
「お揃いね」




