31.翌日の新聞
「エラ、できたぞ」
名前を呼ばれて、私は目を開けた。
「……アスター?」
いつの間に眠ってしまったのだろう。
新聞社の隅に置かれたソファで、身体を丸めていたらしい。
窓の外を見ると、空が少し明るくなっていた。
机に向かっていた記者たちの姿は、昨夜よりずっと少なくなっていた。
代わりに、建物の奥から、絶え間なく大きな音が響いている。
ガタン、ガタンという規則正しい音。
――印刷機が動いている。
「ほら」
アスターが、一枚の新聞を差し出した。
受け取ると、まだ紙が少し温かい。
鼻を近づけなくても、インクの匂いがした。
「……これ」
「刷りたてだよ」
アスターは眠そうに欠伸をしながら言った。
カールした髪はいつも以上にうねっていて、目の下にはうっすら隈があった。
「読んでみろよ」
「うん」
私は頷くと新聞を開いた。
一面に大きな文字が目に飛び込んでくる。
【ヴァレンティン公爵邸にあった“少女たちの部屋”】
『昨夜、六十五歳の誕生日を迎えたロベルト・ヴァレンティン公爵の邸宅において、長年秘匿されていたとみられる一室が、多数の来賓によって目撃された。
部屋は公爵の私的な応接室のさらに奥にあり、壁一面には若い女性たちを描いた小型の肖像画が数十点にわたり並べられていた。
肖像の多くには番号が振られており、描かれた女性の中には、公爵が過去に「保護している娘」として周囲へ紹介していた人物とみられる者もいた。
本紙記者が現場で取材したところ、複数の来賓が、それぞれ異なる肖像について「以前、公爵邸あるいは別邸で見たことがある」と証言した。
ある婦人は、約十年前、公爵から「身寄りがなく、面倒を見ている娘」と紹介された少女と同じ顔が描かれていたと話している。
別の男性もまた、別邸に滞在していた若い女性と肖像が酷似していると証言した。
公爵は現場において、これらを「美しい人物を描いた肖像画の収集品」であり、「芸術品である」と説明した。
しかし、それぞれに番号が記されている理由や、描かれた女性たちの氏名について質問されると明確な回答をせず、その後、夜会を突如終了させ、来賓らを邸宅の外へ退出させた。
なお本紙は、この部屋に描かれていた少女たちについて、過去に公爵が行ってきたとされる若い女性への「保護」との関係を含め、引き続き調査を進める。
昨夜、この部屋を目撃した来賓は一人や二人ではない。
公爵が「芸術品」と呼ぶ少女たちは、いったい何者だったのか。
本紙は引き続き、その行方を追う。』
私は息を吐いた。
「……一面の記事には、私のことを書かなかったのね」
「そこは、公爵邸にいた人たち全員が見たことだけにした」
アスターが答える。
「君については、次に載っている」
私は新聞をめくった。
【シモンズ伯爵は十五歳の娘を公爵へ渡そうとしていた――直筆書簡を公開】
『本紙は昨夜、故ジャック・シモンズ伯爵がロベルト・ヴァレンティン公爵へ送ったとみられる書簡を確認した。
書簡には、ヴァレンティン公爵がシモンズ伯爵家の債務を肩代わりすることへの謝意と、伯爵自身に相応の地位を用意することへの謝意が記されている。
そのうえで伯爵は、自らの娘であるエラ・シモンズ嬢をヴァレンティン公爵のもとへ送り、その後の身の振り方について公爵の判断に委ねる旨を記していた。
エラ嬢は現在十五歳。
父であるシモンズ伯爵の死後、伯爵家は事実上破産しており、エラ嬢は現在、王都の一般家庭に住み込み使用人として勤めている。
本紙が本人に確認したところ、書簡は生前の父から受け取った手紙等と同じ筆跡であると証言している。
さらにエラ嬢は昨夜、公爵本人から「父親とは君の将来について話がついていた」と告げられ、同書簡を直接示されたという。
公爵はエラ嬢に対し、自らの庇護を受けるよう勧めたほか、正式な妻として迎える意思を示した。
エラ嬢は公爵が酒を飲んだのち眠り込んだため、書簡を持ってその場を離れた。
その際、応接室奥にあった部屋へ入り、壁一面に若い女性たちの肖像画が並んでいることに気づいたという。
また同室では、肖像画の番号と一致する記録冊子も発見された。
記録には女性たちの写真とともに、氏名、年齢、出身、公爵邸へ入った時期、屋敷を去った時期、その後の行き先等が記されていた。
その中には、エラ嬢の継母クロエ・シモンズ夫人とみられる、十五歳当時の記録も含まれている。
クロエ夫人は、シモンズ伯爵の死後、夫殺害の疑いを持たれたまま現在も所在不明となっている。
当初、本紙はクロエ夫人について、継娘を使用人同然に扱い、髪を切り、社交界から遠ざけ、屋根裏部屋へ追いやった「悪しき継母」として報じてきた。
しかし、前回掲載したように、暖炉掃除を覚えさせられた令嬢は、伯爵家が破産した現在、継母に覚えさせられた仕事を糧に生活している。
今回確認された書簡によれば、シモンズ伯爵は金銭的支援と引き換えに、娘をヴァレンティン公爵へ委ねようとしていた。そしてクロエ夫人自身もまた、少女時代にヴァレンティン公爵と関わりがあった可能性が高い。
これらの事実を踏まえれば、クロエ夫人が継娘の髪を切り、社交界から遠ざけた行為についても、これまでとは異なる見方が必要になる。
本紙は以前、クロエ夫人を「悪しき継母」と表現した。
だが、わかりやすい物語と、実際に起きたことは同じではない。
我々は、自らが報じた物語についても、新たな事実が判明すれば見直さなければならない。』
「……」
最後まで読んで、私は新聞を膝の上へ置いた。
胸の中が、妙な感じだった。
私が知っていることが――クロエのことが、お父様のことが、文字になっている。
もう、私とアスターだけが知っている話ではない。
「どう?」
アスターが尋ねた。
「……怖い」
正直に答えた。
「そりゃそうだ」
「でも」
もう一度新聞を見る。
そこには、確かに書いてある。
クロエを悪しき継母と報じたことが、違っていたかもしれないということ。
「ありがとう」
「まだ早い」
アスターは新聞を一部、自分の手に取った。
「これからだよ」
新聞社の奥では、まだ印刷機が回っている。
ガタン。ガタン。
次々と、同じ新聞が刷られていく。
「これから、これを街に配る」
私は頷いた。
もうすぐ、朝になる。
王都の人たちが目を覚ます。
新聞売りが声を張り上げて、この紙を街中へ運んでいく。
「――これから、続報も書く。クロエ夫人だって、まだどこにいるのかわからない」
私は膝の上に置いた新聞を、そっと握った。
――クロエ。
――どこにいるの。
あなたのところまで、届いてほしい。
私は、そう願った。




