30.記事を書く(アスター視点)
「アスター! これは、すごいことになるぞ!」
公爵邸で協力してくれた同僚が戻ってきて、俺の肩をたたいた。
グレイ夫妻が帰ったあと、新聞社の中は妙な熱気に包まれていた。
深夜だというのに、灯りは落ちていない。
むしろ、これからが本番だった。
「朝刊に間に合わせるぞ!」
編集長の声が飛ぶ。
記者たちが、机の上へ紙を広げ、見たことを次々に書き出している。
番号を振られた少女たちの肖像画。公爵の慌てた様子。
夜会を突然打ち切ったこと。あの部屋を見た客の名前。
証言を取れそうな相手。
――俺も机についた。隣にはエラがいる。
少年服のまま。
帽子だけは外して、短くなった金髪を耳へかけていた。
「私にできることはある?」
「とりあえず、明日の一報は『少女たちの部屋』の目撃記事、それから、君の父上――シモンズ伯爵の手紙と君が持ち帰った台帳についての記事だ。君が手紙と台帳を持ち帰った経緯を伝えなきゃいけない。――読者の反発を買わないように。……今回、君がこの記事を出したい一番の理由は?」
「――クロエの“悪しき継母”のイメージの払拭」
エラは呟いた。
「それが君の希望。それと『王都新報』の意向を合わせなきゃならない。『王都新報』は一般市民が読むゴシップ寄りの新聞だ。貴族批判が好まれる。その読者に届く形で、事実を書く」
エラは頷いて、小さい声で俺の耳元で囁いた。
「……公爵を眠らせたというのは、書く必要はないわね」
俺は心臓がどきりと鳴って少し距離をとって、頷いた。
「……その通りだ。嘘は書かない。けれど、経緯を全て事細かにも書くのも違う」
少年服のエラを見つめて、息を吐いた。
――危ない目に遭った直後は、妙に相手を意識してしまうものらしい。
五つも下の少女に心音を早くしてどうする。
――それにしても。
俺はエラを見つめた。
数か月前に会ったときよりも、ずいぶんと大人びて見える。
初めて会ったときは、迷子になって途方に暮れた子どものようだったのに。
「私は公爵に個室に呼ばれて怖かった。――酒に酔った公爵は、お父様からの手紙を見せびらかした。お父様との間に話はついていた、と言って私の手を握った。けれど酔ったのか眠ってしまった。――私は、お父様の手紙を持って逃げ出したわ。そのときに、奥の部屋に入ってしまったの。――そこには、クロエに似た少女がいて――私はソファにあった台帳に手を伸ばした。そうしたら、本当にクロエだった。私はクロエを置いていけなくて、持って逃げたわ」
ひと息ついて、エラは俺を見た。
「……嘘は言っていないわ」
「――いいと思う。それを記事にしてみよう」
俺はエラを見つめた。
「台帳、もう一度見せてくれ」
「ええ」
エラが分厚い冊子を俺の前へ置く。
革張りの豪勢な表紙を開く。
少女たちの写真。
名前。年齢。出身。公爵邸へ入った日。出た日。その後の行き先。
標本のように並べられている。
――そして、ヴァレンティン公爵自身が書いたらしい短評。
『笑顔がよい』『金髪が美しい』『気が強すぎる』『興味を失った。ハリス卿へ』
言葉だけなら短い。短いからこそ、余計に嫌な気分になった。
一人の人間の人生を、たった数行で、品物みたいに記録している。
俺は眉をひそめながら頁をめくっていった。
二十九。三十。三十一。三十二……そして――
「……待て」
指が止まった。
「どうしたの?」
「これ」
俺は頁を引き寄せた。
『No.33』
そこには、一人の金髪の少女の写真が貼られていた。
名前は――『レベッカ』。
「……レベッカ?」
エラが俺を見る。
俺は返事をしなかった。写真へ顔を近づける。
白黒写真だから、色はわからない。
でも、左右の瞳が――写真でも、わずかに濃淡が違って見える。
そして公爵の短評。
『左右の目の色が違う。左は緑、右は青。宝石のようで、金髪によく合う』
「……まさか」
喉が乾いた。
俺はさらに記録を追った。公爵邸に入った時期。
滞在期間は――他の少女より、かなり長い。
そして――退去先には、《銀月の大広間》へ戻す、とある。
日付は――クロエ夫人が公爵のもとへ行く、五年ほど前。
「アスター?」
エラが俺の顔を覗き込む。
「知ってる人?」
「……名前だけなら、いくらでも同じ人間はいる」
「うん」
「でも」
俺は写真を指差した。
「左右の目の色が違う女なんて、そう何人もいない」
エラの表情が変わった。
「このレベッカという少女は」
一度――息を吸う。
「“切り裂きリック”事件の、一人目の被害者と同じ名前だ」
「……え?」
「しかも、特徴まで同じだ」
俺は椅子へ深く座り直した。
頭の中から、三年前に集めた資料を引っ張り出す。
第一の被害者。レベッカ。
「当時、三十代後半。貧民街で、その日暮らしのように客を取っていた女だ。酒浸りで住む場所も定まらない。『あたしは昔、貴族の家にいたんだよ』と寝言みたいに、何度もそう言っていたと周りの人間が言っていた。――誰も信じていなかったけどな。落ちぶれた女の見栄だと思われていた」
俺は唸った。
「……本当だったのか」
台帳を見る。
「公爵の館だったのかもしれない」
ヴァレンティン公爵邸に長く置かれて、そのあと娼館へ戻された少女。
何年も経って貧民街で殺された女。
俺の背中を、冷たいものが走った。
「……リック」
「え?」
口から名前が出ていた。
俺は顔を上げる。
リック。
俺と同じ孤児院出身の俺より五つほど年上の男。
顔が似ていると、何度も言われた。
若い頃のヴァレンティン公爵にも似ていた。
「もし」
自分で言いながら、嫌な考えだと思った。
「もし、リックが」
「……」
「ヴァレンティン公爵と、レベッカの子どもだったとしたら」
エラが息を呑んだ。
「そんなこと、わかるの?」
「今はわからない」
俺は即答した。
「だから調べる」
……孤児院の記録をあたろう。
リックが入っていた時期。どこから連れてこられたのか。誰が手続きをしたのか。
残っているかもしれない。
「ただ」
俺は台帳を閉じた。
「これは今夜の記事には入れない」
俺はペンを取った。
「――とりあえず、明日の朝刊の記事を書きあげなきゃな」
朝になればこの話は、もう俺たちだけのものではなくなる。




